「早く! 急がないと汽車に間に合わないわ」
ロンの母、モリーに急かされて、ルークは重いカートを押しながら必死に走る。隣ではロンの妹であるジニーが同じように重いカートを両手でしっかりと掴んで走っていた。
九月一日、キングス・クロス駅は今日も人でごった返している。息を荒らげながらなんとか9と4分の3番線に辿り着いた時には、汽車の発車時刻まで三分を切っていた。大慌てで荷物を駅の人に手伝ってもらいながら積み込み、人の波に揉まれながら何とか乗車する。それとほぼ同時に扉が閉まり、紅色の汽車はホグワーツに向けて走り出した。
「はぁ…は……間に合ってよかったわね」
「ほんとに…ジニー大丈夫? 腕痛くなっちゃってない?」
「あはは、あんまり痛くは無いけど痺れてるわ」
「明日もし痛みが酷かったら、医務室のマダム・ポンフリーの所に行くといいよ」
「えぇ、そうする」
「とにかく、早いところ空いてるコンパートメントを探そう」
あの夜、ダーズリー家から見事にポッター兄弟を連れ出してくれたロン、ジョージ、フレッドたち三人は、そのまま空飛ぶ車で彼らの家へと招待してくれた。
そこでウィーズリー一家からの熱烈な歓迎を受け、二人はようやく心を落ち着かせることが出来たのだ。
そこからの数日間は怒涛の日々だった。初めての『魔法使いの家』での暮らしはとても刺激的で、新鮮で、毎日が楽しくてたまらなかった。
もっとも、短期間で大量の宿題を片付けなければいけないという苦行がなければもっと素晴らしかっただろうが……。
「あ、ルーク! ここ空いてるわ。私たちラッキーね」
「ほんとだ、よかった──ところで、ハリーとロンはどこだろう」
「さぁ……ジョージたちとも逸れちゃったし、きっと汽車のどこかにはいるわよ」
「だといいけど」
「不安そうね、ルーク」
ジニーの言葉にルークは困ったように笑い、コンパートメントの窓からちらりと外に視線を向けた。
「前に話した……ほら、ドビーのことがあるから」
「あぁ、確かに。そのしもべ妖精に妨害されて汽車に乗り遅れてしまったかもってことね」
小さく頷いたルークを励ますように、ジニーは明るく声をかける。
「大丈夫よ。ホグワーツ特急に乗り遅れたからって、そんなに大事にはならないわ。駅まで送ってくれたパパとママと合流すれば何とかしてくれるだろうし。それにほら、ハリーにはヘドウィグがいるじゃない。彼女に手紙を持たせれば、ホグワーツの先生たちに状況を知らせる事もできる」
ハッキリとしたジニーの言葉を受けたルークは一瞬ぽかんとし、すぐに吹き出してしまった。
「ルークったら! どうして笑うのよ」
「ごめんごめん、君の言う通りだよ。心配して不安になってる自分が馬鹿らしくなっちゃって。本当に、ジニーはしっかりしてるなぁ」
直球の褒め言葉にジニーはパッと顔を赤くする。
「そ、それよりホグワーツのことをもっと教えて。ジョージもフレッドも、ロンだって私をからかってばっかりで本当のことを教えてくれないんだもの」
「いいよ! じゃあ魔法薬学の話を……」
「うーん、それ以外がいいわ」
「そんなぁ」
ルークの情けない声に、ジニーは明るく声をあげて笑った。
ルークとジニーが初めて出会ったのは、ロンたちに連れられてウィーズリー家に着いた日の朝だ。
ジニーはハリーのファンらしく二人の姿を見た瞬間ぱっと逃げ出してしまったが、その後なんやかんやでルークとは特別仲良くなった。弟、妹同士と言うことで波長があったのだ。
ジニーは未だハリーの前では緊張してしまって上手く話せないが、ルークとの会話の話題はもっぱらそのハリーの事だった。
「あ、そうだわ! ルーク、あなたに相談したいことがあったの」
「なに?」
ジニーはおもむろに、自身のカバンの中から一冊の小さな本を取りだした。ボロボロの黒い表紙に刻まれた文字も掠れているそれは、酷く古いものだと見てわかる。
「これは……手帳? いや日記か」
ジニーは年頃の女の子らしく、可愛らしくて華やかなものを好む。ぼろぼろの地味な日記は彼女の持ち物としてはとてもふさわしくないように見えた。
「私のじゃないわ。いつの間にか持ち物に紛れ込んでいたの。ほら、一緒にダイアゴン横丁に買い物に行ったでしょう? あの時フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店で棚に並んでたのが私の大鍋に落ちたのか……あるいは誰かの荷物から間違って入ってしまったのかはわからないけど」
「あぁ……書店はものすごく混んでたもんね。誰だっけ、サイン会が──」
