「お先に失礼しまーす!お疲れ様でーす!」
夜22時を過ぎて、バイトの制服から学生服に着替え直して労いの挨拶と共に颯爽退勤。駐輪場に停めてある自転車のストッパーを外してサドルに跨り、初星学園の学生寮へとタイヤを転がし始める。あとは帰ってお風呂に入って寝るだけ!…なのだが、逆に言えば今日やる事はもうそれだけ。アルバイトは必然と仕事に打ち込んで思考は働くことだけになるのだが、手持ち無沙汰の今は、嫌でも今日起きたことを振り返ってしまう
(・・・あたし、いつまでこんな生活続けるんだろ。高校生になったら心機一転!赤点とはオサラバの超エリートになるんだー!…とか頭で考えてはいたけど、実際はもはや真逆…アルバイトまで始めて咲季の言う通り、目標だったアイドルの道からどんどん遠ざかってる。いっそ嫌でも十王会長のプロデュースに乗っかった方が、今後の活動も少しは良くなるのかな……)
人生大逆転してやろうと、アイドルを目指すと自分で決めた。家計に負担をかけまいと、アルバイトを始めると自分で決めた。自分で決めた道のはずだ。しかし高校生になって初の試験。その結果を浮き彫りにされて何も考えずには、迷わずにはいられなかった
アルバイトを始めて、労働を対価にもらうお金の大切さが改めて身に染みて分かった。そして自分自身の学費と身一つで対峙して、その金額の莫大さが分かった。幼い頃にアイドルになりたいと言って、初星学園に入りたいと頼んだ両親にどれだけの負担をかけたか
分かるようになったからこそ、焦りもする。今の自分はお金どころか時間すら無駄にしている。咲季が言う努力が足りてないのだから、結果が伴わないことは当たり前といえば当たり前なのだが、それに歯痒さも覚える。しかしその歯痒さを生み出しているのは他でもない自分自身だ
(ええーい!やめやめ!こんな所でネガってたからって何が変わる訳でもなし!こういう時は、お肉屋さんの牛肉入りコロッケでも食べないと!)
自転車を漕ぎながら強くかぶりを振って、マイナス思考のサイクルを無理矢理にでも頭から振るい落とす。そして気分の思うままハンドルを切り、行き先を学生寮からアーケード商店街へと変更。駅前に横たわる大通りから道を一本入れば、昔ながらの商店の数々と夜間でも煌々と光る街灯があたしを出迎えてくれた
「おばちゃーん!こんばんはー!」
「あらあら、ことねちゃん。今日もバイト終わり?お疲れ様、いつものやつ食べる?」
その商店街の中で、あたしが掛け持ちバイトの1ヶ所として働かせてもらっているのがこのお肉屋さんだ。挨拶しながら自転車を止めて、今日はお客様のあたしを労いの言葉と共に、三角巾とエプロン姿のおばちゃんが柔和な笑顔で出迎えてくれる。定年前後の歳頃のおしどり夫婦が2人で経営していて、バイトで働いているあたしのことを実の娘のように可愛がってくれている
「はい!牛肉入りコロッケ1つお願いします!」
「いつもありがとうね。今温めるからちょっと待ってね」
このアーケード商店街には、お肉屋さん以外にも様々なお店がある。しかし今は22時過ぎとそれなりの夜更けだ。シャッターが上がっているのはあたしお気に入りのこのお肉屋さんと居酒屋さんとスナックやバーなどの大人のお店くらい…と、思っていたが、お肉屋さんの隣にある骨董品店が丁度店じまいといった様子だった。ご近所への挨拶も欠かすまいという気配りと、いつもとは違う様子の物珍しさにあたしは店主さんに声を掛けた
「おじさん、こんばんわ。こんな時間までお店開けてるなんて珍しいですね?」
「ん?あぁことねちゃんか、こんばんわ。いやね、閉店ギリギリで買取希望のお客さんが来てね。コレ、中身は日本刀とよく分かんない内容が書かれた巻物なんだけど、ワシはあんまり刀剣に詳しくなくてね。ウチは来るもの拒まずだから買い取る分にはいいんだけど、真贋が見抜けない上に、具体的な価値と相場も分からないから正確なお値段は付けられませんよ?と伝えたんだ」
「ははぁ、日本刀と巻物。忍者とか戦国時代の武士の物なんですかね?それでそのお客さんは?」
「そしたらね、そのお客さんはそれでいいって言ったんだよ。曰くコレを売るのが重要なんじゃなくて、コレが此処にあるのが重要なんだって。どうにも訳がわからなくて、何かきな臭い感じもしたから、じゃあこの2つを1万円ずつで買い取りますって言ったら流石に帰るだろうと思ったんだけど、そしたら本当に合わせて2万円で満足して置いてっちゃったんだ」
