ホグワーツが深い雪に埋もれる季節がやってきた。
クリスマスの気配が近づく校内の雰囲気は、しかしとても楽し気とは言えない。
ドローレス・アンブリッジの権力は強まる一方であり、日に日に増える教育令は生徒たちのストレスを大いに増幅させた。ハリーも例外ではなく──むしろ最たる被害者と言っていい──アンブリッジに対して癇癪を爆発させることも度々あった。それでも特別に大きな揉め事を起こさずに済んだのは、彼にとってストレスを吐き出せる場を持つことができたおかげだろう。
──
初めてその話を聞いた時、ルークは思わず盛大に顔を引き攣らせた。何ともまぁ大胆なことを考えたものだ、と。
ハリーはどこか控えめに、そしてハーマイオニーは熱心にルークも軍団に参加して防衛術を磨くべきだと誘ったが、ルークはそれを丁寧に断った。理由はいくつも並べられるが、もっぱら断りの言い訳に用いたのは『いま抱えているタスクで手一杯』という内容だった。紛れのない事実である。学年末のO.W.L試験に向けて、ルークは呪文学と変身術で抱えた補講で瀕死になっていた。
闇の魔術に対する防衛術の担当がアンブリッジに変わったことで、ルークがこの科目における落ちこぼれを脱却できたのは、まったく皮肉としか言いようがない。
そんなこんなで加入を見送ったDAの存在はルークの生活に何の影響も与えないと思われたが、実際のところそうではなかった。会合場所として、必要の部屋が選ばれてしまったために。
明け透けに言うならば、ルークとドラコが落ち着いて逢引きできる場所が失われたということである。──これには参ってしまった。顔を合わせるだけなら特別授業の行われる地下牢教室で事足りる。しかしまさか、スネイプがいつ現れるかもわからない教室で堂々とキスに耽けるわけにも行くまい。
困り切った二人だったが、解決策はルークが思いついた。何を隠そう、叫びの屋敷である。
三年生時に初めてシリウスと対面したその場所は、必要の部屋に次いで二人の『秘密の部屋』とするに相応しい場所であった。人は寄り付かないし、忍びの地図にも写らない。少々埃っぽくて、あちこち床が抜けそうにはなっていたが、(ドラコの)魔法で十分に対処できた。
「今年のクリスマスも、君はホグワーツに残るのか?」
ソファに腰掛け、ルークの肩に頭を預けていたドラコがふと思い出したように尋ねた。
「いいや、友人の家から招待を受けてる」
ルークは敢えて、友人が誰であるかを明言しなかった。しかしそれでも、察せられないわけが無い。ドラコは何か思うことがあったのだろう。静かに顔を上げて暫し何かを迷うように目を伏せた後、結局黙ったままルークの顎を持ち上げた。
──キスは言葉の代替として、実に都合のいいコミュニケーションだ。感情を上手く紡ぎだせない時、互いに互いの唇を塞いでしまうことで沈黙の言い訳が付くから。
ルークは目を閉じ、ほんの僅かに首を傾け慣れた口付けを享受していた。息を弾ませるような激しさはない。時折互いの舌先が触れ合うも、それ以上深くはならなかった。
幾度か離れ、触れを繰り返し、ようやくドラコはキスを終わらせた。そのままルークの首筋に顔を埋め、そして、囁くように言った。
「ウィーズリーが、羨ましい」
それは決して──決して、ドラコ・マルフォイが口にしていい言葉ではなかった。
だからこそ、ルークは聞こえなかったフリをした。
何も聞いていない。だから、何も言わない。ルークは黙ったまま、己の赤毛と似ても似つかぬ淡い金髪を悪戯にくしゃりと掻き撫でる。すると仕返しと言わんばかりに、首に擽ったさの延長戦にあるような痛みが奔った。執着とも支配欲とも言える、ドラコの悪癖である。咎めるように名を呼ぶと、返ってくるのは追撃。
また暫くは上手く首元を隠していないと──と、ルークはどこかぼんやり考えながら目を閉じた。
◆◆◆
その日の夜、ルークはなかなか眠れずにいた。夜が更けるにつれて妙に嫌な予感がさざめき、なかなか寝ようという気になれなかったのだ。──日付を超えて二時間ほど経ってからようやくベッドに潜り込んだが、それでも目は冴えたまま。
いっそ弱い睡眠薬でも飲もうかと一瞬過ぎった考えは即座に振り払った。いま無理に眠ってしまえば確実に、酷い悪夢を見て飛び起きる羽目になる。それは予感と言うより確信であった。
『例のあの人』の復活を目の当たりにしてからというもの、悪夢に眠りを妨げられる機会は格段に増えた。夢の内容は自分でもいっそ呆れてしまうほどに多種多様だ。
暗闇に浮かぶ死喰い人の仮面
古びた日記帳から伸びる青白い手
真っ直ぐに向けられる杖先と磔の呪い
振り返る素振りも無く遠ざかるハリーの背中
侮蔑と嫌悪を滲ませた友人たちの眼差し
──裏切者、と、誹る声
…………いつの間にか、微睡んでいたらしい。
ルークは己の悪夢ではなく、耳に飛び込んできた低い呻き声で覚醒した。
「……ハリー?」
苦痛に喘ぐような呻き声は兄の寝台から聞こえる。ルークはカーテンを開けて自分のベッドスペースを出た。
「ハリー、大丈夫?」
