ずるり、と。
私の肩から伸びた一対の大蛇が鎌首をもたげる。
その姿は、完全顕現の時よりもやや不確かであり──どこかノイズが走ったような風貌をしていた。
最近習得した、「
二メートルほど「
これだけでは宿儺のそれよりは汎用性は劣るが、それでも手数の多さが戦闘にもたらす影響について、呪術廻戦という漫画ほど克明に描いた物語はないだろう。
手数が倍になるということはすなわち、攻撃スピードが倍になるということなのだから。
「先ほどの一撃で私を呑み込めなかったのは、オマエにとっても誤算だったろう」
言いながら、私は千切に肉薄する。同時に、一瞬にして「
「残念だが、あの程度の不意打ちで押し流せるほど「安倍」の術師は弱くない」
千切は私の拳による打撃をガードする──が、次の瞬間に
──部分顕現とはいえ、「
「な……!? おかしいだろ、射程が……!?」
「悪いな、コイツは変幻自在だ」
──私の身体の一部を媒介にすること、部分的にしか顕現できないこと、私の身体から離して操作できないこと。
これらの縛りと引き換えに、「
ちなみに、式神のデザインを可変とする機能を思いついたのは、反転術式を習得した絡みで、呪霊が呪力操作のみによって肉体の修復ができることについて考察していたときだ。
呪霊が呪力操作だけで肉体を修復できるのは、呪霊の肉体組成のアバウトさ──呪力によって肉体が構成されているという──による。そこで私は思ったのだ。呪霊と同じく呪力によって構成された式神もまた、肉体組成だけでいえば呪霊と同じくらいアバウトなのではないか、と。本来式神は固定の術式によって構成されているのでデザインが可変などということはないが、その術式の汎用性を上げることができれば、デザインを可変にすることだってできるはずだ。
もちろん、真人を除く呪霊が姿かたちを自由に変化させられないのと同じように、変化させられる規模にも限度はある。術式に備え付けられた式神はその性質上デザインまで含めて術式によって固定されているし、そういう点で全ての式神で応用できるような代物ではないが──部分顕現というある種曖昧な状態であることと、私が一から構築した式神であり構成術式が単純であることなどが、このスタイルの実現を可能とした。
そうした技術的前提から産まれたのが、この「
「ぐッ……随分おぞましい姿になってるけど、自覚ある?」
「私は気に入っているがな。いいだろう? これでも習得に二年近くかかったんだ。我ながら、才能のなさを痛感するよ」
間合いを狂わせた蛇腕の一撃で吹っ飛ばされた千切だが──咄嗟に顏を呪力で防いだようだ。顔面の皮が引っぺがされる憂き目は回避したらしい。
二〇メートル近く吹っ飛ばされた千切を眺めつつ、私は言う。
「オマエの術式。最初の運用法からして、押書から過去に金銭取引をした対象の幻影か何かを映し出す術式だろう……。つまり、押書自体が破壊されれば術式の運用はできなくなる」
現代にて、伏黒恵がやっていた攻略法だ。
ヤツの術式は、術式の核となる契約書を呪力でもって焼き切らないと発動できない。水を浴びれば、当然契約書の文言は滲み使い物にならなくなる。たとえ幻影の水が消えたとしても、文字が滲んだという変化は術式範囲外の物理現象……取り返しはつかない。
もしも緊急回避として先程の膨大な水を発現していたなら、同じように懐にしまい込んでいる押書の少なくない数が水の影響を受けて使い物にならなくなってしまった可能性が高いだろう。
ただし。
「…………言わなくても分かっちゃうか。その歳であまりにも厄介だね、その察しの良さ」
冷や汗をかきながら言う千切の表情に、私は"嘘"を見た。
……コイツは私の術式を既に知っていた。「蟲毒呪法」において「毒液」は二の次の運用でしかないが……呪力による防御ができない以上、「毒液」による押書の破壊を警戒していても不思議ではない。
