男性失格   作:空言流転(旧魔庭鳳凰)

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 苦しい 苦しい 優しさを 止めて止めて ねえ 離れていく 嗚呼


愛して 愛して 愛して もっとボクを 愛して 愛して 壊れるほどに

 『神様みたいないい子でした』と、なぜ彼女は大庭のことそんな風に言えたのだろうか。瑞希には果たして、瑞希をそんな風に表してくれる人はいるのだろうか。一人でも、あるいは、二人でも、……と。そんな下らない逃避が瑞希の脳内を巡る。

「ぁ、な」

「やっと、捕まえた……」

 『なんで?』と、そんな単純な三文字が瑞希の脳内に浮かぶ。『なんで?』、『なんで?』、『なんで?』。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 それはあり得ない。起こり得ないはずに現実だった。もちろん、瑞希は絵名のことを理解している。三日もナイトコードに顔を出さなければ神山高校に聞き込みをしにいくだろうし、そうすれば絵名は瑞希がこの三日間登校していないことを知るだろう。そこまでは理解できるし想定もできる。

 だけど、だったらなおさらどうして絵名がここにいる???

「ゆめだ」

「夢じゃない」

 否定一瞬だった。

 故にこそ、混乱は極限に達する。不可能……、不可能だ。絵名がここに、瑞希の部屋にいるだなんてあり得ない。

 第一に、絵名が瑞希の家を突き止めることが不可能だ。

 クラスメイトの誰も、同級生の誰も、学校の誰も、杏でさえ類でさえ瑞希の自宅住所なんて知らない。人伝はできない。もちろん、教員ならば生徒の住所録情報は持っているだろうが……、閲覧なんてできるはずがない。警察機構の人間か政府機関の人間か……、それくらいの正当性がないと住所なんて重要度の高い情報をゲットできるわけがない。忍び込んでどうにか見ることもできるわけがない。生徒の個人情報なんて鍵のかかったロッカーかパスワード付のパソコンの中に厳重に保存されているはずで、外部の人間が見ることのできる手段はない。

 だから、絵名がどれだけ努力したとしても瑞希の家の場所なんて分からないはずだ。

「嘘だ、夢に決まってる。幻覚で、幻聴で……幻影に決まって」

「っ、このッッッ‼」

 第二に、仮に絵名が瑞希の家を特定したとしても家に入ることができない。当然、玄関の鍵は閉めてあるし合鍵を植木鉢の下に置いているなんてベタなことはしていない。窓に鍵はかかっていて、石を投げたところでフィクションじゃないんだ。そんな簡単に窓は割れない。不審な行動をしていれば近所の人が警察に通報してもおかしくないし、両親が瑞希に黙って絵名を自宅に上げることもまた考えられない。

 だから、絵名が瑞希の部屋にいるだなんてことは……あり得ないのだ。

 なのに。

 なのにっ!

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ぁ」

「目を逸らすな」

 触覚が、視覚が、聴覚が、嗅覚が、味覚が訴えてくる。

 頬を焼き焦がす温もりの感覚が訴えてくる。

 瞳に映る哭きそうな表情が訴えてくる。

 耳を通すあまりにも厳しい言葉が訴えてくる。

 鼻を貫く汗の臭いが訴えてくる。

 口の中の血液の味が訴えてくる。

 

 ここにいる絵名は本物だ、と。

 

 ここにいる絵名は確かに現実だ、と。

 

「な、……なんで?」

 それでも、疑義。五感で感じた全てに対して瑞希は信じられなかった。いないはずで、いない方が正しくて、いるわけがなくて、何よりも、何よりも。

 あの時の言葉が。

 『私は………なんでっ…………!!』

 『…………………………………ごめん』

 リフレインする。

 

 だから、会いたくなかった(会いたかった)

 

「なん……で、絵、名……が………………ボクの家、に、いる……の?」

「あんたをっ、探してたからに決まってるでしょっ‼ 心配……、心配したんだからっ‼」

 絵名の服は濡れていた。びしょ濡れだった。今まで気付かなかったが、窓を叩く水滴の音が聴こえる。どうやら今日は雨のようだった。土砂降りの中で、それでも絵名は瑞希を探していたと? 傘もささずに、必死になって? それは嬉しくて、だけど哀しくて。

