「じょ、冗談でしょ……」
私が聖杯。広が告げた衝撃の事実に、あたしはただ言葉を失って小さく呟くだけだった。そして当の本人、篠澤広は自分が産まれた因果を語ってなお、顔色一つ変えなかった。それがおそらく、彼女にとっての性なのだ。自分がそう産まれた事に、なんの恨みも悲しみもないのだと、あたしには感じ取れた
「・・・本当に、冗談ならいっそ冗談であってほしかったわ。苛烈な聖杯戦争の果てに得られる聖杯が、よもや私達と変わらない少女の見た目をしていて、その運命を決定づけられた上で感情を植え付けられて産み落とされたなんて、笑いたくても笑えないわ」
一方の咲季は、言葉を失ったあたしと違って、あからさまに険しい顔で言った。しかしそれは、広に対してではない。実際に広にその因果を、運命をもって産み落とした人間に対しての嫌悪感だろう。しかし彼女はその感情を呼吸ひとつで思考の脇に置き、なおも続けた
「けれど、これでようやく全てに合点がいったわ。篠澤広、あなた…自分を創造した魔術師をその手で殺したのね?」
「・・・・・・・・・そうだ、よ」
焦ったいほどの間を置いて、広は咲季の問い掛けに肯定の返事だけで答えた。それを答えるまでの合間に、どれだけの夢想が彼女の脳裏にあったのだろう。この世に生を受ける過程に差はあれど、産みの親を殺すなんて行為に、あたしと千奈はただ言葉を失うしかなかった
「聖杯が降臨する周期に備えて、私の創造者は魔術行使の為の性能を最大限に高め、聖杯としての機能を有する私をモデリングして、人造生命体として錬金術で産み出した。そして私は言われるがままに、魔術協会の彷徨海で魔術を学ばされた」
「彷徨海で私は、色々な世界を見た。多くの魔術師の殺し合い、家系や研究成果の奪い合いから、被人道的な人体実験。そんな日々を過ごしながら14年の年月が流れて、私の魔術師としての技量、そして聖杯に思考性を持たせる為に植え付けられた私の感情が、一流の魔術師として完成した頃の事」
「薄暗い実験室で、私は一つの願望を見つけた」
「──────アイドル」
人造生命体、篠澤広は独白の中。最後の言葉だけは、今まで死んだように動かなかった表情筋を、柔和に解いた。そんな彼女の言葉と表情を見て、何かに気づいてしまったように呟いたのは、彼女の友人である千奈だった。そして広は一番最初の友人の呟きに対して、黙って頷いた
「創造主の指示の下、聖杯戦争への参加の準備を進めていた私は、貸し与えられた連絡用のタブレット端末を弄っていた時に、一つの動画へと辿り着いた。初星学園のアイドルの、ライブステージの動画」
「・・・その動画を見て、私は。こうなりたいな、と思った。こんな風に歌って、踊って、可愛くなりたいな、って。本気で、思った」
ストン、と。広の告白を聞くあたしの中で何かが腑に落ちた気がした。というよりかは、単純に納得した。運命を決定付けられて産まれた少女が、頬を赤らめて、瞳の奥を輝かせて、産まれて初めて抱いた願望を……あたしと同じ願望を、どうして嘘だと思えよう。どうして鼻で笑えるものかと、あたしの中で、篠澤広という『人間』の在り方が見えた気がした
「・・・だから、私は創造者に言った。アイドルになりたいって。私は聖杯戦争に参加する。だけどこれは、もう私を造ったあなたの為じゃない。私が、私自身の願いを叶える為のモノだと、そう宣言した」
「その結果として、私たちは分かり合えなかった。だから殺した。私を造った人は…彼女は、私より優れた魔術師じゃなかったから。そして何より、私はそれ以外の方法を、知らなかったから」
「・・・皮肉なモノね。自分が造り出した存在に魔術師として敗北した上、感情を持たせたばかりに、それが起因して殺されるなんて。そして最後にはその
短く嘆息を吐いて、咲季は言った。今この場にいる人間で、人造生命体という存在の立場、そして魔術師としての境遇について真に理解できるのは咲季と、恐らく美鈴だけだ。しかし美鈴は広の隣に立つだけで、まるで口を開こうとはしない。故に咲季だけが、広に問いを続けた
「・・・そう、篠澤広。それが、私の創造者の名前だった。歴史の闇に埋もれた聖杯の欠陥に気づいた、勘のいい魔術師。今はただ、一人の女の子としてアイドルに憧れて初星学園に来た、世界一アイドルに向いてない、私の名前」
「つまり、篠澤さんは…文字通りその人に…篠澤広という、一人の人間に成り代わった…という事ですの……?」
「・・・そうなる、ね。だけど私のこの身体は、結局まだ人造生命体のままだから、そんなに寿命が長くない。だからこの聖杯戦争に勝って、私自身の聖杯としての機能を使って、ちゃんと人間の寿命で生きられるように願う」
