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―――それを抱き始めたのは、何時からだったろうか。
幼少の頃から、剣というものに焦がれていた。父が、祖父が剣を振るう様を見て子供ながらに格好良いと思い、愚直なまでにそれに憧れた。
それからは鍛錬の日々だ。少しでも早く近付きたい、あの高みにまで至りたいと、上泉秋永はこの現代社会においても極稀な『剣士』としての渇きを抱いていた。
遥かな高み、剣士として最高の頂を目指す意志。それを以て、秋永は剣を振り続けてきた。
その時は、決して今の様な人間ではなかった。善悪の知識すら碌に付いていない幼子でしかなく、ただ剣を振る事への向上心を持っているだけの子供でしかなかった。
しかし、それ故に。秋永は人を理解していなかった。知っているつもりでしかなく、人というものがどういうものなのかを理解し切っていなかった。
悪斬断罪。悪は斬って罪を断ち、罪を断って悪を斬る。
人斬りという悪を以て、人殺しの罪人を斬り捨て、人斬りという罪を以て、人殺しの悪人を断ち斬る。
偽善、或いは本末転倒。もはや同じ穴の貉としか言い様のないそんな思考を抱き始めた、そんな信念を揺るぎないものとした要因とは即ち―――SAOに他ならなかった。
ベータテストに選ばれたプレイヤー達は、我先にとモンスターを狩り尽くしてレベリングに強力な武器集め。
他者はそれを妬み、恨み、憎み、遂には迫害。アキツが実際にそれを見たという訳ではないが、ベーターをリンチにしたという事例すらあった。
身も蓋もなく、また己が分を弁えない様な言葉で彼の心情を表すのであれば――――――失望、だろう。
人の汚さ。人の醜さ。それらを全面に知って、上泉秋永は人間というものに対する何かが欠如しつつあったのだ。
けれど、だからと言って見捨てる事も出来なかった。それは自分が勝手にした事であり、全ての人間がそうではない事は分かっていたから。結局、勝手に悟ったつもりでいただけで、甘さを捨てきれた訳ではなかったのだ。
何より、自分は他より強い事を分かっていた。自分が最前線に立って戦わなければ、誰かが死んでしまう。見ず知らずの他人ではあるものの、見殺しになぞ出来なかったのだ。
だが、それで現実に納得出来ていたのかと言われれば、そうではなかった。
彼は確かに優しさを持っている。しかし、それは彼が善人であると証明する理由にはならなかった。
善悪という二つに詳しく考えた事もなかった当時の彼にとって、それらの視点が歪むには十分過ぎる出来事ばかりだった。
そんな時に―――彼は、多くの友人と出会った。
誰もが、これまで見てきた人間とは違った。
だからこそ――――――それを守りたいと思った。それを汚したくないと思った。
自分の強さとは、即ち剣であると理解していた。自分が抱く想いの強さが、周囲が抱くそれと比べれば異質である事も分かっていた。
それに重なる様にして、殺人ギルドである『
大義名分も何もなく、ただ己の快楽が為だけに人を殺す。命を奪う輩の存在を生かす事に、果たして何の意味がある? その行動に何の価値がある?
もし彼等の刃が友人に向けられたら? 友人の大切な存在がそれで命を奪われたら? それを黙って見過ごす事など出来るだろうか?
