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「……もう朝か」
ちゅんちゅんと鳴く小鳥の囀りと、ピピピッと連続するアラームによって意識を覚醒した少女―――シノン、もとい
シノンのリアルは、極々普通の一般的な女子高生である。東京都文京区のアパートで一人暮らしをしており、そこから最寄りの駅を使って進学校に通っている女子高生だ。
ベッドから起き上がり、少し歩いて洗面所に出てバシャバシャと顔を洗い、タオルで濡れた顔を拭って朝食の準備をする。
ポチっ、とテレビを付ければ朝のニュースが流れ、それを耳で聴きながら誌乃は朝食を作り始めた。
『―――は晴れが続き、気温も落ち着いてくるでしょう。それでは、次のニュースです。今年の先月に日本武道館にて行われた第62回全日本居合道大会、並びに日本古武道大会において優勝を果たした「
朝食を作りながら、テレビのニュースで流れたその名前に意識が向く。
上泉秋永。最近、よくテレビのニュースに出てくる有名人だ。歳は然程変わらないと言うのに、既に何度も日本の剣道関連の大会で優勝を収めている達人だ。
『現代に生まれた剣聖』とすら言われている男だが、しかし剣術に何ら興味がない彼女には無縁の人物と言えるだろう。
だが―――最近の彼女は、どうしてかその名前を聞く度にある少年を思い浮かべる様になっていた。
「アイツとどっちが強いのかしらね」
―――アキツ。GGOというゲームにおいて、初めてゲーム内で出来た友人であり、自分が知る中で最も強いであろう剣士。
上泉秋永という名前を聞く度に、誌乃はアキツを思い浮かべていた。
現代の剣聖とも謳われる剣士と、自分が知る中で最も強いであろう剣士。一体どちらが強いのだろうか―――そんな、まるで幼い男子が思い付きそうな力比べを。
弱さ等とは無縁。いつ如何なる時、いつ如何なる場所においても、彼は弱さというものを見せなかった。立ち塞がる者、立ち向かう者、等しく全てを斬り伏せる―――そう思っていた。
だが、しかし。
『悪を斬る事が悪であると言うならば、逆に問いたい―――悪を生かす事は、果たして人を活かすと言えるのか』
『これは―――俺の未練であり、業だ。言うなれば我儘なのだ。それを肯定こそすれ、否定するのは道理に適わぬのが己だ。だから、其方こそあまり気にする事はない。これは俺の意思で行っている事だからな』
クサナギG8を手に入れる為に挑んだ、あのダンジョンにて。
アキツは確かに弱みを見せていた。彼の歪さの一欠片、彼の闇の入口を詩乃は確かにその目で見てしまった。
自分への容赦の無さ。他人への異常なまでの配慮。自分の事など徹底的に下して排して、他人への配慮と善意と誠意の全てを徹底する。
その生き方は、決して強いものであるとは言えなかった。寧ろ弱く、脆い。己の弱さと闇を受け入れるのではなく、
彼の優しさは本当だ。その善意も誠意も、間違いなく彼のものだ。しかし、それと同時にその無情さと冷酷さもまた、彼のものだった。
如何なる理由があろうと悪は斬る。例えそれこそ悪だと罵られようと悪を斬る。そんな冷酷さと無情になり切れる冷徹さを持っているにも関わらず、他人には極度に優しい。特に仲間、友人に対しては。
誰がどう見ても―――彼の在り方は歪でしかなかった。異常とも言えるだろう。
「でも……アイツはそれに何かを思っている様には見えなかった。寧ろそれを受け入れていた」
それは己の未練であり
目を逸らしているのではなく、既に向き合った。誤魔化すのでなく、既に前を見ている。アキツという人間は既に、己の弱さもまた己であると許している。
「それに比べれば……私は」
フライパンから目を逸らし、俯く。
状況結合性パニック発作―――それが、朝田詩乃という人間が抱えている精神障害であった。これと似た様なものとして分かりやすいものとしてはPTSDが挙げられる。
状況結合性パニック発作は、たる状況に限っておこるパニック発作であり、彼女の場合は現実世界で『銃』に関連するものを目にした時にそれが起こる。
