ハリー・ポッターの双子の弟   作:詩月(SHIZUKI)

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48.

 はっと目を覚ますと、見慣れない天井が視界に広がった。

 いつもより段違いに寝心地の良い、厚みのある布団にくるまれている。

 

(ここ──どこだっけ)

 

 ポッター兄弟は揃ってあまり朝に強くない。ぼんやりと思考にかかった靄を晴らすように、ルークは上体を起こして頭を振った。

 自室とはまるで違う広い部屋、ベッドが三つ。まだ薄暗い中に双子の兄とその親友──ロンの寝息が響いている。

 

(そうだ……シリウスの家だ)

 

 覚醒するのと同時に昨日──正確には今日の夜中──の記憶が激流のように押し寄せてきて、ルークは思わずこめかみを押さえた。三十日近くも無為に過ごしてきたのに、一日でこんなにも事態が急変するなんて。

 

 昨晩、ハリーはマグルの住宅街でディメンターに襲われた。ルークはその場にいなかったので、詳しいことはわからない。ただ、ダドリーが一緒にいたにもかかわらず守護霊の呪文を行使したことで、魔法省からホグワーツ退学を知らせる手紙が届いた──これがすべての始まりだ。

 そして真夜中、ダーズリー家にやってきた八人の魔法使いに護衛されながら、ポッター兄弟はグリモールド・プレイス十二番地……ここ、ブラック邸へと連れてこられた。

 名付け親や友人たちとの再会で大いに喜びあえたかというと……そうでもない、というのが現実だった。

 

「──っ、」

 

 隣のベッドでハリーが身じろぐ気配に、ルークは思わず息を詰めた。……昨日の今日で、何となく兄と顔を合わせるのが気まずい。

 物音を立てないように全身全霊で神経を尖らせながら、ルークは滑るようにベッドから降りる。泥棒にでもなったかのような心地を味わいつつ慎重に部屋を出て、少し歩いた先でようやく息を吐き出した。

 しかし屋敷内がどうなっているかわからないせいで、下手に動くこともできずに立ち尽くしてしまう。

 ──どうして自分はこうなのか、と幼少期から厭になるほど繰り返した自己嫌悪で吐き気がした。

 

「ルーク?」

 

 思考回路が負のループに沈み込んで完全に無防備だったため、心臓が文字通り飛び上がった。

 振り返ったその勢いで、長い髪がパッと揺れる。

 

「ぁ、……シリウス」

「随分と起きるのが早いな。──よく眠れたか?」

「うん、それはもう……ぐっすり」

 

 ルークの返しに、シリウスは少しばかり眉を下げて笑った。小さい子のイタズラに困らせられたような表情。

 

「それにしては浮かない顔をしている」

 

 誤魔化しはやはり効かないか──と、ルークも大人しく肩をすくめた。シリウスは優しく目を細め、ルークの肩に手を置く。

 

「昨夜のことを気にしているのだろう? ……ハリーは、君を除け者にしたいわけじゃないさ」

「うん……わかってる」

 

 ふ、と乾いた笑いが零れた。

 ──わかってる。本心だ。心の底から理解している。

 

「ハリーは正しいよ。僕は『例のあの人』と戦う覚悟なんて無いんだ。『騎士団』に、入れる器じゃない。──入ることを、望んでもない。そんな僕に……情報なんて渡さないのが正解だ」

 

 今、魔法界はどうなっているのか。

 ヴォルデモートはどう動き、何をしようとしているのか。

 ダンブルドアが対抗組織として創ったという『不死鳥の騎士団』──ここブラック邸を本部とする彼らが、どんな活動をしているのか。

 

 ハリーはすべてを知りたがった。

 そして、そのすべてからルークを遠ざけたがった。

 

 過去に魂を奪われかけ、拷問の呪いをその身に浴びたルークはヴォルデモートに対して相応の恐怖心を抱いている。

 悪夢に呻き、真夜中に飛び起きた回数は夏休みの間だけでも両手では足りない。

 ハリーの行動は、そんな弟を理解しているからこそだ。……わかってる。

 

