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「……」
やけに重たく感じる瞼を開け、頭に着けたアミュスフィアを取り外して身体を起こすと、ぽたりと赤い何かが服に落ちた。
血だ。妙に鼻が冷たいと思えば、鼻血が出てしまっているではないか。アキツ―――上泉秋永は、右手で雑にそれを拭い、布団から出て洗面所へと向かった。
(……また、人を泣かせてしまったな。もうしないと決めた筈なのだが。なんと情けない)
バシャバシャと、冷水で顔を洗いながら思い浮かぶのは、大切に想う友人の泣き顔と言葉だった。
『ふざけないでよッ! そんなので勝っても意味がない! 戦う理由がないですって? なによっ、それ!』
『わたしはっ、貴方と本気で戦いたくてっ! 全力で戦って、貴方に勝ちたくて…頑張ったのに……!』
あの苦痛に満ちた表情を、
ラフコフ討伐戦―――アキツという人間が、たった一人で殺人ギルドの半数をその手で自ら屠り、《剣鬼》としての名をアインクラッドに轟かせ、SAOのプレイヤー達から畏怖される事となった原因の事件。
その事件の後で……多くの友人達から、涙を流された。
どうして頼ってくれなかったんだ、と。そんなに自分達は信用ならないのか、と。
一緒に罪を背負わせてすらくれないのか、と。一緒に道を歩む事すらさせてくれないのか、と。
ある意味で同族である筈だったキリトでさえも、そう叫んだのだ。泣き叫んだのだ。
『どうして一人で行ったんだよッ! どうして一人で戦ったんだよッ!』
『死ぬかもしれなかったんだぞ!? お前が殺されていたかもしれないんだぞ!? それだけの無茶をお前はしたんだぞッ!!!』
『なぁ……俺たちは、そんなに頼りないのか…? お前と一緒に、それを背負う事すら……させてくれないのか……?』
これ以上、仲間を失いたくない。友達を失いたくない。それはキリトとて同じ事だった。だからこそ、キリトはソロになったのだ。
だが、自分がそれをされる事は全く知らなかった。置いていかれる事が、残される事が―――こんなにも苦しく、重たいものであったなんて、知らなかったのだ。
だから憤った。無謀にも突っ込んで行った友に怒ったのだ。
そしてそれは、もう一人の友人―――ミトという名の少女も同じ事だった。
「……これが俺の弱さ、か」
剣技があっても、力が強くても、それでも誰かに涙を流させてしまったならば、それは決して強いとは言えない。
道を変えるつもりはない。生き方を改めるつもりもない。けれど、それでも決して泣いて欲しくはなかった。
我儘なのだろう。傲慢なのだろう。だが、それが己なのだ。あの日から、全てを斬って捨てたあの日から、もう後戻りなんて出来なくなってしまってたのだから。
例え悪人であろうと、それは人だった。その首を斬り落とし、命を奪ったのだ。その自覚は秋永にもあった。自分が人殺しになってしまったのだと、理解した。
だからこそ、今更変えられない。止まれない。自分の手で逃げ道を潰し、言い訳を斬り捨てたのだ。それを恐れる事を、悲しむ事を、止めてしまったのだから。
「こら、秋永。いつまで水を出しているのですか? 水道代が嵩むでしょう」
声を掛けられ、ハッとして蛇口を捻り水を止める。
右に掛けてあったタオルで顔を拭い、すぐに振り返って、背後に立っていた女性と目を合わせ、頭を下げた。
「すみません。おはようございます、母上」
裾を
秋永の実の母であり、上泉家に嫁入りした、石上神宮の元巫女である。
「おはようございます。今起きたのですか?」
「はい。つい先程、予選を終えました。本選は明日なので、そろそろ夕食をと」
「あらあら。確か、GGOでしたか? 予選を通過したのですね。ただ……その顔を見るに、あまり良い試合が出来た訳ではなさそうですね」
「……はい」
穏やかに笑いながら、しかし的確に見抜かれる。アキツはつい目線を外してしまった。
こういう時、母はやけに鋭い。
普段から父上がこっそり酒を飲んでいたり、自分と試合をしようとすると察して飛んでくるが、それとはまた別だ。
冬香はどこか嬉しげに笑った。
「ふふ……貴方もまだ子供ですからね。では、久しぶりに母と一緒に食べましょうか。今日はあの人はお父様の所へ出掛けてますから」
「宜しいのですか? 母上も今日は忙しかった筈では…」
冬香は秋永の父であり上泉家の現当主の
剣術家系の傍ら、どうしても達人同士の話し合いや稽古への参加、大会の委員としての書類仕事などやる事は多く、彼女は日々それを支えているのだ。
「良いのです。最近は貴方も有名になって、一緒に居られる時間が減ったでしょう? 偶には、我が子と二人で話したいのです」
「…分かりました。では、準備を手伝います」
「ふふ、良い気遣いです。ですが、既に準備は終わっています。なので、後は食べるだけですよ」
「なんと……流石は母上。相変わらずの手際の良さ、恐れ入ります」
