第29話 平安の世の習い
その日、平安京に激震が走った。
「伯父上が倒れたッ!?」
まだ肌寒い季節のこと。
安倍邸の広間にて晴明翁から伝えられた事実に、私は思わず膝立ちになりかけて、何とか心を落ち着けた。
四年前の特級呪霊との戦闘のゴタゴタで私は一旦死んだ身となった。その時に藤原家直属の呪術師部隊"途干支衆"からは籍を外されているが、私という個人の籍までいつまでも誤魔化すことはできない。三年前の時点で私の生存は確認され、藤原氏の一員としては復員している状態なので──伯父上の重病は、満更私にとっても無関係ではなかった。
私に事情を説明している晴明翁にとっても悩ましいことなのか、豪快に頭を掻きながら眉を顰めて頷く。
「飲水病(糖尿病)らしい。疱瘡のような病であれば俺の反転術式で治療できるが、飲水病ではな……。しかもあそこまでいっては、手の施しようがない。あと一ヵ月持てば良い方だろう」
「となると……」
「ああ。少しばかり荒れるぞ、京は」
現在、平安京の政治のトップに位置しているのは私の伯父上だ。
去年、長らく左大臣を務めていた例のスーパーおじいちゃんがついに寿命で逝ったので、その弟が現在の左大臣なのだが、こっちは兄に比べると少しわきが甘い、政治力も弱いので、伯父上は現在、大体京の政治を掌握しているという状況になっている。
そして伯父上には息子(私から見たら従兄)がおり、この従兄殿はまぁ……親の七光りのお手本のようなドラ息子なのだが、コイツもまた権力的にはそれなりに高いところにいる。
おそらく伯父上は今後従兄殿の地位を少しずつ上げて行って政治的地位を盤石にするつもりだったのだろうが、此処で倒れてしまうとなると話が変わってくる。まだ従兄殿の政治的地位は盤石ではないし、力量に至ってはご自慢のドラ息子だ。確か、今年で二二歳だったか? 何度か暴力沙汰も起こしていると聞くし、そのうち自滅で配流とかされるんじゃなかろうか。
端的に言うと、多分このまま伯父上が死ねば遠からず伯父上の家系は没落する。
「あの御仁も、先が見えているからオマエの従兄殿を後継の内覧にと帝に要請しているようだが……当の本人があのザマだ。帝も首を縦に振らないらしい。おそらく病の間に限定した代理で、実質的な後継にはならないだろう。
つまり、あと一ヵ月もすれば平安京の頂点が空位になる。……弟殿がこの機を見逃すはずがない。長兄殿が没した後、弟殿は動くだろう」
まぁ、そうなるだろうな。
ちなみに、祖父の子は私の父、伯父上、叔父上の三人の他にもいるのだが、正妻腹から産まれたのはこの三人である。だからか権力もこの三人に集中しており、晴明翁も「長兄殿」「次兄殿」「弟殿」という形でしか呼ばない。まぁ、権力がないから話に出てこないというのもあるだろうが……。
……ところで。
「晴明様、それって順序が逆ですよね?」
私は、晴明翁の話にそう指摘した。
伯父上が体調を崩し、従兄殿では力が弱いので叔父上が権力の座に君臨する為に動き出す……という
「
「……尊、滅多なことを言うもんじゃないぞ」
晴明翁は一瞬渋い顔をしてから、気まずそうに言った。口調こそ厳しいものだったが、声色が、私の指摘が正解であることを物語っている。まぁ、そうだろうな。この呪術全盛の時代、あからさまな死病と聞いて疑わない方がおかしい。
「私を晴明翁のところにやって"途干支衆"から離脱させたような工作を、叔父上は他にもやっていたんですよね。
所属的に私は父の下ですが、伯父上が関白になるなら伯父上の指示に従う義務も発生する。そうなればきっと、私は伯父上への呪術攻撃を防ぐよう尽力していたはずですから」
なので晴明翁と引き合わせた。私が冷遇されているのをいいことに、安倍氏に入り浸るようにして伯父上から距離を遠ざけさせたわけだ。
そうして有力な術師を伯父上の配下から外して(それでいて自分は融通をきかせられるように調整して)、伯父上の呪術的な防御力を削いだのだろう。
「……あ、その真偽自体はどちらでも構いません。晴明翁が企みに加担していた訳でもないですし、結果的にこの家に来ることができて私は幸せですから」
話が変な方に拗れたら嫌なので付け加えると、晴明翁は重い溜息を吐いた。
