手を温めるためにゆっくりと吐き出した息が白い煙のように、澄んだ大気へ溶けてゆく。
月日が経つのは早いもので、もうすっかりマフラーなしで外に出るのは辛い季節になってしまった。
「やぁ、おはようグレア」
日がようやく昇り始めた時分、ルークはひとりホグワーツのフクロウ小屋へと足を運んだ。特にこれといった理由もない。休日なのに夜明け前に目が覚めてしまって、なんとなく散歩でもしようという気になっただけだ。
ただ一人きりでは寂しいので、愛鳥も一緒にどうかなというわけである。
早朝の訪問者が気になるのか、たくさんのフクロウたちの視線を感じながらルークはそっとグレアの耳辺りを撫でる。常に鋭い目つきを僅かに緩めて気持ちよさそうに目を閉じるその可愛さに、ルークもマフラーの下で思わず口元を緩ませた。
「ちょっと寒いけど、一緒に朝の散歩はどう?」
その言葉に応えるようにグレアは軽く羽を振るわせ、ルークの肩へと飛び移った。ほかのフクロウと比べても小さめなグレアは、肩に乗られても言うほどの負担にはならない。
「じゃあ行こっか」
──フクロウ小屋に着いた時にはまだ薄暗かったが、日というのは昇り始めると速い。もうすっかり辺りは明るくなっていて、冷たい空気を裂くように届く太陽の光は暖かかった。
「この間、スネイプ先生の特別授業でぺしゃんこ薬の調合をしたんだ。本当は二年生になってから作る薬らしいんだけど、「よく出来てる」って褒めて貰えたんだよ」
実際の言葉は「まぁ悪くは無い」であったが、ルークはこの言葉を都合よく良いように解釈した。あの先生はルークに対してちょっと天邪鬼なのだ。
グレアはルークの頭上を飛びながら、時折相槌を打つように短いリズムの鳴き声を返す。
「最近はここに来たばかりの頃よりも授業中の失敗が少なくなってきて、毎日それなりに楽しいんだ。……相変わらず、マルフォイとは仲良くなれてないけどね」
特に目的地も決めずフラフラと歩いていると、気づけば湖のほとりまで来ていた。すっかり昇りきった太陽の光を反射して、湖面は美しく煌めいている。
その輝きはあの日──マルフォイの箒に乗せてもらって空から見た景色を思い出させた。
「……最近、ハリーの様子が変なんだ」
俯き、立ち止まったルークは囁くようにポツリとこぼした。頭上で悠々と羽を広げていたグレアが何かを察したように肩にとまる。
「ロンとハーマイオニーと一緒にコソコソしてて、何をしているのか僕には教えてくれない……あのクィディッチの試合の日からだ。ちっちゃい子みたいだけどさ──」
──仲間外れにされているみたいで、寂しい。
掠れた声が、暖まり始めた朝の空気に虚しく溶けた。慰めるように、グレアがふわふわの頭をルークの頬に擦り当てる。
たった一人の兄、たった一人の家族であるハリー。少しでも素敵なことは何でも二人で共有し、辛いことや悲しいことも二人で乗り越えてきた。
その日々が、ホグワーツに来てから一新されてしまった。それが別に悪いことではないのだと、ルークもわかっている。いつまでも子供ではいられないのと同じで、ルークはいつまでもハリーに依存してはいられない。
ただ、変化が急激すぎて、心が追いついてこないのだ。
「ハリーはやっぱりすごいよね。……僕はダメだなぁ。いつまでも弱虫だ」
そんなことない、と言わんばかりの鳴き声を上げるグレアの首を優しく撫で、ルークはその場で大きく伸びをする。
「──大丈夫だよグレア。愚痴、聞いてくれてありがとう。君がいてくれてよかった」
***
今年のクリスマスは、ルークが今まで過ごしてきたどのクリスマスよりも最高の一日だった。
これまではダドリーのもとに届く大量のプレゼントを羨ましい気持ちで眺めることしかできていなかったが、今年は何とルークとハリー宛にもクリスマスプレゼントが届いたのだ。
寮の談話室に飾られたクリスマスツリーの根元に積まれたプレゼントの山の一角が自分たち宛てのものだと知った時の喜びと言ったら、とても一言では言い表せない。
しかし不思議なことに、ルーク宛てにもハリー宛にもそれぞれ一つずつ差出人不明のプレゼントが届いていた。
その差出人不明のプレゼントはハリー宛には透明マント──羽織るだけで体が透明になるというとんでもないマントだ──で、ルーク宛てには高級そうな装丁のとても分厚い魔法薬学全集である。
ハリーの方には『君のお父さんから預かっていたものだ。上手に使いなさい』というメッセージカードが添えられていたが、ルークの方には添えられていなかった。
おそらく、贈り主が違うのだろう。ハリーはこの透明マントを送ってきた人物に全く心当たりがないらしく首を傾げていたが、ルークの方は自分宛てのプレゼントの贈り主に見当がついていた。
さっそくプレゼントを送り返したかったが、いかんせん今からプレゼントを購入するのでは遅すぎる。プレゼントの代わりに長文の感謝の手紙をしたためグレアに届けさせた。あとは──魔法薬学の期末試験で学年一位の成績をとることが、何よりのお礼になるだろうと思うことにした。
