マルフォイとの一件があってから、ルークの日々は劇的に変わった──ということもなく、相変わらず魔法に関しては上手くいかない日々だった。
しかしそれでも意識を少し変えただけで、息のしやすさも大きく変わる。前のように、できないことに異様なほどの焦りを感じることはなくなった。
あと、前は率先して馬鹿にしてきたマルフォイがルークに対して大人しくなったのも大きい。目の前で赤子のようにギャン泣きされたのが効いたのだろうか。それに関しては羞恥という点でルークの方がダメージが大きいのだが。
ほかのスリザリン生の嫌味や、他寮の生徒にされてる噂話も大して気にならなくなった。新しい環境に慣れず感情が振り回されてしまっていたが、元々ルークは打たれ強い性格なのだ。
──気持ちがちょっと沈んでも、空から見たあの美しい景色を思い出すとたちまちふわりと上昇する。
いままでは一ミリだって飛べなかった箒も、今や二メートルくらい浮かんだ状態からゆっくりでも水平移動ができるようになった。
少しずつ、できることが増えている。
今日の呪文学の授業は浮遊呪文の実践だった。二人一組になって羽を浮かばせるというものだ。
このクラスで既に四、五回爆発を起こしているルークは不本意ながらフリットウィック先生と組むことになっている。
不本意、ではあるが仕方の無いことなので文句も言えない。
先生付きっきりだったおかげか何とか爆発も不慮の事故も起こすことなく授業を終えることが出来た。羽はピクリとも動いてくれなかったが。
フリットウィック先生はそんなルークにも「気にする事はないよ」と優しく声をかけ、小さな手で励ますように肩を叩いてくれた。
この学校の教師はできない生徒にも寛容で優しい。
ホグワーツ入学が決まる前、もともと通うことになっていたストーンウォール校では容赦なく鞭で叩かれていたのだろう。もっとも、マグルの学校では落ちこぼれになることも無かっただろうが。
***
「ハリー、ロン!」
フリットウィック先生と話していたために少し遅れて呪文学の教室を出たルークが彼らに声をかけると、ふたりはなんとも微妙な表情を浮かべて振り返った。
「どうしたの?」
「あー、いや、その、なんでもない」
「うん、アレだ、なんでもないよ」
「絶対なにかあるやつだ」
あまりに下手な誤魔化しに思わず呆れたような声が出たが、それ以上は突っ込んで聞かなかった。
言いたくなさそうなことを無理に聞き出すような性格じゃない。
「それより、早く広間に行こうぜ。今日はハロウィーンだからきっとご馳走だ」
「あ、ごめん先行ってて。僕は地下牢教室に寄ってから行くよ。スネイプ先生に質問があるんだ」
そのルークの言葉に、ハリーとロンは揃って百味ビーンズの激マズ味を引き当てたような顔をする。
「こうい言うのもなんだけど……君おかしいよ」
と、ロンが言う。ハリーにも頷かれ、ルークは苦笑いを浮かべるしかない。
「魔法薬学、楽しいんだよ。スネイプ先生もあれで結構優しいし」
「優しいだって?!」
見事なほど、ふたりの声がピタリと揃った。
「どんな質問をしてもちゃんと丁寧に教えてくれるし」
「それは、教師だからね」
「めちゃくちゃ嫌味言われるんじゃないの?」
「そんな事ないよ……まぁ、全く嫌味が無いわけじゃないけど、それも最近は無いし」
うげぇ、と二人から顔を顰められてルークもそれ以上は口を噤んだ。何を言おうとたぶん同意は得られないだろう。初日の授業以降もハリーとロンのふたりは……というよりハリーは、スネイプ先生の目の敵のように嫌われている。減点も他の生徒に比べてひときわ多い。
もっとも、ふたりの作る薬の出来もお世辞でだって良いと言えるものでは無いが。
「まぁ苦手科目があるのは仕方ないし、大丈夫だよ。僕なんてほとんど苦手科目だ」
「……でも最近のルークは結構調子いいよね。元気になったし、本当に──安心したよ」
「うん、心配かけちゃってごめん」
「そんなこと気にしないで。なんかあったらちゃんと言うんだよ。僕は……ルークの兄なんだから」
「うん、誰よりも頼りにしてる」
初見じゃなかなか兄弟だとバレないくらいふたりは似ていない兄弟だ。容姿も、性格も。それでもルークにとって、ハリーにとって、お互いが世界でいちばん大切な存在には違いなかった。