……ちょっと物分かりが良すぎただろうか。でもまぁ、この件についてはむしろ叔父上に感謝すらしているのは事実だからな。
「本当にオマエは、察しも物分かりも良くてたまに困るよ。……ああそうだ。オマエを途干支衆から離脱させたのは弟殿の離間工作の一環だ。
ただ、勘違いするなよ。除籍の策を考えたのは俺で、提案した理由は今後発生するであろう無茶な任務への参加要請を突っぱねる為だ。弟殿の離間工作はあくまで後付けだよ」
「心得ています」
そこはどっちだろうと私にはどうでもいいことだ。
晴明翁が良き師なのは揺るぎない事実だし、除籍が私にとって都合がいいことこの上なかったのも事実。そこに政治的な事情が絡んでこようが、そこはそれである。
ただし。
「ですが……そうなると私も無関係ではいられませんよね、やはり」
「ああ、そうだな」
気づかわしげに問いかけると、晴明翁もまた重い調子で頷いた。
やはりか……。
叔父上が私を既存の指揮系統から分離したがった理由を考えれば分かる。私は、一応四年で"涅漆鎮撫隊"の最上位にまで上り詰めた女だ。呪術師としてはただの藤原の術師など軽く超えている自負がある。(というか、安倍氏お抱えの術師が藤原直属のヒラ術師程度に負けていたらお話にならない)
そんな私と、自分だけパイプを繋いだ状態でいるということは……。
「叔父上は私に伯父上の手勢である術師の排除を期待しているわけですか」
「オマエの父親……次兄殿が、オマエの入内に向けて動き始めている」
ほぼ同タイミングで、私と晴明翁が発言した。
……ん? 今同時に喋っちゃったから聞き取れなかった。何て言った? 私の父が……なんだって?
「すみません、えっと?」
「あー……そうか、オマエにとってはそういう発想しかないわな……」
晴明翁は私の発言も聞き取れていたらしい。
額に手をやりながら、続ける。
「確かに弟殿にとってオマエの力量は魅力的に映っている。……が、今回に関しては五虚将や日月星進隊の監督権でケリがつく話だ。オマエという鬼札を切るほどにはなっていない。
それより、オマエ忘れてないか? 長兄殿が没すれば、順番的に次はオマエの父──次兄殿だろう」
「ああ……」
あまりにもしょうもないから忘れていた。確かに、長幼の序を考えれば伯父上が亡くなった後は父が関白の位を継ぐことになるのか。政治力を考えたら、長幼の序とか無視されそうなくらい実力差がある気がするが……。
そして確か、父には今、娘が私以外にいな……、……ああ!?
「わた、私を女御に!?」
嘘ぉ!? 私を!? 帝の!?
女御って言ったらオマエ……帝の妾じゃないか! なんだなんだ、この世界は呪術廻戦じゃなくて後宮ものだったっていうのか? タイトルは差し詰め『呪術妃の後宮物語』……なんかそれっぽいライトノベルありそうだな。
まぁそれはいい。今は余談だ。
「で、ですが……今私は父の指示系統にないのでは」
「呪術師としてはな。オマエを引き取った時、色々と次兄殿と契約事項を取り交わしたのだが……その際にお前を妃として入内させる分には権限を制限しなかった。
その時は、正直オマエにも入内を喜ぶ程度には一般的な貴族女性と同じ感性があると思っていたからな……」
「蓋を開けてみればそんなことはなかったが」、と頭をかく晴明翁だが、冗談ではない。
女御になること自体は……まぁ、満更でもない。私ももう裳着(成人)の儀を済ませてある。精神的にも肉体的にも大人として扱われる年頃だ。女御として内裏に務め、政治的にも呪術的にもこの国の中枢に関わっていくことは、この先の私の人生の為にも有益だろう。
少なくとも、私はヒラの呪術師で一生を終えるつもりはない。晴明翁のように、社会的地位を有した上で呪術を極めないと、能力だけの呪術馬鹿では政争の火種にされてしまうのが目に見えているからな。
将来的に呪物になるか呪霊になるか寿命を以て終わりとするかはまだ考えていないが、ひとまずは長く生きて呪術を満足するまで極めたい。その為にはなるべく平穏な人生基盤づくりは必須である。
ただし、その為の後見にあのしょうもな父が入ってくるのは耐えがたい。
