「『冨嶽三十六景』!!神奈川沖浪裏すさび!!」
ドッッッ!!パァァァァァァンッッッ!!!落雷と聞き紛う轟音の後に続いたのは、雷と同じ自然災害の一つ、津波に相違なかった。高らかで流れるような詠唱と共に、宝具の真名が明かされる
曰く『冨嶽三十六景』。その三十六図の内一図、神奈川沖浪裏。現代を生きる日本人であれば誰もが、今や世界を超えて伝わる浮世絵師、葛飾北斎の傑作。生前の彼は、荒れ狂う大波の姿の中に、日本最高の山岳である富士の雄大さを見出し、ソレをそのまま画板へと落とし込んだと伝わっている
その浮世絵の中での出来事を、荒れ狂う波の中で聳え立つ富士の山を、海が秘める自然の猛威を、今一度現実へと描き起こすようにして、フォーリナーの大筆が空間をキャンパス代わりに荒れ狂う波そのものになって振るわれる。十重二十重に渦潮と沖波が凶暴に混ざり合う海が、アサシンに続き広と美鈴達へと襲い掛かった
「─────宝具ッ…!?アヴェンジャー!!」
「ハッ!我が主よ、此処に!!」
開幕の一撃にしては、あまりに豪胆すぎる宝具の開帳。その場にいたハズの咲季の姿が消えた事に驚く間も無く、その予想だにしない荒波を前にした美鈴は血相を変え、復讐者のサーヴァントの名を叫んだ。主の命の下、即座に霊体化を解いて姿を見せた平安鎧の仮面のサーヴァントは美鈴を脇へと抱え込み、荒波を避けるべく高々と跳躍した
「─────
一方の天才魔術師こと広は、サーヴァントの宝具を前にしてもその顔色を変えることはなかった。昨晩の戦いで、咲季と清夏が死に物狂いで攻略した全周防御のルーンを虚空に描く。ルーン魔術の起動と共に半透明の立方体が彼女の全身を強固に覆い、荒れ狂う津波に呑まれてなお、広の体に水滴一つさえ許さぬ城壁となって激しく殴打する沖波を圧し退けた
「お、オイオイなんだぁ!?あの白い娘の珍妙な箱もそうだが、それよりもあの仮面の野郎、まるで海の上を跳ぶみてぇに……!?」
サーヴァントの宝具すら凌いでみせる広の全周防御の硬さもさることながら、とある光景に驚愕の声を上げたのは、フォーリナーの右肩あたりにぷかぷかと浮かぶ蛸の姿をした、葛飾北斎を名乗るその人だ
彼らの視線の先には、あろうことかアヴェンジャーが今も荒れ狂う海の中を舞うように跳躍する目を疑う光景があった。マスターである美鈴を脇に抱えながら、荒波の薄い所、波が折り返す僅かな隙を力強く、それでいて軽やかにかわし続け、次第にフォーリナーが巻き起こした津波が完全に収まると同時に、ストッ…と静かに着地した
「・・・なるほどなぁ。あのあゔぇんじゃあとかいう仮面の野郎、海ないしは波や浦に関する逸話持ちってぇことかい。おれにしたら会心の一筆だったんだが、ソレをこうも簡単にいなされちゃあ堪えるってモンだ」
「まぁ気にすんな応為、筆の勢いと乗り、迷いの無さは間違いなく一級品だったぜ。こうして娘の成長を目の当たりに出来るってなら、黄泉帰りってのも、存外悪かねぇや」
「・・・にひひっ、そうかい。確かにジメジメ辛気臭いのはご勘弁サ。縁起が悪くていけねぇよなぁ?とと様」
葛飾応為こと北斎の娘は、身の丈に余る巨大な筆を肩に担ぎながら、己の全霊を込めた宝具を凌ぎ切った広とアヴェンジャーを、現界している少女の姿には似つかわしくない険しい表情睥睨した。しかしその表情は、傍らで浮かんでいる父親の一言を聞くなり、歳相応の気恥ずかしそうなモノに変わった
「助かりました、アヴェンジャー」
「勿体なきお言葉です、マスター」
フォーリナーが放った宝具を無傷でやり過ごしたアヴェンジャーは、美鈴の賛辞を小さな頷き一つで受け取り、抱き抱えていた美鈴を地面に下ろしながら、白い狐の仮面で隠れた窺い知れない顔と声色でアヴェンジャーは言った
「アサシン、大丈夫だった?」
