「ちょ、晴明様……!」
反転術式はおそらく使える。呪力効率は最悪だろうが、陽転と反転術式の行使を二工程で実行すれば問題ないだろう。
だが、体力の回復まで反転術式で賄えるのか? そこは栄養補給が必要になるんじゃないか……?
「案ずるな、尊」
思わず声を上げかけた私を遮るように、晴明翁はこちらに戻って来た。
声を落としたまま、晴明翁は私の懸念を丁寧に潰していく。
「俺の術式で実行したのは疱瘡の排除までだ。疱瘡によって傷ついた帝の御身の治癒までは手を付けていない。体力の
ああ、そういう……。
比較的容易な治療を私にやらせて、術師としての帝の覚えを良くするって考えがあったのか。厳密に言うと「体力の回復」は嘘だが、今は戦闘中じゃないから私の縛りの影響もないしな……。それに、聞かれた訳でもないし。
私としたことが、帝に術式を使うというロケーションにちょっと冷静さを失っていたかもしれない。材料は既に揃っているのだ。落ち着いて術式を回せば、何も問題はない……。
「そうそう、一つ条件をつけるぞ。
「はぁ?」
私は、思わず素で声を上げてしまった。
…………。……大丈夫だよな、一応声を落として会話していたから、帝に今の声は聴かれていないよな。
いや、はぁ? 前提をぶっ飛ばしてないか? 今の私の力量では、反転術式は二工程でしか回せないって言ってるだろ? その工程を縮める為の研究をこれからするっつってんのに、今やれ? イカれているのか? スパルタなど今日日流行らな……、……いや、今は
「………………」
とはいえ……この話の流れ、違和感がある。
晴明翁は何だかんだ言って、方針を提示せずにいきなり子どもを放り出すようなことはしない。私と佳子がゴタゴタしていた時だって、半ば強引に任務に送り出す素振りを見せながら実際にはしっかり式神によるサポートをつけていたほどだ。
此処で帝相手に失敗するリスクを冒してまで私に無謀なチャレンジをさせるようなタイプではない……。……おそらく七……いや最低でも八割、晴明翁の中で成功の公算がある。無理難題だと思うのは、先ほど言った通り私が冷静さを欠いているからと考えるべきか……?
「……発破をかけてやろうかと思ったが、もう冷静さを取り戻したか」
「晴明様の教育の賜物ですよ」
実際、晴明翁の教育者としてのやり口を学んだから気付けた違和感である。
私は晴明翁に一礼すると、帝の前まで進み出る。私よりやや年上くらいの少年は、先ほどまでよりも幾分か落ち着いた様子で臥しながら、私のことを見上げる。
「改めまして、藤原尊と申します。帝の御身を精一杯癒させていただきます」
そう言って手をかざした時既に──私の脳裏には、勝算が備わっていた。
晴明翁が成功する公算を導き出せた理由から、逆算してやればよかったのだ。
何故、晴明翁は私が反転術式を一工程で行使することが可能と考えたのか。それは、反転術式を一工程で実行するのに必要な要素を私が備えていると、晴明翁が知っているからだ。
では、これまで私は晴明翁の前で何を見せた? 晴明翁は普段の鍛錬は全く見に来ない。今までに見せたのは、領域展延、術式の行使、呪力の起爆、結界への干渉。あとは、滂沱戦で見せた順転……はタイミング的に見ていないだろうが、それで得た莫大な呪力を佳子の反転術式に紐づけたのは見ているだろう。
もちろん、呪力を佳子の反転術式に紐づけたからといって、それで私が反転術式の経験値を得られるわけがない。分け与えた呪力が私に戻って来た訳ではないし、そもそも呪力は経験を蓄積する記録媒体ではない。
では、此処までの何が晴明翁に成功を確信させたのか? ──それはやはり、
といっても、先ほど言ったような眉唾ものの理由ではない。そこではなく──それを実現した呪力のプログラムの方だ。
術式の行使が呪力操作と非常に近しいことからも分かる通り、術式の行使とは、厳密には「術式に呪力を流す」作業を意味する。
つまり、呪力操作のプログラムを用意すれば、術式の自動発動も可能なのである。代表例は五条悟だ。アレは術式の行使を自動で持続させることで常時無下限を纏っているし、反転術式もプログラミングすることで脳の消耗を軽減している。その要領でやれば、反転術式の一工程化も夢物語ではない。いわば、反転術式のマクロ化だ。
もちろん、アレほどの規格外を六眼を持たない私がやるのは不可能。高望みもいいところである。他のプログラムによる術式の発動例はメカ丸の「傀儡術式」による条件を満たした際の傀儡の発現があるが……アレもかなり強烈な縛りだったな。参考にはなるまい。つまり、「事前にプログラミングした通りに術式を行使する」ことも、今の私の呪力操作精度ではおぼつかない。では、どうするのか。答えは、既に知っている。