そう言って丸眼鏡がよく似合う初老の店主さんがポンと手を置いたのは、如何にもな高級感が滲み出ている桐箱だった。日本刀と詳細不明の巻物を買い取ったと言うのだから、この桐箱の中身がソレなのだろう。あたしは実際に中身を見てないから想像の域を出ないが、箱だけでもただならぬオーラを感じる。何なら桐箱だけで1万円くらいしそうなものだが、骨董品の価値なんて毛ほども分からないので、興味半分と話半分といった具合だった
「へぇ〜…あたしでよければ運ぶのお手伝いしましょうか?」
「なんのこれしき。ワシも歳じゃが、女の子のことねちゃんに手伝ってもらうほど衰えちゃいないさ。よっこらしょっと!それじゃことねちゃん、アイドルもアルバイトも大変だろうけど頑張ってね」
「はーい!ありがとうございまーす!」
お年寄りの代名詞とも言える掛け声で、初老の店主さんは謎の多い桐箱を持ち上げて店の奥へと消えていった。お肉屋さんの人もそうだけど、この商店街のこういう何気ない温かい一言を掛けてくれるところが、あたしは好きだ。そんなことを考えていると、おばちゃんが温かいコロッケを差し出してくれた
「はいことねちゃん、お待ちどお。牛肉入りコロッケ120円だよ」
「はぁい待ってました!ちょっと待ってください今お財布を………」
白い包み紙に巻かれ、揚げ物の匂いと程よいホカホカの湯気を醸し出すコロッケを前に、あたしはお財布を取り出そうとスカートのポケットの中を漁る。漁る。あさる…あさ、る…二つ折りの…黄色い財布……
「・・・あれ?あれっ!?あれれっ!?お、お財布…お財布がないぃぃっっっ!?!?」
「え!?ど、どこかに落としたのかい!?」
我ながら滑稽だ。ポケットから財布を取り出そうとして、その財布がポケットのどこにも見当たらないだけでここまで取り乱せるとは。あたしの必死さにおばちゃんも驚いていたが、問答無用で自転車の籠に向かってバッグを逆さまにして中身をぶち撒ける。しかし教材や練習着、その他もろもろが積み重なった荷物の山を掻き分けても二つ折りの黄色の財布だけが見つからない
「お、思い出せえ…思い出せあたしぃ…!最後…最後に財布を出したのは…!?」
頭の両側を拳骨でコンコン叩きながら記憶の海へと潜る。今日の出来事を時系列順に思い出していく。最後にお金を使ったのは、間違いなく食堂で定食の食券を使った時。その後すぐに午後は更衣室で練習着に着替えて中間試験。お決まりの赤点を貰って試験終了。更衣室で自分用のロッカーの鍵を開けて、制服にもう一度着替える。食堂からそのまま更衣室に行ったせいで制服に財布が入ったまま…制服に着替えた時ポケットから財布がポロッと落ちて…私は赤点を取って茫然自失のまま虚な目をして拾った財布をそのままロッカーに……………
「・・・っちゃあ。多分更衣室のロッカーだ…ごめんおばちゃん、折角コロッケ温めてもらったけど、お金ないから払えないや。また今度にするね」
「何言ってんの、お金なんていいのよことねちゃん。普段のアルバイトでたっくさん働いてもらってるんだから、今日のコロッケはそのお礼よ。遠慮しないで食べて」
「ええっ!?いやいやダメだよおばちゃん!今日のあたしはお客さんなんだから、おばちゃんが良くてもあたしが絶対貰わないから!」
「でもファストフード店のバイトでも賄いくらい出るでしょう?」
「そ、それはまぁ…オーダーミスしたのとか食べさせてもらってるけど…でもそれは自分が食べたい物を頼んでるわけじゃないし!誰かが食べないと捨てちゃう物を貰ってるだけで!」
「それなら、このコロッケも誰かが食べないと閉店と同時に捨てちゃう物だから。ことねちゃんが食べてくれると、作ったおばちゃんも嬉しいわ」
「・・・ごめんなさい、おばちゃん。ぶっちゃけ今日結構色々考えちゃうことあって、参っちゃいそうだったから。ありがとう。それと、いただきます」
おばちゃんの厚意に観念して、コロッケを受け取る。そして、一口頬張りながらかぶりつく。ザクッと小気味いい音がして、フワフワのポテトと牛ひき肉の肉汁の旨味がジュワっと口内に広がっていく。これが本当にどうしようもなく美味しい
