10.
夏季休暇──ホグワーツに通う生徒のほとんどが笑顔を浮かべて迎えたそれは、ポッター兄弟にとっては地獄のような日々だった。
重い足を引きずってダーズリー家に足を踏み入れた二人を出迎えたのは、鬼のような形相の伯母夫婦である。彼らはまるで汚物でも扱うかのような手つきでルークとハリーのトランクを奪い取り、さっさと鍵付きの押し入れにしまい込んでしまった。
教科書、杖、ハリーのニンバス2000などをあらかた取り上げられ、覚悟はしていたものの気分はとてつもなく落ち込んだ。
教科書を取り上げられてしまったことで宿題に手が付けられないことが何よりも困りものだった。ルークはただでさえ成績的に落ちこぼれなのに、宿題もまともに提出できなかったらいよいよ教師陣からの心証が悪くなりかねないというのに。
しかしそんなことはダーズリー夫妻にとっては関係なく、ただ『マトモ』でない甥っ子たちが我が家で『ま』のつく何かを扱うことが許せないのだ。
僥倖だったのは二人の愛鳥、グレアとヘドウィグまでは取り上げられなかったこと──ただし籠から出すことが許されず二羽の機嫌は日に日に悪くなっている──と、ルークがクリスマスに差出人不明としてもらった魔法薬学全集を死守できたことだった。
念には念を入れてローブとは別の普段着に紛れさせていたおかげで取り上げられずに済んだその本を、ルークは時間を見つけては読み込んでいた。魔法薬学をとことん嫌がっている双子の兄からは信じられないものを見るような眼差しを向けられていたが気にならない。
ルークにとって魔法薬学は世界で一番夢中になれる学問だ。できればいろいろと調合を試したかったが、杖や大鍋を取り上げられたという以前にまともな材料が手元にないので諦めるしかなかった。
ダーズリー家でただ召使いのように働かされる日々を過ごしていると、ホグワーツで魔法使いとして過ごした一年間がまるで幻だったのではないかという恐ろしい考えに囚われそうになる。
更に、手紙を送ると約束してくれていた友人たちから一通の手紙も届かないという現実が、その不安感をますます加速させていた。
こんな時ほど双子に生まれて良かったと思う瞬間はない。ホグワーツでのなんてことない──しかし『普通』に考えれば特別な出来事を二人で話し合っているだけで、かすかな安心感が得られる。あの日々は、決して幻などではないのだと。
***
魔法の存在、そしてホグワーツでの日々がポッター兄弟の悲しき妄想などではないと証明されたのは、奇しくも二人の十二回目の誕生日だった。
その日、ダーズリー家は朝からとある準備で大忙しだった。もちろんハリーとルークの誕生日パーティーの準備などではない。伯父、バーノンの大事な商談相手をもてなすための準備だ。
咳払い一つすら許されない誕生日の夜を迎えなくてはいけないというのはとても言葉にならないほど惨めな気分だったが ──まだ、これだけならましな誕生日だったように思う。
バーノンの言いつけを守って部屋に戻った双子を迎えたのは、とても奇妙ななりをした珍客だった。
蝙蝠の羽のような耳、ぎょろぎょろとした大きな緑の目、身長は小柄なルークの半分くらいしかない。また、薄汚れたぼろい枕カバーのような布を服としてまとっていた。
反射的に悲鳴を上げかけたルークの口を、ハリーが咄嗟に手で押さえた。──階下からはダーズリー家の三人がリハーサル通りに商談相手の夫妻を迎えている声がしている。二階で何か異変が起こっているなどとは微塵も感じていないだろうその様子にほっとして、ハリーはそろそろとルークの口元から手を離した。
「ハリー・ポッター!」
奇妙なその生き物は、大きな瞳をこぼれんばかりに見開き甲高い声を上げた。
絶対に階下まで届いたであろうその声にハリーとルークは心臓を飛び跳ねさせる。
「あなた様にお目にかかること、ドビーめは夢にまで見ていました。なんと光栄なことか……」
「あ、ありがとう。それで、えーっと、君はな──だれ?」
「ドビーめにございます。屋敷しもべ妖精のドビーです」
ドビーと名乗るその生き物はひどくハリーに心酔しているようだった。
ハリーたちは何とかバーノンに見つかる前にドビーを帰そうと奮闘したのだが、なかなか上手くいかなかった。
話だけでも聞いてあげようと思っても、ドビーはハリーとルークのちょっとした言葉にいちいち感激して涙を流すのでなかなか話が進まない。さらにことあるごとに「ドビーは悪い子!」と叫びながら床や壁に頭を打ち付けようとするので、そのたびにハリーとルークは身がすくむ気持ちだった。
普段ならまだいい──今日に限っては『物音ひとつ立ててはいけない日』なのだ。
それでも何とか聞き出したドビーの話は、さらにハリーとルークを戸惑わせた。
「ハリー・ポッターはホグワーツに戻ってはいけません! あなた様の身に、危険が迫っているのです!」
そうは言われても……と、ハリーは困ったように眉を下げる。
「そんなの、無理だよ」
ホグワーツに戻らないということは、ダーズリー家にずっといなければいけないということ。そんなの、死んだほうがましなくらいだ。
「僕にとってはホグワーツが家で、帰る場所なんだ。友達がたくさん待っててくれてる」
「手紙もくれないような友達ですか?」
言いにくそうに足をもじもじとさせたドビーの言葉に、今度はルークが眉をひそめた。
「手紙のこと、なんで君が知ってるの?」
ドビーはさらに気まずそうな顔をして、指をパチンと鳴らした。すると何もない空中から大量の手紙が現れ、パタパタと床に落ちる。ちらりと見ると、すべてハリーとルークにあてられた手紙らしかった。
「怒ってはなりません。ドビーめはこうするしかなかったのです。こうすれば……きっとホグワーツに戻りたくなくなるだろうと」
「ホグワーツに戻りたくなくなるなんて、ありえないよ」
ハリーはきっぱり言った。
ドビーは飛び切り悲しそうな顔でハリーを見つめる。
「えぇ……えぇ、ではこうするしかありません。すべてはハリー・ポッターを守るためなのです」
『ハリーを守るため』にドビーがとった行動は、最悪なものだった。ハリーとルーク、そしてダーズリー一家にとって。
ドビーはハリーたちが必死に制止するのも聞かず階下に降り、ペチュニアが作った見事なケーキを杖も使わず浮かせて見せた。そしてあろうことか、そのケーキをバーノンの商談相手の妻の頭の上に落したのだ。
そして、ドビーは煙のように消えてしまった。
呆然とするハリーとルークを待っていたのは、人生最大の商談が台無しにされて怒り狂ったバーノンによる監禁生活だった。窓に鉄格子がはめられた部屋で、ハリーとルークは空腹に耐えながら寄り添う。
状況打破の糸口は見えず、絶望感に浸りながらの一日一日はひどく長かった。
しかしそんな日々も突如として終わりを迎える。人生最悪の誕生日から数日が経った日の真夜中、双子の目の前に現れたのは、赤毛の親友を乗せた空飛ぶ車だった。