新学期始まっての一週間は、地獄のような日々だった。授業の進行速度はこれまでの比ではないほど速く、おかげさまで課題レポートの山は
そうして一学生としてただ生活するのもしんどい日々の中で、アンブリッジの罰則は『支障』以外の何物でもない。手の甲にはハッキリと【僕は嘘をついてはいけない】の文字が残り、ポッター兄弟は常に袖を引き延ばして手を隠さなければならなかった。
「──やぁ、ルーク」
「セドリック!」
地下牢教室に隣接した魔法薬材料の貯蔵室、突如として現れた青年にルークは目を丸くした。
「どうしたの? 授業外にこんなとこ……僕以外に来る人なんて滅多に居ないのに」
「君を探してたんだ」
薄暗いランタンに照らされた笑顔のなんとハンサムなこと。女子たちが彼に黄色い悲鳴をあげる理由を一瞬にして納得させられてしまう。──こんな彼がライバルだなんて、片割れもなかなか大変だ。
「えぇっと、ハリーじゃなくて、僕に?」
「ごめん、その……正直に言うと
「……あの夜のこと?」
セドリックは神妙に頷く。ルークは手に持っていた月長石の瓶をそっと棚に戻した。
「僕の父は、魔法省に勤めてるんだ」
自然と、ルークの身体が強ばった。魔法省──正直、今はあまり聞きたくない言葉だ。
ルークの警戒は露骨に伝わったのだろう。セドリックは慌てたように手を振った。
「ごめん、君たちを批判しようとか、そういう話じゃないよ。……確かに父は、『例のあの人』の復活に懐疑的だけど……それ以上に、魔法省の方針がおかしいって意見を示してる」
「……どういうこと?」
「魔法省は『やりすぎ』ってことだよ。アンブリッジがいい例さ。教育機関であるホグワーツにまであんな……
「……」
「僕も、父と同じ意見だよ」
優しい光を湛えた灰色の瞳が、まっすぐにルークを捉えた。さすがは誠実と慈愛の精神を資質とするハッフルパフ寮生だ。彼の声も、眼差しも、ルークへの気遣いに満ちている。
「だから、ちゃんと聞きたかったんだ。──僕はあの夜、君たち兄弟を置いて先にホグワーツに戻った。……それはとても……幸運なことだったのか、って」
「幸運だったよ」
ルークは即答した。迷う余地など、どこにも無かった。
「あのおぞましい光景を見ずに済んだんだ。セドリック、君は確かに幸運だったよ」
くしゃりとセドリックの表情が歪む。何かを悔やむように、彼の拳が傍目に見ても分かる強さで握られた。
「……ごめん。本当は年長者である僕が残って、君たちを守るべきだったのに」
「──ッ!」
「トーナメントに代表選手として選ばれておきながら後輩を守ることも出来ないなんて、自分が情けないよ」
「そんなことない!!」
自分でも驚くような大声がルークの口から飛び出た。勢いに任せて踏み出した片足が、埃の積もった石床を叩く。
「セドリックが感じる責任なんて、ひとつも無いんだ。──『例のあの人』は僕たち兄弟をあの墓に呼び寄せた。君は、巻き込まれたに過ぎないんだよ。……むしろ君が真っ先にあの場を離れられて良かったって思ってる。……君に何かあったらなんて、考えたくもないよ」
「ルーク……」
「『例のあの人』の復活は事実で、
言葉が段々と尻すぼみになっていく。あの夜、人死が一つも出なかったことが如何に奇跡だったかを改めて思い知らされて、じわりと滲む恐怖が身体を縛る。
「……ありがとう、ルーク。ようやく、
「情けなくなんかないよ。僕だってきっと、当事者じゃなければ目を逸らしてた」
「いや、」
セドリックは苦笑しながら、ゆるりと首を横に振った。
「当事者じゃなくても、君はきっと正しく現実を受け入れてたよ。──だって君は、紛れもなく勇敢なグリフィンドール生だ」
