転生したら木の中でした   作:猫田やなぎ

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第三十八話

リンは大霊樹(ドリュアス)の奥深く、静かに目を閉じていた。

分身体が遠くの大地で働く感覚が微かに意識に触れるたび、胸がざわつき、眠ったふりをしていた不安が目を覚ます。

 

「……悔しいな。あの時、何もできなかった自分が」

 

呟いた声は樹の内部に吸い込まれ、淡く震えた。

 

ファルムス――ラーゼンの手に落ちたあの日。

助けられる側だった自分。

守るはずの存在だったはずなのに。

 

「ミリムとの修行で、前に進めたと思ってたんだよ……」

 

爪が掌に食い込み、指先が震える。

強くなった“つもり”だったが、実戦ではその幻想が瞬時に砕け散った。

 

「……借りっぱなしのままなんて、もう嫌だ」

 

リンは立ち上がり、大霊樹(ドリュアス)の内部に向けて念じる。

 

(ねぇ、大霊樹(ドリュアス)。私に試練をちょうだい。甘くないやつ)

 

樹海の奥から低く湿った響きが返る。

 

『試練とは、己を削る行い。戻れぬほど削れるやもしれんぞ』

「いいよ。壊れたって、立て直す。借り物じゃない、“私の強さ”を作るためなら」

 

一瞬、樹全体が軋むように沈黙した。

やがて、深い森の息吹のような声が落ちてくる。

 

『……ならば開こう。そなたの内界――根の森を』

 

床が脈動し、リンの足元に緑の紋が浮かび上がった。

世界が反転するようなめまいが走り、視界が暗転する。

 

瞼を開くと、そこは深い森だった。

木々は夜のように暗いのに、葉脈は青白く光を帯び、緩やかに呼吸している。

地面には無数の根が張り巡り、触れれば脈動が伝わる。まるで生き物の体内だ。

 

「……ここが、私の……?」

 

言葉が霧に溶ける。

風もないのに葉が擦れ、囁き声のように聞こえた。

 

『忘れるな。ここはそなたの精神。逃げれば、そなたが消える』

 

声は四方八方から響き、輪郭を持たない。

リンは思わず身を抱いた。

 

次の瞬間、森の色がゆっくりと変質していく。

光の粒子が舞い、優しい温もりが肌を撫でた。

癒やしのようでいて、どこか刺すような鋭さを含んでいる。

 

「……綺麗……だけど……」

 

胸の奥がずきりと痛む。

光がリンの胸元に染み込み、押し隠していた記憶の断片が浮かび上がった。

 

助けられなかった手。

届かなかった声。

弱くて、何もできなかった自分。

 

(また……見せる気?)

 

光が罪悪感を照らし出す。

思い出したくなかった痛みが、鮮明な映像となって迫ってくる。

 

「やめろ……!」

 

視界が揺れ、足元の根がリンの影を引きずり込むように蠢く。

逃げたくなる衝動が、喉を掴む。

 

『弱さを恥じ、隠すか。それとも――見据えるか』

 

森全体が問いを投げつけてくる。

リンは歯を食いしばり、胸に手を当てる。

 

「……恥じてるよ。情けない自分なんて、見たくない。できれば捨てたい」

 

光が強く瞬き、心臓を直接掴まれたような感覚が走る。

呼吸が乱れ、涙が滲む。

 

それでも――目を逸らさずに言った。

 

「だけど、捨てたら何も残らない。弱かったあの日(前世)も、私の一部なんだ」

 

光がわずかに和らぐ。

リンの足元に、一本だけまっすぐ伸びた根が道のように現れた。

 

リンは根の上を慎重に進む。

一本一本の根が微かに震え、まるで彼女の心の動揺を映すかのようだった。

空気は重く、息を吸うたびに胸に圧迫感がかかる。

 

「……耐えるしかない」

 

その時、森の闇が突然濃くなり、周囲の光が一瞬で吸い込まれた。

風も、葉の囁きも消え、リンを包むのは深い、底知れぬ闇だけになった。

 

「……消えちゃいそう……!」

 

目の前の景色は黒く沈み、彼女の存在そのものが薄れていくような感覚が走る。

自分が誰なのか、何のためにここにいるのか、思考の輪郭がぼやけていく。

 

『恐れるな。消えることはない。ただ、意志を試すのだ』

 

声は森のどこからともなく響き、リンの心に直接届いた。

しかし、それに応える余裕はない。意識が引き裂かれそうな感覚が続く。

 

「……でも……負けない……!」

 

彼女は必死に自我を掴み、闇に埋もれまいと足を踏みしめた。

心の奥底で、微かにでも光る“自分で決めた意志”を頼りに、存在の輪郭を保つ。

 

 

 

 

 

闇が薄れ、次の瞬間、冷たい水の波がリンを襲った。

足元から全身に冷気が走り、体は動かなくなる。

まるで深海に沈むように、指先一つすら動かせない。

 

「……動かなきゃ……でも……!」

 

必死に意識を集中させる。

冷気の中でも、心の中で“動くべきだ”という思いを反芻する。

わずかな光が体内で脈打ち、魔素が凍りつく感覚を抑える。

 

続けて火の属性が襲った。

全身を焼き尽くす熱に、自然と声が漏れる。

 

「うっ……!」

 

皮膚を焦がす熱、内側から体を突き破ろうとする圧力。

それでもリンは心を燃やした。

“自分の誇りを曲げない、決めた道を貫く――!”

 

次は風の刃が全身を切り裂いた。

無数の刃が体の奥まで振動として響き、痛みが走る。

しかし、リンは呼吸を整え、心の中で結界を描くように意志を固める。

 

「私の……意志は……誰にも折らせない……!」

 

その瞬間、森の風景が静止した。

光と闇、水と火、風の力がすべて止まり、リンを包む圧迫感が一気に消え去った。

 

地面に立つ足取りはまだ震えていたが、次の瞬間、視界が淡い緑の光に包まれ、意識がすっと引き戻される。

気づけばリンは、元の大霊樹(ドリュアス)の奥深く、静寂に満ちた空間に戻っていた。

周囲には分身体が遠くで活動している感覚が微かに伝わるだけで、あの過酷な試練の森は跡形もない。

 

『告。個体名リンのスキル熟練度が一定値まで達しました。これにより、「物理攻撃無効」「魔力妨害」「魔力操作」が統合進化します』

「え……」

『——成功しました。エクストラスキル「真界領域(しんかいりょういき)」を獲得しました』

 

頭の中で響く世界の声に、リンは膝をつき、深く息を吸う。

 

「……やった……!」

 

先見者(ミトオスモノ)の解析が頭に流れ込み、説明が続く。

 

『解。エクストラスキル「真界領域(しんかいりょういき)」は、任意の場所に結界を張り、物理・魔法・精神攻撃を無効化可能。属性吸収と精神強化も可能です』

 

リンは膝をついたまま、深く頷いた。

今の彼女はまだ小さな一歩かもしれない。

けれど、自らの意志で立ち上がったその力は、確かに“自分のもの”だった。

 

『そなたはよく耐えた。だが、これは終わりではない。さらなる強さを求めるならば、我は再び試練を与えよう』

 

リンは微かに笑み、再び目を開いた大霊樹(ドリュアス)の内部空間を見渡す。

 

「……ありがとう、大霊樹(ドリュアス)。次も、絶対に乗り越えてみせる」

 

深い静寂の中、リンの決意を抱くように微かな風が揺れ、心は確実に、一歩先へと進んでいた。

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