最高のクリスマスはそれだけに終わらず、朝も昼も夜も素晴らしいごちそうだった。ホグワーツの食事は毎日とても美味しいが、やはりクリスマスは特別だ。
そして昼にはハリーとロン、そしてウィーズリーの双子と盛大に雪合戦を楽しんだ。こんなに笑って過ごしたのはいったいいつぶりだろうかというくらいで、文字通り頭のてっぺんから足の先まですっかり満たされたルークはほくほく顔で眠りについた。
暖かい布団に包まり幸せな一日の延長戦にあるような夢に浸っていたルークを叩き起こしたのは、双子の兄の急いたような声だった。
「ルーク! ルークったら! 起きて、君に見せたいものがあるんだよ!」
「は、りー? まだ夜中だよ……」
「いいから、ほら早くこのマントの中に入って」
昼間の疲れもあって目が開ききってない弟を引きずるようにして、ハリーはグリフィンドール寮を出た。夜の廊下を走っているその間にルークもさすがに目が覚めたが、いまいち自分が透明になっているという感覚がつかめずフィルチやミセス・ノリスに見つかったらと思うと心臓がバクバクである。
「ここ、この部屋だよ!」
ほら入って、と押し込まれるようにして入った部屋はまるで物置のような部屋だった。授業を行う教室のように椅子や机が並んでいるわけではなく、がらんと広い部屋の中央に大きな鏡が置かれている。
「鏡を覗いてみてよ」
促されるままに鏡の前に立ったルークは、その鏡に映っているものを目にしてまだ少し寝惚け眼だった瞳を大きく見開いた。
「まさか……パパ? それに、ママ?」
鏡には自分と、隣にいるハリーのほかに一組の男女が映っていた。男性の方はくしゃくしゃの黒髪に眼鏡をかけ、ハリーにそっくりだ。女性の方はルークと同じ鮮やかな赤色のロングヘア―、そして双子とそっくりな緑色の瞳をしている。
記憶にもなく写真も持っていなかったが、一目見てルークは自分の両親だと確信を持った。
「やっぱり、そうだよね」
興奮したようなハリーの声に、ルークは茫然としたまま頷く。
後ろを振り返っても、当然両親の姿はない。この鏡に映る両親の姿は幻覚のようなものなのだ。それがわかっていても、そんな事実は関係なかった。ずっと会いたいと思っていた両親が目の前で微笑んでいる。これほど幸せなことがあるだろうか。
ハリーもルークも、その夜は鏡に魅入ったままそこをしばらく動けなかった。
***
両親を映してくれる不思議な鏡を見つけてから数日、ルークとハリーの二人は毎夜この鏡の置かれた部屋に足を運んでいた。
一度ロンを連れてきたが彼にはルークたちの両親の姿は見えず、代わりに主席かつクィディッチ代表選手になって優勝杯を掲げる自分の姿が見えたらしい。
ロンはその後この鏡を一緒に見に来ることはなく、それとは反対に鏡に夢中になるルークやハリーをたしなめた。
しかしそんな友人の言葉も全く耳に入らず、夜になると透明マントを被って鏡を眺めに来てしまう。まるで取り憑かれたようだった。
「──今日も来たのかね」
鏡の前に座り込み、ぼーっと両親の姿を眺めていた双子の背後から唐突に穏やかな声が降った。
ハッとして二人が同時に振り向くと、長く白い髭をゆっくりと撫でながら微笑むダンブルドアの姿がそこにはあった。
「あの、僕たちは、その……」
夜に寮を抜け出すことは当たり前だが校則違反だ。二人して慌てて立ち上がり、何か言い募ろうとするも何も思いつかず結局黙ってしまう。
「──君たちのように、今まで何百人もの人たちがこの『みぞの鏡』の虜になった」
「それが……この鏡の名前ですか」
ハリーの問いかけに、ダンブルドアは優しく「左様」と頷いた。
その穏やかな態度から、自分たちはひどく叱責されるわけではないのだとわかり、二人はそっと肩の力を抜く。
「この鏡が、何を映すものかわかるかね?」
ダンブルドアからの問いかけに双子はふと顔を見合わせる。そして、声をそろえた。
「その人が欲しいものを」
ぴたりと息をそろえたルークとハリーの回答にダンブルドアはふむと顎を引いた。
「あたりともいえるが、はずれでもある。──この鏡は見た人の心の奥底で最も強い『のぞみ』を映し出すのじゃ」
「最も強い、のぞみ……」
「しかし、鏡に映るものが必ずしも現実とは限らぬのが、悲しいことに現実というものじゃ。ハリー、ルーク、この鏡は明日別の部屋に移すことにする。良いな、決して探そうなどとは思わぬことじゃ」
鏡を見ることが出来なくなるということは、両親の姿を見ることが出来なくなるということだ。
堪らない名残惜しさを感じて、ルークは思わず鏡の方を振り返った。鏡の中では変わらず、両親が優しく微笑んでいる。──これが現実でないことは、最初から分かっていた。わかっていても、二度と目にすることが出来ないというのは胸を刺すほど寂しかった。