翌朝、ルークは東の空が白み始める頃に目を覚ました。
目を覚ましたというより、起き上がったという方が正しいだろうか。あまり充分な休息が取れたとはいえず、身体には疲労感が残っている。しかしこれ以上布団に潜っていたところで眠れる気はせず、結局ルークは寝間着から着替えてルームメイトの寝息が響く部屋を出た。
談話室に、まだ人影は一つも無かった。ソファに腰掛け、頭痛を耐えるようにこめかみを抑える。
不眠の理由は明らかだ。──昨日は、少しばかり迂闊だった。顔には出さなかったものの、帰寮と同時に忍びの地図を広げるハリーたちの姿を目にした瞬間は、比喩ではなく心臓が止まったかと思った。ルークは地図の存在こそ聞いていたものの、使ったことはない。だからこそ、失念していたのだ。もしもルーカス・ポッターの名前とドラコ・マルフォイの名前が並んで七階の廊下に現れるのを見られでもしたら、文字通りおしまいである。心配は杞憂に終わったものの、次もラッキーが起こるとは限らない。
ルークは溜息を吐いた。ただでさえ時間が無い。寸暇を惜しんででもドラコと一緒にいたいのに、なかなかそうも言ってられない現実が恨めしい。
その時、カタンと背後で物音がした。
「──ッ」
「ルーク、驚かないで。私よ」
「ジニー……」
「ふふ、流石はハリーの片割れね。いい反応速度だったわよ」
親友は自分と揃いの赤毛を揺らしながらクスクス笑って階段を降りてきた。
「おはよう」
「おはよう、ジニー。……早起きだね」
「えぇ、なんだか頭が冴えちゃって」
ジニーはふと窓の外に目をやった。冬の早朝は昏く、薄曇りの隙間から僅かに白い光が覗いている。
「よかったら、朝の散歩に付き合ってくれない?」
一瞬──
「もちろん」
ルークは少々ぼんやりした気質ではあるが、鈍感ではない。
ジニーが意味も無く誘ってきたわけではないと、当然気付いていた。
「そんなに強張らなくても、無理に何かを聞き出そうなんて思っちゃいないわよ」
ジニーは笑った。笑い飛ばしたという方があっているだろうか。少なくとも彼女の明るい笑い声は、ルークの緊張を和らげるには十分な効果を持っていた。
「ごめん」
「謝る必要だってないわ」
「君たちに隠し事をしてるのに?」
「秘密を持たない学生なんて、存在すると思うの?」
虚を突かれたように、ルークは足を止めた。ジニーはもう、笑っていなかった。
「私は、あなたが隠し事をしていることをトクベツ変になんて思っていないわ。私だって、
「……」
「あなたが話したいと思うならいくらでも聞く、けど、話したくないことを無理に聞こうとは思わない」
ママじゃないんだから。ジニーは冗談めかしてそう言った。
「ハリーはきっと、違う考えだろうね」
「そうでしょうね」
「僕もハリーも、親を知らない。魔法界に来るまではずっと……凄く狭い世界にいたから、普通の兄弟もたぶんよくわかってない。……ねぇ、ジニー。ハリーは、僕に対して過保護すぎると思う?」
「えぇ、思うわ」
ジニーはあっさり肯定した。あっさりしすぎていて、ルークが逆に動揺してしまうほどだ。
「誰が見ても思うわ、過保護だって。……でも、それを異常だとは思わないかな」
「えっ」
「個人差はあるけど、兄って生き物は下の
「あー……」
ルークはふと、つい最近ジニーに白昼堂々デートを申し込んだレイブンクロー生のことを思い出した。彼に対するロンのねちねちとした愚痴や嫌味の数々も。
「フレッドとジョージだって、おちゃらけて見えるけど私やロンのことを常に気にかけてくれてる。兄ってそういうものなのよ」
「そういうもの……か」
「──で、それを鬱陶しく思うあなたの感情だって、弟としては至極真っ当なものよ」
「う……っとうしく……?」
「思ってるでしょ」
