「ほんとに……王宮の中なの?」
私の声は、自分でもわかるくらい、微妙に震えていた。
目の前には、白い石造りの高い壁。その向こうにあるのが、ファルムス王国の中心――王宮だ。
「うん、間違いない!
胸を張るラミリスさんの笑顔が、こんなときだけ頼もしく見える。
でも……。
(なんでよりによって、王宮なんだろ……)
「忍び込むしかないよね!」
「えええ……」
私、今、忍び込むの!? って思ったけど、彼女の目は本気だった。
その“本気”を前に、私だけ弱気にはなれなかった。
「……わかった。行こう」
小さく頷いて、ふたりで空を滑る。
風をまとって、私たちは王宮の外壁へと近づいた。幸い、今は夜。月の光に照らされた白壁を、影のようにすり抜ける。
ラミリスさんの飛行は、本当に静かで速い。私も
(緊張してる……魔素がうまく操れない……)
でも、進まなきゃ。
ラミリスさんの小さな背中が先を飛ぶ。
私はそれを追いかけて、王宮の裏庭に降り立った。
「ここだよ。
ラミリスさんが指さしたのは、石畳に囲まれた庭園。その中心にある一本の木。人の手で植えられたように見えたけど――確かに、感じる。この気配は、
「間違いない……行くね」
私はそっと幹に手を当てた。魔素を集中させ、同一化を始める。
(ゆっくり、ゆっくりと……魔素を流して……)
木と繋がるたび、周囲の土地が目覚めていくのを感じた。地下に眠る根が伸び、魔素が大地に満ちていく。
この瞬間が、私は一番好きだった。
生きてる。私も、木も、土地も、ぜんぶが繋がってる。そんな感覚。
「リン、すごい……」
「もうすぐ……終わるよ」
けど、そんな安堵も束の間。
「誰だ!そこにいるのは!」
空気が、弾けた。
「――逃げるよ、リン!」
ラミリスさんが叫ぶより早く、私は風を呼び出そうとした――けど、わずかに遅かった。兵士たちの気配が、四方から迫ってきている。
「リン、早く上に!」
「無理……今は魔素が使えない……」
まだ土地の強化に集中しすぎて、魔素の循環が戻ってない。
その間にも、兵士の影が私たちに迫ってくる。
「ラミリスさん、お願い。逃げて。私が引きつけるから!」
「でも!」
「お願い!」
ラミリスさんは、歯を食いしばって頷いた。
「絶対に戻るからね!」
風の音と共に、彼女は夜空へと舞い上がった。
私は、木の前で息を整えながら、ゆっくりと立ち上がった。
足音が近づく。
甲冑の鳴る音と、冷たい視線。まっすぐに、私を射抜くように――
「何者だ、貴様」
兵士たちの背後に、ひときわ異質な気配が現れた。
黒いローブを纏い、細い目をわずかに開いて笑う男。
(……魔術師……?)
「ふん。
その声に、私の背筋が凍った。
「お前の力、ファルムスのために使わせてもらうぞ」
「私の力は……みんなのために使うの。国のためだけなんて、使いたくない……!」
力なく叫ぶ私に、男はただ淡々と手を掲げた。
そして、目の前に張られたのは、私を完全に封じる結界。
(……! 魔素が……止まった……!)
何もかもが静まり返った空間で、私はただ一人、膝をついた――。
***
一方、森の中を全力で飛ぶ小さな影――ラミリスは焦っていた。
「リンと……念話が……繋がらないっ!?」
目の前が一瞬ぐにゃりと歪む。彼女は空中で足を止め、再度リンに呼びかけたが、返ってくるのは冷たい沈黙だけだった。
「うそ……なんで……?」
耳の奥で、鼓動が早鐘のように鳴る。リンの姿が脳裏に焼きついて離れない。──叫び、訴えた、あの一言。
――私が引きつけるから!
