ルークにとってもハリーにとっても、今年は去年よりも忙しい日々だった。
ハリーは彼のファンであるという一年生、コリン・クリービーに追い掛け回されながらも恐ろしく詰め込まれたクィディッチの練習に励んでいたし、ルークはルークで夏休みの鬱憤を晴らすかのように魔法薬学に溺れるような毎日だった。
そんな二人の生活スタイルが合うわけもなく、ハリーとルークが顔を合わせるのは授業中か食事中くらいになってしまった。寝る前の自由時間になると、ルークはハリーよりもリドルとの会話を優先したくなってしまう。
夏休み中はずっと一緒にいて、会話の相手もお互いくらいしかいなかったのに、ホグワーツでは全く真逆の状況になっていた。
スネイプの特別授業の試験はもちろんマルフォイも一緒にパスしたが、彼はさらに今年からスリザリンクィディッチチームのシーカーにも選ばれており、誰よりも忙しそうだった。つまり、同じ特別授業を受けていながらルークと会話をするようなことはほとんどなかった。
そんな日々を過ごしているとあっという間に九月が終わり、気づけば十月最後の日となっていた。
ハロウィーンの日はちょうど休日で、朝から皆が夜のパーティを楽しみに浮かれていた。そんな中、ルークは兄が随分浮かない顔をしているのを見つけて首を傾げる。
「ハリー、どうかしたの?」
「あぁ、ルーク。うーん、その、なんでもないよ」
「ハリー?」
少し語気を強めて兄の名前を呼ぶ。
まさか、『大事なことは隠さない』『危ないことに首を突っ込まない』という約束を破るつもりじゃないだろうか。
ルークの普段は見せない迫力に押されたように、ハリーは慌てて手を振る。
「変な隠し事じゃないよ。実は今夜、ほとんど首なしニックの絶命日パーティーに誘われてるんだ」
「な、なにそれ……?」
想像だにしていなかった返答に、ルークはポカンと口を開ける。
「僕もよく分かってないんだけど、ゴーストたちのパーティーみたい」
「ゴーストたちのパーティーにどうして生きてるハリーが参加するのさ?!」
「誘われたとき断れなかったんだよ……一人じゃさすがに心細くてロンとハーマイオニーは誘ったんだけど、ルークはそういうの苦手でしょ」
「うん……それには行きたくない。あー、その、楽しんできてね」
ものすごく微妙な表情でハリーが頷く。
「もしハロウィンパーティーが終わるまで三人が戻ってこなかったら、談話室にみんなの分のパンプキンパイとか持って帰っとくね」
「ありがとう! ゴーストたちのパーティーに僕らが食べれるものがあるとは思ってないから助かるよ」
「あはは……」
「じゃあ僕はオリバーに話したいことがあるから行くね」
「うん、じゃあまた」
ハリーと別れたその足で、ルークは図書館へと向かう。魔法薬学──ではなく変身術の本を借りに行くためだ。
来週提出のレポートにひどく手こずっていて、ハーマイオニーの助けを借りるつもりではあるのだが、その前に独学で何とかなるところまでは終わらせてしまいたかった。
わざわざハロウィーンの休日に勉強しようと思う人はどうやら少ないらしく、図書館近くの廊下は人通りがほとんどない。時々レイブンクローの上級生とすれ違うくらいだ。
ルークが角を曲がったその時、突然目の前に人影が現れた。あ、と思ったが間に合わず、正面衝突してしまう。小柄なルークは反動で押し返され、その場に尻もちをついた。
「す、すみません」
自分がぼーっとしていたせいで上級生にぶつかってしまったのだと、慌てて顔を上げて謝る。しかしそこに立っていたのは顔も知らない上級生などではなく、防衛術の教師、ギルデロイ・ロックハートだった。
「あぁ、こちらこそすまないね。大丈夫かい?」