──領域の利点。
──環境要因によるステータス上昇。いわゆるゲームの「バフ」。
結局、私の一番得意は結界術なのだ。つまり私が考えるべきは、いかに苦手を得意に絡めて実用化するか。その点で言えば、一番簡単なのは領域による能力の強化だろう。領域で強化された状態であれば、今の私の精度でも呪力操作プログラムによる反転術式の一工程化も可能なはずだ。
とはいえ、流石に帝を己の領域に引き込むようなバカな真似はしないがな。
仮にも帝の住まいである。そんなところでいきなり領域展開をしたら、どう考えても角が立ちすぎる。それに、そこまでしなくとも、手ごろな形の結界術なら既に開発済みである。
「"漆" "赤土" "蘆矢の鏃" "蜷局の大蛇"──」
我流 「簡易領域」
大金剛輪印(忍者がするような掌印だ)を結びながら呪詞を唱えると、私を中心に半径二メートルほどの結界が展開される。
結界の構成要素のうち視覚効果を排除しているため、非術師である帝は結界の行使を認識することはできない。結界に関与している術師は認識したかもしれないが、何か言われる前に終わらせよう。何か言われたら晴明翁を盾にする。無理難題を吹っ掛けた晴明翁が悪いのだ。
……おっと、このままだと内裏に張られた結界と一部競合するな。ちょっと微調整しておくか……。
──「簡易領域」は、二年前に土壇場で組んだ時のそれよりも、大分洗練された術式になっている。掌印を維持する必要もないし、動き回っても簡易領域は私についてきてくれる。将来的には呪詞と掌印も省略できるようになりたいところだ。
そして、領域展開ほどではないが、この中であれば私の呪力出力や呪力操作精度は向上する。この中であれば、私の実力でも呪力プログラムを用いた陽転と反転術式の行使ができる。
「……なぁ、オマエ……」
「ご心配なく。今……楽にいたしますので」
色々と考えたり手順を踏んだりしていたからか、心配そうな声を出す帝に、私は優しく答えておく。
何せ相手は帝である。まだ当分都を出るつもりはないし(そもそもそんな予定はないし)、媚びは売っておくべき相手だ。私は掌印を解いて手をかざし、己の中の呪力に命令を刻んでいく。
起動条件①・即時。
実行内容①・「呪力の陽転」を実行。「陰の呪力」を「陽の呪力」に変換せよ。
実行内容②・「反転術式」を実行。目の前の対象の全身に残る炎症を治療せよ。
通常であれば、これだけの呪力操作プログラムを設定するとなるとかなり面倒な縛りを用意しなければならない。だが、簡易領域によるバフがあれば、簡単な呪詞のみで事足りる。どのみち「やった感」を出す為に口で何かしらの詠唱はしておいた方がいいと思っていたので、何も問題はない。
「──"明光" "波羅蜜" "悟りの彼岸"」
私が呪詞を唱えると、事前にプログラミングされていた通りに呪力が自動発動する。
呪力の陽転──それから反転術式の始動。これは私の意志に関わらず行われ、そして帝の身体を自動で癒していく。ちらり、と横目で晴明翁の様子を伺ってみると、どうにも満足げな笑みを浮かべていた。どうやら、試練の方は成功とみてよさそうだ。「簡易領域の分で二工程だからダメ」みたいな屁理屈を言われたらどうしようかと思ったが……流石にそこまで意地悪ではないようだな。
……まぁ、実戦でも使用はできるレベルではあるものの、「簡易領域」を使う分隙が無い訳ではないからな。「簡易領域」自体にも微妙に防御性能はあるから無駄にはならないが。
「おぉ、おぉ……! 凄いぞ……! 体中の痛みがみるみる引いていく……! 流石は晴明の弟子。褒めて遣わす! 褒美を取らせよう」
「帝の御厚情痛み入ります」
俄かに浮足立った帝を制するように、私と帝の間に晴明翁が割って入る。
よかった。正直ちょっと、帝の圧が強くてどうしようかと思っていたのだ。
「しかし我々安倍の術師は、帝に仕える臣下でございます。今後とも我が一族をお引き立て頂ければ、褒美はそれで十分……」
「……ふむ、謙虚な男よ。それでは後日書面で詳しい話をしよう。私にもそのくらいの権限はある」
「は……」
それで、話は終わった。
私と翁は内裏を辞して──その帰り道。
「しっかし、あんなのアリかぁ?」
晴明翁は不満を隠そうともせずに私に対してそんなことを言った。
なんだ、どうした。何かまずいことでもあったか? 試練についてはクリアでいいんだよな?
