「……ふぅむ、結界ね。人数制限か? 私の侵入は禁じられているな……」
羂索は目の前の結界に触れてみる。
まるで水面のように波打つ結界は、しかし確実に羂索の侵入を拒んでいた。通常の結界とは異なり、その内部の光景については羂索にも見えている。おそらく、視覚効果をOFFにする縛りを設定することで結界の防御力を上げているのだろう。
羂索ならば時間をかければ突破は可能だが、どうやら戦局的にそんな暇はないらしい。
ちょうど、戦場では尊の肩から伸びた蛇が千切を頭から呑み込んだところだった。
「式神の部分顕現に、顕現中の仕様変更、さらに新たな結界術……大盤振る舞いじゃないか。そうまでして私の介入を阻止したかったのかね。まぁ、面白いものが見られたからいいけど」
蚊帳の外にされてしまったからか、羂索は少しだけ拗ねた様子を見せる。
千切とは知らない仲ではないし、利用価値も見出してはいたが、所詮はその程度だ。尊とぶつけた時点で、さっさと処理されても懐の痛まない存在である。それと引き換えにこれだけ尊の成長を確認できたのならば、十分な収穫だと言えるだろう。
「千切は呑み込まれちゃったけど……アレ死んだのかな? それにしてはなんかチンタラやってるけど」
犬の式神に寄りかかりながら、羂索はのんびりと尊の戦いの様子を見守る。
千切を頭から呑み込んだ「
それに……、
「何か……話している? ってことは、もしかして生かして脅迫してるとか? ん~、尊って案外甘ちゃんなところある? 晴明が過保護だからな~……」
不満そうに呟く羂索。
命を懸けた縛りと引き換えに助命してやるにしても、千切を生かす理由は基本的にない。縛りによって完全服従を強いるには非常に精密な計算が必要だし、不測の事態が発生しないとも限らないのだ。完全に千切を仲間にできる確証がないのだから、この場で殺してしまう方が都合がいいだろう。
もっとも、羂索であれば殺さず縛りを結ばせる選択というのもあるが──それは、羂索がこの手の「縛り」の駆け引きについて異常に場数を踏んでいるだけである。
「あ、やっぱり生かしてた」
ズ──と、しばらくして尊が蛇腕を動かすと、そこには無傷の千切がいた。やはり、命を天秤にかけた縛りを結ばせて服従させたらしかった。
足を掬われなければいいけど──と半ば呆れながら考えていると、尊は千切の肩を蛇腕で気安くポンと叩く。すると、千切はその蛇腕を鬱陶し気に払って、そのまま別方向へと走り去ってしまった。どうやら、尊と千切の間に何かしらの契約が交わされたことは間違いないらしい。
「……にしても、何だアレ。殆ど宿儺じゃない? 晴明なら、宿儺の情報は確実に伏せてるだろうし…………呪術的な最適解を目指すと自然とああなるの? 気持ち悪っ」
結界の中で無双を誇る、幼い少女。
そこに双対の腕を持つ呪術の王の姿を幻視して、羂索はゲンナリした表情を浮かべた。ともあれ、それは表面的なもの。羂索は、心境としては心躍るものを抱いていた。
(式神の部分顕現を用いて自分の肉体を後天的に再構築する、か。発想としてはかなりアリだな。やはり君は面白いよ……。思考回路としては凝り固まっているはずなのに型には嵌まっていない。術師としては一番厄介な部類だ)
これまでは、有望な後進という目線で尊のことを見て来た。
しかしこれは、この運用については、既に(一部ではあるが)羂索の技術を超えている。既に尊は、平安の世における一流の術師の末席に座っていると言ってもいいだろう。それほどまでに、尊が見せた技術は優れたものだった。
その事実について、羂索は興奮と好奇、それと僅かな警戒を抱く。
──それゆえに、この時羂索は気付けなかった。
尊が
◆ ◆ ◆
「──────」
蛇腕が、千切のことを頭から呑み込む刹那。
シュキキキン! と音を立てて、
しかし私は、千切を殺すつもりはない。一〇〇〇年後のライフプランは定まっていないが、選択肢を狭めない為になるべく「登場人物」の乖離は減らしておきたいしな。マストではないが。
ならば、どうするかと言えば──
こうするのだ。
術式反転
「逆贄」
術式反転「逆贄」は、「毒液」を反転させて肉塊を生み出す術式効果を持つ。