ロックハートはいつものように白い歯を見せてにこやかに笑い、ルークに手を貸して引き起こしてくれた。
「あ、ありがとうございます」
ルークは気まずさから目を合わすことができず、小さな声でお礼を言った。何せルークはロックハートが教えている『闇の魔術に対する防衛術』の授業をまともに聞いていないのだ。
彼の著書の内容を寸劇のように再現するだけの授業は、ルークにとって恐ろしく退屈だった。正直、時間の無駄を感じるほどに。もっとも、その寸劇においてロックハートの助手として毎回出演を強要されている双子の兄に比べればマシかもしれない。
「君は──」
ロックハートは数瞬考え込むように顎に手を当て、すぐにアァと大きくうなずいた。
「ルーカス・ポッターだね? ハリー・ポッターの弟の!」
ルークは思わず呻きたくなった。まさか今の間が、自分の名前を思い出すための間だったと思いたくなかった。
もちろん、教師とはいえ数百人もいる生徒の顔と名前を完璧に一致させることを求めてはいない。しかしあんなに毎授業ハリーを助手として指名しておきながら、いつもその隣に座っているルークを認知できていないとは。
いつだったか、リドルに聞かせた自身の愚痴を思い出す。文字通り、彼の視界にルークは全く映っていなかったらしい。
「こんなところにいるとは……もしかして図書館に用事かね?」
失望とも、悲しみともまた違う複雑な感情に支配されているルークの様子には微塵も気づく様子なく、ロックハートは陽気に話しかけてくる。
「えぇ、まぁ」
「なんと感心なことだ! こんな素晴らしくいい天気の休日に勉強をするとは」
「えぇ……まぁ……」
「その熱意をぜひ、私の授業にも向けてもらいたいところではあるね」
ロックハートのその言葉に、ルークはひゅっと身をすくめた。授業に対して上の空だったことがばれている。もしかして、名前がぱっと出てこないような素振りもわざとだったのかもしれない。
「あの、その……」
「結構、結構! 君に私の授業は少々レベルが高すぎるかもしれませんからね」
まるで嫌味とも取れる言葉と同時にパチン、とウィンクされ、ルークはどう返事すればいいかもわからず引きつった苦笑を返すことしかできない。
「勉強するのはもちろん素晴らしいことだが……せっかくの休日、よければ私の手伝いをしてくれないかい? 無論、紅茶とお菓子を出すよ」
「手伝い……ですか?」
「あぁ、私宛のファンレターの返事を書くのを手伝ってほしいんだよ」
遠慮させてください! とルークは叫びたかった。しかし授業の度に心を遠くに飛ばしている負い目があるせいで、顔を強ばらせるという控えめすぎる抵抗しかできない。
ルークの無言を肯定と捉えてしまったらしいロックハートは、上機嫌でルークの肩に手を置いた。
「ありがとう! それでは行こうか。喜びたまえ、この私の手伝いができることほど名誉なこともないさ。それに、フランスの有名店から取り寄せたチョコレートもある。これで、いたずらもなしだよ?」
パチン、とまたウィンク。別にルークは『トリックオアトリート』なんて言ってないのに。
今日の予定が音を立てて崩れていくのを感じながらルークは、次からはどんなにつまらない授業でも真剣に聴こうと心に決めた。
***
──もううんざりだ。
そう思いながら、ルークは何通目かもわからない封筒に何人目のものかもわからない住所を書いていた。隣では延々とロックハートが自分の偉業について語っている。さっき心に決めたこともどっかに飛んでいき、ルークはひたすらに生返事を繰り返していた。
