――思い出す。あの夕暮れの教室に、かすみさんが息を切らせて飛び込んできたときの事を。
『見つけたぁ!何やってんのしず子、こんなとこで!探しちゃったじゃん!』
『え?かすみさん?どうしたの……?』
『どうしたもこうしたも、主役降ろされて落ち込んでるしず子を慰めに来たの!』
『オブラート売り切れてたの?』
ずかずかと入ってきながらあまりにもデリカシーのない事を言い放つかすみさんに、思わず普通に突っ込んでしまった。
どうにも私はアドリブに弱いところがある。こういう時は、仮面を被るのが遅い。
そうやって弱点を反省していると、また気分が沈んできた。
でも、大丈夫。多少時間さえあれば、私は"桜坂しずく"を憑依させられる。
私の仮面は、一度付けたらそう簡単には外れない。
『でも……そっか。知っちゃったんだ』
『……うん』
『ありがとう。大丈夫!心配しないで。私は平気だから!』
『…………大根』
『は?』
――けれど。流石に聞き捨てならない事を言われちゃったらその限りじゃない。
『誤魔化し方、へたっぴ過ぎない?流石にそんなんで騙されないって……え?もしかして本当は単なる実力不足で落とされたの?ご、ごめんね……?』
『は!?!?』
最初以上に失礼なボール。威力が高いそれを、捉え損ねて顔面でキャッチする。
思わず……仮面がずれてしまった。
『違うもん!実力不足じゃないもん!』
『じゃあなんでさ』
『それはっ!……別にいいでしょ!大丈夫だよ、ちゃんと再オーディションで勝ち取るから!』
到底冷静とは言い難い。こんなの、まるで誤魔化せてない。でも、あんな事を言われたら、仕方ないじゃない。
……かすみさんは確かに色々配慮が足りないけど、意図して神経を逆なでする言い方をする人だっただろうか?
『……ふぅ、こういう言い方してもダメか。ほんっとーに分厚い化粧だなぁ』
『常に猫の被り物してるかすみさんに言われたくないよ』
『いやいやしず子の方が』
『かすみさんの方が、ですー』
『……しず子が頑固キャラだって事は、よーっく分かったよ。でもそんな必死に隠そうとしなくていいじゃん! 私としず子の仲でしょ!』
『隠そうと、って……そんな……だいたい、どんな仲だって……』
『友達!仲間!同好会のライバル!たまーにほんのちょっとかすみんより可愛いと思ってる相手!』
『なっ、はっ!?』
『そんで!今かすみんが一番ホンネを知りたい人!』
『……は』
ぶつくさと文句を言う私を指さして、ためらいもなく言い放つ。
……それを嬉しく思う私はもう、かすみさんのペースに呑まれていたんだろう。
『教えてくれるまで教室から出さないかんね!さっさと白状してね!』
『…………なんなの、もう…………分かったよ。言うよ。言えば良いんでしょ?』
『そうそう。それで良いんだよ』
『…………はぁ』
決して言うまいと思っていた、本当の私を。私の想いを。
『……私、小さい頃からずっと、昔の映画や小説が好きだったの』
こうして、打ち明けてしまったんだから。
『でもそんな子は私しかいなかったから、不安だった……いつも変なのって顔されるものだから、そのうち嫌われるんじゃないかって。だんだん他の事でも、人から違うなって思われる事が怖くなって』
古典演劇。不朽の名作。
面白いと言っても、誰も興味を持ってくれなった。
見ようと誘っても、誰も頷いてくれなった。
皆と同じ煌びやかなものを選ばない私は、けれど誰かと離れて自分の道を歩む勇気も、持てなかった。
『だから、演技を始めたの……みんなに好かれる、いい子の演技を。そうしたら……楽になれた』
その時から私は、良い子の仮面を被り続けていた。
『……でもね?今度の役、自分をさらけ出さなきゃいけないんだって……今更、無理だよ』
けれど……逃げ道を探し続けていた私に、とうとう行き止まりが訪れた。
丁寧に通り方まで示されているのに……仮面を捨てれば良いって、それだけなのに。
『私、やっぱり、自分をさらけ出せない……表現なんてできない』
もはや役立たずの仮面を握り締めて、それに縋る。
『……嫌われるのが、怖いよ……』
そんな情けなくて、みっともなくて、どうしようもない ―― そんな私の手から。