つまり、「最初から毒液を防御する為に水の押書は他の押書から隔離して保管していた」可能性だって、全然ある訳だ。いや……おそらくコイツはそうしている。そして私が「水によって押書が駄目になった」と誤解するように認識を誘導しているのだ。
あっさりと己の弱みを認めるのも、冷や汗をかいているのも、全てはブラフ。呪術師は嘘を吐いてナンボ……というのは、現代でのコイツが語った言葉である。
さて……嘘は見抜いた。つまり、コイツは現状、私のことを
私はその嘘を見抜きつつ、そのことを伏せて行動する。つまり、千切のことを騙さなくてはいけない訳だ。……此処に嘘の連鎖が発生していることになる。腹の探り合い。おそらく術師なら、一〇人が一〇人「術師らしい戦いだ」と評すだろうな。
「降参してくれるか? 無駄な争いはしたくないんだ。人目もあることだしな」
「羂索……か。俺は構わないよ。術式は既に割れているし。それに、それはアンタも同じじゃないかい?」
「それは問いか?」
私は言いながら、再度千切との距離を詰める。
……このまま詰ませる方法ならいくらでもある……が、羂索には見せたくないな。とはいえあまり露骨に目隠しをすれば、羂索に何か隠し持っていますと白状するようなもの……、……いや、何かあること自体は向こうも分かっているか。なら此処は、
「質問に質問で返すなよッ! 会話のやりとりを楽しもうぜぇ!!」
「人目のあるところで呪術の腕を見せびらかしたくないんだ。貞淑な乙女に言わせるなよ、無粋者!」
先程の攻撃を警戒してか、千切は私との距離を取った。押書は……出さないか。あくまでも「もう押書は出せない」体は維持し続けるつもりらしいな。
……だが。
「オマエなど、この
ドッ!! と。
私は「
──無論、これは向こうが「再契象」を使えないように見せかけている……その企みに合わせた行動である。「再契象」を警戒していたら、一気に接近なんてしたら刃物を「再契象」してのカウンターの餌食になることは簡単に推測できるからな。
私は、呪力を籠めた拳を構え、
「……俺が「再契象」を使えない……そう見せかけていることに
その拳に対して、千切は同じく呪力を籠めた両手で受け止めるような構えを取った。
「再契象」を打ち払う為の拳を抑え──ゼロ距離から「再契象」を叩き込むための。
「はっはぁ!! まだ化かし合いの経験値は足りてねぇなぁ!! 裏の裏をかいてこそ術師!! 冥土の土産に覚えとけ、お嬢さん!!」
──読まれていた。
千切は、私が千切のブラフに気付いていたことに
つまり──
①水の「再契象」によって押書が駄目になり術式使用不能になったと見せかける(千切のブラフ)
②私が①に気付いていないように見せかける(私のブラフ)
③私が②のブラフを仕込んでいることに気付いていないように見せかける(千切のブラフ)
という訳だ。
なるほど呪力量はそこそこのようだが、流石にこの平安の世で今まで術師として生きて来ただけのことはある。腕は確かなようだ。
ただし。
「それは問いか? ちなみにオマエが仕掛けた化かし合いなど最初からどうでもよかったが」
──直後、一対の蛇腕に呪印が浮かび上がる。
浮かび上がったのは、絡み合わさった四つの輪。金輪印と呼ばれる図柄だ。
肉薄の「縛り」を課した部分顕現の「
その役割は、大きく分けて二つあった。
一つは、幼い少女の体躯である私の体術サポート。
単純な手数の増加に加えて変動する間合いによる敵の攪乱、地面を叩いての移動や姿勢維持の補助。多岐に渡る格闘性能の向上を期待して設定して、現にこれらの効果は一定の効果を発揮してくれている。
だが、真に重要なのは次の役割だ。その役割というのが──
──「
デザインの可変性は、何も長さや太さにのみ適用される訳じゃない。むしろ、原作において陀艮がやっていたように──呪霊の肉体の可変性で言うなら、紋様の発現の方が
