「ハリー、ハリー起きろよ。もう朝だぜ」
「う……ルー、ク……?」
ハリー・ポッターはベッドの上で身じろいだ。窓から差し込む朝日のまばゆさに邪魔されて、上手く目を開けられない。身体に通常の何倍もの重力がかかっているかのような錯覚──昨夜なかなか寝付けなかったせいで、新学期初日だというのに十分な休息が取れたとは言い難かった。出来ることならこのまま再び眠りに身を委ねてしまいたい。
「はは……寝ぼけてるな君。僕はルークじゃなくてシェーマスだよ」
強力な磁石のようにくっつきあっていたハリーの瞼が、その言葉でぱちんと弾かれるように離れた。しかしどんなに目を見開こうと、落ち切った視力ではベッド脇に立つ人物の顔を認識できない。手探りで掴んだ眼鏡を掛け、ようやくハリーは息を呑んだ。
「……シェーマス」
「おはよう」
困ったように、そしてどこか気まずそうに眉を下げて笑うのはルームメイト五年目の友人、シェーマス・フィネガンに違いなかった。
さざ波のように脳内を駆け巡る、昨夜の言い争い。きっかけを作ったのは
そもそもこうして彼が起こしに来てくれるなんて、思ってもみなかったのだから。
「ハリー」
降りかけた沈黙は、シェーマスが破った。
覚悟を決めたようにハリーを見つめ返す瞳に揺らぎはない。
「昨日はごめん」
「……えっ」
「ハリーを……君たち兄弟を嘘吐きだなんて貶めるつもりはなかった。……ただ怖かったんだ。『例のあの人』が復活したなんて信じたくなかった。……本当に馬鹿だよね。ハリーとルークがこんな酷い嘘をつくはずないって、頭ではわかってたはずなのに」
「……僕たちのこと、信じてくれた?」
「うん。……顔も見たことない日刊預言者新聞の記者よりも、四年間一緒に試験を乗り越えてきた君たちを信じる」
シェーマスは笑って、照れ臭そうに鼻を掻いた。
その姿を見て、あぁ──と、思わずハリーは吐息を漏らす。安堵か歓喜か、いずれにせよもうずっとささくれ立っていた心が、すぅっと凪いでいく。
「ありがとう」
その一言で充分だった。いや、むしろ、その一言が全てだった。
「いやぁよかった!」
緩んだ空気に良く響く、ロンのわざとらしい声。隣には、呆れたようなホッとしたような表情のルークとディーンがベッドの柱に寄りかかっていた。
「この一年間、ずぅっとギスギスした空気の中で寝起きしなきゃいけないのかと思ったぜ」
「去年もハリーが代表に選ばれてからはそうだったもんね」
「ウグッ、その件は俺にも刺さるんだけど……えっ、まだ怒ってる?」
焦ったディーンに顔を覗き込まれ、ルークはにぃっと笑う。
「どうかな」
「ちょ、ごめんって! 俺はもうお前らのこと全身全霊で信頼してるからさぁ」
「はいはい」
そんな軽口のたたき合いを見ていたハリーが、とうとう声をあげて笑った。
──笑ってる顔、久々に見たな。ルークの頬が緩む。今年度はいつになく不安に満ちていた学校生活だったが、どうやら杞憂に済むかもしれない。
希望を抱く感覚も、随分と久々だった。
***
「希望なんてどこにもないよ……」
「おい、ルークのやつは一体どうしたんだ?」
数か月ぶりにホグワーツの朝食を堪能していたロンが、ふと顔を上げては面食らったように身を引いた。
「ついさっきまでニコニコしてたのに!」
「ヒント、さっきマクゴナガルに時間割を渡された」
「それってもう答えじゃない?」
「そうとも言う」
「……まぁ、落ち込む気持ちはわかるよ」
シェーマスとディーンの会話を聞いて、隣に座っていたネビルがちらとルークに目をやった。
「僕も正直、今年を乗り切れる気がしないんだ。……何せ、学年末にはO.W.L試験が待ち構えてるんだから」
更なる『現実』という追い打ちを食らいったルークはべシャリとテーブルに突っ伏し、ひしゃげたカエルそっくりの声で鳴いた。フォークを右手に握りながらも、もう食欲はわきそうにない。
「あら、これから必死に努力すればいいのよ。今から始めれば全く遅いなんてことは無いわ」
「簡単に言うなよ! 僕たちと
「……ロン、あなた仮にも監督生でしょう。そんな調子で許されると思ってるの?」
鋭い指摘に眉を跳ね上げたロンだが、結局何も言い返せなかった。
「大丈夫だよ……」
今にも死にそうな弱々しい笑みを浮かべ、ルークはロンの方を見た。
「下には下がいる」
去年から補習地獄を抱えているルークの言葉には、悲しいかな絶対的な説得力がある。ハリーとジニーが両サイドから、ポンとルークの背に手を当てた。出来うる最大限の慰めである。
「僕はもう、魔法薬学さえパスすればいいんだ」
「ルークって、将来は魔法薬学の研究者になるの?」
純粋なネビルの質問に、ルークははたと目を瞬いた。
──将来。
漠然と、遠いところにあると思っていたものだ。
「考えたこともなかった……」
『例のあの人』の復活、ドラコとの関係、O.W.L試験──直近で色々な
ルークは途端、足元がぐらつくような不安感を覚えた。……例えば五年後、十年後、自分はどこにいるのだろうか、誰といるのだろうか──そもそも生きて、いるのだろうか。
「まぁ、まだ卒業まで三年あるわけだからさ」
のほほんと間延びしたロンの言葉は、するりと脳を通過していった。