 肩を置かれた両腕から痛いほどの力が伝わってくる。

「しんぱ……い………………………………」

 『それ』が、痛いほどに伝わってきて、だから瑞希は二重の意味で泣きそうになる。

 嬉しくて、寂しくて、こわくて、やさしくて。

 最低だった。最悪だった。最愛だった。

 あぁ、そうか、と一人で勝手に得心した。そうか、そうだったんだ。瑞希(ボク)にとって、絵名(あなた)は。

「瑞希が、……瑞希がっ!」

 両の腕で抱きしめられる。強く、強く、強く……壊れてしまいそうなほどに強く。もう離さないと、そんな意思を感じる。もう逃がさないと、強い意思を感じる。

 思わず、泣きそうになる。こんなにも想われたことなんて過去にもあっただろうか? 両親でさえ、姉でさえ、果たしてこんなにも瑞希のことを想っているのだと、自信を持って言えるのだろうか。

 見つけてくれたことが嬉しかった。

 探してくれたことが嬉しかった。

 抱きしめてくれたことが嬉しかった。

 …………一人だった。だけど、独りきりじゃなかった。孤立していても孤独ではなかった。孤高であっても故人にはさせてくれなかった。

 会いたくなくて、それ以上に逢いたかった。どんな顔をすればいいのかも分からず、どんなことを言えばいいのかも決められず、それでも……本当は。……ずっと一緒に居たかったし、ずっと一緒に……『い』たかった。それを叶わぬ望みだと決めつけていたのは瑞希だけだった。

 だから、ここに、なかまが、いるよ?

()()()()()()()()()()()()()!!!」

「……ぅ…………あ」

 声に僅かな疲労が滲んでいた。目の下に隈があって、いつもの化粧は崩れていた。それだけ必死だったんだ。それでけなりふり構わなかったんだ。

 それでけ、想ってくれていたんだ。

 そんな『想い』を感じて、そして瑞希は同じくらいに感じる。

 強く強く強く抱きしめられたこの身体。当然、絵名は正面から瑞希のことを抱きしめている。

 そして絵名は第二次成長期以降女性で、瑞希は男性である。

 

 だから()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 『()()()()()

 

「ぅ…………おっ、ぇっ゛」

「っ、瑞希っ⁉」

 吐いた。

 吐いた。

 吐いた。

「ぁう゛、え゛っ゛、お゛え゛!」

「ちょっ、瑞希っ⁉ しっかりしてっ‼」

 今度こそ飲み込むこともできなかった。せめて()()()絵名をこんな汚物で穢さないようにと、必死に首を曲げてシーツの上に『それ』を吐き出した。

 ショッキングなピンク色が、ベッドの上を汚す。

 あぁ、あぁ、あぁ。

 絵名は……引くかなぁ。……いや、絵名のことだからきっと余計にボクを心配するか。なんて、瑞希は思う。

「みずっ──────いっ⁉」

 ベッドの上に吐き出された『それ』を見て、絵名の言葉は止まった。そりゃ、絵名だって馬鹿じゃない。『あれ』から瑞希が塞ぎ込んで、引き籠って、本当にどうしようもないことになっている可能性は……考えてはいた。『最悪を覚悟しておいた方がいいかもしれない』と、まふゆだって言っていた。

 だから絵名は瑞希の声を聴いて、姿を見て、ひとまず安心したのだ。まだ瑞希は死んでいない。自殺したわけじゃない。だったら『最悪』じゃない。まだ取り返せる、取り戻せる、と。

 あまりにも甘い想定だった。

 死んでないから元に戻せるだなんて、わたあめよりも甘い勘違いだった。

「っ、くっ!」

 『それ』を見て、どうするべきかなんて絵名に咄嗟の判断はできなかった。看護師になりたいらしいまふゆならば適切な処置ができるのかもしれないが、あいにく絵名は医者でも看護師見習いでもない。だから、どうすればいいのか分からない。

 もしかしたら何もしないが正解なのかもしれない。

 だけどっ!

「ごめんっ、瑞希‼」

 躊躇はなかった。もう何もしないのはこりごりだった。

 待ってちゃだめなんだ。間違っていたとしても自分で行動して失敗したなら諦めもつく。もう、待っているのには飽きたんだよ!

 

 だから、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「うぐっ、ぇ゛あ゛」

 唾液で右腕が絡めとられる。『それ』が絵名の腕に巻きつく。舌が絵名の腕の侵入を防ごうと蠢く。だけど!

