第5話 落ちこぼれアイドル
私立初星学園。中高一貫、専門大学を敷地内に有する私立校。この点だけを見れば、少し探せばままある普通の学園だ。しかしこの初星学園はいわゆる世間一般が思う「普通」には当てはまらない
「アイドル」。数多の人が憧れ、芸能界に燦然と輝く星々にして、人々が築きあげる偶像を体現する雲の上の人。この学園では通常の高等教育を行う一般科の他に、アイドルを目指す生徒を養成するアイドル科が存在している。過去に多くのトップアイドル、敏腕プロデューサーを世に羽ばたかせ、今もなお、まだ見ぬ才能の卵を育んでいるのが、この初星学園という私立校の最大の特色だ
「藤田ことねさん。赤点です」
「・・・はい」
藤田ことね。初星学園高等部アイドル科の一年生の1人。金色に光るキュートなお下げの髪型と八重歯がチャームポイントの彼女は一学期中間試験で見事に赤点を取った。自覚する世界一可愛い顔も、試験監督にこの結果を言い渡される時ばかりは太々しくなる。ボーカル判定からダンス判定、ビジュアル判定まで詳細に試験結果の書かれた紙を俯きながら受け取り、レッスン部屋を後にした
「はは、また赤点。これで何度目かな〜」
などと少女は小声で自嘲し、力なく笑いながら廊下をとぼとぼ歩く。中等部の頃からこの赤い判定結果はもはや日常茶飯事となり見慣れたものだが、それでも悔しいものは悔しい。用紙の端をくしゃりと握りつぶしながら、力任せに丸めてスカートのポケットに押し込む
(高校生になってバイトも始められるようになって2ヶ月。自分で思うに疲労でコンディション最悪中の最悪だったし…流石にイケるとは思ってなかったけどさ〜)
今回の真っ赤な点数の原因は分かっていつつも、彼女は校舎を出て駐輪場へと向かう。そしてその自転車の先をまたその原因となっている場所へと向ける他、今の彼女に選択肢などないのだ
(あたしもプロデューサーが付けば少しは楽にアイドルになれるのかな〜…なんて。オーディションはおろか、校内の試験すらマトモに通らないような顔だけ可愛い落ちこぼれアイドルを誰がスカウトするかって話か…)
カラカラと音を立たせながら自転車のペダルを回し、校門を越えて学園から本日のバイト先であるファストフード店への最短距離をひた走る。膨大な敷地を誇る初星学園の外周が市街地へと続く大橋と交わる交差点に差し掛かった時、ジャージ姿で赤髪のツインテールを揺らしながら走る後ろ姿をその視界に捉えた
「お〜っす咲季。今日はランニング?」
「こんにちはことね。今日はトレーナー室が中間試験で空いてないから自主練よ」
花海咲季。初星学園高等部1年生。つまるにことねと同じ1年1組に属する彼女は、中高一貫の初星学園に高校から入学してきた編入生だ。しかしその実力は中等部からアイドルの英才教育を受けてきた内部進学組に勝るとも劣らず、編入試験を一位の成績で合格し、必要以上に整った容姿も去ることながら、抜群の身体能力を有することで学園内でも噂が絶えない根っからの努力家だ
「それより今日の試験はどうだったのよ。私?私はもちろんA判定をもらったわ!これで私が目指す最強無敵のアイドルに一歩近づいたってものだわ!」
「聞くんだか自分のこと話すんだかどっちかにしろっての…とりあえず、それはおめでとう。ちなみにあたしは赤点。E判定。『Eroor』の『E』。せめて試験内容がレジ打ちなら、私もB判定くらいなら取ってみせるんだけどね」
「・・・それを分かった上で、今日そのままバイトに行くのね。とやかく言うつもりはないけれど、感心はしないわ。あなたもアイドルを目指したから初星学園に入ったんじゃないの?」
高々に試験結果を自慢する自信を裏付けるのは、彼女の弛まぬ努力だ。故にこれが花海咲季という少女の性格なのだ。努力を惜しまぬ者を認め、努力のない者には興味がない。彼女の実体験が籠っている言葉は、ごもっともだとことね自身も理解はしている。けれど理解すれば実行に移せるのかといえば、そう簡単な話でもない
「いや〜ウチはそんなに裕福じゃないからさ。この学校に入れてくれただけでも感謝しなきゃ。中等部時代の学費は全部親が出してくれたんだからそれは返さなきゃいけないし、高校生になってバイト始められるようになったんだから、高等部からの学費だってちゃんと自分で払わないとじゃん?」
ランニングを続けながらも息を乱さず、自分と並走しながら会話を続ける咲季にことねは言った。アイドルを目指して学園に入ったのは自分の方が先なのに、もはや彼女の実力の前では周回遅れだと言わざるを得ない。自転車のスピードと並走しながら息も乱さず喋るなんて芸当が自分に出来るだろうかなど、アルバイト漬け生活の今のことねにとっては考えるまでもないことだった