シンプルに父が嫌いというのもあるが、普通に政治力がなさすぎる気がする。術師嫌いをこじらせて私を手放したのに後がなくなって慌てて私を呼び戻すのも行き当たりばったりすぎる。婚約破棄したバカ王子かよって感じだ。まさに「今更もう遅い」である。
もっと言うと、今呪術師勢力をわが物としている叔父上にしょうもな父が勝てる未来が見えない。せっかく入内したのに早々に後ろ盾が消滅したら悲惨だ。呪術師として有能なのと、安倍家との縁故があるのでそこまで酷いことにはならないだろうが……汚点になりえる要素はなるべく排除したい。
「………………殺しますか? 父」
「ぶっ!? ば、オマエ滅多なことを言うもんじゃないとだな……!」
晴明翁は慌てて言い含めるが、私としては別に悪ぶったり冷酷になった発言ではない。むしろ、この局面で私が父の元で入内するのを防ぐ一番手っ取り早い方法はそれなんじゃないか? というくらいだ。少なくとも、私個人の力ではそうするしかない。
正直父については情は欠片も持ち合わせていない。呪詛師や呪霊を祓うのと同じような感覚で殺すことができるだろう。残穢については細工をする必要こそあるが、これについては嘱託式の帳でも用意すれば私の呪力を消しつつ父を始末することは容易である。
「第一、そんなもの必要ない! オマエの入内を阻止するだけなら、俺や弟殿が介入する余地もある。次兄殿は仮にも都の重役だぞ。殺すとなればそれだけで多大な危険が生ずる。簡単に殺せるお方でもない!
すぐに殺す選択肢を考えに入れようとするのは、人と呪霊の境が曖昧になっている証拠だぞ。戒めろ」
「……はい、軽率でした」
「やれやれ……。何もオマエが一人で対処しなくてはいけないわけじゃないんだ。俺もあと五〇年は生きる。政治の面ではもう少し俺を頼れ」
晴明翁に叱られて、私は素直に自分を省みた。
確かに、後ろ盾が全くない私と違って、晴明翁や叔父上には色々な手札があるのだ。わざわざ私が鉄砲玉みたいな真似をしなくても、あのしょうもな父をどうにかする方法くらいいくらでもある、か……。……正直、嘱託式の帳とそれによる残穢の誤魔化しの効果を確認したくて提案した節はある。必須という訳ではないし、控えておこう。
しかし……既に道筋が整っているなら、そう厄介なことにはならないんじゃないか? 晴明翁の性格上、そういう「解決までの道筋が整っている案件」はあっさりと私に教えて、私の反応を楽しんだりしそうなものだが……。
「俺が言いたいのは、最終的には入内を阻止する流れで俺と弟殿が動くにしても、それまでの間、
なるほど。表向きは父には自分の目論見通りに動いているように見せて置く必要がある、と……。
…………。
「入内の準備にかこつけて私に何かさせたいことでもあるんですか?」
冷静に状況を俯瞰してみて、私はそう確認した。
私は術師の中でも上から数えた方が早いくらいには強い術師だ。一時的とはいえ、入内の準備やらなんやらで拘束させておくのは、京の呪術的安全にも関わってくる話である。涅漆鎮撫隊の筆頭たる晴明翁は、通常なら許さないだろう。
いかにしょうもな父が重役とはいえ、晴明翁と弟殿の政治力もかなりのもの。まして私はもう四年も安倍家で生活しているのだ。本家との縁も相当薄くなっている。そんな私がしょうもな父の今更な意向に逆らうのに、一旦とはいえ
だが、現時点でもはや入内の準備自体は既定路線かのように晴明翁は語っている。つまり……入内の準備というのは表向きの理由で、その間に私にしょうもな父の元で何かやってもらいたいことがあるとみた。
藤原家の中枢……それも内裏に近い領域。こんなところに術師を送り込むのだ。何かしらの役目があると考えるのは当然だろう。
私の問いかけに晴明翁は頷く。
「……オマエは本当に話が早い。
長兄殿と次兄殿にとある嫌疑がかかっているんだ」
……とある嫌疑?
「実を言うと、最初からオマエにはこの嫌疑への調査をやってもらうつもりだった。入内云々は後から発生した話だ。調査に使えるから利用したって訳だな」
晴明翁はそう言って、こう任務内容を締めくくった。
「「大元帥法」。この
尊の前世での履修コンテンツ傾向は、web小説の人気書籍化作品とか少年ジャンプとかの「低年齢層~耳年増な少年少女層」に該当するっぽいです。
なお、「大元帥法」は実在の呪術です。詳細はオリジナルになりますが。