「リン……!」
ラミリスは勢いよく反転し、ふらふらと揺れながら空を駆けた。そのまま、迷うことなく一直線に目指すのは、ギィ・クリムゾンの居城。
「ギィっっ!! ギィーーッ!!!」
大声と共に、目をぎょろっと見開いたまま室内に飛び込んだ。
室内では、ギィが一人ソファにもたれて紅茶をすすっていた。
「うるせぇな……なんだよ」
「あのね!!ファルムスでね!!リンがね!!!王宮で捕まっちゃって!!!念話も繋がらないの!!マジでヤバいの!!」
ギィは一瞬だけ表情を止め、カップを静かにソーサーへと置いた。その目が、真紅の光を帯びて細くなる。
「……そうか」
その声は低く、静かだった。だが、内に潜む怒気は明らかで、ラミリスは思わず口をつぐんだ。
「リンには“自分でどうにかしろ”って言ったけどよ……今回は、例外ってわけか」
ギィはゆっくりと立ち上がった。足元の床が、彼の魔素で軋む。
「ファルムス王国、だな?」
ラミリスが頷くと、ギィはため息を吐いた。
「放っておきゃ
「アタシも行く!」
「ダメだ。お前が来ても、ただの足手まといだ」
容赦ないその言葉に、ラミリスは唇を噛んだが、ギィは既に次元を裂いて転移の構えを取っていた。
「待ってろ。すぐ戻る」
空間がひずみ、ギィの姿が消える。その場に残されたラミリスは、地団太を踏みながら、涙目で叫んだ。
「も~~~~~!いつもそう!一人で何とかしようとするんだから!!」
一方その頃、リンは王宮の石造りの一室に閉じ込められていた。魔素は封じられ、スキルも使えない。だが、彼女の目には諦めの色はなかった。
(……どこか、抜け道があるはず)
何度も壁を叩き、天井を見上げ、床を踏み鳴らした。そして――見つけた。小さな通気口。その一箇所だけ、わずかに結界が薄い。
(ここしかない)
力を込めて拳を叩きつけ、鉄格子を破壊。身体を小さく縮め、ようやくの思いで通気口を這い出ると、王宮の回廊へと抜け出した。
(早く、外に出ないと……!)
だが、すぐに察知された。魔術師たちが結界を強化。再び閉じられる出口。追手の足音。
「ちょっとぉぉぉおおお!? こっちは今、逃走中なんですけど!!」
細い廊下を駆け、裏道を抜け、扉をすり抜け、ついには大広間に飛び込んだ。だが――
「逃げられると思うなよ、
冷ややかな声と共に、再び現れたのは魔術師長ラーゼンだった。彼の手には、封印魔法の術式が収束していく。
(まずい……!)
結界が展開されようとした、その瞬間。
「──そこまでだ」
空間が裂け、赤き閃光と共にギィ・クリムゾンが姿を現した。
リンは驚きと共に胸をなで下ろし、思わず彼にしがみつく。
「ギィさん……!」
ギィはリンの隣にぴたりと立ち、冷ややかな眼差しでラーゼンを一瞥した。
「リンに手を出せば、この国がどうなるかわかってんだろ?」
その一言で、ラーゼンの顔から血の気が引く。
「――全滅したくなきゃ引っ込んでろ」
圧倒的な魔素の威圧感に、ラーゼンは返す言葉も見つけられず、ただ凍りついたままだった。
ギィはリンを軽々と抱き上げると、そのまま転移魔法を発動し、空間を裂いてラミリスの待つ自分の居城へと姿を消した。
――ちょうどその瞬間、ラミリスが扉を開けて飛び出そうとしていた。
「リン!!」
ラミリスは飛びついてきて、リンの顔にめり込むほどの勢いで抱きついた。
「わあああああん!!無事だったぁぁあああああ!!」
「ラミリスさん……ごめんね、心配かけて……」
泣きじゃくるラミリスに応えながらも、リンはそっとギィの方へ視線を向けた。