 ──寂しいなど、思う方が、傲慢だ。

 

「ルーク」

 

 肩に置かれたシリウスの手に、力が込められた。痛みを感じるギリギリ手前の強さに、思わず俯いていた顔を上げる。

 

「──君には残酷かもしれない。……しかし、私も、ハリーに賛成だ」

 

 シリウスのグレーの瞳が、真っ直ぐに……真っ直ぐ過ぎるほどに、ルークを射抜いた。

 

「僕が、弱いから」

「その言い方は正しくないな」

 

 視線が外れる。何かを考え込むように、彼はそっと顎髭を撫でた。

 

「……少し、昔話に付き合ってくれないか」

 

 着いてきてくれ。

 

 彼は短くそう言って、ルークの背に手を当てた。

 

 屋敷内は広い。外からはとても想像がつかないくらいに。きっと魔法で拡大しているのだろう。

 シリウスにエスコートされる形で辿り着いた部屋。足を踏み入れた瞬間、ルークは思わず感嘆の吐息を漏らした。

 部屋の奥、壁を覆う巨大なタペストリーが飾られている。色は褪せ、少なくない穴や(ほつ)れからも相応の古さが感じられた。しかしそれでもなお、見事な装飾の美しさに翳りは無い。刺繍糸の金色が、窓から射し込む朝日を反射しチカチカと瞬いている。

 

「──家系図?」

「あぁそうだ。我がブラック家のね」

 

 シリウスの骨張った指が、タペストリーの一番上を指した。

 

高貴なる由緒正しきブラック家

"純血よ永遠なれ"

 

 一際目立つよう太く大きく刺繍されたその文字に、つい頬が引き攣る。重すぎる『思想』は、触れると中々に痛いのだ。

 

「──シリウスの名前はどこにあるの?」

「……かつてはここにあった」

 

 彼の指が、今度は下部中央あたりを指す。そこには黒い焼け焦げがあった。まるでタバコを押し付けた跡のようにも見える。せっかく見事なタペストリーに、それは余りにそぐわない()()として映った。

 

「私が家出をした後、お優しい母上はわざわざ抹消してくださったんだ」

 

 彼の口調は穏やかなものだったが、言葉には確かな皮肉が込められていた。なんと返せばいいかわからず、ルークは黙り込んでしまう。

 

「……君に話したかったのは私の話でも、純血主義を拗らせた我が家系の話でも無い。──彼の、話だ」

 

 シリウスの長い指が一点を指し示す。焼け焦げの隣に、その名は刻まれていた。

 

「──レギュラス・ブラック……?」

「弟の名だ」

「えっ! あなたにも弟がいたの?」

「あぁ。君たちと違って双子では無いがね。二つ下だった」

 

 ──懐かしむ、気配はなかった。その声の平坦さには、いっそわざとらしさすら感じる。

 

「……亡くなったの」

 

 タペストリー……レギュラスの名前の下には、生年月日の他に死亡年月日が記されていた。十五年前に亡くなったらしいとわかる。

 

「愚かな弟だった」

 

 シリウスは静かに言った。

 

「愚かだが……私より余程、()()()()だった」

「……」

「レギュラスは、死喰い人に加わったんだ」

 

 ルークの喉が鳴った。大きく見開かれたグリーンの瞳が揺れる。

 

「ご、ご両親も?」

「いや違う。……しかしヴォルデモートの思想に賛同はしていた。あの時代、純血主義を掲げる家系は皆そうだった」

 

 シリウスの形の良い唇が歪んだ。

 

「レギュラスがアイツの配下となったこと、両親は喜び誇りに思ったはずだ」

 

 吐き捨てるような口調にも、彼の苛立ちと嫌悪が乗っている。

 

「……レギュラスさんは、どうして、その……」

 

 亡くなったの。

 