 瑞希の口から吐き出されたのは()()()()()()()()

「全部吐いて、瑞希!」

 ()()()

 極度の精神的ストレスから、瑞希は己の髪の毛を食べていた。

「ぅえ……っ、ぶ、ひぇえ゛」

「瑞希っ! っ、水取ってくる!」

 声が聞こえる。親友の声。親友だったあの子、こえ。

 『瑞希』

 こえが、きこえる。夢の中であうあの子、蔑み。瑞希を否定した、瑞希を裏切った、……瑞希が裏切った、ひとのこえ。

 『変なの』

「待ってて瑞希!」

 止めろ。

 止めてくれ。

 そんな。

 そんな目で『ボク』のことを見るな。

 見捨てる癖に。

 いなくなるくせに。

 離れていくくせに。

 変わっちゃうのに。

 壊れちゃうのに。

 どうせ、だから、だけど!

 『心配……、心配したんだからっ‼』

 分かってる。分かってる。分かってるんだ。心の底から分かってるんだよ!

 だけど、だけど、だけどっ! 暁山瑞希は男で、東雲絵名は女だから! 二人は異性で、『違う』から! だからっ、どうしようもない『違い』が瑞希にどうしようもない『過去』を思い起こさせる。

 あの頃の瑞希は理解していなかった。だから、当然のように間違えた。そのトラウマは今も瑞希の魂に刻まれていて、消えない。

 癒えない。

 だけど。

(……うる、さい)

 ……気持ち悪い、狂ってる、頭がおかしい、合わせられない、嫌いだ、信じられない、壊れてる、正しくない、間違ってる、仲間になれない、付き合いきれない、三次元じゃ受け入れられない、理解できない、馬鹿じゃないの。

 だけどっ。

(うるさいっ、煩いっ、五月蠅いっ!)

 『変なの』

 だけどっ!

(黙ってよっ‼))

 絵名は、誠心誠意で瑞希のことを探し出してくれた。

 絵名は、手掛かりも残さず逃げ出した瑞希のことを見つけてくれた。

 絵名はっ、今にも切れてしまいそうなほどに細い糸を辿ってくれた!

 

 なら、『今』だろう?

 

 『ボクの悩んでることは……今はまだ話せないけど。でもいつか話せるようになったら、聞いてほしい』

 

 『いつか』言うんじゃない!

 

 『だって、話さなかったら――ずっと一緒にいられるかもしれないって、思っちゃったんだ』

 

 『今』なんだよ‼

 

「だい、じょ……ぶ……」

 勇気を出せ。

 誠意を見せろ。

 願えば叶うなんて安易な幻想に頼るな。

 暁山瑞希は、これ以上東雲絵名を待たせる気か⁉

「でもっ」

「お、ねがい…………そばに、い、て…………」

「っ、……分かった」

 男とは思えないほどに、あまりにも弱弱しく瑞希は絵名の腕を掴んだ。それが今の瑞希にとっての精一杯だった。本当は、触れることすら怖ろしくて、女性が女性に触れることと、男性が女性に触れることはその意味からして異なる。

 女性だと偽っていた男性が女性に触れるだなんて、言語道断で犯罪的だ。

 だけど、絵名は何も言わなかった。それは、男性とか女性とかそういうことじゃなく、そういうレベルじゃなくて、きっと絵名が瑞希のことを……『友達』だと思っているからで。

 絵名が、優しいからで。

「はぁ、はぁっ、はっ、ぁ」

 震える両手で吐瀉物を脇に避ける。この三日間ほとんど食べていなかったからだろう。吐き出したモノは唾液が混ざった髪の毛だけだった。

 震える。声が、ふるえる。まだ、真っ直ぐ絵名を見ることは瑞希にはできなくて。

「ぁ、はは……ごめん。……気持ち悪いとこ、みせて…………」

「っそんなこと!」

「はは」

 乾いた笑いが零れる。それは自嘲かそれとも喜悦か。馬鹿みたいな話だった。本当に、大馬鹿者だった。

「…………よく、分かったね、絵名は……。ボクの家の場所。……杏か、……類にでも聞いたの?」

「っ、…………ううん。二人とも瑞希の家の場所は知らなかったわよ」

「そっか」

 当然のことだった。小学生時代の友人にだって、この()()()()()趣味がバレてから、瑞希は家の場所を伝えていないのだから。いや、そもそもその頃から瑞希に真に友人だなんて言える人はいなかったし、……瑞希の家で遊ぶようなこともなかった。