この肉塊は、何も考えずに生み出せば出来損ないの生ミートボールみたいなゴミが作り出されるだけだが──佳子曰く、「魂」をきちんと認識していればそれなりのものが作れるかもしれない、とのことだった。
晴明翁の過保護のせいで実践の場にはあまり恵まれてこなかったが、此処に来てようやく格好の実験体が出て来てくれた。
"生成した「毒液」は全て「逆贄」を使用して対象の肉体の再生に使う"という縛りによって、「毒液化」の速度を大幅上昇。
加えて「始点結界」に付与した最後の特性──「呪力を介した魂の感知」によって捉えた魂の輪郭を基に「逆贄」を発動。
この際、前述の縛りによって再生した相手の脳に"ちょっとした加工"も施しておく。
これによる、「
さて、実験の結果だが────
ゆっくりと蛇腕を抜き取ってみると──そこにいたのは、傷一つない状態の千切だった。
……呆然としてはいるが、意識に問題はないようだな。ひとまず第一段階はクリア、か。
「気分はどうだ? 体調に問題は?」
「……急に何言ってんだ。別に問題はないけど…………」
ん、よしよし。加工に伴う重大な失敗も今のところはなし、と。
そして──律儀に私の質問に答えてくれるあたり、
先程言った"ちょっとした加工"。それは、「私への好感度の上昇」である。
当然だが、私は脳の部位についての知識など全くない。
だからマニュアル操作で脳の構造に手を加えることなどできないのだが──「縛り」によって齎される恩恵という形で、オート操作で脳の構造に手を加えられないか確認したかったのだ。
動物実験では既に成功していて、鼠を指示の通りに操ることはできるのだが……人間ほどの複雑な脳を持つ生命体には試したことがなかったからな。
これが可能であれば、「縛り」を使うことで"殺害⇒「逆贄」"による実質的な他者の洗脳ができるようになるのだが──結果は無事成功。細かい影響については今後数年経過を見る必要はあるだろうが、ひとまず短期的な洗脳は成功するようだ。この実験結果をまとめていけば、ゆくゆくは非術師の脳構造を組み替えて術師仕様に変えてのお手軽死滅回游なんかも夢じゃないかもな。
「これで分かっただろう? 先程も言ったが、無駄な争いをしたいわけじゃない……。落ち目の父にこれ以上手を貸して一緒に滅んでは元も子もないぞ」
「………………」
先程までは聞く耳持たなかった呼びかけに、千切は悩まし気な表情を浮かべる。
実際に完敗したのもあるだろうが、それ以上に私への好感度が上昇しているからこそ、私の言葉に無視できない説得力を感じているのだ。
「目的は、何?」
千切は、絞り出すように問いかけて来た。
よしよし。こういう流れになればあとは簡単だ。
「手駒が欲しい。命を助けてやるから、三つ私の言うことを聞け。もちろん、この取引に応じることは数には含まれないぞ」
「…………抜け目ないガキだよ。あーやだやだ、俺もヤキが回ったか?」
そう言って、千切は両手を挙げて降参を示した。
契約締結だ。これで、千切との間に「縛り」が結ばれる。
「ちなみに、三つ言うことを聞いた後は自由の身ってことでいいんだよね?」
「もちろんだ。用済みだからと消すような悪辣な女に見えるか?」
「自覚がないなら、今すぐ改めた方が身のためだと思うけど」
……好感度を上げたのに口の減らないヤツだ。まぁ好感度を上げたからといって行動が画一的に友好的になるとは限らないのだから、当然の反応ではあるが。
「……まぁいい。それじゃ、まず一つ目の指示だ。「大元帥法」の解除をこなしてきたように見せかけて父上のところに戻って、不正の決定的証拠を掴んで私のところに持って来い。既に持っているならそれを私に渡すだけでいいが……多分、父はそういう迂闊はしてないだろう」
「ま、そうだな。了解。行って来ますよご主人様」
「頼んだよ。父上に悟られて殺されたりしないように」
そう言って、私は蛇腕で千切の肩を叩く。
千切は不愉快そうに肩に置かれた蛇腕を払って、
「誰に言ってんだ。あのオヤジの手駒の中じゃ、俺がダントツで最強だよ」
そう言って、父上のいる都の方へと駆けだしていった。
