「屈めマスター!!!」
一閃。闇夜を切り裂く漆黒の閃光。何の前触れもなく襲いかかってきたソレは、校舎を指差しながら眺めていた咲季の前髪を掠めながら通り過ぎていた。屈めというアーチャーの瞬時の叫びに全く反応できないまま、咲季は彼女にタックルを貰うような形で腰回りを肩に担がれ、まさに間一髪だった事に気づいた時には、二人の体は講堂から飛び出して空中を泳いでいた
「アーチャー!着地したら南西へ300メートル!そこに平坦な中庭が広がってるわ!」
「佳い!後は喋るな舌を噛むぞ!」
自分達が奇襲を受けている事実に気付き、目まぐるしく景色が変わる最中でも、花海咲季は冷静さを失わなかった。バサバサと揺れるアーチャーの外套から必死に顔を出し、指差しと共に声を張り上げる。講堂からの自由落下の衝撃を、足首と膝を折り曲げることで難なくやり過ごしたアーチャーは、咲季を肩に担いだまま地面を蹴り飛ばし、地面スレスレを滑空するようにその一足で小川を跨ぐ陸橋を越え、少し窪地になっている中心の中庭で静止して咲季を地へ降ろした
「ごめんアーチャー、助かったわ」
「礼なぞ後で浴びるほど聞かせい。一瞬だったせいでどこの誰かまでは分からんかったが、不意打ちとは見下げ果てたヤツよ。それもサーヴァントのわしではなく、マスターのおぬしを狙うあたり、よほどの外道か大して腕もない英雄に違いあるまいて」
「そうも言ってられないわ。これがルールが詳細に定められた競技種目なら話は別でしょうけど、聖杯戦争は正真正銘の殺し合い。マスターを狙うのも定石中の定石。あなたの生きた戦国時代でも闇夜に紛れての奇襲は卑怯だと言われても、それは一つの立派な作戦として確立されていたでしょう?勝てば官軍、負ければ賊軍。最初から互いに命を賭けている戦いに倫理観なんて無用よ」
「で、あるか。じゃがこうして見通しの良い平地に出た以上、彼奴も闘う気があるのであれば、正面切って出て来るしかあるまい」
「えぇ。そして意外な事に、どうやら向こうは一戦交える気みたいよ。肌にピリピリ痛いくらいに来るわ。息をつくのも許さない本気の殺意…間違いなくさっきのサーヴァントのソレよ。そら、言ってる間においでなすったわね」
カツン…カツン…静寂の夜に響き渡る、一歩、また一歩と石畳を踏みつける甲高いヒールの音。段々とその音が咲季達の方へと近づくに連れて大きく、更に鮮明なっていく。数段の階段で窪地になっている中庭の中心から見上げる二人の視線の先、満月を背に姿を現したのは、背丈ほどもある長大な槍を携えた人影…否。偶像だった
「まったく、考え得る限り最低のイントロね。これだからマナーのなってない豚どもはいつの時代、どこにでも湧くのよ。豚は豚らしく、家畜のように主人の言うことを聞きなさい。今夜は私のファーストナンバーを大人しく聞き終わったら、文字通り退場すること。返事はハイ、もしくはイエスの意を込めてブヒと鳴けばヨシとするわ」
ド派手なピンクの長髪が気にならなくなるほどの異彩を放つのは、同じく頭部から禍々しく歪曲しながら天へと逆立って伸びている紫の二本の角。そして臀部からは、人体ではまずあり得ない先端が二又に別れたトカゲのような黒い尻尾が伸びている
しかし肌身は嫉妬してしまうほど磨きのかかった肌色で、服装は傘のようにほぼ垂直に広がるスカートをアクセントに、黒と白が入り混じりながら所々にピンクを拵えたゴスロリ調。しかし携えた鎌槍の様な形状の二本の切先を持つ、身の丈ほどもある漆黒の長槍があまりに見た目的に不釣り合いで、察するにランサーのサーヴァントと思しきソレは、アイドルの姿を模した人ではない別の何かに見えた
「これはかくも面妖な格好をした小娘がいたものじゃな。見兼ねるにランサーじゃろうが、いやそれはすまなんだ。流石のわしも人でないものに人の礼儀を弁えよとは言わん。うつけはうつけらしく阿呆のように踊り狂って、その槍で肛門から喉笛までを串刺しにする能でも見せてわしを笑かせてみせよ」
言葉の節々が針のように尖った、敵意剥き出しの罵り合い。二人の少女は口角を上げ、伴う表情筋は笑みを作ってはいるが、視線だけは敵の些細な隙も見逃すまいとする殺意一色に染まった眼光だった
