―――友人Mより、剣聖への賞賛と応援。
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「はぁ……今日はひどく疲れた気分だわ」
もうすっかり夕方だ。気温も下がり、吐く息が白く可視化されてしまう様な寒さとなっていた。
詩乃は帰宅早々にカバンをそこら辺に投げやりに捨て置いて、吸い込まれる様にベッドへとダイブしていた。
結局、あの後は特に何か凄まじい出来事があったという事も無かった。
しっかりと落ち着くまでは一緒に居よう。だが此処では人目につくと言う事で、秋永に肩を貸してもらいながら近くの喫茶店へと足を運んで、二人は休んだ。
自分がシノンだとバレる事はなかったし、彼女もそれをバラす事はなかった。彼がアキツだと指摘する事もなく、しかし二人はまるでいつもの様な調子で会話を交わし、そのまま解散となった。
「本当に、全然変わらないのね。違和感無さすぎて逆に違和感があったわ」
アキツと秋永。アバターとリアル。一致する事のない同一人物。
ゲームの世界なのだ。普段の自分とは違う一面を見せる事があったり、成りきる事だって何ら可笑しい事ではないし、駄目な事でもない。
だが、アキツと秋永は何ら変わらなかった。口調も性格も行動も、何一つとして変わりがなく、本当にアキツは秋永本人の素なのだと。
「……でも素であれってやっぱアイツ凄いわね。パニックで見てる暇なんてなかったけど、多分手刀で気絶させたのよね、あれ」
しかし冷静になって、秋永がやった事を思い出したシノンは静かに畏怖の感情を抱いた。
秋永がやった事は、隠しようもない暴力。だがそれを暴力であると気付く事が出来る人間などこの世界には一握りしか存在しないだろう。
目にする事すら叶わぬ速度から放たれたのは、頚椎を折らない様に、されどその意識を確実に刈り取るという意思が込められた手刀だ。
風切り音すら聴こえる程の手刀ともなれば、もはや人が死んでもおかしくはない。けれどそれであの女が死ななかったのは、ひとえに秋永の巧みな手加減の賜物である。
ゲームの世界でもぶっちゃけ『これ本当にFPSゲームやってる?』って思ってしまうくらいには、かなりぶっ飛んだ動きをしていたがリアルでもアレだとなると、彼は本当に凄まじい人間なのだろう。
実際にその場面を目撃して、詩乃は改めてアキツという存在が桁外れなのかを思い知った。
「……でも、それでも負けるつもりはないわ。アイツが相手でも。アイツに勝てば、今度こそ私は―――」
しかし、だからと言って。
詩乃には、否、シノンには、敗北を受け入れるつもりなど更々無かった。
《BoB》―――バレットオブバレッツ。自らの強さを、力を、今度こそ自らで証明するのだ。
あの剣鬼を打ち倒す事でそれを証明し、受け入れる事が出来たなら―――その時こそきっと、自分は今の自分を越えられる。この氷を溶かす事が出来る。
その為なら、例え友人である彼が相手であろうと決して容赦はしない。
「アイツの行動パターンは本当に少ない。少ないし、けど全部が正確で洗練されてる。それでもやる事は本当に僅か。それを正確に予測すれば、私にも勝機はある。…こんな言い方したら、まるでアイツを仕留める為だけに近付いたみたいね」
アキツは剣しか使わない。だからこそ、銃撃戦でやってくる行動は本当に少ない。
銃弾を斬って、距離を詰める。この二つだけだ。この二つ以外の事はしないし、そもそも出来ない。
何故なら―――
そもそもの銃撃戦。距離を詰められたらピンチになるのは至極当然で、それに加えて相手が剣術に長けた…と言うか、完全に剣聖の領域に踏み込んでいる剣士なのだ。
何も出来る事はない。距離を詰められたなら、もうそれだけで敗北は確定なのだ。体術勝負なんて以ての外、やろうとした所で斬り捨てられるのがオチだ。
だからこそ、正確に行動を予測しなければならない。そうしなければ、勝機は万に一つもない。
「けど、勝負ならアイツも本気でやってくるだろうし……どの道、手加減なんてしてあげないわ。今でも初対面の事は根に持ってるのよ、私。BoBでコテンパンにしてやるわ…!」
