第40話 実りの兆し
「……うん、よ~~やく温かくなってきました!」
父の死から、瞬く間に一年の月日が流れ──四月。
安倍家に戻った私は、すっかりかつての暮らしを取り戻していた。藤原の家で羂索と共に過ごした期間は、およそ一ヵ月ほど。それだけ長い期間離れていたことがなかったので、戻って来た当初は佳子もかなり鬱陶しかったが……今となってはすっかり通常運転である。いやほんと、あの頃は夏真っ盛りの時期にくっつかれて、本当に……邪魔だった……。
「こうなってくると夏が楽しみですねえ。尊、去年は水浴びに誘っても全然乗ってくれなかったですし」
「当たり前だろ……」
この時代、水着などあるわけがない。となれば水浴びには全裸で臨まなければならないのだ。全裸だぞ全裸。恥のある文明人ならばまず選択はしないであろう。……いや、表の通りとか行けば川で全裸でばしゃばしゃやってるヤツは男女問わずいるし、東河とか裸の男女がわちゃわちゃしてたりもするのだが……。何なら若い貴族がばちゃばちゃすることもあるのだが……。
「オマエも卑しくも菅原の後裔なら、少しは恥じらいを持て」
「またまたぁ~、尊ってばそんなこと言って、最近おっぱいがおっきくなってきたのが恥ずか、」
「ふんッ!!」
「ぷぎゃ!?」
……一三歳。今の私の年齢だ。
前世の基準では中学一年生といったところだが、どうも私は早熟に分類されるらしい。この五年で、佳子との身長差は拳二つ分ほどになったし、体型もだいぶ変化した。……おそらく前世は男らしい私としては微妙な気持ちだが、記憶がないせいでそこまで拒否感はないのが幸いなところだな。
ただ、膨らみ始めて来た胸や節々の関節の痛みといったものはいかんともしがたい。この間、しょうもな父(故)の政略で危うく帝の妾にさせられかけたのもそうだが、自分の身体が女として利用されるというのはどうにも気持ちの悪さが残る。
しかも横で能天気そうにしている佳子がチビのまな板体型というのも、なんかこう……なんかこう……嫌な感じだ。この時代に貧乳いじりをしてもダメージなんて発生するはずもないからやり返せないし、そもそも私はそういう品位のないからかいはあまり好きくない。つまり一方的に下品攻撃を受けざるを得ないのである。本当に度し難い……。晴明翁に言いつけてやろっかな。
「尊ぉ~、ごめんなさいって~」
「…………、」
憤懣やるかたない思いを抱えていると、後ろからバカがのこのこと追いかけて来た。
しょぼくれた声色の佳子は私の横に並び着くと、
「もう言いませんから。ね、ね。佳子さんちょっと羨ましかっただけなんです。尊、大人っぽいですし」
「何がいいものか。こんな
「うおお、思ったより数倍根っこにあるのが辛気臭かったです……」
悪かったな、辛気臭くて。そういう性格だよ私は。
「……私も佳子くらいガキだったら良かったんだがな」
佳子は月の物もまだ来てないし、小さくて小柄だから呪術戦においても小回りが利く。私は中途半端に背が伸びてしまったせいでこのところ間合いが測りづら過ぎる。早く成長が止まってほしいというのが正直なところだが……。
「お? 今佳子さんのことバカにしましたね? 佳子さんのこの黄金比を子供体型だとバカにしましたねッ!? ならお相子ですよねぇッ!?」
「クソッこれ幸いとばかりに気勢を上げてじゃれ合い態勢に移行するんじゃあない! やめろ皐月が近づいて来てただでさえ暑くなってきたんだから!」
急にイキイキとして飛び掛かってくる佳子に応対しようとするが……うわっ!? こいつ術式使いやがった! 呪力量的には私の方が上だが、
「尊、
「あっ」
しまっ、こいつ、私の縛りを──!!