「褒めても餡蜜しか出しませんよ〜」
(餡蜜は出るのか……)
上泉家の食卓では、母親の機嫌が良いと美味しいデザートが出るらしい。今回は餡蜜の様だ。
ちなみに、上泉家の食卓に並ぶ料理は基本的にランダムである。和家らしく和風料理が出てきたり、ハンバーグやパスタといった洋風料理が出てきたり様々で、今回は和風料理である。
炊き込みご飯、豚汁、塩サバ、ほうれん草のおひたし。彩りがあるその食卓の席に着き、二人は手を合わせて食事にありついた。
「おぉ…! やはり美味しいですね、母上の料理は」
「今日は秋永の好きな物で揃えましたから。大会に優勝した際は、私も忙しくてちゃんと祝えませんでしたから」
「おめでとう、その言葉だけでも私には十分です。これからも精進して参ります」
「むぅ……親としては、もう少し子供らしく遊んでほしいのですけどね。SAOでせっかく御友人が沢山出来たのですから、遊びに行っても良いのですよ?」
「何分、日程を合わせるのが難しいものですから……」
現代の剣聖として名を馳せれば馳せる程に、何かと都合が入ってくる。有名人になればそこかしこで引っ張りだこだ。
大学生としての勉強もあるし、修行だってある。秋永も秋永で、中々の過密スケジュールに追われているのだ。
「そういう時は無理をしてでも作るものです。19とは言え、まだ子供なんですから。私が子供の頃は、巫女としての勉強もほっぽって、それはもう友人の皆と一緒に山を駆け抜けて日が暮れるまで遊び呆けていたものです」
「それは……意外ですね。母上は幼少の頃より今と変わらないものだとばかり」
「私も当時は子供でしたからね。沢山遊んでいましたよ。あの人と同じで、頭を回すよりも体を動かす方が好きでしたから」
母と息子で食卓を囲めば、意外にも知らない話が次々と溢れてくる。
話せば話す程に、自分は母の事を何も知らないのだと思い知らされる。互いに忙しい身で、会話も碌に出来ない日なんて珍しくはなかったのだ。
何より、SAOにダイブしていたのだ。さらに会話する事はなくなっていた。しかもSAOから帰還しても一週間で復活してしまったのだ。
だが、それでも家族の仲に溝が出来る事はなく、いつまで経っても家族仲は良好だった。
だからこそ―――見抜かれたのだろう。
「さて。秋永、母に何があったのか話してみなさい」
「……試合の事ですか」
「えぇ。貴方があんな顔をしたという事は、きっと誰かを悲しませてしまったのでしょう? それも、大切だと思っている人を」
「……母上は、なんでもお見通しですね」
「勿論。だって、秋永の母ですから。息子の辛い心情くらい見抜いて当然です。貴方は優しい子ですから、きっと深く考えて、背負い込んでしまうでしょうから」
会話は少なかったかもしれない。
けれど、それでも一人の母親。父と一緒にここまで一人の息子を育てた、一人の女だ。
息子が辛く苦しんでいる。他よりも強いから、
「けれど、それは良い事ではありませんよ。剣聖と言われていても―――貴方は、私達の大切な子供ですから。強いからと、自分の所為だからと、背負う必要はありません。そういう時こそ、私達『親』を頼りなさい」
「……はいっ」
「よろしい。では、ゆっくりと話してください。しっかり最後まで、母が聞きますから」
そうして、秋永は口を開いて零していった。
友が苦しい顔をしていた事。
自分がその原因である事。
大切な友の想いを踏み躙ってしまった事。
大切な友を泣かせてしまった事。
それら全てを、余すことなく零した。
「…こう言っては、不謹慎かもしれませんが……やはり、貴方もまだ子供ですね」
「……はい。私は、まだ未熟です。大切に想う人を泣かせてしまった」
「そうですね…それは、確かにその通りでしょう。けれど、貴方はしっかり謝った。なら、貴方の誠意はしっかりとその子には届いていますよ」
「…だと良いのですが」
「それと、秋永。貴方は一つ勘違いをしています」
「勘違い…?」
席を立ち、秋永の方へと歩み寄り、暖かいその手で優しく秋永の頭を撫でながら、冬香は優しく叱る様に言った。
「貴方は独りではないのです。きっとその友達も、貴方に並びたいと思っている筈です。大切だと想うのなら、信じて共に歩みなさい」
「共に、歩む……」
「皆が皆、貴方の様に強い訳ではありませんが……しかし、決して弱い訳ではありません。友と仲間を信じ、頼り、そしてよく見なさい。そうすれば、今まで気付かなかった事に気付けます」
「……はい」
「あとは、そうですね―――きっと貴方は認めないかもしれませんが、母として言いましょう。逃げても良いのです。道を変えても良いのです。例え貴方が道半ばで心折れ、倒れてしまったとしても―――私達は貴方を責めません。人殺しだ等と、蔑みません」
だって、貴方は―――私達の大切な子供なのですから。
雰囲気的なイメージは艦これの鳳翔さん。
尚得意なのは剣技の模様。