クリスマス・ダンスパーティ当日──パーティの開始時刻が近づくにつれて、生徒たちもそわそわと落ち着きのなさを隠せなくなっていた。
ハリーもドレスローブに着替え終えて会場に向かうだけの身となったが、ロンがなかなか姿見の前から動こうとしない。
「あー、ロン……穴が開くほど見つめても、そのドレスローブのフリルが減るわけじゃないんだよ」
「わかってるよ……。君は良いよな、普通で」
ハリーが身に纏うのは飾り気のない白のブラウスに黒の正装ローブだ。良くも悪くも普通としか言いようのないそれは地味の一言に尽きる。──しかしロンの姿を見ていると、地味であること以上に素晴らしいことはないと思えるのも確かだ。
「……クラシックな感じで、その、いいと思うよ」
「クラシック? これが?!」
ロンのドレスローブはいつもの如くおさがりで、それもどう見ても女性用だった。ブラウンを基調とした色合いは落ち着いていてよかったが、なにぶんレースとフリルが多すぎる。
苦労の末にようやく見つけたパートナーのパチル姉妹が嫌な顔をしないといいけど……ハリーの内心はとても
「ハリー、ロン──いる?」
ひょこりと寝室の扉を開けたのは、つい一時間ほど前ジニーにどこか連れ去られてから姿を消していたルークだった。
弟の呼びかけに応えようと開かれたハリーの口は、結局何の言葉も発することができずに固まった。
呆然と、弟が身に着けているドレスローブと己が身に着けているモノが全く同じであることを確認する。──着る人が違うだけで、こうも印象が変わるものなのだろうか。姿見に映る自分の姿はどう見ても『地味』なのに、ルークは『魅力的』に着こなしている。
「どうしたの?」
言葉もなく固まる二人の様子を不審に思ったのか、ルークは首を傾げながら寝室に入ってきた。
彼の長い緋色の髪は緩く巻かれた上に三つ編みのハーフアップに結い上げられていた。日頃からジニーの手によってころころと髪形を変える彼だが、今日は格別に丁寧かつ豪華に編まれている。しかし下品さなどは全く感じられず、むしろその美貌を見事なまでに引き立てていた。
「僕ら双子のはずなんだけどな……」
アレンジなんて効きようもない自身の鳥の巣頭に思いをはせ、思わずハリーの目が遠くを見る。
もういっそ振り切って化粧をさせ、ドレスでも着せたら案外そこらの女の子より似合うんじゃないだろうか。
「──? そろそろ行かないと、待たせちゃう」
「うん、そうだね」
「……はぁ」
どこか乾いた笑みを浮かべるハリー、明らかに肩を落とすロンの姿に、ルークは不思議そうに瞬いた。
「ところでロン、袖口ほつれちゃってるけど大丈夫?」
「レースを魔法で切りとったらこうなっちゃったんだよ。何も突っ込まないで」
「あぁ、その……ごめん」
***
会場に入ってすぐにハリーたちと別れたルークは、あらかじめ決めておいた待ち合わせ場所へと急いだ。
案の定先に着いていたクレールは随分と注目を浴びており、彼女の周りはバリアでも張られたかのように空間ができている。
「遅れてごめんね、こんばんはクレール」
「こんばんはルーカス。大丈夫、私もいま来たばかりです」
遅れたルークを咎める素振りもなく挨拶を返すクレールは、どこか落ち着かない様子で瞬いた。
彼女の求める言葉を察したルークは一瞬胸の内に湧いた躊躇いを払うように首を振り、不自然にならないようゆったりと微笑む。
「ドレス、よく似合ってる。その……きれいだよ」
ワインレッドに銀の刺繍が施されたベルベットのロングドレス──クレール・ルーの姿はまさしく最高級ビスクドールも裸足で逃げだす美しさだ。大人びたデザインのドレスと、控えめな色使いでありつつ大胆に施されたメイクが、小柄な彼女を年相応かそれ以上の女性として魅力的に引きたてていた。
彼女見たさにか、自分たちが随分注目を浴びているのを肌で感じる。
パーティが始まり、楽しそうに頬を紅潮させるクレールに合わせて微笑みながら、ルークの胸中は言葉に表せないほどの罪悪感で満たされていた。
──本当は気づいていたのだ。クレールが自分に対して表してくれる好意に、特別な意味が込められていることに。
気づいていながら、それを無視した。気のせいだと、自意識過剰だと言い聞かせて。しかしダンスパーティに誘われてしまっては、いい加減無視を続けることもできなかった。
今日この夜に、彼女にははっきりと気持ちを返さなくてはいけない。
手渡そうとしてくれている好意を受け取ることはできないのだと、伝えなくては。
──ルークにだって、美しいものを美しいと思える感性は備わっている。クレール・ルーは魅力的な人だ。それは決して容姿だけでなく、魔法薬学に対する造詣の深さも熱意も、己を真っ直ぐ見つめてくる青い瞳の力強さも。
それでもルークは、その魅力に欲を掻き立てられる嗜好を持ち合わせていない。
もしも自分が
しかし、そんな自分はとても想像すらできない。
ルークが惹かれるのはどうしたって、冷たそうに見えながらも優しい光を湛えたブルーグレーの瞳だ。
小さな華奢な手を包み込みたいのではなく、骨ばった大きな手に包まれたい。
愛らしい小鳥の囀るような声ではなく、低く落ち着いた声に名前を呼ばれたい。
甘いバニラの香りを抱きしめるのではなく、さっぱりとした香水と魔法薬の融け合った香りに抱きしめられたい。
自分が異常なのは理解ってる。それでももう、意思でどうこうと制御できる情ではないのだ。
彼女が向けてくる真っ直ぐな好意が痛かった。──己の異常さを突き付けられているようで。