「……ギィさん、助けてくれて……ありがとう」
その言葉に、ギィはいつもの調子で返すのではなく、じっとリンを見下ろして、一言。
「分身体で土地の強化をやれ」
「……はい」
しょんぼりと頷くリンに、ギィはふっと息を吐き、彼女の髪を指先ですくって整えてやった。
「髪、ぐしゃぐしゃだぞ。……ほら」
「……くすぐったい……」
「我慢しろ」
しばしの間、穏やかな空気が流れた。
リンはギィに髪をいじられるのを受け入れていたが、ふと自分がギィに抱えられている状態であることを思い出す。
「ギィさん、もう大丈夫だから……あの、降ろして」
ギィはリンを抱えたまま忘れていたようで、笑いながらリンを降ろした。
「そういや、抱えてたな」
「……軽かった?」
「まあな」
そう言ってギィは笑いながら去っていった。最後に「約束は守れよ」とリンに言い残して。
ラミリスはリンに引っ付いたまま、涙を拭きながら彼女の無事を喜んだ。
「本当に無事でよかったよ、リン……!」
「ありがとう、ラミリスさん……」
リンは自分を襲った出来事を振り返る。
自分を狙う者がいることを知り、これからはもっと警戒心を持たなければならないと強く感じた。
ギィが応接間へ続く廊下を歩いていると、静かな気配の中で白い影が待っていた。
「……どこに行ってたの、ギィ?」
ヴェルザードの声は冷たく、凛としていた。深海のような瞳が、ギィをまっすぐに射抜く。
「用事だよ」
「その用事、
ギィはわずかに眉を動かし、視線を逸らさずに答える。
「そうだ。ファルムスで捕まってたからな、助けてきた」
「……本当に、守る価値があるの?そんな、弱くて不安定な存在に」
ヴェルザードの言葉は冷たく、しかしどこか感情の揺らぎを孕んでいた。
ギィはそんな彼女の視線を正面から受け止めながら、廊下をゆっくりと歩く。ヴェルザードもその隣に並び、無言のまま並走する。足音だけが静かな石の廊下に響いていた。
「貴方、まさか……あの娘に“執着”なんてしてるわけじゃないでしょうね?」
吐き捨てるような声。だがその奥にあるのは、嫉妬でも怒りでもなく、もっと複雑な感情――ギィを“知っている”者だけが抱く、ざわめきに似た戸惑いだった。
ギィは足を止めた。振り返ることなく、天井を仰ぐようにして呟く。
「オレが執着なんてするわけねぇだろ。ただ、興味があるだけだ」
「興味、ね……だから助けたと?」
「ああ」
「駒なのに?」
「駒だからだ」
ヴェルザードは思わず眉をひそめる。
「どういう意味かしら、それ」
「いい駒ってのはな、自分で考えて、暴走して、でも踏みとどまって、最後に“賭ける”奴だ」
ギィは肩をすくめた。
「だから面白い。――壊れるまでは、ちゃんと手入れしておくさ」
その台詞に、ヴェルザードは明らかに苛立ちを見せた。
それが誰に向けたものか、自分でもよくわからなかった。ただ、胸の中にひっかかる棘が、次第に形を成してくるのが分かってしまった。
「……そう。なら、好きにすればいいわ。でも、私の前で壊れたら、その時は――私が片付ける」
「好きにしろ」
ギィはそう言い残して、踵を返した。
ヴェルザードはその背中を見送りながら、小さく吐息を漏らした。
「本当に……変な子に、目をつけたわね」
だが、その声には先ほどまでの棘はなかった。
静寂が戻る中、白氷竜はその場に一人、白髪を揺らして佇んでいた。
(……彼が選んだなら、きっと、理由はある)
彼女の目が一度だけ伏せられ、深い沈黙が落ちた。
この頃ラーゼンいるよね?いなくてもいるってことにしとこう。