ルークとドラコが放課後に集まった翌日、ついに魔法生物飼育学の初回授業日となった。
ハリーとロンは朝から興奮気味だが、ルークとハーマイオニーの表情はなんとも言えない。──二人は、ハグリッドは教師向きではないだろうという意見を合致させていた。
「まさか『森』で授業したりしないよね?」
「さすがのハグリッドもそんな危ない授業はしないと思うわ」
「だといいけど……」
集合場所となっていた小屋に着くと、そこには犬のファングを従えたハグリッドがそわそわうずうずした様子で立っていた。
「さぁて、全員集まったな。今日はみんなにいいもんがあるぞ! すごい授業だ。よーし、みんなついてこいや」
そうして連れてこられた先はルークの懸念していた禁じられた森ではなく、その森に隣接した放牧場のようなところだった。
ホグワーツにはこんなところもあったのかと感心する中、ハグリッドの声が響く。
「まずは教科書を開くところからだな」
「どうやって?」
不機嫌そうな声の主はドラコだ。ギチギチに紐で縛られた教科書を心底嫌そうに持っている。
「どうやってだって?」
ハグリッドは『何を言ってるのかわからない』という顔をした。
「ただ撫ぜりゃーいいんだ」
ハグリッドはすぐ近くにいたハーマイオニーの教科書を取り上げ、幾重にも巻かれたテープを容易く破り剥がした。そして、すぐさま暴れ始めた怪物本の背表紙を太い親指で一撫でする。ただそれだけで、怪物本は大人しくただの本となった。
その様子を呆気にとられながらも見ていた生徒たちは、各々の方法で動きを押さえつけている教科書を取り出して恐々と開き始める。
「よし、全員教科書は開いたな。そんじゃ俺は魔法生物を連れてくる。ちょっとばかし待っとれよ」
ハグリッドはくるりと背を向け、大股で森の方へと入っていく。
そして待つこと一、二分だろうか。ハグリッドは奇妙な生き物を十数頭引き連れて帰ってきた。
全体的には馬のように見えるが首から頭部にかけては鳥のようで、鷲に似た大きな羽を持っている。前脚の鉤爪は長く太く鋭く、いかにも殺傷力がありそうで恐ろしい。
その生き物たちを手早く柵に繋いだハグリッドは、そのうちの一頭を引っ張って生徒たちのもとへ連れてきた。鎖に繋がれているとは言えその迫力ある姿を間近にし、生徒たちは怯え身を固くする。
「ヒッポグリフ」
ルークの小さなつぶやきを、ハグリッドは聞き逃さなかった。
「おぉ、ルークよくわかったな。お前さんの言う通り、こいつらはヒッポグリフだ! グリフィンドールに十点」
続く楽しそうなハグリッドの説明が、するりと耳をすり抜けていく。ルークは初めて見るヒッポグリフの姿に釘付けになっていた。
──ヒッポグリフの卵の殻、そしてその強靭な鉤爪は魔法薬の材料となるのだ。特に卵の殻の方は、一度の繁殖で一つしか産まないという生態上とても貴重なものである。
半鳥半馬というなかなかに衝撃的な見目をしているが、輝くような毛並みと羽根はとても美しく、鋭い眼光や鉤爪には単純な恐怖よりも畏怖を感じられる。
「さぁ、誰からこいつに挨拶する?」
そんなハグリッドの問いかけに、生徒たちは一斉に後ずさりした。──ハリーも例外ではない。首を荒々しく振って鎖から逃れようと羽根をばたつかせているヒッポグリフの姿からは、挨拶に応じてくれるとはとても思えなかった。
大事な友人であるハグリッドの初回授業を成功で終わらせてあげたいという気持ちよりも、純粋な恐怖が勝った瞬間である。
「よぉし、ルーク! いいぞぉ」
「…………えっ?」
ルークとハリーの間の抜けた声が重なった。
ヒッポグリフに完全に気を取られていたルークはハグリッドの言葉を聞き逃し、さらに周囲のみんなが一斉に身を引いたことにも気づいていなかった。
必然的に、ぱっと見ではルークが一歩前に出たように見えてしまう。生徒たちが後退る瞬間を見逃していたハグリッドはまさにそう勘違いしていた。
ハリーもハリーで、まさかヒッポグリフが魔法薬学に関連しているとは露とも思っておらず、怖がりな弟は真っ先に身を引くだろうと注意を向けていなかったのが仇となった。
「さ、ルーク、こっち来い。こいつはバックビークだ」
「え、えっ?」
「まさかお前さんが名乗り出てくれるとは思わなんだ。嬉しいぞ」
ようやく理解が追いついたルークがさっと青ざめるもののハグリッドは気づかない。思わず振り返ると、真っ先にドラコと目が合った。
ルーク以上に青ざめた彼の顔には面白いほどわかりやすく不安と心配が浮かんでいる。──そんな顔誰かに見られたら、僕らの仲がいいことバレバレだ。
「は、ハグリッド! ルークの代わりに僕がやるよ」
ルークが恐怖で固まって動けないのだと勘違いしたハリーが声を上げた。──ルークを危険な目にさらすなんて、冗談じゃない。
「ハリー、お前さんもやりたいのはわかるが順番にだ。先に名乗り出たのはルークの方だからな。さ、ルーク」