せっかくの休日が、授業を聞いていないことへの罰則で終わってしまっている気分だった。ほかにも彼の授業を聞いていない人なんて山ほどいるだろうに。──というより、彼の熱心なファンの子以外はたいてい『闇の魔術に対する防衛術』を見限っている。
「しかし君も大変だ」
「えぇ全く」
反射のように返事をして、ルークは「しまった」と思った。自分が大変だと思われるようなことに心当たりがない。
思わず顔を上げて、ロックハートの表情をうかがう。
ロックハートは思いのほか真剣な顔で、ルークのことを見ていた。
「君のお兄さんは実に偉大なことをした」
あぁ、その話か──とルークはうんざりした気分で体の力を抜いた。
「大変なのは僕じゃなくて、ハリーの方ですよ」
「本当に、そうかね?」
「……どういうことですか?」
ルークは怪訝な表情で、ロックハートを見つめ返す。
「君のお兄さんは──ハリー・ポッターは魔法界の英雄だ。魔法使いなら誰もがその名を知っている。ハリー、ハリー、ハリー……魔法界にいる限り、彼はどこに行っても崇められ、称賛を浴び、輝き続ける。君は──どうかね?」
ルークは何も返事をしなかった。代わりに、ロックハートを射抜く視線が自然と鋭くなる。
「彼のように、いやいっそ、
「勝手なこと言わないでください」
ルークは呻くように言った。
「僕はハリーになりたいだなんて思っていないし、彼を羨ましいなんて思ってない。僕の胸の内を妄想されるのは不愉快です」
「あぁ、ルーク」
ロックハートはわざとらしく悲痛な声を上げて、ちっちっと舌を鳴らした。
「向き合いたくない気持ちはよぉくわかりますよ。羨望、嫉妬──そして劣等感、とても醜い感情だ。しかし人間であるがゆえに仕方ない感情です。そう、諦めてはいけませんよ。君もきっと偉大な魔法使いになれます」
ルークは、机の下で手のひらに爪が食い込むほど強く右手のこぶしを握り締めていた。頭の中がぐちゃぐちゃで、今にも黙れと叫びだしそうだった。
そしてふと無意識に、ローブの内ポケットにいれてある日記帳に触れた。その、瞬間──頭に
自分でも意識しないまま、ロックハートに何か言って彼の部屋を出た。自分の足で歩いているはずなのに、足を動かしている感覚すらない。まるで自分を俯瞰で見ているようだった。そのまま何かに引っ張られるように、スゥっと意識が遠くなる。
──気づいたときには、ルークは大広間でハロウィンパーティに参加していた。
***
「──ぇ、あ、れ……?」
「ルークったら! 突然ボーっとしてどうしちゃったの?」
ハキハキとしたいつも通りのジニーの声に引っ張られるように、ルークは徐々に意識がはっきりしてくるのを感じていた。
「……ジニー」
「……? えぇ、そうよ」
ジニーは隣に座っていて、怪訝な表情でルークを覗き込む。
「パンプキンタルト片手にボーっとするなんて、まさかタルトに見とれたわけじゃないわよね?」
「ち、違うよ。えーっと、僕さっきまでロックハートの所に……あれ?」
「ロックハートですって? 今の今まで、ここで魔法薬学の素晴らしさについて語ってたじゃない!」
ジニーが「ねぇ?」と周りに話を振ると、周りにいた友人が大きく頷いた。
「君がどんなに熱心に語っても僕は魔法薬学は好きになれないけどね」
「スネイプ先生を心底慕ってるなんてのは、ホグワーツじゃ君くらいかもよ」
シェーマス、ネビルにそう言われるも、魔法薬学について語っていたなんて記憶は無い。みんなの口ぶりから、ほんの数秒前の話らしいのに。
今が夕飯の時間だと言うなら、最後にロックハートの部屋で時計を見てからゆうに三時間は経っている。その間の記憶が、全くない。覚えているのはロックハートの自慢話にうんざりしていたことくらいだ。
「あー、その、僕ちょっと先に談話室に戻ってるよ」
