第41話 電話
「篠澤さん、傷の具合はどうですか?」
激闘から一夜明けた、次の日の夕暮れ時の事だ。秦谷美鈴は学生寮の一室に置かれるベッドの前にいた。しかしそれは彼女自身が住まう部屋ではなく、昨夜の戦いでアヴェンジャーに連れさせて撤退させた、篠澤広が住まう部屋だ
「うん、問題ない。治癒のルーンが効いた。昨日はありがとう、美鈴。助かった。アヴェンジャーにも、お礼を言っておいて」
美鈴に話しかけられた広は、自室のベッドからむくりと起き上がって、咲季に正面から殴られた鼻に掛けて、顔全体の感覚を確かめるようにペタペタと手の平で触ってから、小さく頷いて美鈴の問いかけに答えた
「礼には及びませんよ。そもそも私は篠澤さんの助けがなければ、この聖杯戦争に参加することすら出来ていませんでしたから。しかし、それはそれとして驚きました。私としては篠澤さんと敵対する理由もありませんでしたから、当面の間はお互いに窮地が訪れた時だけ…という約束でしたが、まさか篠澤さんにこうも早く窮地が訪れるとは、思ってもみませんでした」
「・・・そう、だね。私もここまで手痛い一撃を貰ったのは…本当に久しぶり。それに…首元まで攻撃が差し掛かるほど追い詰められたのは多分、初めて」
「・・・そう言う割には、少し楽しそうですね」
「ふふっ。美鈴も分かる時は分かると思う、よ。ままならない日々の、楽しさ」
稀代の天才魔術師と呼ばれた篠澤広にとって、魔術で傷を元通りに治癒するなど造作もない事だった。しかしどれだけ傷を治すことはできても、傷を負ったという事実は覆らない。しかし彼女は、傷を負ったその時の痛みすらも、どこか楽しむように口角を緩めて言った
「・・・そうですか。それが分かる篠澤さんが…少しだけ、羨ましいです。もっとも私は、あまり分かりたいとも思いませんが」
「むぅ。見た目に反して不良の美鈴なら、分かってくれると思ったんだけど」
「本音を言えば、私はあまり魔術に関する事は好きではありませんから。まりちゃんや…りんちゃんとSyngUp!の活動をしていた日々の方が…私としては、よっぽど………」
「・・・うん、いいよね。アイドル。私も早く、美鈴みたいに綺麗に歌って踊れるアイドルに、なりたい。だから私も、美鈴が羨ましい」
「ふふっ。そうですか、それはそれは。ありがとうございます、篠澤さん」
名残惜しい。美鈴は実際にそう口にはしなかったが、それ以外に適切な言葉がない表情と口調で、窓から差し込む夕焼けを見ながら彼女は言った。そんな彼女の横顔を見て、広は夕焼けと同じ色の瞳を携えた目尻を柔らかくして、二人は互いに静かに笑いあった
「それで、篠澤さん。今夜はどうされますか?私は特に支障はないので、昨晩の戦いで最後の最後に姿を見せた、あの大きな筆を扱うサーヴァントが気掛かりなのでそちらと…まりちゃんとランサーを追いつつ、今夜も適度に索敵と散策を行おうと思いますが……」
「・・・私は、今日は休んでおこうかな。アサシンも令呪で回復させたけど、万全じゃないから…今夜は部屋に結界を張って、安静にしてる」
「そうですか、ええ。今夜はきっとそれが良いと思います。それでは今後はまた、お互いが窮地に陥ったら…という事で。私が聖杯戦争に参加する機会を与えてくれた貸しは、今回の事で十分に返せたでしょうから」
「うん、それでいいよ。ありがとう美鈴。ただ、一つだけ。ライダーは昨晩で確認したけど…ひょっとしたら、バーサ」
ブーーーッ!ブーーーッ!と、突如けたたましい振動音が部屋中に響いた。広が腰掛けるベッドからそう遠くない木製のテーブルに置かれたスマートフォンが、着信と共にバイブ機能で激しく揺れていた。それを見た美鈴は、そのまま広のスマートフォンを手に取り、彼女に手渡した
「篠澤さん、お電話ですよ。私のことはお構いなく」
「うん、ありがとう…千奈からだ。どうしたのかな。今日は日曜日だし、学校もお休みだったけど」
美鈴から差し出されたスマートフォンを手に取り、画面に表示された着信先の、倉本千奈という名前を見た。広にとっては電話帳に登録されている数少ない友人からの急な着信を、少し不思議には思いながらも、特に気に留める事なくスマートフォンの画面をタップして、そのまま自分の耳に当てがった
「もしもし、千奈?どうかした?」
『し、篠澤さんっ!来てはなりませっ…んぐっ!?』
「───ッ!?千奈…どうしたの、千奈!」
『もしもし?聞こえてるかしら、篠澤広』