「何のことでしょう」
「あの結界術だよ。領域展開は流石に控えると思っていたのに、あんな隠し玉を持っていたとはなぁ……。まぁ反転術式は一工程に収めたからいいが……」
ああ、まぁそうか。
本来の意図的に、「戦闘において致命的な隙を生む二工程での反転術式を克服する為に一工程に短縮する」という目的での試練だったはずなのに、簡易領域によるバフでそれをクリアしてしまったら、簡易領域の展開が前提の運用になってしまうからな。
まぁ「呪力操作プログラム」という方針自体は間違っていないので、この先操作の練度を上げていけば簡易領域という補助輪はなくてもよくなるだろうが。
ただし、
「……それを言うなら、突然無茶を言い出した晴明翁にも問題はあると思いますが」
そこをグダグダ言うなら、私にだって言い分はあるぞ。
「"縛り"を課せば、確かに今の私でも反転術式の一工程化は可能でしょう。ただしそれは、恒久的に帝に対しての行動に何かの制限を課すようなモノ……。到底受け入れられる不利益ではありません」
「………………」
「そして晴明様は、半ばその不利益を呑むことを計画していたのではないですか?」
晴明翁は、七割~八割がた私の反転術式が成功すると思っていた。
だが実際のところ、バフなしで反転術式を成功する見込みはなかった。つまり晴明翁は、バフの分の不足を"縛り"によって補う勘定をしていたのだ。そしてその際に有効なのは、対象を帝に限定した──たとえば"
つまり、私はこう疑っているのだ。
晴明翁は、この依頼で帝に対して、私に不利な縛りを結ばせようとしていたのではないか?
……晴明翁の帝への忠誠心はかなりのものだ。仮にも私は藤原の娘。帝への翻意を制限する為に、首輪を用意しようとしていた可能性は十分にある。
だとするならば、
「いや! 待て待て待て! 誤解だ。
警戒心を露わにしかけた私に対し、晴明翁は慌てて手を振って疑念を否定した。
…………まぁ、もしそういう意図があるなら、先ほどの話し方は藪蛇にも程があるか。だとしたら何故? って感じではあるのだが……。
「オマエが呪力操作の事前命令に至っていることは例の特級呪霊との戦いの顛末を見て知っていた。だからそれをもう一度使用するだろうということは読んでいた。……ただ、反転術式の行使まで設定できるとは思っていなかったのだ」
「…………というと?」
「単純な呪力操作にしか使えず、術式の行使は不可能と踏んでいた。具体的には、呪力の陽転までを呪力への事前命令で操作して、反転術式の行使はその瞬間に合わせて自力で行使するのが限界だとな。ただそれでも、実質一工程で反転術式を扱うことができるだろう。難易度は高いが、今のオマエでも不可能な領域ではない。だからまぁ、九割は成功すると踏んでいた」
………………。
……あ~~~~~~~、その手があったか~~~~~~…………。
下手に完璧にやりきろうとしていたせいで、最初から「途中まではプログラムで対応する」という考えが頭になかった。
う~ん、柔軟性が足りなかったな……。
というか全てをプログラムでまとめてしまったら一工程じゃなくてゼロ工程なのだから、そういう意味でも「やりすぎ」だ。まぁ完全な反転術式の一工程化には私のやり方の方が早道なので、結果としてはよかったが……。
「だがまさか、結界術と絡めるとはな……。というか、反転術式と結界術とかどう両立してるんだ? それだけで脳が焼き切れかねんぞ」
「それはこう、「蟲毒呪法」を使う要領で結界術の領域を空けておいて、空いた領域で反転術式の命令を構築する感覚で……」
「言うは易しというか、言うも難しだぞそれは」
そのへんは、領域の複数展開を前提としている「蟲毒呪法」を使う私だからこその特徴なのかもしれない。まぁ宿儺に見せたら普通に真似されそうな部分ではあるのだが……。
ただ、そうか。そういう意図か……。
「……晴明様、」
「良い、良い。言ったろう、オマエがそう考えるのも当然の話の流れだ。俺の配慮が足りなかった。すまん。許せ」
無用に疑ったことについて詫びを入れようとしたのだが、晴明翁は先手を打って私の言葉を遮った。
…………………………まぁ、お言葉に甘えておくか。
「……、有難うございます」
「うははははは! 少しは素直になったか?」
「私はいつでも素直なつもりですが」
呵々と笑う晴明翁と連れ立って、私は内裏を後にし、