「あら、もう食べなくていいの?」
「うん……その、もうお腹いっぱいだから」
記憶が無い、という不気味さと不安感に耐えかねて、ルークは苦笑いで誤魔化しながら大広間を出た。
足早に、グリフィンドール寮へと向かう──その時だった。
『引き裂いてやる……殺してやる……』
突如として耳に飛び込んできた
「だ、だれ……?!」
辺りを見回すも、人影は無い。
『殺してやる──!』
しかし声は聞こえていた。殺意に満ちた、禍々しい声だ。あまりの不気味さと恐怖に、怯え立ちすくんだままルークの呼吸が荒くなる。
声は段々と遠ざかっていき、やがて聞こえなくなった。
ホッと息をついた、その時
「ルーク!」
背後から唐突に名前を呼ばれ、ルークは文字通り飛び上がった。
「は、は、はりー」
声をかけてきたのは双子の兄で、ルークは何とか振り返る。心臓がバクバクとうるさかった。
全くタイミングが悪い。ルークはつい文句を言いそうになるも、ハリーの驚くほど真剣な表情に目を瞬かせた。
「今の聞いた?!」
「今のって……殺してやる、って声?」
「そう! ほら、ルークにも聞こえたんだよ!」
ハリーの後から、ロンとハーマイオニーが現れた。二人とも走ってきたのか呼吸が荒くなっている。
「そんな、僕には何も聞こえなかったよ、ねぇハーマイオニー」
「えぇ、何も」
嘘だ、とルークは思った。声はそれなりの大きさだった。ルークとハリーに聞こえたなら、近くにいたロンたちにも聞こえるはずだ。
「声はこっちに動いていった。たぶん、殺しに行ったんだ!」
ハリーはそう言うと、ついさっき声が遠ざかって行った方へと走り出してしまった。
「ハリー!」
「嘘でしょ、ハリー、まさかあの声を追いかけるつもり?!」
「みんなは先に談話室に戻ってて!」
そうは言われても、
「ハリーひとりに行かせられないよ!」
ルークも、ロンもハーマイオニーも、結局ハリーを追いかける。
「あ、また!」
ハリーがそう言うのと同時に、ルークの耳にまたしてもあの不気味な声が聞こえてきた。
青ざめた表情でロンとハーマイオニーを見るも、二人は訳が分からないという顔で肩をすくめる。
「嘘でしょ。こんなはっきり聞こえるのに!」
声の主はかなりの速度で移動しているらしく、すぐに遠ざかっていく。そして再び、聞こえなくなってしまった。
「ハリー、もう寮に帰ろうよ」
ずんずん進んでいくハリーの背にルークが情けない声をかけたその時、ハリーはピタリと足を止めた。
「どうしたの?」
ハーマイオニーが不審がり、小走りでハリーの元へと駆け寄る。そしてビクリと肩をふるわせ息を詰めた。
二人の異様な様子にロンとルークは目を見合せ、少し怯えながらもハーマイオニーに続いた。そして、目に飛び込んできた光景に息をのみ、立ちすくむ。
どこからか漏れたのか、床が水浸しになっていた。そしてその廊下に備え付けられた窓と窓の間の狭い壁の空間が、松明と月光の弱い光に照らされている。
そこには血を思わせるような真っ赤な字でこう書かれていた。
『 秘密の部屋は開かれたり
継承者の敵よ気をつけろ 』
その壁の前に、何かがぶら下がって揺れていた。暗い廊下で、一体なんだろうと目を凝らす。
「ミセス・ノリスだ」
ロンが震える声で言った。
「フィルチの猫だ!」
ルークは突然、猛烈な目眩と頭痛に襲われた。得体の知れない、とてつもない恐怖に脳みそを掻き回されているようだ。
すぐ隣にいるハリーが自分の名前を呼ぶ声が、酷く遠くに聞こえる。代わりに、さっきまで廊下に響いていたあの不気味な声が耳元で──頭の内側で反響している。
『──殺せ──!』
そのままルークは気を失い、その場に倒れ込んでしまった。