ハグリッドに肩をポンとたたかれ、ルークは小さくもはっきりと頷いた。
「ルーク!」
「ハリー、大丈夫だよ」
強がりでもあり、本心でもあった。怖いものは怖い。しかし何だか妙に落ち着いてもいた。ドラコが、人目を気にもせずルークの身を案じてくれたのが嬉しかったからかもしれない。
「落ち着くんだぞ。目を逸らしちゃなんねぇ。こいつらはびくびくする奴を信用せんからな」
ハグリッドの静かな声を聴きながら、ルークはバックビークと向き合った。黄色ともオレンジともいえぬ鋭い瞳が、ぎらぎらとルークを睨みつけている。
「いいぞルーク。それ、お辞儀だ」
目の前の獣を刺激しないよう、ゆっくりとルークは頭を下げる。心臓はバクバクと今にも飛び出しそうだったが、こぶしを強く握って逃げだしたい衝動を必死に耐えた。
頭は下げたまま、上目遣いでバックビークの様子を盗み見る。お辞儀を返す気配はない。
後ろで見守る生徒たちの視線が痛いくらいに背中に突き刺さる。緊張した空気はピンと張りつめ、ルークは口内がからからに乾いていくのを感じた。
しかしついに、バックビークは太い鳥のような脚を折りお辞儀を返した。わっと場の空気が緩み、ルークの背後で歓声が上がる。
「いいぞ、よくやったぞルーク!」
どの生徒よりも大きな歓声を上げて手を叩いたハグリッドと目が合うと、満面の笑みが返された。
「よし、触ってもええぞ! 嘴を撫でてやれ」
「えっ」
てっきりハリーと交代とばかり思っていたルークはぎょっとする。しかしこれはハグリッドなりの『よくできた』というご褒美なのだ。断るわけにもいかない。
恐る恐る手を伸ばすと、意外なことにバックビークの方から嘴を摺り寄せてきた。
ひんやりしていると思っていた嘴は、存外に暖かかった。そぉっと撫でてやると、バックビークは嬉しそうに目を細める。最初見たときは恐ろしい怪物のように思えたが、こうしてみるとなんだか可愛い。思わずルークも頬を緩ませる。
「背中に乗ってみるか?」
しかしこの言葉は頂けなかった。
「それはむ……ぅわ、あ!」
無理! と叫び切るよりも先に、気を良くしたハグリッドの逞しい腕が男にしては華奢なルークの身体を持ち上げる。
抵抗はなんの意味もなさず、瞬きの間にルークはバックビークの羽毛だか毛並みだかに包まれていた。
「そら!」
「っ、ひ、ぁあぁぁあァッッ!!」
絶叫が長く響き遠ざかっていくのを、生徒たちは呆然と見上げるしかない。
ルークに過剰な庇護欲を抱えている一部の人間は顔を紙のように白くしたが、飛び去ってしまったバックビークを止める術など当然無い。
──数時間かと思われるほど長く感じられた二、三分の後、数年分老け込んだかと思われるほどやつれたルークを確かに背に乗せたまま帰ってきたバックビークの姿に、彼らは崩れ落ちそうなほど安堵した。
***
ルークが文字通り体を張って一番乗りしたおかげか、生徒たちのヒッポグリフに対する恐怖は少し薄らいだらしい。
ハグリッドは見回りながら彼らを補助していて、授業はルークやハーマイオニーの心配を他所になかなか上手くいっていた。
──その様子を、ルークは放牧場の柵の外、少し離れた所にある木の根元に座ってぼんやりと眺めていた。
「随分と疲れた顔だな」
と、頭上から思いもよらぬ声が降ってきて、ルークはパッと顔を上げる。
「ドラコ……どうしたの?」
「退屈な授業だ」
「あはは、僕には刺激的すぎるくらいだよ」
乾いた笑い声を上げるルークの顔色が先ほどよりはましになっているのを確認し、ドラコは小さく安堵のため息を吐いた。その様子に目敏く気づいたルークが微笑む。
「心配、してくれてありがとう」
「別に……、間抜けで臆病な君が空中で気絶して落ちはしないか心配するのは当然だろう」
「言い方が酷いなぁ」
しかしあまり笑い事では無い。事実として空を飛んでいる間のルークは、何とか意識だけはとどめて置かねばと必死だった。気絶してバックビークにしがみつく力が緩めば落下は確実だからである。
「激しく空を飛ぶのに慣れてる君だったら楽しめたのかもね」
冗談じゃない、とドラコの表情が強烈にしかめられる。
「あんなケダモノに自分の命を預けるなんてゾッとするね」
「あはは、君なら──」
──そう言うか、と続けられたルークの声を、鋭い悲鳴が遮った。
バッと放牧場の方に目をやると、一頭のヒッポグリフが激しく羽根をばたつかせながら太い脚で地面を踏み揺らしている。そんな彼(彼女?)をなだめようと必死に手を振り声をかけるハグリッドの背後に、一人の生徒が倒れていた。ローブが緑──スリザリン生だ。
「……クラッブ?」
ドラコが声を震わせる。
先ほどの悲鳴、暴れるヒッポグリフ、倒れるスリザリン生──これらは、何のトラブルも起こらず授業が終わればいいというルークの願いが打ち砕かれたことを明白に示していた。