謎時系列です。
「離してあげなよ」
「ダメよ」
「嫌がってるじゃないか。遊園地は子供を笑顔にする場所なんだよ? 嫌がるような事しちゃいけないんだよ?」
「嫌われてるのは君のほうじゃないの? 私はむしろ親切なお姉さんだし、何なら君の見てないところで助けてすらあげたのよ。だからこの子はもう実質私のよね」
「は? 僕ジョークは大好きだけど、そのジョークは流石にちょっと笑えないんだけど?」
――どうしてこうなったんだっけ。
遡ること(正確な時間経過が分からないため恐らく、だが)数時間前。
紆余曲折あってデメトリアと合流し、ペーパーは彼女と共にコンフェッティアの新たなエリアに足を踏み入れた。
そこはホールケーキの土台にビスケットの歩道とロリポップの木立が敷かれ、随所を流れるジュースの川には板チョコの橋が架けられている広大な庭園。デメトリアをして「見てるだけで舌が焼けそう」と言わしめるそのエリアの名は「シュガー・ガーデン」と言った。
「私がもっと小さかったら大はしゃぎしてたんでしょうけど」
ウェハースで出来た案内看板を眺めながらデメトリアがごちる。そういえば、彼女は道中でもスイーツをあまり好んでいる様子は無かった。ペーパーとしては甘いものは大好きだが、ここまで来ると匂いだけで歯が取れてしまいそうだ。もっとも、黒く塗りつぶされているだけの口に歯は無いが。
ともあれ、この近辺には異常の気配は感じられない。少しくらい休憩して行っても大丈夫だろう。そうデメトリアに伝えると彼女は頷いた。
「そうね。正直言うと、私もまだ
額を抑えながらフラつくデメトリアの手を引き、路肩に鎮座するマシュマロのベンチに座らせる。ふわふわのメレンゲに腰を下ろすなり、彼女は深々と溜息を吐いた。心身の疲弊を一気に吐き出すかのような深い溜息。
無理もない。逸れてから塗料工場でようやく発見した時点で、彼女は半ば異常に取り込まれかかっている状態だった――それこそ、あと数分遅ければもう手遅れだったと言っても過言ではないほどに。弱った精神は異常に付け込まれる絶好の隙となる。蒼白だった顔色こそ良くなりつつあるとはいえ、無理は禁物だ。
もし異常が現れたら自分が対処しようと決め、ペーパーもデメトリアの隣に腰かけた――その矢先、場違いなピアノの音が辺りに響いた。
「やあやあ、親愛なる
紙吹雪を撒きながら姿を現したのは、例によって自称ガイド役のデリリーニ。
疲れ切ったデメトリアが反応しないのを確認し、口元に人差し指を当てる。流石にその意図は彼にも伝わったようで、肩を竦めてみせる。
「おっと、ごめんね。……その様子だと、デメトリアはジャムにも異常にもならずに済んだみたいだね。これで一安心だ」
声を潜めながら語り掛けて来るデリリーニ。これまでの言動を鑑みるに、彼がデメトリアの事を本気で気にかけているようには思えないが……まあ、表面的に「そう見える」だけで、内心では彼なりに心配していたのかも知れない。ひとまずペーパーはそれで納得する。
「デメトリアは勿論だけど、ペーパーも大変だっただろうね。あのジップのお相手をするのはさぞかし『手を焼いた』んじゃないかな、二重の意味で」
まさにその通りだった。同じコンフェッティアの住人でもウーウーやエリオスらと異なり、モノクロへの敵意を隠そうともしない看守ジップはペーパーの存在を知るなり、容赦なく捕えに掛かって来たものだ。そして逃げ切ったと思った一瞬の油断を突かれ、危うくオーブン(と彼女は称していたが、どう見ても焼却炉であった)に突き落とされかかった。ちょうどシュガー・ガーデンに入る直前の出来事である。
コンフェッティアに外傷は存在しない……とはいっても、紙切れの身に炎など最悪だ。あの時、自分の恐怖に引き寄せられた異常が乱入して来なければ、今頃どうなっていた事か。
曖昧に頷いたペーパーの顔を覗き込みながら、デリリーニは続ける。
「痛快な大脱走劇の後に水を差すつもりはないけど、ジップは多分……いや、間違いなく君を『ショー』の主役にする事をまだ諦めてないよ。まあ、だからといって僕が手助けしてあげるわけには行かないんだけど――」
「じゃあ私がちょっとだけ協力してあげましょうか?」
デリリーニでもデメトリアでもないハスキーボイスが耳に入った瞬間、背後から伸びて来た四本の細腕が薄く小柄な身体を捉えた。抱え込まれた勢いで頭を反らすと、弓なりに細められた琥珀色の隻眼と目が合った。イリューシアだ。
「私も君を大っぴらに助ける事は出来ないけど、それでも主人公に次の道を示す事くらいなら
「ちょっとちょっと雀ちゃん。僕の役目を取らないで欲しいな」
「自分でガイドを放り出して何を言ってるのやら」
「放り出してなんかいないよ! 順路通りに行かないのは、全部異常が悪いんだから」
――デリリーニにもイリューシアの姿が見えるのだろうか?
