「36番でお待ちのお客様ー!お待たせ致しました!」
午後6時。ことねは学生服からバイト先のファストフード店の制服に着替え、その店内は晩餐を求めて訪れた多くの客でひしめいていた。テイクアウトの待ち合わせ番号を、人でごった返す店内でも聞こえるようにことねは大声で叫ぶ。やがてレシートを持った男性が、無言で軽く手を挙げて歩み寄ってきた
「ありがとうございましたー!またのご来店お待ちしておりまーす!」
精一杯の笑顔を…もとい、営業スマイルを振り撒いてハンバーガーセットが入った袋を男性客に手渡す。これで相手も笑顔で応えてくれるなら少しはマシなのだが、そう甘くはない。大半のお客さんは無言で袋を受け取り、足早に店舗を後にする。これが現実だ
しかしそんなことは藤田ことねも百も承知で笑顔を振り撒いている。例え学内試験の結果は赤点だったとしても、腐っても今の自分は初星学園に籍を置き、アイドルの卵として育成されている。そんな人間がロクに笑顔も作れず、愛想もないようなら、何かの間違いでプロアイドルになっても、その先に待ち受ける営業をこなせる訳がないと分かっているから
(ま、バイト始めたばっかの頃はこの時間の忙しさについていくのに必死で笑顔どころじゃなかったけどね〜)
次々に押し寄せる商品を袋に詰め、番号を呼び、お客さんに笑顔で渡す。およそ2ヶ月で随分とまぁ手慣れたものだと思う。時たま厨房を手伝ったり、店内のテーブル拭きや返却された食器やゴミ箱の処理などもこなしていくと、8時を過ぎる頃には来店するお客さんも疎らになり始めた
「藤田さんお疲れ様。一旦休憩入っていいよ。休憩室にオーダーミス置いてあるから、お腹空いてたらあっためて食べていいよ」
「ええ〜!いいんですか〜!いつもありがとうございます店長〜」
「いいんだよそんな。藤田さんはまだ高校生なのによく頑張ってくれてるからね」
店長にも目一杯の愛想を振り撒いて、厨房を抜けて休憩室のドアノブを捻った。見た感じまだ20代後半くらいの歳に見える男性の店長だが、よく気が回って店内も円滑に回せていると思う。それにこのファストフード店には、ドラマや漫画でよく見る小姑を拗らせたようなパートのおばさんや、中年の変なおじさんもいない。給料に関与しないまかないもそれなりの頻度で出るので、掛け持ちしているバイトの中でも一番だとも思える
(まぁ、アイドルがそんなしょっちゅう食べていいようなものでもないケド)
これもまた百も承知。こんな油まみれの物ばかり食べていたら、体型維持が生命線のアイドル失格だ。しかしそれはそれ、これはこれ。出された物を拒めるような経済状況でもない。夕飯代が浮くだけでもありがたいというものだ。もう何度食べたか分からなくなり始めた人気No. 1メニューのハンバーガーを頬ばって、デザートのアップルパイまでサクっと。水で喉を潤しながらスマホを片手にSNSで今日のトレンドをチェック。お手洗いも済ませて軽くストレッチ。17時から22時までのシフトなら、休憩はこれをこなす30分で余りある
「お疲れ様で〜す!藤田ことね休憩終わりました〜」
「ことねちゃーん!ドライブスルーの方入ってもらえるー?」
「はいはーい」
現在女子大生の先輩に言われるがまま、ことねは言われるがまま厨房と隣接するドライブスルーの窓口へと向かう。備え付けのインカムとヘッドホンを着けて、開け放たれた窓から軽く身を出してドライブスルーを利用する客が来ないかを伺う。やがてヘッドランプを光らせた黒塗りのセダン車がドライブスルーの窓口に向かってきた
「いらっしゃいませー!ご来店まことにありがとうございまーす!ご注文をお伺い致しまー……げっ!?」
その車は何故かドライブスルーの窓口を少し通り過ぎ、運転席ではなく後部座席のドアを横付けにした。ガーッという音に連れてウィンドウが降下していき、夜中でも眩しく光る金髪と、透き通るような白い肌、道を歩けば全ての人の視線を引くであろう美貌の女性が姿を現した。そしてその顔を見た瞬間、ことねは反射的に顔を顰めて身を引いた
「あらことね、奇遇ね」
