二人が出て行った途端に、大広間は爆発したように騒がしくなった。ロックハートが「静粛に!」と声を張り上げているが、誰も聞く耳を持たない。
状況がつかめず、ハリーはその場に立ち竦むしかなかった。ルークの異様な様子、皆の反応、すべてが不思議で不気味だった。
「ハリー!」
そんな彼のもとに、親友二人が駆けつける。
「なぁ、ハリー、君は知ってたのか?」
「何を?」
「ルークがパーセルマウスだってことをだよ!」
「ルークが、なんだって?」
気づくと、辺りがまた静まり返っていた。
その場の生徒全員が、ハリーたち三人を遠巻きに見つめている。ハリーは心臓をぎゅっとつかまれたような心地だった。
「とにかく、いったん寮に戻りましょう」
ハーマイオニーに手を引かれ、三人は足早に大広間を出る。自分たちがいなくなったあと、再び騒がしさを取り戻しているであろう大広間のことを考えるとなんだか酷く憂鬱な気分だった。
***
「それで、もう一度聞くけど、ハリーは知らなかったのか?」
「ルークがその、パー……」
「パーセルマウス! ヘビと話せる人ってことをだよ」
ハリーの向かい、ロンの隣に座っているハーマイオニーも、やけに神妙な顔つきでハリーを見つめている。なんだかとても落ち着かない心地だった。
「知らなかった。僕が前に動物園でニシキヘビと話したとき、ルークはヘビがなんて言ってるかわからなかったって言ってたし……」
「ちょ、ちょっと待って!」
ハーマイオニーが、ハリーの言葉を遮った。
「
「そうだよ。でも、それが何? そんな人、
「いないよ」
ロンが言った。
「ヘビと話せる能力を持った人なんて、滅多にいない。まずいことになった……」
「なに?」
はっきりしないロンの態度に、ハリーはいらいらした。
──ヘビと話せる、だから何だって言うんだ。
「あの時ルークがヘビを落ち着かせてなきゃ、ジャスティンは首を噛みちぎられていたかもしれない」
「ルークはヘビを落ち着かせてたのか?」
「君も聞いてただろ!」
ハリーはますます苛立って、声を荒げた。
「私たちが聞いたのはパーセルタング──蛇語よ。シューシュー息が漏れてるみたいな……話している内容はまるで分らなかった」
ハーマイオニーのその言葉に、ハリーはいらいらも忘れてぽかんとした。
「うそ、あの時、ルークは違う言葉を喋ってたの?」
「気づかなかったのか?」
信じられない! とロンが肩をすくめる。
思い返してみると、確かにさっきルークがヘビに話しかけているとき、妙な響きだとは思った。それでも、まさか違う言語を話していただなんて。
「でも、何かそんなにまずいことってある? ルークがその、パーセルマウスだったおかげで彼自身襲われなかったし、ジャスティンも無事に済んだ。ヘビをどんな方法で落ち着かせたかなんて、そんな問題になることじゃないだろ?」
「いいえ、問題なのよ」
ハーマイオニーの表情は、まるで葬式に来た人みたいだった。
「まず一つ……蛇語が理解できない私たちから見たら、ルークがジャスティンを守っているようにはとても見えなかったわ」
「むしろヘビをそそのかしているように見えたね。雰囲気もいつもと違ったし……正直ぞっとしたよ」
ハリーは思わず押し黙った。確かに、あの時のルークの様子はちょっと普通ではなかった。いつも穏やかに笑っているか、不安そうな弱気の顔をしているかのどちらかであるルークが、完全な無表情を張り付けていたのだから。
「それにね、もう一つの事実の方が問題なの」
ハーマイオニーは、慎重に言葉を選んでいるようだった。
「ホグワーツ創設者のひとり、サラザール・スリザリンは、パーセルマウスだったことで有名なの。ほら、スリザリンのシンボルはヘビでしょう?」
ハリーは、冷水でも浴びせられたような心地になった。
「みんなが、ルークのことを『スリザリンの継承者』だって……そう思うかもしれないってこと?」
沈黙が、二人の無言の肯定を示していた。
「ハリー、その、言いづらいけど──あなたもパーセルマウスだってことは決して知られないようにした方がいいわ」
「そうだ! それが知られた暁には、みんな君たち兄弟がスリザリンの曾々々々孫だとか言い出すぜ」
「違うよ! そんな、ありえない……」
ハリーが苦々しげに吐き出すも、ハーマイオニーは悲しそうな表情で首を振った。
「千年も前に生きていた人だもの。ありえないという話ではないわ」
ハリーはまるで死刑宣告を受けた罪人のような表情で、ぐったりと肘掛椅子に体を沈ませた。言いようのない恐怖に、耳鳴りがしてくる。
「でも、妙だよな」
ふと、ロンが言った。
「以前は、ルークは蛇語が分からなかったんだろ?」
「うん……。あの時は、僕だけがニシキヘビと話した。まだ自分たちが魔法使いだってわかる前のことだけど」
「確かに変ね。パーセルマウスの能力は基本的に遺伝するもので、生まれつきの力だって知られているわ。練習も自覚もなしに後天的に身につくものなのかしら……」
その時、周りが少しだけざわついた。
談話室にはそれなりの人数の生徒が帰ってきていたが、配慮か恐怖かハリーたちの周りには誰も近づいては来ていなかった。それが急にざわめきを増し、何事かと三人も顔を上げる。見ると、ルークが帰ってきていた。
「ルーク!」