「さぁ、これを食べたら元気出してまた明日から頑張って!色々と考えて悩むことがあっても、ことねちゃんは間違いなく世界一可愛いアイドルになれるって、おばちゃんは信じてるからね!」
「・・・うん!ありがとう!ごちそうさま〜!」
今生の別れというわけでもないのに。つい胸がいっぱいになってしまいそうで、それ以外は応えられる言葉がなかった。自転車を片手で押し歩いて、何度もお辞儀をしながら今度こそ学生寮までの帰路に着く。サクサクとコロッケを喰みながら、大通りの方へとアーケード街を遡っていく。行儀が悪いと分かっていても、このコロッケの悪魔的な美味しさの前では抗えない。アーケード街を抜ける頃にはすっかり完食してしまい、名残惜しさを感じつつも公共に設置されたゴミ箱にくしゃりと丸めた包み紙を放り、ごちそう様でしたと手を合わせる
(・・・さって…とはいえ流石に財布だからなぁ〜…帰る前に学校寄って回収しとくか〜。鍵とか空いてればいいけど……)
自転車に跨り直して、ペダルをいそいそと漕ぎ始める。コロッケの有り難さに忘れそうになってしまったが、財布を更衣室のロッカーに忘れた事実は覆らない。ひょっとしたらそれも記憶違いかもしれないし、そうなると今度こそ紛失した事になる。銀行のキャッシュカードなんかも入っているし、ちゃんと所在を確認して手元に置いて安心してから眠りたい。学生寮と更衣室のある特別教育棟はそんなに離れていないし、すぐに済むことだと思った
行きで走った道をそっくりそのまま逆走していく。街頭で照らされた坂道を立ち漕ぎで超えていき、大橋を渡り終えて学園の敷地内へと入って校門の傍らにある、今は全生徒が帰りもぬけの殻になった駐輪場に自転車を停めて、校庭を少し歩いて特別教育棟の前に辿り着く。ガラス扉の取手を掴んでグッと押し込んで、鍵の栓に押し返される感覚が来るかと思ったが、ガラス扉はそのままゆるりと開き、ことねは安堵の息を吐いた。そのままスマホのライトを頼りに土足のまま廊下を歩いていくが、見慣れたハズの景色も流石に手元以外に一切の灯りがない暗闇だと不気味に感じざるを得なかった
(うわぁ〜怖ぁ〜っ…更衣室が一階でまだ良かった〜)
ゆっくりと周囲の様子を伺いながら、肩をすくめて音を立てないように忍足で進んでいって更衣室へと辿り着いたことねは、そのドアをゆっくりと開け、自分用のロッカーの前に立ち、予め設定してある3桁の番号にダイヤルを合わせた。カチリという内部の錠が外れる音がして、おそるおそる戸を開けていくと、一番手前に黄色い二つ折りの財布が鎮座していた
「あ、あったぁぁぁ〜〜〜」
天を仰ぎながら深くため息を吐いて、今度こそ心の底から安堵する。そのまま財布を手に取り確実にポケットへ入れて、ロッカーを閉じてダイヤルの番号を適当に回してそそくさと更衣室を出る。暗闇であまりに不気味だった廊下も、目的を達して明るい気持ちになったせいか、数秒前まで怯えながら進んだ道をズンズン歩いて特別教育棟を出た。その瞬間。何かがぶつかり合ったような、爆発的で重厚な金属音がことねの耳を貫いた
(・・・え?な、なに?何の音?)
かと思えば、ガァンッ!ガァンッ!ガァンッ!とそれは連続で響いてきた。学校の敷地内にある建物の壁に反響させながら、夜の大気中を暴れ狂うように爆音が駆け抜けていく。ことねは何の音かと疑問に思いながらも、駐輪場の方へと歩いていく。すると駐輪場のある方へ向かうほど、不規則なリズムで爆ぜる金属音は大きくなっていき、より芯を食った明確なものになっていった
とても夜中に響いていいような音量ではないソレは、どうやら学園の中心にある中庭の広場辺りから発されているようだ。工事現場の鉄パイプがぶつかったような太く鈍い音ではなく、何か薄い金属が弾かれたような早く鋭い音が連続している
一体全体何の音なのか。一抹の疑問を抱えたことねは、駐輪場のある校門の方に背を向け、中庭のステージへと続く石畳の道を進んで行く。段々と謎めいた音が近づいていくその先で、夜の暗闇の中で尋常ならざる速度で動く何かと、その軌跡を描くように火花が散る光景を、藤田ことねはその視界に捉えた
(・・・なに、アレ…)
この夜、藤田ことねは『運命』と出逢う───