『…………なぁに』
『え?』
『なぁに甘っちょろい事言ってんだぁ!』
『ひっ!?』
黄色の閃光が、仮面を叩き落した。
『嫌われるかもしれないから、なんだ! かすみんだってこーんなに可愛いのに、褒めてくれない人が沢山いるんだよ!鼻で笑う人だっているんだよ!しず子だって、かすみんの事可愛いって言ってくれた事ないよね! しず子はどう思ってるの!?』
『へ!?え、えーっと……』
まくし立てると同時に詰め寄られる。
近づいてくる意外と整った顔立ちに心が揺れる。真剣な顔をした時のかすみさんは、こんなにカッコいいんだ ―― そんな場違いな感想を抱いてしまう。
『可愛い!? 可愛くない!?』
『か、可愛いんじゃないかな……?基本……』
『基本!?』
『可愛い!可愛いです!』
言葉を濁すことすら許されない圧に、思わず叫んでしまった。
どれだけぶりだっただろう。自分の本音を大声で叫んだことは。
『ほら、言ってくれたじゃん! 』
『言わせたんでしょ……』
『嘘なの!?』
『嘘じゃないけどぉ……』
『ありがと!しず子も出してみなよ! 意外と頑固なところも、意地っ張りなところも、本当は自信がないところも全部!』
『それ、褒めてない……』
『でも!しず子はかすみんのダメなとこも知っててそれでも可愛いって言ってくれたんでしょ!』
そんな強引な人は。
『もしかしたら、しず子の事好きじゃないって言う人もいるかもしれないけど……私は、桜坂しずくの事、大好きだから!』
そうやって言いたい事だけ言い放って。私の気も知らずに。
『だから、心配しなくても……あぁもう、帰る!』
『あ、ちょっと……』
『かすみんにここまで言わせたんだから、絶対に再オーディション合格してよね!』
赤い顔を隠そうともせず、風のように去っていった。
『…………あは』
そのあまりにも劇的な一幕に、私は。
『あはは……』
どこまでも呆れ果てて。
『……あははははははっ……!』
いつしかそうやって、泣き笑っていたんだ。
「さぁ、そろそろだ……準備はいいかい?」
「はい。いつでも」
―― そうして今、私はここにいる。
合同演劇祭の舞台裏に、ヒロインの衣装に身を包んで、出番を待っている。
「……"まだ"は、随分早かったみたいだね」
「え?」
「なに、若人の成長速度は驚嘆に値すると実感しているだけだよ」
「部長は何歳なんですか……?」
部長なりの冗句に、緊張をほぐされる。
かすみさんに仮面を叩き割られた。
璃奈さんに勇気を貰った。
あとは、それに応えるだけ。
その気負いから肩に入っていた力が、抜けた。
……うん、良い調子。
「……ありがとうございます、部長。私を見捨てないでくれて」
「おや、寧ろ見捨てると思われてたのかい?無体な事をした私こそ、見捨てられるんじゃないかと震えてたのに」
「まぁ、確かに最初は正直、ちょっと恨みましたけど……」
「…………」
「あ」
「ふふ、良いね。言えてるじゃない、本音」
「……試しました?」
「まさか。これも私の本音さ」
じとっと見つめるも、人好きのする笑みは崩れない。
……まったく、まだ部長には勝てそうにないや。
「……それじゃあ行こうか。My Lady?」
「Yes, Ready。喜んで」
少し気取ってお辞儀をしたあと部長と別れ、舞台の中央に立つ。
深く深呼吸して目を見開いた先、重い緞帳に、またあの夕暮れのシーンが浮かび上がる……私ってば、どれだけ嬉しかったのかな。
……自分に否定的になってた。演じることが悪いことだと思いかけてた。
けれど、心に正直になってみようと改めて見つめ直せば。
それだって私らしさだと。
桜坂しずくは、演じる事も大好きな女の子だと、思い出せた。
人は誰でも怖がりだけど、その弱さを超えて輝くものだから。
同好会の皆さんのように、いつか誰かを笑顔に出来ますようにって、願いを込めて。
私は私の大好きを、この劇で曝け出そう。
"一歩"踏み出し、強くなろう。
……静かに幕が上がっていく。
雷鳴が胸に鳴り響いた。閉じ込めていた感情は溢れ出した……
もう見失ったりしない。私だけの思いを。
私の物語の第二章が、いま始まる!
―― 桜坂劇場! 今ここに、開演です!