「はんっ!やっぱり豚は吐く息も汚い上に臭くて敵わないったらないわ。それに目もその汚い肉で潰れて使い物にならないのかしら。この品格高いアイドルである私の神々しい姿が見えないなんて、もはや肉塊と同等かそれ以下の価値しかないといったところね」
「ほぉ。しかしてそちはわしらを家畜と言うておるが、貴様も人のことが言えるタチには思えんのう。飼い犬と主人は相応に似ると聞く。不意打ちなぞ狙う卑怯な貴様らしく、背後におるであろうマスターもこの後に及んで姿を見せぬ臆病者か、おいそれと人前に出られん醜い豚のような顔の魔術師に違いなかろう。さればこそ面妖なナリも含め、鏡の前に立てばその歪んだ性根ごと腐った、まこと醜い『あいどる』とかいう豚が写ろうて。のう、ランサー?」
「・・・もういいわ。今すぐにその臭っさい醜悪な口を塞いであげる。子イヌ、聞こえてるわよね。コイツら二人まとめて殺すわ。文句ないわよね」
二人の少女の間に目に見えぬ火花となって鬩ぎ合う口撃は、ランサーの方が先にその鶏冠を立てたようだ。眼光により濃い殺意が光り、月明りを反射する槍の穂先をアーチャーへと向けた
その仕草を見て、咲季も臨戦体勢へと意識と体を切り替える。この少女がランサーのサーヴァントである以上、召喚したマスターがいるはずだ。ランサーが今しがた『子イヌ』と呼びかけた存在がそうなのだろう。今は姿が見えずとも、この闇夜に隠れて奇襲をかけてくる可能性もある。それならばと、咲季は魔術回路を起動させながら声高に叫んだ
「アーチャー!迎撃よ!そんな口先だけでアイドル名乗るようなヤツ、粉微塵になるまでぶっ飛ばしなさい!!!」
「是非もない!なればランサー!その首わしが貰い受け!その血肉を我が愛刀の錆にしてくれる!」
「チッ、弓兵のくせに生意気ね…そっちがその気なら!ブヒブヒ鳴いて謝っても弓を抜く暇なんてもうあげないわよ!」
明確な開戦の合図はなかった。ランサーがヒールを履いているとは思えないほどの跳躍力で飛び上がり、全身を捻りながらアーチャーの脳天目掛けて槍の柄を振り下ろしてきた。対するアーチャーは腰に帯びた刀を鞘走らせ、ランサーの槍に真っ向から受けて立ち、金属質な爆発音と共にその刃で受け止めてみせた
「ぜぇあああぁぁぁっっっ!!!」
位置的有利を取っているのは、現時点で高さで勝るランサーだ。しかし実際に相対して分かるが、少女の見た目相応に体全体の線は細く、上背もアーチャーと大差がない。故に振り下ろされた槍に敵を押し潰すほどの重さはなく、アーチャーが咆哮と共に刀で押し返し、ランサーの身体ごと吹き飛ばした
「チッ!アーチャーのサーヴァントが、本気で私の槍を刀で相手しようだなんて、随分とナメられたものね!」
初撃を難なく打ち返され、空中を舞うランサーはその姿勢を整えながら着地した。そこから立て直す時間の隙をアーチャーが見逃すはずもなく、今度は自ら踏み込んで敵の懐へと潜り込む
しかしランサーとてそれは百も承知。着地と同時に襲い来る銀光を槍の柄で受け止め、その刀をふるい落とすように槍を振り回し、そのまま中段突き、薙ぎ払いへと転じる
アーチャーは受け止められた刀を風車のように回転する槍に絡め取られまいと、柄を逆手に握り、旋回する槍から素早く引き抜き、敵が閃かせた突きを上体を捻ってかわし、続く薙ぎ払いも火花を散らせながら刃で弾き返す
「ほれどうした小娘よ、得物の間合いで言えばそちが有利じゃ。本来アーチャーのわし相手にこれでは弓を射る必要も感じぬというものよ。一つ本気でやってワシの刀を落とし、弓を抜かせるほどの技量を見せて欲しいのう」
「ンのっ!あからさまな余裕くれてんじゃないわよっ!!」
刀と槍が金属音を伴って激しくぶつかり合い、火花を散らす速度が瞬く間に上がっていく。一瞬でも気を抜けば致命傷に繋がりかねない剣戟の中で、アーチャーは余裕の笑みでランサーを煽る