「そして。少しずつ、ちょっとずつ、私が憧れた、アイドルを始めていく。例え私が動画で見て憧れたような、凄いステージに立つようなアイドルにはなれなくても」
「────せめて、趣味くらいには出来るようになりたい、な」
その言葉を最後に、白い少女の、やっと自分の人生に色がつき始めた少女の独白は締め括られた。広は自分の胸に当てたままにしていた手を、まるで胸のつかえが取れたかのように、ゆっくりと下ろした
「千奈、どうだった?これが、私の願い。これでもまだ、私を止める?」
「・・・そんな、そんなっ…聞き方は…卑怯ですわ…篠澤さんっ……!」
あたしにとって、そう千奈に訊ねた広の顔は、感情を持って造られたとはいえ、自分自身の感情を持って間もないとは思えない、憂いを帯びた笑顔に見えた。けれど彼女が憧れたアイドルを真似たのであろう、優しい笑顔で彼女に問いかけられた千奈は、思わず涙ぐんで、続く言葉が出てこなかった
「そうだよ、ね。ごめんね、千奈。だから、私は辞めないよ。千奈がさっき言ったように、他者を押し除けてでも、私はこの願いを叶えたいから。私は本当の意味で………」
「─────
眩しいと、思ってしまった。羨ましいとさえ、思った。あたしは別に、巨万の富を願いたいあたし自身の願いが、あたしにとってはちっぽけな願いだとは思ってなかった。それでも、明確に他者を押し除けてでも叶えると宣言した広の言葉と姿は、あたしの目には、アイドルのように眩しく、彼女だけの人生というステージが羨ましいと、浅ましくも思ってしまった
「・・・いいわ。篠澤広については、もういい。それなら秦谷美鈴、あなたは………」
「申し訳ありませんが、秘密です」
「そ、即答かよ……」
なるほど、と。言葉にこそしなかったが、咲季は納得したように小さく頷いた。それならば、と。次に咲季は視線を変えて美鈴に訊ねようとしたが、その台詞の最後を待たずして、広が掛ける願いが明かされた空気の重さの中、普段はのんびりとした美鈴らしからぬ返答の早さとの緩急に、あたしは思わずズッコケそうになって呆れたように呟いてしまった
「ええ。倉本さんが偶然で参加されたように、私も私で、ある意味成り行きで参加したようなモノなので、篠澤さんのような、赤裸々な願いはありません。けれど、この聖杯戦争から降りる気はありませんよ」
「私にとっても、これは大切な願いですから。願いに掛ける思いの強さと形もまた、人それぞれ、という事です」
「・・・・・同感だわ」
ピリッ、と。夜の静寂の中に、緊張が走る。咲季も広も美鈴も、それらしい構えはまだ見せていない。しかし素人のあたしでも肌で分かる。もう話すことはないと、彼女達は既に臨戦体勢に入っている。それを感じ取ったあたしは、思わず腹の底がキュッと絞まって、鋭く息を呑まざるを得なかった
咲季とあたしの間に立っている千奈も、素人なりにこの張り詰めた空気を感じたのか、ビクリと小さく肩を浮かせた。そんな彼女を見兼ねたのか、咲季は正門を挟んで向こう側にいる広と美鈴をその視線で捉えたまま、千奈に言った
「千奈。悪いけどあの二人に、戦いを止める意思はないわ。篠澤広が聖杯としての機能を有するホムンクルスで、監督役の麻央先輩が管理する従来の聖杯が邪魔で、封じ込めておく必要が彼女にはある。だから麻央先輩は、篠澤広の軟禁からはまず解放されない」
「だけど私は、人間になりたいと願った篠澤広の意思もまた尊重するわ。だから私は今まで通り、全力で戦ってソレに応えるだけよ。彼女に協力する秦谷美鈴も、同じことだわ。私はこの戦いに勝った後で、麻央先輩を助け出す。その目標に依然として変わりはないわ」
「だけどもし、今の篠澤広の立場と願いを目の当たりにして、千奈が一人の友人として心を揺さぶられたなら、別に今この場で同盟を破棄して、キャスターを従えて向こう側に寝返っても構わないわ。ただしその場合は………」
「・・・いいえ。その心配は無用ですわ、咲季さん」
言葉の重みだけが、戦いを間近に控えた夜の空気にのし掛かっていく。千奈に対する咲季の言葉は、つまるに提案だけではなく、覚悟を決める一助なのだとあたしは思った。どちらを選択するにせよ、千奈自身が戦う事を迷わないように。そんな咲季らしい気遣いに、千奈は丸い瞳の奥に確かな熱を灯して返答した
「お察しの通りですわ。篠澤さんの願いに、わたくしの胸が強く打たれてしまったのは、紛れもない事実ですわ。ですが、それでも私は納得しておりません。篠澤さん達が、自分の願いの為に、葛城さんと紫雲さんを殺害し、麻央先輩を拘束されている事は、お話が違いますわ」