「でも、何かあったの? 急に元気になったよな」
ロンの口にした疑問に、ルークは曖昧な笑みだけを返した。
マルフォイとの飛行の話は、自分の胸の中だけにしまっておきたかったのだ。だって、彼らは本当に仲が悪い。
ルークに突っかからなくなったマルフォイは、それでもハリーたちには元気よく嫌味を飛ばしているし、対するロンやハリーも結構言い返す。
根っこから合わないのだろう。仕方がない。
「あ、じゃあ僕こっち行くから。また後でね!」
ハリーたちと別れ、ルークはすっかり慣れてしまった地下牢教室に続く廊下を小走りで進んだ。
「また来たのかね、ルーカス・ポッター」
「あはは……また来ました、スネイプ先生」
授業が終わり、生徒の居なくなった地下牢教室。その教卓の椅子に腰かけて課題として回収したレポートを採点していたであろうスネイプの言葉に、ルークは慣れたように屈託のない笑顔を返す。
スネイプの嫌味にも聞こえる言葉が半ばポーズに近いものであることには、ほとんど確信を持っていた。
もっとも、そんなことを指摘しようものなら容赦なく寮から点が引かれそうなので口にはしない。
「今日はいったい何に
「これです」
ルークは小脇に抱えていた二冊の本をスネイプに見せた。どちらも図書室で借りたものだ。
「この『笑いが止まらなくなる薬』の作り方で、こっちの本には『乾燥ミミズをすり潰して粉状にする』って書いてあるんです。でもこっちは『荒く刻む』って書いてあって……。どちらが正しいのかなって。ほかの手順に違いは無いし、出版年度も余り変わらない。薬の出来に違いが生まれないものなんですか?」
少し早口になったルークの質問にスネイプは一瞬、言葉を選ぶように黙った。
そしてすぐに、驚くほどわかりやすく詳しい説明が返ってくる。
ルークがスネイプの好きなところをひとつ上げるとしたら、一の質問に十を返してくれるところだ。広い範囲で実用性のある知識を授けてくれる。そしてそれはとても分かりやすく、ルークを魔法薬学の沼にズブズブと沈めるのだ。
「あぁ……そういう事だったんですね」
「きちんと理解はできたかね」
「えぇ、はい! つまりあれですね、『おできを治す薬』で蛇の牙を砕くのと同じ原理だ!」
興奮したルークの口調に、スネイプはほんの僅かに目を見開いた。
「──ポッター、少し待っていろ」
はい、と返事をする間もなく、スネイプはローブを翻して教室の奥の部屋へと消えていった。
そして二分も経たないうちに帰ってくる。その手には片手に収まるような大きさの本があった。濃いグリーンの表紙に書かれた銀色の文字は掠れていて良く読めない。
「ルーカス・ポッター。授業時間外でも魔法薬の調合をしたいと望むかね」
ひゅ、とルークは鋭く息を吸い込む。もしかしてという期待に心臓がバクバクと騒ぎ始めた。
「えぇ、それはもう」
「ならばその機会を与えよう」
本当ですか?! と興奮のまま身を乗り出したルークを、スネイプは少し語調を強めて抑えた。
「ただし、我輩の課す特別試験をパスしたらだ。魔法薬の調合には授業内でも再三言っている通り危険を伴う。中途半端な熱意、知識しか持たぬ者に機会を与えてやるつもりは毛頭ない」
「──っ、試験、ですか?」
「その本の第一章に載っている魔法薬の中からひとつ、当日指定した魔法薬を調合してもらう。その出来が良ければ、この教室を貸して更なる知識と技術を授けてやろう」
そう言って、スネイプは小さく口角を上げた。
やれるものならやってみろ、まるでそう言われているみたいだ。ルークは興奮が全身に広がっていくのを感じた。自分が、期待されている──そう思ったから。誰かに期待されている実感なんて、生まれて初めてだ。
「やります。やってみせます」
「よろしい。試験は十日後、この時間に行うものとする」
「受験者は僕以外にも?」
「君とあとひとり──ドラコ・マルフォイだ」
ルークは思わず歓喜の声を上げそうになった。これは、彼と友達になるチャンスでもあるかもしれない。俄然やる気も湧いてくるというものだ。
「ありがとうございました! 失礼します」
今日はなんて素晴らしい日だ。
ルークはスキップでも始めそうな軽い足取りで地下牢教室を出ていった。