ハリーは周りの視線も気にせず、弟のもとへと駆け寄った。
彼の顔は今にも倒れそうなくらい蒼白で、唇が震えている。スネイプにあらかたの説明を受けたのだろうというのは、その様子で分かった。
「はりー」
自分と揃いのグリーンの瞳が、うっすらと涙の膜を張って恐怖に揺れていた。
「今日はもう休んだ方がいいよ。疲れてるでしょ」
ハリーはルークの手を引いた。
周囲からの好奇の視線が煩わしい。
何があっても僕が弟を守らなければ──と、ハリーはルークの手首を握る手に力を込めた。
***
決闘クラブがあった日からのホグワーツでの生活は、とてつもなく居心地の悪いものだった。どこへ行くにも、何をするにも、ルークはひそひそと小声で囁かれ、恐怖と好奇と猜疑の視線を浴び続けた。
ハリーは日に日に弱っていく弟を決して一人にするものかと意気込んでいたが、気づけば彼は姿を消していて、後からどこに居たのか問いただしてもはっきりしない。
ルーク曰く、自分と一緒にいると影で色々言われてしまうだろうから、ということだった。ハリーはもちろん、ロンやハーマイオニーも「そんなことは気にしなくていい」といったのだが、ルークは頑なだった。
他にも、ポリジュース薬の完成が間近だったり、クィディッチの練習があったりと、ハリーたちがルークのそばに居られる日は決して多くなかった。
そうして悶々と日々を過ごす中、ついに三度目の事件が起こってしまう。今回、石化の被害に遭ったのはゴーストのほとんど首なしニック、そしてジャスティン・フィンチ-フレッチリーだった。
第一発見者であるアーニー・マクミラン、ハンナ・アボットの二人が「犯人はルークだ」と騒いだことにより、ルークに対する風当たりはますます厳しくなることとなってしまった。
しかし幸運なことに、事件の後すぐにクリスマス休暇となった。生徒のほとんどが帰省することを決め、ホグワーツに残った人たちはほんのわずかである。ルークにとってはありがたいことであった。
***
「酷い顔色だな」
人気のない図書室──完全に無防備でいたところ間近に声を掛けられ、ルークは文字通り飛び上がった。
「ま、マルフォイ……」
「そんなに驚くようなことか?」
マルフォイに胡乱げな眼差しを向けられ、ルークは引きつった笑みを浮かべる。
「僕に話しかけてくる人なんて、最近はほとんどいないから」
「──だろうな」
ルークは、どうしてマルフォイがこうして自分に話しかけてきたのかわからず首を傾げた。
スネイプが忙しくなってしまったために、最近は特別授業が開かれていない。ゆえに、マルフォイとこうして顔を合わせるのはずいぶんと久しぶりだった。
そうでなくても彼はルークのことを避けてばかりなのに。
「君は、その……」
マルフォイは言葉を探すように視線を泳がせ、やがて小さな声で尋ねた。
「もとから、話せるのか?」
「
「あぁ」
否、と意味を込めて、ルークは力なく首を振る。
「あの時が初めてだよ。それに、あの時も──頭が妙にふわふわしてて、自分が、自分じゃないみたいだったんだ」
「どういう、ことだ……?」
ルークは口を噤んだ。これ以上は、
「ポッター、何を隠してる?」
「別に、何も……」
「嘘だろう」
マルフォイの語気が、少しだけ荒くなる。
そして、ここが図書室であることをふと思い出したのか、誤魔化すように小さく咳払いをした。
「時々──」
ルークが、躊躇うように視線を揺らしながら口を開いた。
「記憶が、飛ぶんだ。意識を失うみたいに」
吐息のように小さく漏らされた言葉に、マルフォイは息を呑んだ。
「そんなの、おかしいぞ。──まるで……呪われているみたいじゃないか」
呪われてる、マルフォイの言葉に、ルークは肩を跳ね上げた。
「何かおかしなものを拾ったとか、見たとか、触れたとか──そういう心当たりはないのか?」
ルークは黙り込む。言えない。彼のことは、あの、日記帳のことは。
何も言わない様子にしびれを切らしたマルフォイは、くるりとルークに背を向けた。
「スネイプ先生に相談しよう」
「待って!」
ルークの大声に、マルフォイはぎょっと動きを止めた。
「だめだ、言わないで……僕は大丈夫だから」
「大丈夫そうに見えないから言ってるんだ!」
「本当に大丈夫、その……自分で何とかするから」
できるのか? とマルフォイの目は疑いに満ちている。
「大丈夫だから」
念を押すように、ルークは再び同じ言葉を絞り出す。
その時、背後から苛立ちを含んだ咳払いが聞こえ、ルークもマルフォイも飛び上がった。
図書館司書の、マダム・ピンスだ。
「お二人とも、お喋りがしたいなら図書室を出てすることです」
図書室から追い出され、二人の間には気まずい沈黙が降りる。その沈黙を破ったのは、マルフォイの方だった。
「──せめて、その心当たりを教えてくれないか」
「……なんで、そんなに気にかけてくれるの?」
ルークの純粋な質問にマルフォイは目を逸らす。そして、なんだっていいだろう、と吐き捨てた。
「日記帳だよ……黒の、日記帳」
「それは、どういう、」
ものなんだ、と言葉は続けられなかった。
ルークは、これ以上は秘密だとでも言うように首を振る。
「自分でなんとかする。だから、先生には言わないで」
──そう言われてしまえば、どうすることも出来ない。