「・・・・・わたくしもまだまだ未熟者ですが!それでも心得ております!アイドルとは、志す人全てがなれるモノではないと!それは他者との競い合いであり、時には押し除けなければ叶わない願いであることを!!」
「しかし!アイドルとは人々を笑顔にする存在であって、競い合ったライバル達にも、笑顔を届ける存在でなければなりません!魔術師という出自を問わず、断じて誰かを傷つけ、いかなる理由であれ、ソレを正当化していい存在ではありません!!」
千奈の声が続けて張り上げられた。彼女の喉奥から伝わってくる思わぬ声量に、相対する広と美鈴の目が丸くなる。魔術師同士の殺気で張り詰めた空気を吹き飛ばすように、千奈の魂の叫びが夜の静けさ諸共引き裂いていく
「わたくしは篠澤さんの願いを、間違ったモノとは思いません!秦谷さんが秘密だと言った願いも、無理に話せとは言いません!しかしその願いを叶える方法については!今後一切を改めて貰いますわ!!」
「同じアイドルを志す者として!友人として!わたくしもまた、お二人に心良き人であって欲しいという願いを掛けて!戦いますわ!!!」
広と美鈴に向けて人差し指を突きつけながら、千奈は自らの願いを言い放った。千奈の意思の強さに、その指先に、その言葉に、自然とあたしの視線と意識は吸い込まれて、フッと少しだけ笑ってしまった
あたし自身は、お金の為になんて浅ましい理由で参加した聖杯戦争だ。最初は偶然巻き込まれた戦いだったが、それでもその願いを貫いたのはあたしの意思だ。それを今更ながらドが付くほどの正論で跳ね返されて、思わず自分で笑ってしまったのだ
「・・・誰かを傷つけて手に入れたお金で、あたしの家族が喜ぶわけ…ないか」
なんて。今さら気づいた呟きを一つ、誰にも聞こえないように口中に飲み込んでいく。それもまた、口角を釣り上げた笑顔で誤魔化す。そんな当たり前の事すら分かっていなかったあたしの視界が、急に広がった気がした。広がった視界のすぐ傍で、咲季もまた口角を上げていた
「・・・ことね。一応聞くけど、あなたは?」
「心配すんなっての。そもそもの同盟組んだ時から、覚悟は決めてっから。後の事は、全部片付いてから考えるっ!!」
咲季の問いに、あたしは叫びながら答えて、腰を低くして身構えた。前を開けているあたしのパーカーが、張り詰めた空気の中でマントのように一瞬だけフワリと浮いて置き去りにされる。それを合図にするかのように、咲季も同じように身構えて、広の指先と美鈴のショットガンが持ち上げられ、臨戦体勢だった魔術師達の目尻が鋭く尖り、戦いの火蓋が切って落とされた
「─────アサシン」
「請け負った、契約者よ」
ズァッ!!と。圧倒的な殺気は篠澤広の指先、花海咲季の真後ろから音もなく現れた。広が従えるアサシン、山の翁が保有する気配遮断スキルは、全てのハサンの始まりに相応しい、一線を画するランクに位置している。故に、巨躯を誇るアサシンの気配に、花海咲季が気づく道理はなかった。しかし、しかしだ
「────フォーリナーッ!!!」
アサシンが背後に立った直後。大剣を振り翳した瞬間、咲季は声を張り上げた。この世界の理の外側より降臨した、誰も知らぬハズのクラス名。アサシンの大剣が咲季の首元に差し掛かろうとした瞬間、どこか雅さを感じる少女の声が上空から降り注いだ
「ふんぐるいふんぐるい!オン・ソチリシュタ・ソワカ!オン・マカシリエイ・ヂリベイ・ソワカ!!!」
フォーリナーのクラス名を持つ、紫と薄い紅の和服に身を包んだ少女は、咲季の声に続いて、常人では解読不能な呪文そのものと思しき叫びと共に身の丈ほどもある大筆を振り下ろした。その筆先に塗られた黒墨は、バシャアッ!という水飛沫と音を撒き散らして、瞬く間に波のように広範囲へと広がった
「───遅い。その首、貰い受ける」
しかし、フォーリナーの津波にも似た一筆は、開戦と同時に咲季の背後にゼロ距離まで迫っていたアサシンの奇襲には間に合おうハズもなかった。無情にもアサシンの大剣が重苦しく、それでいて空気に薄くメスを入れるような鮮やかさで咲季の首元を両断した………かに思えた
「─────────ぬぅ……!?」
咲季の首元と胴体とが泣き別れ、鮮血が飛び散るかに思えた刹那、咲季の全身はまるで蜃気楼のように空気に溶け込みながら消え去った。その結果として、アサシンの大剣はなんの手応えも残さずに空を通過した
その直後。ドバシャアッッッ!!!という破裂音が続いた。フォーリナーの巨大な筆先から生み出された、まるで滝のような勢いの水の塊が、アサシンの全身を瞬く間に覆い尽くし、呪文に続く詠唱が今一度彼女の口から紡がれた
「万象を見通す玄帝!北辰より八荒擁護せし尊星の王よ!渾身の一筆を納め奉る!いざいざご賢覧あれ!」
「『冨嶽三十六景』!!神奈川沖浪裏すさび!!!」