その態度にアイドルを自称する少女は、その職業らしからぬ表情で怒りを露わにし、速度を上げていく槍の穂先に更なる熱が灯る。咲季が傍でその激しい剣戟を見守る中、二人の英霊は最後に大きく振りかぶって刃と穂先をぶつけ合った。これ以上やっても有効打は与えられないと判断したのか、幾度の衝突で熱を帯びた鉄同士を、弾くでもなく互いにゆっくりと引き剥がし、睨み合いながら後ろへ下がった
「かっかっかっ。段々と化けの皮が剥がれてきよったなランサー。わしが見るに貴様、そのクラスの割に『槍兵』ではなかろう。歩法から身のこなしから、果ては槍術まで何もかもが出鱈目じゃ。それも悪くはないが、ちと惜しいの。もし本気を出した上で、その箱入り娘の護身術じみた槍さばきでは、わしの弓をお披露目とはいかんのぉ」
「はぁ…はぁ…だから私はアイドルだって言ってんでしょうが。それにアンタの方こそ、弓が下手クソすぎて見せらんないから刀で戦ってるんじゃない?だけどセイバー名乗れるほど剣術も達者じゃないから、結局は弓兵止まりなのかしら?これだから才能のない豚の僻みは。本当に醜いったらないわ」
「肩でぜぇぜぇと息をしながら、よくもまぁぬかしよる道化よ。ならばそのまま息が絶える前に見ておくか、我が必殺の『弓』を。のうマスター。わしもいい加減に今宵の慰み物が欲しくなってきたところじゃ」
アーチャーが言う通り、ランサーは今の剣戟だけで軽く息を切らし始めている。そして彼女の服装からしてマトモな槍兵の英霊ではないというのも違いないのだろう。事実、いくらアーチャーが武芸に秀でたかの英雄とはいえ、彼女の剣術にランサーの槍は足元にも及んでいない
彼女の言う『弓』を出せば、その真名がバレるのは必至だ。しかしこのランサーを相手にして、アーチャーの本気ならば十分に勝ちを狙えるだろう。そんな直感と確かな手応えを感じた咲季は、赤い外套越しに自分を煽るアーチャーに向けて言った
「・・・いいわアーチャー。『弓』を抜きなさい!必要であれば宝具の開帳まで許可するわ!このまま一気に決めるわよ!」
「───ッ!子イヌッ!ありったけの魔力を回しなさい!向こうがその気なら、コッチも幕を下ろしに行くわ!とっておきのナンバーでイかせてあげる!!」
決して目に見える訳ではないが、莫大な魔力の奔流がランサーを中心にして渦を巻いているのが肌で分かる。間違いなく彼女が切り札とする宝具を使う前触れだ。嫌が応にも緊張が奔り、趨勢を見守る咲季の額にも汗が滲む。魔力の高まりと波を打ったような静寂がその場を支配した瞬間──────
「───ッ!だれっ!?」
息を呑むような緊迫感と静寂を破り、突如アーチャーを尻目にあさっての方向へとランサーが叫んだ。直後に微かに聞こえるザリッ…という靴底と石畳が擦れる音。そして微かな人の気配が、足早にこの場から立ち去ろうとする足音。まさか、という思考が咲季の血の気を引かせ、徐々に顔が青ざめていく。彼女は自分の中にあるまさかという予測を否定するため、中庭の階段を一息で駆け上がった。するとその視線の先に、一番そうであって欲しくない光景を目の当たりにした
「う、ウチの制服…!?まだ校内に生徒が残っていたの!?」
今やその背中すら校門を超えて見えなくなったが、確かに咲季は自分と同じ初星学園の制服を着た生徒をその瞳で見た。張り詰めた殺し合いの空気、そして魔術という神秘の隠匿を見られたかもしれないという焦燥感に彼女が囚われていると、程なくしてランサーも中庭の階段を飛び上がってきた。そして咲季を一瞥した後に、生徒が飛び出して行った校門を見つめ、独り言のように虚空へと訊ねた
「子イヌ。どうするの?」
『・・・分かった、煙幕を敷く。ランサーはそのまま撤退して生徒を追って殺して』
ランサーの問いに答えたのは、無機質な機械案内のような声だった。察するに子イヌとランサーに呼ばれるマスターだろう。今のアーチャーとの戦いでも姿を見せないどころか気配すら感じさせないのを鑑みるに、姿隠しの魔術を行使しているのは明白だ。しかし、その声の節々には女性らしき口調が垣間見える
聖杯戦争ではまずサーヴァントではなくマスターを狙うのが定石だということを、おそらく分かった上でこの声の主は姿を暗ませているのだろう。基本に忠実かつ手堅い魔術師であることが窺える上に、加えて魔術の秘匿のために目撃者を殺害する指示を即座に下せる非情さ。これらの点からこのランサーを従えるマスターは、実に魔術師らしい魔術師だと咲季は感じた