…………その後、「戦闘中、問いには正直に答え、無言や偽りで返してはならない」という「方正質直の契」の弱点を突かれた私は、縛りのペナルティが終了するまでの間、佳子にもみくちゃにされたのであった。
あの女、マジで許さない。しばらく口きかないからな。
◆ ◆ ◆
「まぁまぁ。可愛いものじゃないか」
ノンデリバカから逃れて道場にやって来た私だったが──そこでも天使に捕まっていた。
初めて会った時は少女だった天使も、五年経った今ではすっかり大人の女性になっている。包容力すら感じさせる佇まいとなった天使は、床に正座して瞑想している私の横に砕けた格好で座り、
「あの子も、大人になりゆく尊との距離感が掴めていないんじゃないかな? 佳子は幼いからね。尊が大人になってあげなさい」
「……拗ねている訳じゃないです。己の課した「縛り」を逆手に取られて佳子に一本取られたのが不甲斐なかっただけで」
「…………そうか。それは私が間違っていたね。なら此処でゆっくり気持ちを落ち着けると良い」
そう言って、私の背中に手を置いた。
「あの子も申し訳ないと感じていると思うよ。だから尊の迂闊な発言を取り上げて「お相子」だと言ったんだろう」
「それも分かってます」
……というか、私自身、成長云々はそんなに気にしていない。
ただなんというかこう……恥ずかしいのだ。変わっていく自分に慣れない自分自身が。私はこれまで自分のことは完璧に制御して様々な困難を切り抜けて来たし、その自負がある。それが崩れるみたいで据わりが悪いのである。
…………それはそれとして佳子の絡み方はすこぶるウザかったが。
「そういった情動は、尊や佳子が大人になろうとしている証拠だよ。そういう情動もなく子どものまま成長していった大人を何人も見て来たからね。そういった手合いに比べれば微笑ましい限りだよ」
「流石に比較対象が悲惨すぎます」
大人になりきれなかった図体のデカいガキとかね……。まさに私の父がそんな感じのどうしようもない人間だったので、それと比べられてしまうと何も言えない。
……というか、天使からしたら私ってもしかして思春期特有の悩みを抱えていると思われているのか? それはそれで癪なのだが……。……いや、年相応という意味では正しい推測だと思うが。
「それに、身も蓋もないことを言ってしまうけど……尊の父はもう死んだんだろう? ならもう政略結婚の道具にされる心配はないね」
「だといいんですけどね……」
軽く笑ってみたが──実はこれについては、私もけっこう気楽になっているところである。
そもそも貴族の結婚というのは、家の為にするものだ。夫側からすれば、妻側の勢力と結ぶため。妻側からすれば、夫側の勢力と結ぶため。ところが私は勢力の主となる父が死んだ上に安倍家に入り浸り。結婚を申し込む主体も客体も消滅したので、結婚話が進む可能性がゼロになった訳である。
転生当初は半ば諦めと共に結婚を受け入れていたが……このままいけば、生涯独身のまま呪術師として過ごすことは確定したも同然という状況。これは素直に嬉しかったりする。
「晴れて政治から切り離されるんだ。これで、尊の本懐である呪術の追究に身が入るね。いや、私が追い抜かれる日も近いな」
「またそんなことを言って……。天使様だって日々鍛えているじゃないですか」
昔よりも、私と天使の力量差は確実に縮まっている。
かつては明らかに天使の方が強かったが、今は
このまま行けば、数年後には私は天使よりも強くなっているだろう。もっとも、天使がこのままの力量であれば、の話だが。
ただ、天使は自分を脅かす後輩の成長にも楽しそうに目を細めるだけだった。
「もちろん。まだまだ君達には背中を見せ続けないといけない。これは私が私に課した目標であって、教義ではないけどね」
「その違いは良く分かりませんが……」
ところどころ電波だが、根本的なところで面倒見のいい術師なのだ。この女は。きっと電波なところがなければもっと色んな術師から慕われていたことだろう。
「そしていずれは、君も背中を見せる立場になっていく。さ、佳子のところに行ってあげなさい。きっとあの子もしょぼくれているはずだから」
そう言って、天使は私の背中に手を添えた。
まぁ、あやつに対しては絡み方がウザい以上に含むところはないので、フォローしてやるのは構わないが……。
◆ ◆ ◆
「よく集まってくれたな」
で、佳子のところに合流しようとしたら、何故か晴明翁に召集された。
しかも、私だけでなく佳子や天使も一緒だ。他にも数人の術師が集められている。……安倍家で割り振られる任務は、基本的に晴明翁を通じて与えられる。晴明翁が涅漆鎮撫隊の長だからだ。
ただ、任務の内容は基本的に個別に伝えられることが多い。術師は個人主義の連中が多いからな。何も知らずに集団で集められたら、揉める可能性もなくはない。なので、こういう風に複数人で集まるのは、任務が伝えられたあとである場合が大半だ。
ただし──今回に限っては、私も含めて事情も伝えられずに、複数人の術師が招集されていた。
事情を伺う必要もない。晴明翁の表情の強張り方は、事態が相当深刻であることを示していた。
「最初に言っておく。事は急を要する。──朝廷存亡の危機というヤツだ」
…………朝廷、存亡の危機とな。
瞬時、私の脳裏に色々な可能性が駆け巡る。
羂索の関与……あるか? ヤツの狙いは星漿体、そして天元だ。晴明翁が警戒するほど大掛かりな"朝廷存亡の危機"に直接噛んでくるイメージがない。
では別の呪霊……これはもっとなさそうだ。たかだか特級そこそこの呪霊ならば、それこそ四、五体来ても対処できるのが朝廷戦力である。逆にそれすらできなくなっているのであれば、それ自体が朝廷存亡の危機だが。
後の可能性……かつ、涅漆鎮撫隊が複数招集される必然性のある突発的な危機……。
……あ、もしかして宿儺!?
最近全然存在感がないから忘れていたが、時代的にも宿儺がやって来る可能性は全然あり得るんだよな。確か、原作でも涅漆鎮撫隊は宿儺と戦っていたはずだ。
……ああいや、だがその前に五虚将と日月星進隊が滅ぼされてたんだったか。必ずしも歴史が同じ通りに進むとは限らないが、制度を考えてもウチより先に藤原の方にお鉢が回ってくるのが自然だ。その話を聞かないということは、宿儺ではないか……。
だが、だとすると…………。
「とある術式の封が解放されたとの連絡があった」
……とある、術式。
思わず息を呑む私をよそに、晴明翁はさらに話を続ける。
つまり、ある事件においては避けるべきバッドエンドだったはずの事態の報告を。
かつて私が回避したはずの、最悪の展開についての説明を。
「「
──その「国家的呪術」の発動の宣言を。
一体、誰がそんなバカげたことをしでかしたのか。
そんなことを反射的に問いかけるよりも先に、晴明翁はこう続けた。
「この呪術の発動が、大和国で確認された。……今回の主犯は────
……従兄。
…………って、ええ!?
それってつまり、死んだ伯父上の息子…………あの七光りのボンボン息子ォ!?