頭の中がグルグルして、酔ったみたいに気持ちが悪い。ポートキーに振り回された後みたいな気分だ。
心の底から楽しそうな周囲の人々に、心も身体もついていけない。顔に無理やり張り付けた笑みが、今にも剥がれ落ちてしまいそう。
何曲目かのダンスが終わった後、クレールは星を散らしたように輝く瞳を瞬かせ、そっとルークを見上げた。
「ルーカス、少し休みますか?」
「あぁ、そうだね。……僕、何か飲み物をもらってくるよ。座って待ってて」
「えぇ」
これ幸い──と言ったら彼女に失礼だろうが、ルークはクレールの手を放してそっと息を吐いた。
ブラウスの第一ボタンをはずし、締め付けるような襟元を緩める。
ダンスで盛り上がる輪に目を向けると、ドレスアップで素晴らしく魅力的な変身をしたハーマイオニーがビクトール・クラムと楽しそうに踊っていた。そのすぐそばではジニーがネビルと踊っている。彼のエスコートは見事で、ジニーも傍から見てわかるほど満足げだ。
一方、兄とロンの姿はない。人が多すぎて探す気にもなれなかったが、ここにいないとなるとあまり楽しめてはいないのだろう。二人とも、意中の相手を射止められなかったのだから仕方ない。
そのままシャンパンを配っている給仕を探そうと辺りを見回し──見つけてしまった。
ドラコ・マルフォイとダフネ・グリーングラスが、ダンスの輪から少し離れたところで談笑している。
寄り添いあって微笑みあう二人の姿は、どう捉えてもお似合いのカップルそのものに見えた。
喉の奥を締め付けられたようで、気道が細まって息が吸えない。
とっさに目を逸らそうとしたとき、タイミング悪くもドラコが顔を上げた。距離はそれなりにあるはずなのに、視線が交わる。──瞬間、呼吸とともに時間すら止まったかのような錯覚に襲われた。
ぐらりと揺れる世界から逃げ出すように、ルークはおぼつかない足取りでその場を離れた。呼吸が荒くなるのを必死に抑えながら、静寂を求めてバルコニーに出る。
扉を閉じるとバンドの演奏も歓声も一気に遠ざかった。
ようやく息が吸えるような心地で、ルークは手すりに凭れかかる。小刻みな体の震えはきっと、真冬の突き刺すような寒さのせいだ。
クレールの元に戻らなくては──頭ではわかっていても、足を動かす気力がどうしてもわかなかった。
そのとき、 キィ、と控えめな音が背後から聞こえ、弾かれたように振り返る。そして呻いた。
「……ドラコ」
どうして来るんだと、叫びたいような衝動にかられて苦々しげに顔を顰める。
「……邪魔をしたか?」
「いや、別に……少し風に当たってただけだから」
「彼女は一緒じゃないのか?」
ドラコの声色には、どこか嘲るような色が含まれていた。
「何が言いたいの?」
「別に──ただ、君があんな人形みたいに不気味な女性を好むとは思っていなくてね」
「クレールが不気味だって? どこを見て言ってるんだ」
いつもの軽口とは明らかに違う、険のある口調がますますルークの不機嫌を刺激した。
しかしそんなルークの返しがドラコも気に食わなかったらしい、端正な顔立ちがわずかに歪む。
「作り物みたいな顔をしてるじゃないか」
「君って人の容姿にいちいちケチをつける性格だった? それを言ったら、君の選んだグリーングラス嬢はどうなんだよ。彼女だって高飛車に澄まし切った顔で、いつも周りを見下してる」
──思ってもないことだ。頭に血が昇って、ルークはもはや自分が何を言っているのかもわからなくなっていた。
大体、なんだってドラコはこんなに苛立っている?
「僕のパートナーに随分と好き勝手言ってくれるな」
「──ッ、だったら! こんなところで僕に構ってないで早く愛しの彼女のもとに帰ればいい!」
「あぁそうするさ。君もさっさとあのお人形さんの元に戻ればいい。そうしてへらへら笑ってみっともなく甘えたらどうだ?」
プツン、と頭の奥で何かが切れる音がした。
「……君は──考えたこともないんだろうな」
声が
もうどうにでもなってしまえと投げやりな衝動に、思考力を奪われる。
「僕がどれだけ苦しんで君の前で──友達の仮面を外してしまわないようにって、必死で、努力してるなんて……知らないだろ」
「──そん、な」
ルークの言葉に、ドラコは刺されたような顔をした。
どうして君が傷ついたような顔をするんだと、理不尽な怒りに嫌でも身体が震える。
「そんなに僕と友人でいるのが嫌なら、突き放せばいい!」
「そうじゃない!」
もはや、誰かに聞かれるかもしれないという懸念は頭から吹っ飛んでいた。
頭の中が真っ白で、衝動のままにルークは胸の内を吐き出す。自覚から短い間で溜まりに溜まった感情は、もうとっくに溢れる寸前だったのだ。
「そうじゃなくて、僕はただ、君が好きなんだ。──ただの友達として好きなだけなら、こんなに苦しむこともなかったのに……」
吐き出して、彼の、ドラコの顔を見て──一瞬で正気に引きずり戻された。
己の失言に気づいたルークは、死の淵に叩き落されたような絶望感に襲われた。
もう、再び顔を上げることなんてできなかった。青褪め、よろめきながらあとずさり、後ろ手にバルコニーの扉を開ける。
とたん押し寄せた喧騒と熱気すら、どこか自分から遠い世界のような気がした。
──そのあとのことは、もうほとんど覚えていない。クレールに何かを言って、逃げるように会場を離れた。
ドレスローブを脱ぐこともなく、ベッドに潜り込む。心臓が凍結呪文で凍らされてしまったみたいで、涙すら出てこなかった。