「・・・問題ない、契約者よ。令呪を、とまでは問わぬ。治癒を頼めるか」
一方で咲季への不意打ちが空振りに終わり、莫大な津波の中心地にいたアサシンは、大量の水滴を全身を包む鎧から滴らせながら、その姿を暗い霧で隠し、一瞬の後に広の元へと移動して再び姿を見せた
ライダーの宝剣や、アーチャーの火縄銃といった目立つ外傷を負う攻撃でなかったとはいえ、それでも自然の猛威を具現化したような宝具をその身に受けたのだ。如何に規格外の能力を誇る広のアサシンといえど、その鎧の下にある彼の霊体はそれなりに応えたのであろう
「・・・うん、分かった。
彼のダメージを魔力のパスを通じて感じ取った広は、誇り高き暗殺者の申し入れを、その誇りを損なわぬよう、返事一つで承諾して虚空にルーン文字を刻んだ。途端に治癒の術式が起動し、濃い緑色の光の祝福がアサシンの巨躯を包み込み、彼の鎧を打ち付けた水滴を一粒残らず乾かすと同時に、鎧の下で打ち付けたであろう打痕へと染み渡っていった
その祝福をアサシンに与えながら、広はフォーリナーを…そして相対していたハズの咲季達がいたハズの校門の向こう側を見やった。しかしそこには、アサシンの大剣が透過した咲季だけでなく、ことねと千奈の姿すら影も形もなかった。するとそれを確認した広は、何かを確信したようにふと夜空を見上げた
「・・・なるほど。幻術だったんだ、ね」
「ご名答よ、篠澤広」
広の視線の先、夜空に浮かぶ星を背景に彼女達を見下ろしていたのは、宙に浮かぶ火縄銃に跨る咲季、ことね、佑芽の三人だった。無論、傍らにはその火縄銃を操る本人であるアーチャー、そしてセイバーも静かに広達を睨んでいる
「・・・そっか、佑芽も。フォーリナー…冨嶽三十六景…葛飾北斎、かな。そのサーヴァントが、佑芽のサーヴァント?それなら千奈は、ここにはいない?」
「・・・うん、そうだよ広ちゃん。だけど、広ちゃんと美鈴ちゃんに向かって言った千奈ちゃんの言葉は、ありったけの熱意を込めて言った思いは、幻術でも何でもない。紛れもない千奈ちゃんの…それと、あたしの本心だよ」
「だからあたしも、ここで
広の質問に佑芽が答えるのと同時に、ゆっくりと五人のマスターとサーヴァントを乗せていた火縄銃が降下を始めた。そして全員が軽く跳んで地面に降り立つと同時に、佑芽の張りのある大声が空気に伝播した。彼女らしいその台詞に、広がどこか嬉しそうに、どこか儚げな笑みだけで応える。続いて美鈴が、ふふっと溢した小さな笑い声と口許を、緩く握った手で隠しながら言った
「ふふっ、佑芽さん。私は仲間外れですか?少しだけ、悲しいです」
「ソレに気づけるなら、もう一つの事実にも気づいておくべきだったわね。秦谷美鈴」
「・・・もう一つの事実、ですか…?」
いつも通りの穏やかな彼女らしい声色で、しかしどこか悪戯っぽく揶揄うような口振りで美鈴が佑芽に言ったが、それに答えたのは咲季だった。仮にも1年2組の友人同士の会話に割り込んだだけでなく、咲季の意味ありげな忠告に美鈴が片眉を僅かに顰めながら訊ねると、咲季の口許がニヤリと吊り上がった
「あなた達のような手練れの魔術師すら出し抜ける幻術使いが、こっちにいるってことよ」
「───小さな窓が、ここにはひとつ。王の話をするとしよう」
どこからともなく響いた鈴のような声。そしてフワリと漂う柔らかい花の香りが、その場にいる全員の鼻腔をくすぐった。本来であれば暖かな幻想すら見えるであろう現象。しかし咲季の不適な笑み、空気中に漂う見えない魔力の流れが微かに蠢いた意味。その全てを理解した広と美鈴の背筋に、確かな緊張と悪寒が走った
「───星の内海、物見の台。そこは壁もなく城もなく、国すらない始まりの空。地の底で輝く原初の星」
(・・・!今の私と篠澤さんとの間合い……!不味いですね、つまりこれは───ッ!?)