「・・・あなたは、アーチャーの…」
『花海咲季よ。アーチャーのマスターであることも、筆記試験が二位の人であることも事実だけれど、人の名前くらい認識してくれると助かるわ』
着信を取った広の耳を劈いたのは、千奈の必死の叫びと、苦しそうに口を塞がれた喘ぎ声だった。普通の電話ではまずあり得ないその声に、広がマイクに向かって千奈の名前を呼んだが、それに続いて電話口で広の耳へと語りかけてのは、昨夜の戦いで彼女に手痛い一撃を浴びせた花海咲季だった
「・・・千奈をどうしたの」
『別に、どうともしてないわ。けれど一つ言わせてもらうなら、あなたの友人がどうなるかは、これからのあなたの態度次第よ。そこに秦谷美鈴はいるかしら?いるなら二度手間だからスピーカーにしてくれる?』
「・・・・・美鈴」
咲季からの要望に、広は数秒の沈黙を置いてスマホを頭から離して、自分の電話を静かに見守っていた美鈴を見た。美鈴は電話の内容こそ聞こえなかったが、取り乱した様子で話していた広の様子を見ていたのか、彼女の声に黙って頷いた。それから広がベッドに敷いた布団の上にスマホを静かに置くと、通話音声をスピーカーにして咲季の声を美鈴と共に待った
『・・・これだけ間を置いたってことは、そこに秦谷美鈴もいるってことね。手間が省けて助かるわ。さて…昨日は随分と世話になったわね二人とも。まさかアイドルの専門学校の同級生に、貴方達ほどの魔術師が二人もいるなんて思っても見なかったわ』
「御託はいい。私達と違って、千奈は例えマスターでも魔術師じゃない。解放して」
『・・・あら、知ってたのね。ただ悪いけれど、それは聞けない相談だわ。卑怯だとも言わせない。もしその要求を私が呑むとしたら、あなたが軟禁している聖杯戦争の監督役…有村麻央の身柄を私に引き渡してくれた時だけよ』
「しない」
『即答ね。まぁそれならそれで、要求をあなたにとってもう少し呑みやすいモノに変えるわ。今日の夜12時、私達が昨日戦った初星学園の正門前にもう一度来て、私達と正面切って戦いなさい。もちろん、秦谷美鈴も連れて』
『麻央先輩の安全の確保は、あなた達を倒した後で私達が勝手にやるわ。だからそっちも私達を倒した後で、千奈を取り戻せばいい。この要求すら呑まないというのなら、彼女の身の安全は保証しないわ。分かりやすいでしょう?』
「───────・・・殺す」
ピシィッ!と。広の部屋のフローリングから伝播して、部屋全体へと鋭いラップ音が響いた。彼女の静かな…しかしドスの効いた怒りの囁きには、僅かながらも滲み出た魔力が籠っていた。その場にいる美鈴は、友人を人質に取られた広の怒りを目の当たりにして生唾を飲み、電話の向こうにいる咲季も、その囁きにしばしの間押し黙った
『・・・上等よ、篠澤広。だけど
「・・・・・」
『私は沈黙を肯定と捉える主義よ。気付いてないとでも思った?いくら稀代の天才魔術師と呼ばれるあなたとはいえ、たかがルーン魔術をあの規模で扱いながら、あの強大なアサシンを運用できる魔力量は説明がつかない。だからこそ、少し意外だったわ。私はてっきり人造生命体なんて、多少喋れて動くだけの人形か、感情のないただの魔力炉心だと思ってたから』
「それ、あなたに関係あるの?」
『ないわね。私は普通の人間だもの』
「それならさっきも言った通り。御託はいい。千奈に危害を加えるなら、絶対に許さない」
『こっちこそ、監督役を襲う禁忌を侵したあなたを…私の恩人に手を出したあなたの事を、絶対に許すつもりはないわ。今夜を楽しみにしておきなさい。それと、秦谷美鈴』
「・・・はい、なんでしょうか。花海咲季さん」
花海咲季と篠澤広の会話は、電話越しとは思えぬ空気感で、そこには互いの声から漏れ出る殺意で溢れていた。その会話が当人達の中で一区切りが付いて、不意に咲季から声を掛けられた美鈴は、落ち着き払った声で反応した
『─────紫雲清夏と葛城リーリヤ』
「─────えぇ、殺しましたよ。それが何か?例え学友であろうと、私たちが身を置いているのは、聖杯戦争です。人の生き死にがあるのは、当然だと思いますが」
『・・・ええ、間違いなくその通りよ。安心したわ。あなたも随分立派に血の通ってない魔術師ね。ならあなたにも容赦する必要はないわね、今夜まで首を洗って待ってなさい』
「えぇ。どうぞお手柔らかに、お願いします」
プツン、と。美鈴の返答を最後に、倉本千奈の名前で履歴を残して、広のスマホの画面は通話を終えた。気づけば沈みかけだった夕陽はすっかり落ちて、窓から見える景色は薄暗い夜の始まりを告げていた