「ギルデロイ・ロックハートよ」
あぁそうだった、とルークはちょっと顔をしかめた。
巷で魔女たちに大人気らしいその魔法使いの、無駄にきらきらとした笑顔を思い出す。彼はポッター兄弟を見つけるや否や、ハリーを引っ張って行って無理やりツーショットを報道陣に撮らせていた。
徹頭徹尾ルークの方には一瞥もくれることがなく、きっと彼はルークがその場に存在していることに気付いてすらいないだろうと思われた。あの感覚は、いつまでたっても慣れる気がしない。
「それに、パパが騒ぎを起こしたものね」
と、今度はジニーがギュッと顔をしかめる。
「ふふ、マルフォイのお父さんとね。すっごい仲悪そうだったなぁ」
「大人気なくて恥ずかしいわ」
ふと、ルークは書店で会ったドラコ・マルフォイのことを思い出した。会ったとはいっても一瞬目が合った程度で、会話どころか挨拶すらできていない。目が合った瞬間、すぐにそらされてしまったからだ。ハリーには元気よく自分から嫌味を飛ばしに行ったくせに。
一年間スネイプ先生の特別授業を一緒に受けておきながら、仲が進展する兆しは全く見えない。仲が進展するどころか、避けられてる気すらする。箒を飛ばせず魔法も上手くいかず、めそめそしていた自分を励ましてくれたドラコ・マルフォイの記憶は全部夢だったんじゃないかと思ってしまうほどだ。
「あ、それでね、この日記どうしようかと思って」
「古そうだし……正直売り物には見えないよね」
「そうなのよ。このまま書店に送ったりしなくてもいいかしら」
「うん、いいと思うよ。──中には何も書いてないの?」
「最初のページに名前だけ書いてあるわ」
ジニーは日記を開いてルークに手渡す。見てみると、消えかかった字で『T・M・リドル』と書かれていた。
「リドル……」
当然、知人にこの名前の人はいない。それなのに、ルークは妙な感覚を覚えた。この名前を知っているような気がするのだ。
「……ねぇ、ジニー。その、君が良ければこの日記を僕にくれない?」
突然の申し出に、ジニーが驚いたように目を瞬いた。
「それは構わないけど……そんなに気に入ったの? その古い日記帳」
「うーん……上手く言えないんだけど、そうかも」
「まぁ、あなたが欲しいっていうならあげるわ。もともと私の持ち物じゃないし、それに、なんだか私には気味悪く思えたから」
「ありがとう、ジニー」
ルークがそっと自分のカバンの中に黒い日記帳を入れたその時、コンコンと控えめにコンパートメントの開いてある扉がたたかれる。
そこには、すっかりローブ姿に着替え終わったハーマイオニーが立っていた。
「ハーマイオニー!」
「ルーク、それにジニーも。ダイアゴン横丁で会って以来ね」
ハーマイオニーはにっこり笑ってジニーの隣に腰かけた。
「探したのよ、全然見つからなくて……ハリーとロンとは別行動なの?」
「駅で逸れちゃったんだよ」
「ハーマイオニーも二人の姿は見てないの?」
「前の方の車両から来たけど、見かけてないわ」
ハリーたち二人が汽車に乗り遅れた可能性が高くなった、とルークはジニーと視線を合わせた。
「ところでルーク! 夏休みの間一通も手紙を返してくれなかった理由を聞かせてもらうわよ。ほんとに心配したんだから!」
「もちろん話すよ! ちゃんと深い理由があるんだ」
そうしてルークのつたない説明をひとしきり聞いた後、ハーマイオニーは小さく唸った。
「さすがに言ってることが抽象的すぎて……何が起こるのか見当もつかないわね」
「危険が迫ってるって言われても、よく分からないわよね」
「でも、ドビーが嘘をついてるようには見えなかったんだ。ハリーにも言ってあるけど、今年は特に気を付けてもらわないと。去年みたいに……勝手に危険なことには首を突っ込んじゃだめだよ」
ルークがちらりとハーマイオニーを見ると、彼女は気まずそうに肩をすくめた。
「わかってるわ。──そろそろホグワーツに着くころね。ルークもジニーもそろそろ着替えたら?」
「そうだね。じゃあ僕はいったん外に出るから、ジニーが先に着替えなよ」
「えぇ、ありがとう」
***
ホグワーツに着いて組み分けが終わり、さらに歓迎会が始まってもハリーとロンの姿は見えずルークとハーマイオニーが不安に駆られていた時、とんでもない話が二人の耳に飛び込んできた。なんと二人が空飛ぶ車に乗ってきて、しかも墜落したという話だ。
「退校処分になるかもってさ」
いったいどこから話を聞いてきたのかリー・ジョーダンのその言葉に、ルークがショックを受けて気絶しかけたのは言うまでもない。