悪人を斬る。罪人を斬る。それが悪行であると分かっても、野放しになど出来る訳がない。
復讐でもなんでもない、ただの自分勝手な剪定。生かすべきではないと断じて刃を抜く。
それは強さではなく弱さであり、同時に狂気ですらあった。
(……狂気がどうした。俺はそれを信念と決めた。そう志した。それを捻じ曲げる事なぞ、出来る訳がない)
止まる止まれないではなく、止まらない。
上泉秋永はその道を選び、そして後戻りはしないと決めた。例え過去に戻ってやり直せるとしても、同じ事をするのだと。
それで大切な人達を守れるというのなら、それで――――――
「アキツっ! 聞いてるの!?」
「っ、あ、あぁ」
少女の鋭い一喝が、アキツを引きずり出す。
アキツとキリトの斬り合いは、途中から参戦したシノンの一射によって中断。
そのまま合流する形となり、現在は経緯を問い質している最中であった。
「ったく、ちょっと前に話したばっかなのに、なんですぐ別の相手に全力で向かってるのよ。アンタもアンタよ。事情は知らないけど、大方コイツと同じでしょ? そっちの都合を押し付けないで」
「……それは、すまない。けど、こっちも譲れないんだ。人の命に関わる事だから…」
「随分と物騒ね……それはアキツが関わる事なの? アンタがコイツを真っ先に狙った理由?」
「……」
キリトは沈黙で答える。そこから先の事は、決して口には出さなかった。
シノンとて、何も考え無しで乱入した訳ではない。予選の頃から二人の戦い方が変わったのは明らかだったし、おそらくそれには踏み込み過ぎてはいけない理由があると察しもつく。
しかし、だからと言ってアキツが落ちるのを見過ごす事は出来なかった。二人の様子を見れば、この大会に何か大きな闇がある事は瞭然である。
「…そ。だんまり、ね。生憎だけど、私はコイツと違ってアンタと付き合いが長い訳でもないし、察してやる気もないわ。コイツとは決勝で戦う約束してるし、何より―――もしコイツの命に関わる事なら、部外者ではいられないわ」
ハッキリと、シノンはキリトに断言する。見捨てるつもりはない。部外者でいるつもりもない。
もしそれがアキツの人命に関わるものならば、或いはアキツの今後に関わる様なものであるならば―――自分から首を突っ込むと。
その瞳には、一片の曇りも迷いもない。大会前の自己嫌悪は既に無くなっていた。今はそれよりも優先すべき事がある。
自分の目標、自分にとっての特別になりつつある人が危険に晒されるかもしれないのだ。それを助けるのに、何を惜しむ必要があろうものか。
対して、キリトは決して良い顔はしなかった。だが、それも当然と言えば当然な事だ。
相手は死銃。元ラフコフである事が確定している危険人物。それを相手にするという事は、つまり一歩でも踏み間違えれば死を意味する。
それに一般人を巻き込むなど、凡そ許容出来るものではなかった。
「全部話せとは言わないわ。けど、それなら勝手に割り込むだけよ」
「……シノン」
「何よ。言っとくけど、止めるつもりはないわよ」
「死ぬかもしれないんだぞ。家族に会えなくなるかもしれない、友人に会えなくなるかもしれない。それを分かった上での、覚悟の上での発言か?」
「それはアンタ達にも言える事よ。自分の事は棚に上げるつもり? 俺達は強いから、って。巫山戯ないで」
「……」
それを言われると、何も言い返せない。
ぐうの音も出ない正論を突き付けられてしまい、アキツは何とも言えない表情を浮かべた。
アキツとしても、シノンを巻き込みたくはない。だが、そのシノンは自ら首を突っ込まんとしている。そして、その要因は自分にあると。
相手の実力も未知数。どんな手品を持っているか分からない中で、戦術的な面で見ればシノンという凄腕の
だが、万が一の可能性を考慮せざるを得ない。しかしそれは、先もシノンが言った様にアキツとキリトの二人も同じ事だった。
「…本気で、私と戦ってくれるんでしょ?」
数分の思考の末に―――アキツは、答えを出す。
「………………分かった。約束の為でもある。シノン、俺達に協力してくれ」
「やっと自分から言ったわね。遅いのよ、バカ」
呆れた様に、シノンは苦笑した。
悩みに悩んで出した答えは協力だった。アキツは自らシノンに、一緒に死地に向かってくれと頭を下げたのだ。
「おい、アキツ…」
「彼女の腕は俺が保証する。バラバラで動くよりは、三人で固まって行動した方が敵の捜索も容易な筈だ。……俺は自分が思っている以上に、友達の事を考えられていなかった。死銃が片付いたら、二人で話そう。だから今は、協力してくれ」
キリトもアキツも、互いの事を分かり合ってはいなかった。二人共に、決定的に互いについて語り合う事はなかった。
己の弱さを。
己の在り方を。
二人はまだ生きている。此処に立っている。ならば、話は幾らでも出来る。
一人より二人。二人より三人。手早く事件が解決するならば、それに越した事はない。
果たすべき約束がある。向き合うべき友が居る。死んでも良い理由など何処にもない。
前を向け。そして敵を見ろ。それが自ずと、己が弱さと向き合う事になる。
「…分かった。なら、今後の行動について話し合おう」
ここに、同盟は結ばれた。
凄腕の剣士が二人に、凄腕の狙撃手が一人。
三人の猛者が、たった一人の敵を倒す為に意志を一つとして刃を交わす。