ジニーははっきりと断定の口調で言い切った。
しかしルークはそれを素直に受け取ることができずにいた。目を泳がせ、脳内に漂う言葉の中から最もしっくりくるものを拾おうと必死になる。
「鬱陶しいというより、その……後ろめたかった、というか……」
「夜中まで恋人と逢瀬していたことを?」
ジニーの言葉は、視界外からふっ飛んできたブラッジャーのごとく、ルークの脳を激しく揺さぶった。
息が止まるかと思った。若葉色の瞳は瞬くことを忘れ、陸に打ち上げられた魚よろしく口をはくはくさせることしかできない。
同時に、冷たい汗が背筋を這った。──彼女は、どこまで
「言っておきますけどね、あなたに『秘密の恋人』がいることに気付いてる女子は私だけじゃないわよ」
今度こそルークは目を剥いた。なんで、とか、いつから、とか疑問はいくつも湧いてくるのに、そのどれも言葉にすることは出来ず、ただ混乱して固まるばかりだ。
そんなルークの姿が滑稽だったのか、ジニーは噴き出すように笑った。
「そんなに不安そうにしなくても大丈夫よ。──言ったでしょ、『気付いてる』って。
「そ、そんなに違いのある言葉かな、それ」
「あるわよ。あなた自身は秘密を完璧に隠せてる。感心しちゃうぐらいにね」
「じゃあどうしてその……
「だって……」
ジニーは笑った。どこか困ったように、あるいは呆れたように。
「最近のあなたは、ちょっと綺麗すぎるもの」
──唐突に、ルークは悟った。
ジニーは気付いてる。もしかしたら、その、他の女子たちも。
ルーカス・ポッターに、
「安心していいわ」
ルークが悟ったことを、ジニーもまた悟ったのだろう。彼女はなんてことなさそうに微笑んだ。
「ハリーやロンは、逆立ちしたって気づかないでしょうね。……一種の、女の勘ってやつかしら」
「それは……ちょっと怖いかも」
「ふふふ」
つられるように、気付けば無意識のままルークも笑っていた。──安心したからだ。
ジニーは気付いていない。ルークの恋人が、ドラコ・マルフォイであることに。
ルークの抱える後ろめたさが、同性愛と言うマイノリティな嗜好に起因する
「ハリーたちにはまだ、知られたくない」
「……わかった。私はあなたの親友だもの。協力してあげる」
「ありがとう、ジニー」
大きな秘密を隠すのに、小さな秘密を曝け出す有用性を、ルークはよく理解していた。
そろそろ戻ろうか、と口にしたルークに、ジニーは特に異を唱えることも無く頷いた。
日はとうに昇り切り、早朝の空気はすっかり朝の空気へと塗り替えられている。
隣を歩くルークの表情はどこか憑き物が落ちたようで、朝日に照らされているも相まって随分と
その横顔を見上げ──なんて綺麗なんだろう。ジニーは素直に、そして他人事のように思った。
元より見目の整った親友であるが、五年生となったルークは見違えて美しくなったように思う。恋をしているものであれば一目で気付ける。彼もまた、恋心で磨かれた宝石だと。
ジニーのように一部の察しがいい女子は、そんなルークの纏う
もちろんジニーのように、どちらとも取らず傍観と沈黙を貫いている者もいる。
──どんな人なのかしら。
抱いて当然の疑問には、小さな落胆も付随していた。実を言うと、ジニーは少しばかり期待していたのだ。ルークが『恋人』について、自ら語ってくれることを。相手が誰とは言わずとも、どんな人かぐらいは教えてくれるんじゃないかと思っていた。
だって、ルークの相手はあまりにも、謎に包まれすぎている。
親友として近い距離で、そして真っ新な目でルークを見てきたジニーですら、見当がつかない。……それはとても、危ういことのように思えた。
(……なんだか、胸騒ぎがする)
しかしついぞ、その不穏を口に出すことは叶わなかった。