いち早く動きを見せたのは、昨晩の戦いに乱入し、その間際で似た声を聞き、その現象を実際に見た美鈴だった。フォーリナーが起こした津波により、隣りに立っていた広との間隔はアヴェンジャーの回避行動によりかなり開いている。その差を少しでも埋めようと美鈴は思考と共に駆け出し、そのまま叫んだ
「篠澤さん!移動のルーンを…!!」
「─────
「セイバーッ!!」
「アーチャーッ!!」
美鈴らしからぬ鬼気迫る叫びに、広の無感動な表情が僅かに揺らぎ、瞬発的に指先に橙色の光を灯して空中に文字を走らせる。しかしそれを許すハズもなく、ことねと咲季が自らのサーヴァントの名を叫んだ
「ぜああああぁぁぁっっっ!!!」
「くっ………!?」
セイバーは常人のソレを遥かに凌駕する敏捷性で広の眼前へと迫り、右手に握る抜き身の刀剣を振り抜いた。移動のルーン魔術を使用した広は、美鈴の元に駆けようと一歩を踏み出したが、セイバーの一閃を前に、躱すために後ろへ跳ぶしか選択肢が残されていなかった
「どれ。今宵の開戦の狼煙を上げるとしよう。現代では言わば、位置についてヨーイドン、じゃ。今さら文句はあるまいて」
当然に己がマスター達の合流をサポートするため、アサシン、アヴェンジャーも動きを見せていた。しかしソレを牽制するアーチャーの火縄銃が両騎を囲い込むように展開される。彼女が腕を組んだまま、史実に基づく鉄砲隊の銃口が一斉に火を噴いた
「─────鉄砲隊!撃ええぇぇっっ!!」
「何処だ!!!」
「チィッ…!?」
ズダダダダダダッッッ!!!連続する銃声と容赦なく襲いかかる弾丸を前に、アサシンは眼窩の青白い鬼火で蒼炎を迸らせ、悉くを撃ち落とした。続いてアヴェンジャーも腰に帯びた二刀を鞘走らせ、弾丸の軌道に合わせて的確に切り落としていく
「楽園の端から君に聞かせよう。君たちの物語は祝福に満ちていると。罪なき者のみ通るがいい───」
「───ッ!?令呪を以て………!」
「もう手遅れよ、秦谷美鈴。寝過ぎと夢の見過ぎには……精々気をつけなさいっ!!」
なおも術者の姿は見えぬまま詠唱は続く。しかし美鈴と広の合流は、セイバーとアーチャーに阻まれ絶望的だ。なんとか隙を作り出そうと、駆ける脚をそのままに美鈴が呪文を口にしようとした瞬間。身体強化魔術により常人ならざる速度で移動し、美鈴の眼前に割り込んだ咲季の左脚の回し蹴りが、そのまま美鈴の腹部に埋まっていき、勢いよく蹴り飛ばした
「うぐっ…!?あああああぁぁぁっっっ!!?」
「───なんっ!?マスター!!!」
咲季の回し蹴りをノーガードで受けた美鈴の身体はくの字に曲がり、一直線を描いて宙を飛んだ。その痛々しい叫びが耳に突き刺さったアヴェンジャーは、己の脚が許す限りの疾さで美鈴の背後へと回り、何とか彼女の身体を受け止めた。その瞬間、綴られた詠唱の最奥で。宝具の真名が花の香りの中で咲き誇るように謳われた
『
ギュアアアアアアッッッ!!!と、凄絶な光が美鈴とアヴェンジャーを包み込んだ。二人の視界は瞬きの間に光に塗り潰され、二人がいたハズの空間が圧搾され、シュンッ…!という味気ない音を最期に、二枚の花弁だけを残して、その場には二人の影も形も残らなかった