 誰も知らない、究極のパーソナルスペース。絶対的な安全圏。それが瑞希の部屋。『ここ』だけは、侵されざる聖域だった。なのに、どうして絵名は……いるんだろう。……いて、くれるんだろう。

 これが現実で、瑞希のツゴウノイイ幻覚でないというのならば……、どうやって絵名は瑞希の家を突き止めたんだろう。

「でも、それなら……絵名はどうやってボクの家を」

「歩き回って、探した」

「…………?」

 端的な回答で、だからこそ意味がわからなかった。『歩き回って、探した』? それで瑞希の家を見つけられるなら苦労なんてしないが、現実的それは無理だろう。目印があるわけでもなければ手掛かりがあるわけでもない。日本に何万件の家があると思っている? その中から瑞希の家を特定するのはジオゲッサーガチ勢でも不可能だ。

 けれど。

「まぁ流石に私一人じゃできなかったけど、こっちにはまふゆ(天才)がいるのよ! あんたの家の突き止めるくらいまふゆなら朝飯前よ!」

「いや……」

 確かにまふゆは瑞希や絵名なんて想像もできないくらいに天才だが、まふゆは確かに一時期『ニーゴ』と『Own』と『優等生』の三足わらじを履いて生活できていたくらいに埒外だが、だからといって瑞希の家の特定とかできるわけがない。それができたら超能力者だ。

 が。

「あんた、学校から帰る時はだいたい午後五時二十八分発の山足線の上り使ってるでしょ? 七両目の真ん中の扉から電車に入って近い席に座ってる」

「へ?」

「で、日暮山の南口で降りて右に曲がってる。あぁ、たまに駅の中のコンビニでお菓子とか買ってるんだっけ?」

「なん、で…………そんなこと、知って」

「調べた」

「調べた、って……?」

「あんたの学校の生徒に聞き込みして、あんたの行動パターン全部調べた。校門を出てどっちに曲がってるとか、どの路線の電車に乗ってるとか、どの駅で降りてるとか全部! 可能な限り! 神山高校って結構大きい学校だし、あんたまぁ……有名人だったから。……別に意識してなくてもあんたの通学経路を知ってる人は割といたわよ」

「………………」

 あまりにも非現実的だった。考えもつかなかった方法論だ。そこに至るまでの過程も、ここに来たまでの過程も全てがおかしい。

 プロのストーカーか? まふゆは?

 まるでツブヤイターに投稿された写真一枚からアカウント主の居場所を特定するが如く所業。名探偵か何かか、まふゆは?

「あんたの家がどこにあるかぜんっぜん分からないから、あんたの行動範囲を徹底的に調べたのっ‼ ……まぁ、まふゆの案だけど」

「へ、……へぇ…………」

 『え、ちょ、ちょっとキモい……』というのが瑞希の正直な感想だった。いやもちろん口から出すことはなかったが、それにしてもいや、なんというか……正気じゃない。いや確かに、確かに! 『あれ』から瑞希は部屋に引き籠ってナイトコードにも顔を出さなかったし、絵名が心配するのも当然だけれども! だからってそこまでするか普通⁉

 あまりの衝撃に涙も引っ込んだし嘔吐感もなくなった。

 なんというか、すべてがリセットされた気分だった。

 瑞希は普通に引いていた。というかどん引きだった。

「で、でもだとしても! ボクの家まで駅からバスでニ十分だよ⁉ と、とてもじゃないけどそれだけで突き止められるわけ」

「だから! 言ったでしょ! 歩き回ったって!」

「いや、確かに言ってたけどでも」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()‼‼‼」

「………………………………」

 静寂が部屋を満たした。

 え? マジで? といった感じだった。

 原因は瑞希にあるのだが、絵名の執念は流石に異常だった。なんか、流れが変わった。

「『暁山』なんて苗字の人間、全国で二十人くらいしかいないんだから」

「絵、名…………」

 馬鹿だ。大馬鹿だ。本物の馬鹿だ。全然、瑞希は理解してなかった。何が『ここまでボクのことを想って』だ。こんなの、真正の馬鹿だ。馬鹿野郎だ。舐めていた。甘く見ていた。絵名の執念を、絵名の怒りを。

(そっか)

