「……おん?」
「あら、ようやく起きたのね」
愛ちゃん達に置き去りにされて数刻の後。段ボールの中で床からの底冷えに耐えつつプルプル震えていたワタシは、果林さんのその声に事態が変化したことを感じ取った。
愛ちゃんにはさっきメッセ送ったけど既読にならない。これは長期戦も覚悟しないとダメかねぇ……!?
「あれぇ?果林ちゃんがなぜに彼方ちゃんのお部屋に?夜這い?」
「ここはスクールアイドル同好会の部室だし、まだ夕方よ」
「……あぁ。なるほどなるほど。あいしーてるしー理解したぁ……襲われた跡が無いなぁ」
「何を理解したのよ。それに私にも選ぶ権利があるでしょうに」
「彼方ちゃんを選ばないとか、逆にどういう趣味してるのか」
ワタシの願いも虚しく、なんか話し込み始めてしまった。微妙にアダルトちっくな冗談を交わす2人はCP脳的には凄く美味しい。健全な子が大半を占める虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会においては貴重な光景だ。昔もエマさんとワタシが居ない場ではちょいちょいやってたなぁ。
……なんで知ってるのかって?はは、何を今更。
「意外と自己評価が高いのね」
「自己評価低いスクールアイドルはそう居ないって」
「エマや歩夢は低めでしょう」
「もっと高くて良いよねぇ、あの2人は」
「まったくだわ。まぁ貴女は自己評価は高くても、それの維持には気を割けてないみたいだけど」
「うん?」
「髪の艶。肌の様子に目元のクマ。若さとメイクでカバーするのにも限度があるのよ。仮に襲うにしても、私ならもっと健康的な相手を狙うわね」
まだ眠気が抜け切っていないのか、立ち上がらずソファに座る彼方さんに、ピシリ、ピシリと指差しながら容赦なく指摘していく。ワタシはこの前まだ大丈夫と判断してたけど、果林さん的には許容できない状態であるようだ。女の子達の美のトップグループ、その目はワタシのそれなどとは比較にならない精度だろう……やっぱ彼方さん、無理が続いてるんだな……
「あはは。流石に果林ちゃんは誤魔化せないかぁ」
「部活中にいきなり眠り始める人間が、誰を誤魔化せてるつもりなのやら。エマはもちろん、しずくちゃんもやけに気にしてたみたいだし」
「あー……しずくちゃんはねぇ、旧同好会の頃から真面目でさ。ちょっと気にかけてたり、かけられてたりしてたから、それでかねぇ」
「後輩の心労になってるんじゃないわよ。向こうのお肌に影響が出たらどうするの」
「……てへ。面目無いぜ」
「……はぁ」
申し訳なさげに頭を掻く彼方さんに、呆れを隠そうともしないため息が降りかかる。どれだけ周りが心配しても変わらない……いや、変えない彼方さんスタンスは、果林さんを前にしても崩れないらしい。まったく、本当に意固地な人だ。お互いに。
「もう一回横になりなさい。そのソファに、うつ伏せで」
「え?うん」
「跨って触るわよ」
「……あれぇ?彼方ちゃん、やっぱり襲われちゃう?襲われちゃうぅ?」
「えぇ。痛くするから覚悟しなさい」
「えっ。ちょっ……ぐえぇっ!?」
そういって果林さんは彼方さんの身体を弄り始めた……当たり前だけど健全な意味で。腕とか足とか凄い方向に捻られてるけど、どうやらマッサージらしい。苦悶の悲鳴をあげてはいるけど、彼方さんも抵抗せずに、されるがままになっていた。
"美人な上級生2人が絡み合っている"という字面に反して、繰り広げられてる光景に色気はあまり感じない。柔道の寝技とか、獣肉の解体とか、どっちかというとそんなのを連想する。うわぁ、人間の腕ってあんな方向に回るんだぁ……
「昔に比べたら、随分柔らかくなったわね」
「教えて、貰った、柔軟は、続けてる、からね、ぇっ!むげぇ」
「お望み通り襲ってあげてるんだから、もっと色気のある声でも出したら?」
「背中に足乗せられてるのにぃっ!無茶ぁっ!」
「私の足に踏まれたい子も居るっていうのに。その子なら言われなくても嬌声をあげてくれるわよ?」
「どこのヘンタイさん!?」
「アノ子よ」
「アノ子かぁっ!」
……え!?もしかしてワタシ!?ワタシですか!?
違うよね!?そっち系の趣味はないぞ!?それで意見の統一をみてるなら異議申し立てますからね!ワタシは他人のイチャイチャを見たいだけです!!
「あんまり無理すると逆に痛めるから、そろそろ普通にしましょうか」
「最初から普通にして……あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ……」
「ダミ声……」
色気もへったくれもない声を聞きながら、しばらくマッサージは続けられた。その間も2人の会話は途切れず続く。この互いへの遠慮のなさは、果たしていつ形成されたんだろう。ライフデザイン学科の繋がりだとは思うんだけど……うーん、気になる。
「あ゛ー……楽になった……ありがとぉ……」
「どうも。まぁ彼方には勉強を見て貰ってる恩もあるし、これくらいはね」
彼方さんがうつ伏せのまま悶えながら告げたお礼で、マッサージが終わったことを察する。
愛ちゃんからの返事は……まだ来ない。どうしよう、絶望してきたよ?