十王星南。初星学園理事長である十王邦夫の孫娘にして、同学園の生徒会長兼、学園のトップアイドルの称号『一番星』を欲しいままにする、初星学園の全生徒の憧れにして頂点。その彼女が今、しけたファストフード店のドライブスルーなんぞに来て、自分の目の前にいる。普通の初星の生徒なら緊張してロクすっぽ声も出ないだろうが、藤田ことねは色々と違う意味で頬を引き攣らせながら何とか挨拶を絞り出した
「い、いいいらっしゃいませ〜…十王会長〜…」
「もう、星南でいいっていつも言ってるじゃない」
いつも、という言葉は本当にその通りで。このトップオブトップのアイドルは、何かと落ちこぼれアイドルの私を気にかけてくる。曰く、あたしには才能があるからスカウトしたいんだとか。夕暮れ時に咲季にも似たようなことを言われたが、十王会長のソレは何か裏がありそうな…というか言ってしまえばなんか怖い。私自らプロデュースしたいやら、私と一緒にユニットを組みたいやら、圧強いし。自分のライブに招待するだけならまだしも、わざわざ私のバイト先まで来てこうやって絡んでくるあたり、名前呼びで仲良くなりたいとかいう次元通り越してるって
「と、とりあえずご注文をお伺い致しま〜す」
「そうね…じゃあ、藤田ことねを1人」
「申し訳ございません現在品切れ中です入荷の目処も立っておりません!!!」
「ふふっ、ツれないのね。それじゃあビッグバーガーセットを1つ。飲み物はオレンジジュース、それからアップルパイを1つお願い」
冗談なのかマジなのか分からない注文を食い気味に拒否する。何ならあたしの貞操さえ狙ってるんじゃないのかこの人は。本人からすれば微笑まで浮かべてからかっているつもりなのだろうが、こっちは額に青筋立ててやろうかくらいのボルテージだ。しかし相手は曲がりなりにも先輩に当たる上に、何かのパイプがあって困る人でもないので、怒りをグッと堪えて後に続いたマトモな注文をピッピッとレジのタッチパネルに打ち込んでいく
「お会計1280円になりまーす。お支払い方法はいかが致しますか?」
「カードでお願いするわ」
テンプレ通りのセリフで聞いて星南に差し出されたのは、仮にも高校生が持つには不釣り合いな…というかまず一般人は持てない黒色のクレジットカードだった。スカウトの話含め本人に悪気も何もないんだろうけど、貧乏学生やってるこちらの癪に何かと障るなぁと思いながら、カードを受け取ろうとした時だった
「・・・ことね。右手のそのアザ、どこかにぶつけたりでもしたの?」
「え?」
言われて、カードを受け取った右手をそのまま目の前まで引き戻す。確かに右手の甲に、身に覚えのない赤い斑らのアザが浮かんでいた
「あれ…?全然気づきませんでした。いや、最近特にぶつけた覚えは…中間試験も結果は散々でしたけど、ダンス中にコケた訳でも。ってかそもコレ全然痛くないですし……」
「ことね。分かっているとは思うけど、私たちアイドルは身体も資本よ。私たちは常に見られている立場なの。傷や怪我を放置しているのは看過できないわ。なんなら駐車場で待っているから、バイトが終わった後でウチに来なさい。ウチには腕のいい医師と健康アドバイザーも揃って…」
「はーいはいはい!お支払ありがとうございまーす!ご注文のお品物の受渡し窓口はこの先右手に曲がった先にございますので順路に従ってお進み下さーい!」
「あら…まぁいいわ。ここは学園じゃないし仕事の邪魔になってしまうものね。出して頂戴」
いつもの圧強めの勧誘が始まる前にクレジットカードとレシートを押し付け、早口言葉かと思うスピードで句読点すら許さずに言って星南を前へと促した。流石に観念したのか、それとも社会通念的に身を引いたのかは分かりかねるが、星南は窓へと乗り出していた身を座席のシートへと預け直し、お抱えの運転手に指示して去っていった
「はぁ〜…いらっしゃいませー!ご来店まことにありがとうございまーす!ご注文をお伺い致します!」
本日最大の山場を乗り越えてため息を一つ。しかし休む間もなく次のお客様が車で来店。注文をレジに打ったり、現金を受け渡したりする度に右手が目につき、いつの間にやら出来ていた赤いアザが気がかりだったが、特に痛みもないのでそのまま仕事を続行。そしてすっかり夜も更けて退勤の時間になる頃には、アザの事などすっかり忘れていた