つまり、蛇腕の表面に紋様を描くことによる掌印の肩代わり。これにより、私は接近戦戦闘を行いながらも自由に掌印を結び結界術を行使することができるようになった。さらに両手を使用することで、より高度な結界術をより短時間で行使することだってできるのだ。
まさに宿儺をこれでもかというほどに意識した性能だったが──実はこの構想を練っている時、宿儺のことは殆ど頭から抜けていた。
元々、乏しい格闘能力の底上げ手段と戦闘しながらの結界術の補助手段は喉から手が出るほど欲しかったのだ。そこに来て部分顕現の技術と、それに紐づくようにしてデザインの可変化技術を習得したことで、自然とこの形に行き着いた──というのが正直なところだ。この形が限りなく宿儺の多腕に近いことに気付いたのは、蛇腕が形になってからのことだった。
「答えへの布石は既に用意してやっただろう。間合いが可変と知っていたのだから、紋様も可変である可能性は十分考えられただろうに」
「呪印……!? ってことは、その蛇、掌印の役割を……!?」
「ご名答。ただし、もう遅いがな」
展開
「始点結界」
蛇腕の呪印と「展開」の宣言で、私は結界を発動する。
「始点結界」とは、二年前まで使用していた我流「簡易領域」の発展形である。基本的には「簡易領域」と同じだが、性能が「簡易領域」のそれとは段違いとなっている。
「簡易領域」は発動の簡便さと引き換えに、結界内でのバフ・デバフ効果と領域の押し合い性能が低かった。「始点結界」は「展開」の宣言を縛りとすることで結界内でのバフ・デバフ効果の強化と、領域の押し合い性能を向上させた結界だ。流石に生得領域とまではいかないが、それでも通常の領域展開の八割程度の性能を確保することには成功した。ぶっちゃけ、展開すればよほど追い詰められない限り一〇分くらいは維持して領域の押し合いをすることが可能である。
そしてこの結界術の一番のポイントは、そうした結界としての基本性能の高さよりも拡張性にある。
「簡易領域」も大概好き勝手に使っていた自覚があるが、こちらはその方向性をさらに伸ばした。たとえば結界の視覚効果のON/OFF、結界内の出入り制限、空間座標の調整……。これらを追加の掌印や呪詞抜きで設定できる拡張性。現代で言うところの「帳」をより取り回しやすくしたようなものだ。
さらに、掌印(蛇腕の呪印でも代用可能)や呪詞での調整が必要にはなるものの、結界内の景色の変更や即席の縛りを用いてのルールの設定など、土壇場での取り回し性能が格段に向上している。
……その分、使用に必要な技量は高くなってしまったようで、試しに佳子に使わせようとしたら全然できなくて拗ねてしまっていたが。
ちなみに、今回の結界の設定は以下の通り。
・視覚効果はOFF。
・結界内に侵入できるのは私と千切の二人のみ。他は展開時に弾かれる。
・結界の範囲は半径五〇メートルの半球状。
・結界内での「
それと、あともう一つ。
「私の狙いは最初から、展開した結界の中で決着をつけることだ。この中でなら、安全に決着がつけられるからな……」
化かし合いこそ呪術戦の華。
結構な話だ。私も概ね同意しよう。ただし──それはあくまで次元が同じ術師同士であることが前提の話。
この場合、私の敗北条件は千切が仕掛けた駆け引きに負けることではなく…………相手が勝負を放棄して逃走を成功させてしまうことである。それを抑える為に、あえて表面上は駆け引きに乗っただけにすぎない。
「後学の為に教えておいてやる。化かし合いは、格上ではなく同格以下と楽しむんだな」
「ッ」
「再契象」!!
直後、私と千切の間に三枚の押書がバラ撒かれたが──
「遅い!!」
押書に着火される前に、右の蛇腕が押書を散らす。
そして──
──左の蛇腕が大きく伸びて、千切を頭から呑み込んだ。
長くなったので分割です。明日朝も更新あります。