「今夜の12時…ですか。篠澤さん、よろしかったんですか?今夜は休養を、と…」
「いい。千奈の身の安全には代えられない。令呪もまだ余裕がある。何かの策か罠があったとしても、私とアサシンは負けない」
「中間試験の前日に、倉本さんの右手に令呪のようなモノを見た…とは篠澤さんからお聞きしていましたが…」
「うん。ただその日以降は見えなかったし、見間違いかと思った。だから私もまさかこうなるとは思わなかった。残りの枠から考えても、魔術師でもない千奈が、何かの偶然でサーヴァントを召喚してマスターを担ってるのは想像に難くなかった。きっと千奈の令呪を隠す、その上で痕跡を残さない高度な幻術の類が使われていたんだと思う。だから今日この時まで千奈を保護しなかったのは、私の失策」
「・・・篠澤さんにとって、倉本さんは本当に大切な友人なんですね。先ほども似たような事を言いましたが…倉本さんが、羨ましいです」
「もちろん美鈴も、私にとって大切な友達、だよ。だけど千奈は…魔術しか知らなかった私に出来た…一番最初の、友達だから。だから美鈴、お願い。今夜も手伝ってほしい」
「仕方ありませんね。これで今度は私が一つ、貸しですよ」
「・・・油断も隙もない、ね。それじゃあ少しだけ、頑張ろうかな。このままならない戦争を」
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「・・・ふぅ〜〜〜。これでいいわ。協力ありがとう千奈、名演技だったわ」
あたし達五人のマスターが、花畑に小さな円を作って座り、固唾を飲んで中心に置かれたスピーカーで通話中のスマートフォンを見守る中、画面を叩いて通話を切った咲季は、緊張の糸を自ら切るように深く長く息を吐いた。そして額に滲んだ脂汗をジャージの袖で拭いながら、隣にいる千奈に言った
「・・・篠澤さんには後で、キチンと謝らないといけませんわね。騙してしまって申し訳ありませんと…」
「騙すも何も、これも立派な戦術よ。千奈がマスターであることまで知ってるとは思わなかったけれど、それはこの際気にしても仕方がない。おそらくは消去法で、彼女が従えるサーヴァントがキャスターであることも気づいている。ただこのやり取りだけなら、キャスターが一体何者で、未だに現界しているかまでは分からないハズよ」
「向こうも私達の罠を警戒して出てくる以上、昨夜のような有効な不意打ちからの開戦は望めないでしょうけれど、必要な休養を与えず、一先ずは対等な条件で戦いの場に引きずり出せるだけでも儲けモノだわ」
「・・・なぁ咲季。さっき電話で広に言ってた…人造生命体って……」
誤った道に進もうとしている友人を止める為とはいえ、その友人を騙すような真似をして少し俯く千奈に対して、咲季はどこまでも魔術師のソレらしく振る舞った。それからあたしは、スピーカーにして聞いていた咲季と広達の電話に出てきた、聞き慣れない単語の意味について訊ねた
「読んで字の如くよ。ホムンクルス。人の手によって造られた人造人間。有り体に言えばSF映画に出てくるような、クローン人間のソレよ。魔術師界隈じゃあ、別にさほど珍しくもなんともないわ」
「じ、人造人間…!?」
あたしの質問に対して、咲季は淡々と答えてくれた。しかしその内容は魔術師の世界を知らないあたしからすれば、驚愕の声を出す他ないモノだった
「人造生命体は、一般的に錬金術によって造られるモノで、誕生するその瞬間から生命体として完成されていて、肉体的な成長や老化はしないの。産み出した魔術師の為の手伝いをするメイドのようなモノから、大規模魔術の行使や魔術的戦争を行うために、単なる魔力供給の炉心として試験管の中でだけ生かされるモノ、そして戦闘用として体力や筋力を優遇して生み出される個体も存在するわ」
「その点で篠澤広は、おそらく最後に挙げた例の逆でしょうね。本人の魔術行使に性能を全振りしてるせいで、体力と筋力が常人の域にすら達していない。ただそれを踏まえても、彼女を創造した魔術師は相当な錬金術師でしょうね。桁外れの魔力量に、あの卓越したルーン魔術から、今の電話でも垣間見えた感情面も含めて、あそこまで人に似せる事が出来るのは、ほとんど第三魔……」
「篠澤さんはわたくしの大切なお友達ですっ!紛れもない人間ですわ!!そんな、人に似せるだなんて…!撤回して下さいっ!!!」