「死人に口なしってことね。理解出来ないとは言わないけれど、地味で嫌な仕事だわ」
『口答えせずにそれくらいやって。アーチャー相手に傷一つ負わせられないどころか、真名も看破できないなんて、本当に魔力の無駄遣い。分かったらさっさと目撃者を消して。これ以上、私を失望させないで』
「分かってるったら。じゃ、煙幕よろしく」
「ちょ、ちょっと待ちなさ…!やぁっ!?」
無機質な機械のような声は、どこまでも無機質に人の命を秤へと掛けた。ランサーは主人の声と自身への叱責にやれやれと少し被りを振ってその姿を霊体化させ、まるで霧のようにその場を立ち去った。その見えない霧を掴もうと咲季が駆け出した瞬間、パリンッ!と瓶が割れる音がして、夜の暗がりを更に濃くした常闇の煙幕が拡散し、一瞬で視界を覆われてしまった
「ゲホッ…ゲホッ!まんまと逃げられたわね…アーチャー!」
「そう叫ばずとも此処におるわ」
あまりの煙の量に咲季は目を潤わせながらむせ返り、煙が風に紛れて吹き飛び視界が回復した頃には、ランサーはもちろん、そのマスターも消え失せていた。咲季は握り拳を作りながらアーチャーを呼ぶと、いつの間にか真横にいた彼女に更に捲し立てるように言った
「先に行ってランサーを全速力で追跡して!それかさっきのウチの生徒でもいいわ!私も後で必ず追いつく!まだそう遠くには行ってないはずよ!」
「待てマスター。追うのはよいが、その前に問うておくことがある。ランサーについてはよいが、わしが件の目撃者を見つけた時、わしは其奴を殺せばよいのか?それとも見逃せばよいのか?」
「そっ!れ、は……」
「殺せというのなら、わしとてそうしよう。魔術師のしきたりなんぞは知った話ではないがの。じゃが仮に後者を選ぶのであれば、おぬしの覚悟を問うておくべきじゃ。おぬしはそもそも実際に人をその手に掛けた覚えがあるのか?これから先の聖杯戦争、敵のマスターをおぬしは躊躇なく殺せるのか?答えよ、花海咲季」
アーチャーの問いかけに、咲季はあからさまに口籠った。彼女にとって言えばどちらも正解ではあるのが難儀だった。魔術師としては殺害を、人としては身の安全を保障すべきだろう。そしてその指示を、今から自分で下さなくてはならない
ここでアーチャーに同じ学園に通う学友を殺せと指示するのは簡単だ。しかしそれは実際に殺すのが彼女だったとしても、自分が殺すのと同義だ。後者を選べば、魔術師の家督を継いだ人間として覚悟が足りてなさすぎると言われても否定できない。アーチャーにしても、その未熟さを見限って先ほど結んだ契約を破棄されても仕方がない。そんな数秒の迷いの後に、花海咲季の口は自ずと開いた
「生徒を見つけたら保護しなさい。だけどもし仮に私たちの戦いを偵察していた、他のサーヴァントを従えるマスターだとあなたが判断したら、その時点で殺していいわ。ただし本当にただの一般人だったらとりあえず保護しなさい。仮にも私の学友よ、丁重に扱わないと許さないわ。そしてその後に係る責任は…せめて私自身に負わせてちょうだい」
「・・・なるほど、是非もない。然らばわしは周囲の山岳地帯を探し、彼奴らの気配がなくともそのまま山岳の高みからアーチャークラス特有の視力を活かして探せよう。おぬしは先に市街地へ降りて彼奴らを探せ。仮にランサーと会敵した時には、令呪を使ってでもわしを喚べ。よいな」
「えぇ、それでいいわ。念話のパスを繋げておくから、アーチャーも見つけ次第私に連絡して。それじゃ、頼んだわよ!」
咲季の答えに対するアーチャーの反応は、納得しているとも、していないとも見て取れる微妙なモノだった。彼女は口を開く前に、深く肩で息をしながら目を閉じたが、その真意までは咲季も読めなかった。しかしそれでも今はこちらの望んだ通りに動いてくれることに感謝し、アーチャーは闇夜が続く山岳へと飛び、咲季は市街地へと走り始めた。そして─────
───────運命の夜が、始まる