……うむ。軽口とはいえ私のことを主人と称して遜った口調に、明らかに調子に乗った私の物言いに大した怒りを見せることもない。好感度に関しては明らかに成功しているようだな。そしてヤツ自身、そのことに違和感を持つこともなかったようだ。
致命的な隙を見せた相手にしか使えない上に、相手の人間性の捻じ曲がり具合によっては成功しないかもしれない技ではあるが……常識的な相手には今後とも狙う価値のある戦法だな、これ。
「…………終わったぞ」
結界を解除し、私はどこぞに隠れて様子見をしていたであろう羂索に呼びかける。
ここで無理に「逆贄」の新たな運用を用いたのは、もちろん千切を手駒にしたかったのもあるが──それ以上に、羂索にこの一連の流れを見せておきたかった、というのがある。
あえて様々な呪術の新運用を見せつつ、「逆贄」だけは隠して発動することで、私の手札の中に術式反転がないと印象付けておきたかったのだ。……洗脳なんて手札は、相手の思考の外にあればあるほど便利に使えるからな。
「危ないことするねえ」
羂索はそう言って、私ところに合流してきた。
少し呆れた調子の羂索は退屈そうに肩を揉みながら、
「命を天秤にかけた縛りで相手の動きを制限したんだろうけど……「縛り」をそんなに過信しすぎない方がいいよ? 特に他者間の「縛り」は破った時の罰がどう出るか分かったものじゃない。自分が、じゃない。相手が破った時の罰がね」
「その時は死に類する罰が千切に降り注ぐだけだろ?」
「心臓が止まって死んでくれるならいいんだけどね。経験則から言って、落雷とか大火事とか、あるいは強力な呪霊の被害とか……そういう「運」で死ぬんだよ。命が絡んだ「縛り」の罰っていうのは。分かる? みだりに「縛り」を量産していると、災害装置も量産されてくわけ」
「…………気を付けよう」
そうなんだ……。
「縛り」を破った時の罰については、何となく不利益が発生するとだけ思ってたけど、そこまで細かくは考えたことがなかった。晴明翁に聞いたときに「事故で死んだりする」と説明はされていたが、そこまで大規模な影響が及ぶものとは思ってなかったしな……。
まぁ、今回の場合はそもそも「好感度の上昇」と重ねているので、実験が上手く行っていればそもそも「縛り」が破られる心配はないが。「縛り」も三つ願いを聞いてもらうことだし。
「で、彼は何の為に逃がしたの?」
横に侍った犬の式神を撫でながら、羂索が問いかけてくる。私は両肩の蛇腕を解除して、
「証拠集めだよ。父上は用心深いからな。目的を達成したと手駒から直接偽情報を受けないと、不正の証拠を手元から離したりしないだろう」
「なるほど、それで。じゃあこの後はどうする?」
羂索の問いに、私は少し黙った。
「大元帥法」解除の危機は、千切を撃退したことで去った。一応、解除の準備のための資材は大和国にまだ残っているはずだが……これは別に緊急性の高い話ではない。
千切が父のところに戻った以上、藤原の邸にいるはずの私にも近く声がかかるだろう。大和国まで行って資材の処分までやっていては、私の不在が父にバレて話がややこしくなる。此処は一旦邸に戻って例の破戒僧も洗脳し、佳子に今後の方針を指示した方がいいだろう。
資材については、晴明翁経由で叔父上の手の者に回収してもらえばいいしな。
私は口元に指を当てながら、
「……藤原の邸に戻る。佳子に状況を伝えて、晴明様と叔父上に動いてもらおう。それで父上は終わりだ」
「はー怖い怖い。親子の情も何もあったもんじゃないね」
「私の親は晴明様だよ」
何気なく言った私の言葉に羂索がウンザリしたように肩を竦めたので、私は鼻で笑って言ってやった。
都の方へ身を翻した私の横に並んで、羂索はしみじみと言う。
「「大元帥法」の解除、無事に阻止できてよかったね」
……確かに、今回の事件はそもそもそこが起点になっていたし、千切の撃退によってそれが達成されたのは確かなのだが。
なのだが……それを、今オマエが言うとさぁ……。
「…………オマエ、今の時点でそういうこと言ったら疑われるとか思わないのか? オマエの人間性的に」
「それひどくない?」
恨むなら普段の己の行いを恨め。
スクラップ&ビルドで洗脳!!(主人公の能力)