正面に視線を戻すと、彼はいつも通りの満面に笑顔を貼り付けながらも、それでいて少なからない苛立ちを滲ませていた。よく見ると口端も弧を描きつつも引き攣っている。笑いながら怒るという器用な真似も、コンフェッティアのピエロとしての技能なのだろうか。
ぼんやり考えを巡らせるペーパーを他所に、二人は子供を挟んだまま話し続ける。
「異常のせいと言うけど、半分くらいは君がこの子を変に贔屓してるせいじゃないの? だから公平で冷静な判断が出来ないのよ」
「それはまあ……自覚はしてるよ。でも仕方ないじゃないか、ペーパー可愛いんだから! ぼんやりした顔も、細い脚も、ペラペラで一見儚げな雰囲気も全部さ!」
「まあ否定しないけど。髪の毛の鉛筆の匂いとか繊維の肌触りとか何か癖になるし、初めて見た時から食べちゃいたいのをずっと我慢してるもの」
「でしょ?」
そして冒頭に戻る。
うたた寝をしてしまっていた。マシュマロに腰かけたまま、デメトリアは意識を浮上させる。
起き抜けに何やら大きな声が聞こえ、そちらに目を向けるとペーパーとデリリーニが立っていた。しかし様子がおかしい。平時の眠たげな表情のまま棒立ちしているペーパーを前に、デリリーニは「ペーパーは可愛い」だの「儚そうな雰囲気が放っておけなくなる」だのと熱弁している。目線の動きからしてペーパーに対して話しているわけではなさそうだ。
デメトリア的には彼の発言そのものに対し一言一句違わず同意するが、何分目の前の状況が不気味過ぎる。一体何があったら
しばし考えた結論は一つ。
「……ああ、遂におかしくなったのね。そりゃずっとここに居たら無理もないけど……」
彼に対する好感度はほぼ地の底と言っても良いが、それでも全く見知らぬ相手ではないだけに多少なり燐憫は感じる。だが一般人に過ぎない自分にはどうしようもない。
「ペーパー」
心に決めて子供の名を呼ぶ。ペーパーはペラリと首を動かし、デメトリアのほうを向く。
「そろそろ行きましょ。ここの異常も
小さく頷いたペーパーは、薄い身体をほんの少し縦に丸めてこちらに歩み寄って来る。一方のデリリーニはそれに全く気付く様子も無く、ペーパーの魅力について語り続けている。
――これは相当重症だわ。
画用紙の手を握り返しながら、デメトリアは心中で彼の精神の安寧を願った。頭の隅に程度だが。
「デリくん誰と話してるの?」
コンフェッティアのモニタールーム。ドーム状の部屋の壁には大小何枚ものモニターが埋め込まれ、光りながら映像を出力している。
広大なコンフェッティア園内の各所には、エリオス設計の安全対策用マイク内蔵式監視カメラが周囲の装飾に溶け込む形で配置されている。感情の無い機械の目は異常の影響を受けず、そのレンズに捉えた情報をモニターに送り続けている。梟の如く並外れた情報処理能力を誇るジップにとっては、その全てに目を走らせるのは容易い事だ。
もっとも当のジップ自身が機械に疎いため、カメラやモニター(を含めたコンフェッティアの機械類全般)の調整や操作は殆どエリオスの仕事なのだが。
「何か熱心に話してるのは分かるんだけど。エリ、相手見える?」
モニタールームの主にして遊園地のセキュリティ担当であるジップは、その190センチ近い長身を折り曲げながら、椅子に腰かけるエリオスの肩越しに一枚のモニターを覗き込んでいる。
――先日カメラの定期点検をした時は問題なかった筈なのに。もし故障しているなら、後でまた様子を見に行かないと。
頭の中で予定を組み立てつつ、エリオスはジップの疑問に首を傾げる。
「さあ……カメラの角度を変えても他に誰も映りませんし、独り言にしても身振り手振りが大袈裟すぎる。……もしかしたら疲れているのかも知れません。彼、ここ最近ずっとパフォーマンスの練習をしていたようですから」
「ふーん。デリくんでも疲れる事あるんだ」
その言いぐさは流石にどうだろうと思わなくも無いが、普段のデリリーニの振る舞いを見ていればある意味納得ではあるか。
「とにかく少しくらい休むようにと、後でそれとなく伝えておきますよ」
「じゃあお願いね。私はモノクロのガキをどうやって捕まえて、それからどんな感じで持て成すか考えるのに忙しいから」
「……まだ諦めてなかったんですか」
「当然。モノクロがコンフェッティアをうろついてるってだけでも許せないのに、あのガキは私の手をすり抜けた。生意気にも、この私の手から。――許せないよね? 分からせないといけないよね?」
怒りと嗜虐に歪んだ笑みを浮かべるジップから目を逸らし、エリオスは辟易と安堵の混じった溜息を小さく吐く。
彼女の様子からすると、「モノクロのガキ」こと憐れな迷子・ペーパーが一瞬画面の隅に映った事には気付いていないようだ。塗料工場でペーパーの処刑に一度失敗してからというもの、ジップはかの子供に対し異常なまでの執着を見せている。それも生来の真面目さと几帳面さ、そして嗜虐性が入り混じった結果なのだろうが……いずれにせよ、他者を害する嗜好の無いエリオスには理解し難い感情であった。
頭のおかしい同僚達の事はさておき、ペーパーももう易々と捕まったりしないだろう。あの子供にはどのような苦境に立たされても決して己を曲げず、どのような異常を前にしても決して諦めない意思の強さがある。「絶望」の色たる黒らしからぬ強さが。
「君が歩みを止めない限り、君の足元の道はスポットライトのように明るく照らされ続けていますよペーパー。だから負けないで下さい。――例え、その旅の結末をどのような形で迎えようとも」
一介のマジシャンである自分に出来る事は少なく、この激励も本人に届いていないのは承知の上である。だがそれでも口に出さずにはいられない言葉があるのだ。
ネタバラシ:イリューシアの姿はペーパーとデリリーニにしか見えていませんし、声も二人にしか聞こえていません。