その言葉は、セドリックの意図せずルークの心臓を残酷に突き刺した。
(僕は勇敢なんかじゃない)
グリフィンドール生を名乗るのも烏滸がましいほど、臆病で、自分本位だ。
抑えようもない羞恥心が込み上げる。なんと馬鹿で愚かで情けない──それでも、抜け出せない。
「──ありがとう」
そんな醜い自分を、隠すのだけは上手で嫌になる。
ルークはいっそ完璧に、美しく
***
「あらルーク、遅かったわね」
「うん、ちょっと放課後の準備をしてたんだ。魔法薬学の……あっ、隣座っていい?」
「もちろんよ」
ありがとう。そう言いつつジニーの隣りに腰掛けたルークは、いつものメンバーが誰一人広間のテーブルについて居ないことに気がついた。
「ハリーに、ロンにハーマイオニーは?」
「ロンとハリーはアンジェリーナに連れて行かれたわ。クィディッチの練習のことで話だって」
「あぁそっか、もう練習始まってるもんね」
「ハーマイオニーはさっきまで居たんだけど、フリットウィック先生に聞きたいことがあるって言って出て行っちゃった」
「お昼ぐらいゆっくり食べればいいのに……まぁ、ハーマイオニーらしいか」
苦笑しながら、ルークはカトラリーを手に取った。しかしどうしても、目の前のランチを取り分ける気力が湧かない。
「どうしたの、ボーっとして……食べないの?」
「あー、その、あんまりお腹減ってなくて。……ちょっと寝不足でさ」
ヘラりと笑いで誤魔化そうとするルークを、ジニーはしかし許さなかった。
「これぐらいは食べておいた方がいいわ。午後の授業も長いんだから……あぁでも、無理はしちゃだめよ」
「ありがとう、ジニー」
「──おはようジニー、ルーク」
背後から聞き馴染みのある声がかかり、ルークとジニーは揃いの赤毛を揺らして振り返った。
「ルーナ! おはよう」
「おはようルーナ、始業の日以来だね」
ルーナ・ラブグッド。ジニーの同級生である彼女は、ルークにとって数少ない他寮の友人の一人だ。
コルクを紐で繋げたネックレスを首に垂らし、ショッキングピンクのメガネをかけた彼女は昼時の食堂に在ってもかなり浮いている。しかし当の本人も含めて、そんなことは全く気にもしない三人である。
ルーナは慣れたようにグリフィンドール席、ジニーの隣へ腰かけた。
「今日はハリーとロンがいないんだね。ハーマイオニーも」
「ハリーとロンはクィディッチのメンバーで集まってるわ」
「ロンってメンバーだったの?」
「今年からね。一昨日の選抜でキーパーに選ばれたの」
「へぇ」
ルーナはさして興味もなさそうに相槌を打った。
「ハーマイオニーはランチより勉強」
「ふぅん。それで、あんたはどうしたの? 酷い顔色」
「そうかな? 寝不足なだけだよ、大丈夫」
「大丈夫じゃない人ほどそういうのよ、ねぇルーナ」
ジニーに振られ「そぅだね」と返したルーナは大きな眼をぱちぱちと瞬いた。
「今のあんたって、ピンクのガマガエルに睨まれた赤いナメクジみたい」
「えぇ……僕ナメクジ? いやだなぁそれ」
「でも、ピンクのガマガエルってのは最高の喩えね」
ジニーは鼻を鳴らし、アンブリッジの下品な笑い方を真似た。
「あの女の授業、レイブンクローでも評判最悪だよ。だってつまんないもん」
「あんなのを教師として雇用するなんて、ダンブルドアは何を考えているのかしら」
「……」
ルークはふと黙り込む。……本当に、ダンブルドアは一体なにを考えているのだろう。彼は誰もが認める偉大な魔法使いだ。だからこそ、絶対的な地位と権力を持っていると思っていたのだが、実際はそう単純じゃないのかもしれない。
「ルーク」
「ん?」
「あたしはアンタたちのこと信じてるよ。友達だもん」
「──ありがとう。君ってやっぱり最高の友達だよ」