 何かもう、全部が馬鹿らしくなった。

 何を悩んでいたのかもわからないくらいに、馬鹿馬鹿しかった。

 こんなに、こんなにも……『ボク』は。

「は、はは、はっ、あははっ‼」

「何笑ってんのよ」

「絵名ってさぁ、実は脳筋だよね」

「ん……、はぁ⁉ あ、あんたこ、この三日あんたを探し回ってた私相手になんっ! ていうか、そもそもあんたがナイトコードに顔出さないからでしょ⁉」

「ふ、ふふふっ! あはははははっ‼‼‼」

「何笑ってんのよ瑞希ぃ! ひ、人がどんだけあんたのことを心配してたか」

「ははっ、あっははははははっ! あーはっはっはっ‼」

「瑞希ぃ‼‼‼」

 そして時間も忘れるくらい瑞希は笑い続けた。こんなに笑ったのはいつ以来か分からなかった。哀しくて笑ったわけじゃない。嬉しくてわらっていた。本当に、心の底から愉快だった。

 そっか。

 そっか。

(なんだ、それ)

 全部一人相撲。全部勘違い。全部妄想。そっか。そっか。そっか。いなくなったら追いかけてくれるんだ。消えようとしたら、求めてくれるんだ。こんなにも、ボクは……必要とされているんだ。

 なんて──────『  』。

「いい加減にしなさいよ瑞希ぃ」

「はは、あははははっ! ──────うん」

 ひとしきり笑って、瑞希は。

「うん、分かってる」

 瑞希は、今度はちゃんと絵名の眼を見た。

 あぁ、なんて、なんて真っ直ぐな瞳なんだ。──────妬けそうなくらいに、篤く。

「ちゃんと、分かってるよ」

「……………………………………嘘吐き」

「うん、ごめんね、絵名……」

「っ、だから謝ってほしいわけじゃ」

「分かってる」

 彼らに悪意があったわけじゃないことも。──ただ、タイミングが悪かっただけ。

 瑞希だけが悪者じゃないことも。──瑞希の願いを叶えてくれなかった周囲の人間も確かに『悪』かった。

 『みんな』が悪かったわけじゃないことも。──『理想』を押し付けるばかりで、『妥協』できなかった瑞希にだって非はあった。

 本当は、分かっていた。今更できなかっただけで。変わろうとしなかった瑞希も、異常を受け入れなかったみんなも、本当は……少しずつ悪かったんだって。

 本当は、とっくの昔に分かっていた。

「ちゃんと、分かってる。──────だから、だから、さ」

 もう、遅いかもしれないけど。

 もう、間に合わないかもしれないけど。

 もう、手遅れかもしれないけど。

 手を差し伸べてくれたあなたの手を掴む努力さえしないのは、あまりにも不義理だと思ったから。

「ねぇ、絵名……」

「何よ」

 大きく息を吸って、吐いた。また大きく息を吸って、吐いて、胸に手を当てる。

 『×なの』

 分かってる。もう、分かってる。

 そして、瑞希は呼吸を整えて言った。あの時、言えなかった(ことば)を。

「ボクの話を、聞いてほしいんだ」

「…………」

「あの時、屋上で話そうと思ってたことを」

「………………」

「あの時、屋上で伝えられなかったことを」

「………………」

「もう、遅いけど。絵名は……もう『知ってる』けどさ」

 『君も男だったりする感じ?』

 『あいつだって別に隠してねえじゃん!!』

 『──どうしてもダメなんだ……!!』

「だけど、聞いてほしいんだ。……言いたいんだ」

「…………」

「もう逃げないから、もっと一緒にいたいから」

「…………うん」

「聞いて、くれる……?」

「……うん」

 今度こそは眼を逸らさない。

 今度こそは逃げない。

 初めての、初めまして。この瞬間やっと、暁山瑞希と東雲絵名は出会ったのだ。

「何でも言って、ちゃんと聞くから」

「っ」

 その。

 その言葉で。

 その言葉だけで。

 瑞希は。

 瑞希がどれだけ。

 本当に、どれだけ……っ!

 『×な×』

「──────ありがとう」

 言おう。

「ボクは」

 言え。

「ボクはッ」

 言うんだ。

「ボクは、ね」

 いつか出会った絶望の底から抜け出したくて。

 隠していた距離感を零にしたくて。

 迷子になった人生の手を引いてくれたあなたに。

 お悩みを聞いてくれた絵名に。

 ボクのあしあとをたどってくれたキミに。

 

 言いたいんだ。

 

「暁山瑞希は……『男』なんだ」

 汚物と涙が交錯した閉鎖的空間(瑞希の部屋)で、誰にも言えなかった秘密が暴かれた。

 

 今度こそは、本人の意志で。

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