どうやら初対面時のフルボッコを未だ恨んでいるらしい。朝田詩乃、意外にも執念深い少女である。
だが、彼女はお気付きではないらしい。
BoBで勝つ事が、証明になるという理由が。
いつの間にか―――
それ程までに、自分が彼にご執心であるという事を。
◆
時は変わらず、されども場所は変わり。
上泉秋永は、詩乃と別れてから一人で色々な所を歩き、とある友人の宅へと訪れていた。
ピンポーン、とインターホンを鳴らせば、『お、来たか。ちょっと待っててくれ』と聞き慣れた少年の声が返ってくる。
だが、その声には少しばかり悪戯心と言うか、具体的に言うなれば剣道少女である妹を驚かせてやろうといった感情が含まれていた。
私が出ていいの? 良いから良いから。と、兄妹の仲の良い会話が聞こえた所で、がらっと扉が開かれる。
「はい、どちら様で」
「夜分に申し訳ない。俺は君の兄上の友人の上泉秋永と言う者だ。今回は、君の兄上に誘われて―――」
やって来た次第だ。そう言い切ろうとした所で、バンッ! と扉が閉められてしまった。
対応を間違えてしまっただろうか。秋永はそう考えたが、
『お、おおおおおお兄ちゃんっ!? あきっ、あききききっ! 秋永さんが! 上泉秋永さんがぁぁぁ!!!!!』
『だから言ったろ? 凄い人と友達なんだって』
『言ったけど! 確かに言ってたけどさぁ!?』
どうやらそういう訳ではないらしい。仲の良い兄妹で大変よろしい事だ。
それから暫くして、彼が見慣れた友人が扉を開けた。
「よ、アキツ。久しぶりだな」
「久しいな、キリト。息災な様で何よりだ」
友人K―――その本名を、
SAOを救った英雄。魔王ヒースクリフを打ち倒した黒の剣士その人である。
こつん、と二人の剣士が拳を重ねる。
共にデスゲームを生き抜いた戦友であり、共に剣の腕を競い合ったライバル。アキツにとって、SAOで初めて出来た友人であり、自分にゲームの様々な情報を教えてくれた恩人だ。
「そっちこそ。大会優勝したんだろ? おめでとう」
「実際に面と向かって言われると、些かこそばゆいな。だが、素直に受け取っておこう。ありがとう」
「ゆ、優勝おめでとうございます! テレビですけど、試合見てました!」
まだ緊張しているのか、ガチガチになっている妹―――
だが、ガチガチになりながらも、剣道とはまた少し異なる世界、剣術という世界において、頂点に君臨している秋永への賞賛は決して忘れる事はなかった。
「む、そうなのか。感謝する。キリトから君の話は聞いている、腕の立つ良い剣士だと。君の様な将来有望な若者に認知されているとは、光栄だ。この邂逅を嬉しく思う」
「こ、こちらこそ光栄、です!」
差し出された手に、恐れ多くも手を返して握手する。
ごつく、大きく、力強い。決して太い訳ではないものの、しかし他の男のそれと比べても、秋永の手は目で見て分かる程に鍛え抜かれていた。
真剣を用いた演武。真剣を用いた抜刀斬り。自分がやっているものとは、僅かばかりではあるものの異なる世界。
古武術―――新陰流。その免許皆伝を得た者だ。
「立ち話もなんだし、上がってくれ。スグ、俺が案内するからお茶を頼んでも良いか?」
「う、うん!」
握手を解し、直葉はバタバタとリビングへと向かって行った。かなり緊張したのだろう。
まぁ、何ら無理はない。事前情報があっても緊張はするだろうに、事前情報無しでいきなり剣の世界の大物が来たのだから。
「元気な子だ。良い妹を持ったな、和人」
「だろ? 自慢の妹だよ」
「シスコン極まれり、と言うやつだな」
「なんでだよ! ていうかなんでシスコンなんて知ってんだよ!?」
「里香から教わった」
「リズめ…!」
「居合道に古武道大会の優勝か…やっぱり凄いな、あの人は。今度おめでとうって言わないとな」
「そうだね。あ、ならお祝いにライブ招待とか!」
「それは、マネージャーさんを通さないと分からないんじゃないか…?」
―――恋人Eと恋人YAより、恩人への感謝を込めて