それが……朝田詩乃が抱える弱みであり、そして克服すべきものである。
「っ…あ、焦げちゃった」
少し焦げた卵焼きを見て、焦って火を止める。
はぁ……と重たい溜息を吐いて、朝から下がるテンションに堪えながら誌乃は朝食の支度を済ませ、ニュースを見ながら食事へと行動を移した。
◆
「朝から面倒だよなぁ、体育館集合とか」
「駅近に新しいカフェ出来てさー」
「誰か来るって言ってたけど、誰なんだろ?」
「どうせOBとかでしょ。勘弁してほしいよ」
「……実際、誰が来るのかしら」
ガヤガヤと、沢山の生徒達の声が重なる体育館。名簿順という並びで、必然的に前となっている誌乃は座りながら誰が来るのかを考えていた。
朝からダウンしたテンションで登校してみれば、朝から体育館に集合して客人の挨拶を聞かなければならないというのだから、今日はついてないとさらに気分が下がってしまう。
さっさと話をして終わらせてほしい。そんな感じでいた誌乃を知ってか知らずか、教頭らしき男がマイクを使って静かにする様に促した。
徐々に静かになっていき、1分かそこらは経って漸く全員が黙ってから、校長の話が始まる。
「えー、皆様おはようございます。今日は気温も落ち着き、丁度いい具合となりまして―――」
校長という存在は揃って話が長いものなのだろうか。他の人よりもクールで達観した思考を持っている誌乃としても、それは長年の疑問だった。
小中高揃って校長先生という役職についた人間の話は長い。それ関係ある? と思ってしまう様な話をする時だってある。
大体こういう集会の時は校長の話で時間が持っていかれる。早く話を終えて客人にパスしてくれ、誌乃はそう思わざるを得なかった。
が、そんな彼女の思いなど届く訳もなく、かなり長い話が続いた。
それから漸く本題だ。
「えー、それでは、本日起こししてくださった―――上泉秋永様に、ご挨拶して頂きたいと思います」
「……え?」
その名前を聞いて、顔を上げて視線をステージの方へと向ける。
其処に居たのは―――紛れもない、侍だった。
現れたのは、羽織袴の姿に身を包み、肩まで届く長い後ろ髪を一つに束ねた黒髪と真っ直ぐな黒い瞳が特徴的な青年だった。
「―――おはようございます。本日は貴重な時間の中、私の様な者の来訪、その挨拶に生徒の皆様に集まって頂き、誠に感謝する。この度は貴校出身の私の母の紹介に預かり、こうしてこの学校に赴かせて頂いた次第だ」
明らか学校という舞台には不釣り合いな格好と、その公の場でしてはいけないだろう喋り方は、誌乃にとってあまりにも見慣れ、聞き慣れたものだった。
だから、つい。
本当に、つい。
「アキツ…?」
口に出してしまった。
自分で気付いて、すぐ手で口を覆う。
何を言っているんだ自分は!? もし彼に聞かれたら面倒な事になるじゃない……!
バレていないかと、ステージに立つ彼にこっそりと目を向けると、ステージの真ん中に立って堂々としながら話している。
どうやら聞こえてはいなかった様だ。ほっ……と、詩乃は安堵した。
まだだ、まだ彼がそうだと決まった訳ではない。他人の空似という可能性だってあるのだ、早まるんじゃない。
そう心を落ち着かせようとする誌乃。
だが、悲しきかな。残念ながら他人の空似などではなく、紛れもないご本人なのである。
「それでは、改めて。―――新陰流免許皆伝、上泉秋永だ。校内も見学させて頂く為、見掛けたなら遠慮なく声を掛けて構わない。今日という限られた時の中ではあるが、どうか宜しく頼む」
アバター名、アキツ―――その本名を、
戦国時代最強と言われる事すらある有名な剣豪―――否、『剣聖』にして新陰流の開祖である
それが、生まれる時代も生きる時代も間違えてしまった男の正体だった。
幸か不幸か、或いは神様の悪戯というやつか。
シノンとアキツは、あろう事かリアルでも突然の出会いを果たしたのであった。
本当にこれが素の口調。テレビでも全然この口調。