「・・・固有結界。千奈のサーヴァント、キャスターだったんだ。もしかして最初から、これが狙いだったのか、な?」
「そういう事よ。その為だけにこっちは二騎のサーヴァントの宝具を切った。それも一発で真名バレ待ったなしの有名すぎるヤツを、ただあなた達を分断する為だけにね。本当に嫌になるわ。そこまでしなきゃいけない相手を、これからほぼ私一人で相手にしなくちゃならないんだもの」
目の前で凄絶な光が人を呑み込むという、普通ではあり得ない現象を前にしても、篠澤広はそれが固有結界によるモノで、ソレが可能なのはキャスタークラスのサーヴァントだと言い当てた。どこまでも冷静な彼女に対し、咲季は美鈴を蹴り飛ばした左脚の調子を確かめるように、運動靴の爪先でトントンと地面を叩き、根がスポーツマンの咲季らしからぬ悪態を吐きながら広へと向き合った
「・・・少し、意外。私の知ってる咲季は、負けず嫌いでストイックだから、格上の相手との戦いには、燃える方だと思ってた」
「それに関しては否定しないわ。だけどこう見えて、私そんなにメンタル強くないのよ。正直今だって、怖くて震えが止まらないわ」
そう言った咲季の声と両手は、確かに僅かながらも震えていた。高揚感から来る武者震いとは違う、緊張や恐怖から来る震えであることを、咲季本人は自覚の上なのだろう。それでもなお彼女は、恐怖の根源である広から目を背けることはしなかった
「昨晩の戦いで私達は、あなた達二人に見事に大敗を喫したわ。サーヴァント達やことね達は、それぞれの役割をこれ以上なく全うした。だから敗北を招いたのは………清夏とリーリヤを失ったのは、ひとえに私の実力不足よ」
「はっきり言って、今の私のメンタルはこれ以上ないってくらいバキバキのズタボロよ。本来ならもう二度と立ち直れないくらい。もちろん今も立ち直ってる訳じゃないわ。今すぐにでも聖杯戦争を降りて、魔術師の家督なんて忘れて家出して、誰にも見つからない場所で細々と暮らすか、それこそ自責の念で自害でもしかねないわ」
「・・・ならどうして、まだ私と戦う、の?」
「妹の前だから。ソレ以外に理由なんかないわ」
広が抱いた当然の疑問に対して、咲季の答えは一言だった。花海の家系を継いだ魔術師として、姉として、妹の前で情けない背中は見せられない。背後で見守ってくれている佑芽が、不安にならないように。咲季は振り返る素振りすら見せずにそのまま続けた
「アイドルになりたい。中々に上等な願いじゃない、篠澤広。それなら尚のこと、私は今ここであなたを超えないと話にならないわ。私も私で、アイドルで世界一になるって決めてるの。その夢を叶えるまで…いつか妹の吐いた嘘を本当にするまでは…………」
「佑芽が私の背中を追いかけている間は、私が折れてていい時間なんて、1秒たりともないわ」
風に揺れた髪を一掬いして、花海咲季は不敵に笑った。そして微かに震えていた両手で拳を握り、右手は腰へ押し当て、左手は人差し指を突き付けながら、広に対して花海咲季は高らかに宣言した
「リベンジマッチよ、篠澤広。今度こそ私は、私の持ち得る全てでもって、あなたに勝つ!!!」