 その問いは、ほとんど音にならぬまま吐息として唇から零れる。しかしシリウスは、ルークの疑問を取りこぼさなかった。──その話をするために、名付け子をここに連れてきたのだから。

 

「弟は、ヴォルデモートに殺された」

「ッ、な」

「ヴォルデモートの命令で殺された、という方が正しいのだろうな」

 

 シリウスは淡々としたものだった。表情を崩すことも無く、タペストリーに刻まれた弟の名を見つめている。

 

「弟は……レギュラスは怖気付いたんだ。ヴォルデモートという存在に……ヴォルデモートに命令されて、己がしていることの重さに気付き、恐怖を知ってしまった」

「……」

「逃げようとしたのだろう。……だが、ヴォルデモートが大人しく辞表を受け取るなど有り得ない」

 

 彼の指が、そっと、レギュラス・ブラックの名を──そして下に刻まれた、死亡年月日の上を滑る。

 

「ヴォルデモートに恐怖を覚える者は、覚悟よりも恐怖が勝ってしまう者は、彼奴に関わるべきじゃない。それが……どんな形であっても」

「……レギュラスさんを──」

 

 ルークの声が、微かに震えた。

 

「──弟を、愛してた?」

「っ、……どう、だろうな……」

 

 くしゃりとシリウスの顔が歪んだ。それは、この部屋に来て初めて彼が見せた、哀しみの色。

 

「ずっと、分かり合えない存在だった。……だが、……愛したいとは、思っていた」

「……そっ、か」

 

 それ以上、彼を見ていられなくてルークはそっと視線を外す──そして、息を、呑んだ。

 

「…………ど、らこ」

 

 巨大樹の枝のように張り巡らされた家系図、その端っこ。

 ドラコ・マルフォイの名が、刻まれていた。

 生年月日もルークが知るものと一致する。間違いなく彼だ。

 

「し、シリウス、なんでブラック家の家系図にマルフォイがいるの?」

「──あぁ」

 

 なんてことないように、シリウスは軽く首を振った。

 

「親戚だからだ。純血を保つために聖28一族は結婚を繰り返している。ここに名が無いのはウィーズリーくらいだろう」

「……そ、う……なんだ」

 

 ルークはまるで、吸魂鬼に背を撫でられたかの如く身を震わせた。

 恐怖と言うより、いっそ畏怖にも近しい感情が腹の中で蠢き、脊髄を凍らせ、脳を麻痺させ、視界を白く明滅させる。

 ──思想など、個人の自由だ。

 ルークは、言葉にせずともそう思っている。

 恋人(ドラコ)が純血主義であることを、特別不快に思ったことは無い。ハリーやロン、シリウスたちのように『純血主義』という思想そのものを否定する気は起こりえなかった。己の血に誇りを抱き、それを守るために尽力するという根底だけなら共感すら出来る。……もちろん、ハーマイオニーが『穢れた血』などと罵られてしまえば別だが、ドラコがルークの前でその言葉を口にしたことは無い。それが、全てだ。……全てだった。

 しかし──、

 

(こんなのは、もう、呪いだ)

 

 思想と一言で纏めてしまうには、積み上げられた歴史が、積み重ねられた血族が、積み立てられた犠牲が重すぎる。

 それらが鎖となってドラコの身に絡み付く幻影を、ルークは確かに見た。

 

(──恐怖を覚える者が、ヴォルデモートに関わるべきじゃない)

 

 だけど、

 

(関わらないという逃げ道が、最初から無いのなら)

 

 その先に、待っている運命は──

 

 ふっ、と、ルークの思考は不自然に途切れた。意図的に、途切れさせたのだ。

 これ以上、何を見ても、何を考えても、自分にはどうすることも出来ない、出来ないのだから……。

 

 こうして、彼は、彼らは目を逸らし続ける。

 ──逸らし続けたその先に、()()()が訪れるのは、必然だったと言えよう。

 ルーカス・ポッターの身と、ドラコ・マルフォイの魂を蝕む運命は、彼らの()()の先で牙を尖らし待ち受けていた。

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