ワタシが段ボールの中でひっそりいろんなものを天秤にかけ始めた――その時。
「果林ちゃんは律儀だねぇ。そんなの気にしなくていいのにぃ」
「気にするし、それなら気にさせないようにしなさいよ、色々と。もっと自分を労りなさい。エマもだけど、見えないところで草臥れていかれたら気にもなるわ」
「見えないところで、ねぇ」
「何よ」
「それなら見てられるように、果林ちゃんも同好会に入っちゃえばいいのに」
「……は?」
(……へ?)
思わずかいてた脂汗が止まるようなことを、なんでもないように、あまりにも自然に、彼方さんは言い放った。
「なんだかんだ去年から口説いてたのに全然靡いてくれないんだもん。新生同好会になった今が、一番良いタイミングなんじゃなぁい?」
お……おいおいおいおいマジか?マジですか?ここで彼方さんが勧誘するの?エマさんより先に?いや、確かに果林さんとの交流があるなら彼方さんが誘ったって不自然じゃないけど……
これ……これはワタシの影響……じゃないよね?去年ワタシがエマさんと彼方さんの活動に乱入する前から、果林さんは2人と交流してたもんね……?いやでも……その。えっ、ちょっ、これ……ダメだ考えまとまんねぇ……!
「……入る気がないから断ってるのよ。前提が間違ってるわ。貴女たちは心配よ、友人としてね。でもそのフォローのためだけに同好会に入るのは、正直労力とリターンが釣り合ってない。違う?」
「リターンはあるよ」
「何ですって?」
「ある。でしょお?」
果林さんが、口を噤んだ。愛ちゃんの時よりも、一層硬く。その隙に彼方さんはぐるり、と仰向けになるよう回転し、果林さんと向き合った。
切れ長の瞳を細めて見下ろす果林さん。
跨られながら薄く微笑み見上げる彼方さん。
数拍の見つめ合いが、まるで何時間も続いているかのように、長く感じた。
「リターンってなに?とは言わせないよぉ。見栄っ張りさん。自分が一番分かってるクセに」
「知った風な口をきくのね」
「そりゃまぁ付き合いの長さだけなら、エマちゃん以上だからねぇ。それなりに知ってるさ」
「みくびられてるのかしら。"それなり"で語られるほど浅い女じゃないつもりだけど」
「それも知ってる。だから彼方ちゃんの言ってることが全然的外れなら、バッサリ切ってくれていいんだぜ?」
「…………」
「……誰にだって、それくらい正直なら良いのに」
「……どう酷くこき下ろそうか考えてただけよ」
「やれやれ。このいじっぱりさんは」
あからさまに呆れた口調と仕草。普段なら反射的に言い返しそうなものだけど……やっぱり果林さんの反撃は、ない。
位置関係はマウントポジションの果林さんが圧倒的に有利。けれど優位を保っているのが彼方さんなのは、一オーディエンスに過ぎないワタシの目にも明らかだった。
「なんなら彼方ちゃんを建前にすればよいよ。ダラシない同級生をほっとけないから、ってさ」
「……それは、生活習慣を改める気はない、という宣言かしら?」
「……おっと、チョイス間違えた」
「そもそも貴女がマトモな状態に戻るなら、懸念の一つは消えるのよ。私にちょっかいを掛けるより、そっちに注力してほしいものね」
「あー……耳が痛いねぇ、ごもっともぉ……でもねぇ、彼方ちゃんにも色々事情がありおりはべり今は無理って感じでねぇ……」
「事情って……」
「だから、さ。そういうの無いなら、さ」
彼方さんは、果林さんの貼り付けられたような表情をしている顔にゆるゆると片手を伸ばし、頬へと添え……ぐぃ、と。無理矢理、口角を上げさせる。
そうして。歪んだ笑み擬きとなった果林さんに。
「……果林ちゃんは、もうちょっと自分に正直になっても、いいと思うのです」
へにゃりと笑いながら、そう告げた。
「……私は十分正直よ」
「……ほんとうに……見栄っ張りの、いじっぱりさんめ」
「………」
「たは。彼方ちゃん相手じゃ……素直になれない、かぁ……やくしゃぶそくぅ……」
「……そんなつもりは、ないんだけど」
「そうだねぇ……今の彼方ちゃん、お世辞にも、頼り甲斐なんてない……もんねぇ……」
「……」
「ごめん、ねぇ……」
その言葉を最後に――するりと、彼方さんの腕が落ちた。
「………」
「……彼方?彼方っ!……あぁ、もう」
焦ったような声は、けれど程なく沈静化した。どうやら彼方さんは、果林さんの応えを聞くことなく、また眠ってしまったらしい……さっきのやり取りも、結構無理して交わしてたのかな。
とはいえ、聞こえる寝息に苦しさはない。果林さんのマッサージが効果を表した結果なのかも……うん。せめてそうあって欲しい。
「……なんなのよ、もう」
何かの行きどころを失くしたようなつぶやきだけが、部室に溶けた。
夕陽が差し込む部室に、静寂が満ちる。
少し俯き加減になったその人のカオは、段ボールからの狭い視界じゃ、捉えきれなかった。
なお。そのすぐ後に駆け込んで来た愛ちゃんの場回しによって、無事ワタシは誰にも見られず脱出に成功した。
目の前のドラマに集中して忘れていた、けれど臨界ギリギリになっていたワタシの尊厳もどうにか傷付かずに済んだことは、ここにハッキリと明言しておこう。
……ウソじゃないからね!