兄のベッドを隠すように引かれたカーテン越しに呼びかけるも、返ってくるのは苦しそうな唸り声ばかり。ルークは事態が深刻であると判断し、勢いよくカーテンを開けた。
「ハリー!」
寝台に横たわった兄の様子は見るからに尋常ではなかった。寝汗で髪はぐっしょりと濡れ、ベッドカバーを固く握りしめる拳と歪んだ顔は紙のように白くなっている。
「ハリー! ハリー起きて!」
身体を揺さぶり、頬を軽く叩くもなかなか目覚める気配がない。
騒ぎに気付いたのか、ロンやシェーマス、ディーンもハリーの寝台に集まってきた。そうして各々ぎょっとしたような声をあげる。
「ハリー!!」
何度目かの揺さぶりで、ようやくハリーの目が開いた。
限界まで見開かれたグリーンが恐怖と混乱に染まっているのを見て、ルークの背筋がゾッと冷える。
ハリーは肩を上下させるほど荒く息を吐きながらよろよろと起き上がり、ルークを、そして友人たちを見た。しかしすぐに痛みか目眩にでも襲われたのか、頭を抱えながらうつぶせになりベッドの端に嘔吐した。
「おいおい、大丈夫か?」
「俺マクゴナガルを呼んでくるよ」
言うや否やディーンが部屋を飛び出していく。ルークはその背に「ありがとう」と投げながら、己の寝台脇に置かれたチェストから小瓶を取り出した。
「ハリー飲んで。気分が良くなる」
青みがかった白色の液体を、ハリーは震える手で素直に受け取った。「安らぎの水薬」に種々のアレンジを加えたそれはオリジナルほど強い鎮静効果を持たないが、呼吸を整え吐き気や震えを止める程度には十分な効果を持つ。
ハリーは幾許か血の気を取り戻した顔で上体を起こし、真っ先にロンを見上げた。
「ロン」
「僕?」
「そう、君の……君のパパが、襲われた」
はァ、とロンの口から間抜けな息が漏れた。表情には驚きよりも困惑が強く滲んでいる。
「襲われたんだ」
ハリーは焦れたように再度はっきりと言った。
「そんな、まさか……きっと悪い夢を見たんだよ」
「夢じゃない! 見たんだ。僕は確かに……
ロンもシェーマスも、どこか助けを求めるようにルークを見た。しかしルークも、困惑の塗り広げた表情を返すことしかできない。ハリーの語る『夢』の内容は、ルークが普段見る『悪夢』とはかけ離れているようだった。
反応の鈍い三人に、ハリーはますます苛立ったように声を荒げる。
「ロン、早くおじさんを助けに行かないと、重症だ!」
「ハリー……君は具合が悪いんだ」
「僕は病気じゃない!」
その時、階段を駆け上がる音が近づいてきた。マクゴナガルを呼びに行ったディーンが戻ってきたのだ。ルークは思わずホッとして息を吐く。
「ポッター、どうしましたか?」
あたふたと寝室に入ってきたマクゴナガルは、いつものきっちりとしたローブ姿ではなく見慣れないガウンを羽織っていた。
「先生」
安堵したのはハリーも同じだったようで、彼の声は少しばかり平静さを取り戻している。
「ロンのパパが蛇に襲われるのを見たんです。早く探して助け出さないと、命が危ない」
「夢を見たというのですか?」
「違う!」
ハリーは切実に叫んだ。
「あれは夢なんかじゃない。現実に起きたことです。──先生、信じてください」
マクゴナガルは黙った。数秒、何かを深く考えるように。
「……えぇ、信じますよ」
彼女が最終的に選んだその言葉に、ハリーはようやく肩の力を抜いた。
「ハリー・ポッター、ガウンを着なさい。校長先生にお目にかかります」
マクゴナガルは素早くルークとロンにも目を向けた。
「あなたたち二人もです」
アーサー・ウィーズリーが襲われた──と言うハリーの訴えは、間もなく現実に起きたことだと判明してしまった。生死の危ぶまれる状況だという知らせのみを受け、ポッター兄弟はシリウスの籠るブラック邸にてウィーズリー兄弟妹と共に、まんじりともせず夜明けを待つ事態となった。
十五年生きてきて、これほど夜を長く感じた経験は無かったように思う。
フレッドとジョージがこんなにも険しい顔で黙りこくっている姿は見たことが無かったし、ハリーはロンに、ルークはジニーに、かける言葉を初めて完全に見失った。
ウィーズリー兄弟妹が重苦しい静寂に沈む中、ポッター兄弟とシリウスはあまりにも異質だった。何度も不安げに顔を見合わせ、しかし交わす言葉は何もなくまた目を逸らす。──そんなことを、いったい何度繰り返しただろうか。
時計の針が朝の五時を少し回ったころ、ようやく部屋の扉が開いた。現れたのは、疲労にやつれ青褪めたウィーズリー婦人。
「大丈夫ですよ」
弱々しい声だったが、精いっぱい明るく聞こえるようにと務める声だった。
「お父さまは眠っています。今はビルが看てくれていますから、後で面会に行きましょうね」
その言葉は、待ち望んだ夜明けを知らせる鶏鳴さながらであった。
ルークはようやく息を吐き、手つかずのままぬるくなったバタービールに手を伸ばす。
ふと、ハリーと視線がぶつかった。一瞬互いに安心したように微笑む──しかし、ハリーは何かを思い出したように表情を強ばらせ、逃げるように目を逸らしてしまった。