「その心意気は殊勝なことだけれど、だったらなおのことアイドルとしての努力を欠かしたらダメじゃない。トップアイドルになれば、学費の支払なんて屁でもないわ」
「・・・そりゃあ、あたしの空っぽに近い脳みそだってそれくらい分かってるよ。でも結局さ、なれなかった時の事も考えて天秤にかけるワケ。咲季ほどの実力があればそんなアイドルになれなかった時の事とか、負けた時の事なんて考えもしないだろうケド」
「失礼ね、あるわよ。負けるかもしれないって考えることなんて。私は勝ちたいと思うことと同じくらい、負けた時のことをいつだって考えてるわ」
大橋を並走しながら、ことねは彼女の理想論にして、かつて初星学園の門を叩いた自分の浅はかな希望を重ねて見た。そして結局は鳴かず飛ばず、アルバイトに勤しむ自分はリスクを取らないだけだと言い聞かせようとした時、咲季が返す刀で言った
「私はどんな時も、勉強、スポーツ、芸術…なんだって負けること、負けた時の自分を殺してやりたくなるほどの悔しさを考えながら勝負に挑んできたわ。今までの私はね、結局逃げ続けてきただけなのよ。負けそうになる度に、他の何かに目を向けてきた。だけどアイドルだけは、私が勝てる…果ては世界一にだって成れると直感したのよ。だから私はこの学園にいる間は、アイドルとして勝つまでの間は、どんな努力も惜しまないわ。それがどんな形でもね」
「・・・そっかぁ」
敵わないなぁ…と心の中で吐き出す。二本の足で走る彼女と、自転車を漕いでいる自分。ある種でこれも、逃げの象徴だ。自分を取り巻く経済状況も逃げる理由として、いつか負けてもしょうがない理由として消費している。可愛いという自覚だけでアイドルになって勝とうとした自分と、アイドルとして勝つことを望んだ彼女の差に打ちのめされながら大橋を渡り終えると、市街地へと続く道と、川沿いに伸びる道の分岐点になった
「それじゃあたし、こっちだから」
「ことね」
自覚していつつも、逃げるように市街地へと向かおうとすることねの背中に向かって、駆けていた足を止め、咲季は声をかけた。その声にことねもまた自転車を漕ぐ足を止め、振り返るのと同時に咲季が続けた
「ごめんなさい。さっきはバイトについてとやかく言うつもりはないって言ったけど、撤回するわ。あなた自身がどう思っているかは分からないけれど、私たちがアイドルになれる可能性に、まだ勝負はついてないはずよ。学費を稼ごうとするのは、その勝負が終わってからでも遅くはないはずよ。それに、きっとあなたはいい勝負をするわ。編入試験をトップで合格した、この花海咲季とね!」
「・・・そう思う根拠は?」
「女の勘よ!」
自分の胸を握り拳で叩きながら咲季は言った。男の浮気を察知する以外に取り柄があるのか分からないものを根拠にされ、思わずズッコケそうになりながらも、彼女なりに励まそうと、また応援してくれてるのだと感じたことねは、ヒラヒラと手を振りながらもう一度ペダルに足をかけた
「はいはいあんがと。まぁいつか咲季と同じレベルで勝負できる日が来ることを期待してるわ〜」
それを別れの言葉に地面を蹴飛ばすと、シャーッと音を立てながら自転車は勝手に坂道を降り始めた。最後に一度だけ振り返る。しかし既に川沿いの道を走り始めたのか、赤髪の少女はもう見えなくなっていた
(おっと、忘れてた)
市街地の喧騒へと紛れ込んでしまう少し手前で、ことねはふと我に返った。そして自転車のハンドルを握っている片手を放し、ゴソゴソとスカートのポケットを弄ると、くしゃくしゃに丸まった紙を、夕暮れに染まり始めた空へ向かって放り投げた
「いーーーっ!だ!」
思いっきり歯を食いしばって、丸まった紙にデカデカと書かれた結果と同じ発音で、最後の別れを告げる。気持ちを沈めていいのはこの瞬間までだ。藤田ことねには夢がある。彼女の根底を為すものは、目標にするものは、アイドルに在らず。アイドルだって手段に過ぎない。どんな過程だとしても、その結果に行きつけばいい。何故なら彼女が本当になりたいのはーーー
「私は絶対に人生大逆転して!大金持ちになってやるぞーーーっ!!!」
晩春の夕焼け空に、彼女は声いっぱいに夢を叫んだ。その声は誰に届くわけでもなく。風に吹き飛ばされた。しかし叶えたい夢を追う彼女の心の灯る火はまだ、燃え続けている。同級生の都合のいい勘だって燃料にして、自分はこれから勝つのだと言い聞かせてやる
そしてこれから始まるのは…藤田ことねという夢を追う1人の少女が、その夢を叶えるまでに辿る数奇な『運命』を描く物語だ───