穏やかに揺れる桃色の花畑に、千奈の怒号が響き渡った。小動物のような、愛らしい見た目の彼女からは想像できない鬼気迫る表情と声の荒げ方に、あたしと咲季と莉波先輩が驚いている中、真っ先に彼女に言ったのは、広と同じく彼女の友人である佑芽だった
「違うよ、千奈ちゃん。別に今さらそんな事、気にする必要なんてないよ」
「そ、そんな…!?佑芽さん、どうして……!」
「あたし達にとって、広ちゃんが人間だとか、魔術師だとか、誰かの手で造られたとかなんて、そんなのあたし達には関係ない。あたし達は、広ちゃんが広ちゃんだから友達になれたんだよ。そうでしょ?」
「・・・佑芽さん…」
佑芽の言葉は、友人を思う気持ちは、ただ一直線だった。少なくとも、あたしにはそう見えた。瞳の奥に湛えた燃えるような彼女の意志は、燃え移るようにして、千奈もまた瞳の奥に熱を宿しながら頷いた
「えぇ、その通りですわ。わたくしはとんだ勘違いをしておりました。どのような事情であれ、間違った道を行くお友達を、止めねばならないことに違いはありませんわ」
「・・・とにかく、これで話はまとまったわね。篠澤広と秦谷美鈴と会敵する今夜12時まで、残り6時間。みんな引き続き必要な調整にあたって。姫崎先輩、ことねへの仕込みは間に合いそうですか?」
右腕に巻いた愛用のスポーツ用腕時計を見て、咲季は言った。あと6時間、嫌でも意識してしまう。そんな緊張感に胸が締め付けられるあたしを他所に、咲季は莉波先輩へと問いかけた
「多分だけど、間に合うと思う。マスターになって魔力の輪郭に触れた事も関係してるのか、ことねちゃんは想像以上に呑み込みが早いし、魔術回路と魔力の通りも、一般人とは思えないくらいに質がいい。教えがいがあるよ」
「・・・本当はこんな…褒められた事じゃないと分かってはいます。姫崎先輩の家系が継いできた魔術の一端を…他人に教えろだなんて……」
「ううん、そんな事気にしないで。私は気にしてないから。咲季ちゃんは怒るかもしれないけど…私はあんまり魔術師の家系とかそんなに気にした事ないの。むしろ今ことねちゃんに教えるの、ちょっと楽しくなってきてるから」
「・・・清夏もそんな事を言ってました。いわゆる時代の流れ、ですかね。それから、ことね」
「ん?なに?」
莉波先輩が少し恥ずかしそうに、頬を掻きながら笑ったのを見て、咲季は一瞬だけど呆気に取られていたが、すぐにその顔はまるで憑き物が落ちたような柔和な笑みになった。かと思えば、彼女は真剣な視線と口調であたしに話しかけてきた
「清夏とリーリヤは、死んだわ。秦谷美鈴が口にした事について、どう思った?」
「・・・絶対に許せないって、心の底から思ったよ。ただ、絶対に二人の仇を討ちたいとか、復讐してやりたいとかってよりかは…何かの奇跡が起きて、二人とも生きていてくれないかな…って、あたしは思う」
「それでいいわ。私はさっき、正真正銘の魔術師になってもらう…なんて仰々しく言ったけれど、心まで冷酷な魔術師である必要なんてないんだから。ことねはその感性を大事にしなさい。そしてこれから姫崎先輩から授かる力の使い方を、絶対に間違えるんじゃないわよ」
「・・・うん、分かった。セイバーを召喚したのは偶然だったけど、その後で聖杯戦争に参加するのを決めたのは、あたしの意志だから。今はもう覚悟も出来てる。ただそれはそれとして、あたしが莉波先輩に魔術を教わってどんな凄い魔術師になっても、あたしはきっと初星学園でアイドルになる道を選ぶよ」
全て本心だ。リーリヤと清夏の事も、聖杯戦争を戦い抜く事を決めたのも、アイドルになりたいのも、全て偽りなくあたしの、藤田ことねの本心だ。それを証明するように、あたしは最後に歯を見せながらにしし、なんて口の端から溢すようにして笑った
「・・・ん、それでよし。何も心配要らなかったわね。それじゃあ姫崎先輩、引き続きことねの鍛錬をお願いします。佑芽、私達も続きを始めるわよ」
「あっ!待ってよお姉ちゃ〜ん!」
「それじゃあことねちゃん、私達も始めよう。一旦基礎の魔力の練り方からおさらいしよっか」
「はい!よろしくお願いします!」
物見の塔が見守る中、あたし達は無限に広がる花畑で少し離れた場所で、もう一度それぞれの準備へと戻った。人には人の事情が…なんて、よくある話だ。あたしにはあたしの、魔術師には魔術師の事情があるんだろう。あたしが…これから魔術師になったとして、広や美鈴の事を、少しは理解出来るのだろうか