覚悟の準備をしておいてください。
冗談抜きで、頭の中が真っ白になった。世界から一切の色が消え失せ、全ての現実感が一気に喪失した。一瞬、一瞬だけ、絵名の心に空白が生まれた。
『異性として、ボクはキミのことが好きだ』
異性として、異性として、だと?
全く考えもしなかった。そんなことこの三日間でさえ思いもしなかった。確かに瑞希の本当の性別は男性で、絵名は言うまでもなく女性だ。である以上、今までの同性同士の付き合いという前提は崩れ落ち、新たな関係性が構築されるのは確かに道理なのかもしれない。けれど、だけれども、それでも、……絵名は考えもしなかった。
暁山瑞希が男性として異性である絵名のことを好いているだなんて、そんなこと考えもしなかった。
眼を見開く。驚きを隠せなかったし、そうする努力の必要性すらも忘れてしまった。
それは、だから明確な失敗だった。
「っ」
ギュッと、瑞希が強く瞬いた。怖いはずだ。恐ろしいはずだ。逃げ出したいはずだ。この告白は、薄氷の上の、砂状の、霧の中の、そんな曖昧な現実。馬鹿じゃない。瑞希は賢い人間だ。その瑞希が今、絵名に告白したという事実。その意味。
(こいつは、本気で私のことが)
恋心。
『それ』は絵名には分からない感情だった。絵名は別に、瑞希に恋をしているから会いに来たわけではない。あんな終わり方は納得できなくて、あんな結末は受け入れ難くて、だから瑞希に会いに来た。
当然そこに恋だの愛だのといった感情は……入っていない。
いない、けれど。
「瑞希」
……初めに明らかにしておくとすれば、二人は間違いなく『本気』だった。二人とも自分の『本当の想い』に向き合っていて、二人とも自分の『感情』に答えを出したいと思っていた。それは間違いない。否定しようがない事実だ。
なぜなら二人は違う人間だから。
だって二人は異性だから。
『受け入れたい』と思っている絵名と、『見つけてほしい』と思っている瑞希は、…………
違う人間なのだ。
だから、そう、間違えた。
東雲絵名は選択を間違えた。その答えは、瑞希が望んでいたモノであったとしても、決して。
決して、正しい選択ではなかったのだ。
好意に好意で応えるのが正解だと。執着に期待を返すのが最良だと。告白に返答を行うが正義だと。なぜ、言えるのか?
例え無理筋だっとしても絵名は立ち止まるべきだった。MEIKOも言っていたではないか。『待つ』、それが正答である場合もあるのだと。
だから、そう、……もう手遅れだった。
手遅れが始まってしまった。
「
あるいは。
あるいは、だ。
「……………………ぁ」
その時、『恋人』の顔に浮かんだ『それ』をなんと言うべきか、絵名は百年経っても答えを見出せなかった。
嫉妬のような、悲哀のような、歓喜のような、
絶望のような、怒気のような、感動のような、
怨嗟のような、喜懼のような、悦楽のような、逆上のような、苦渋のような、快感のような、
苦悩のような怪訝のような厭世のような困惑のような後悔のような回想のような傷心のような焦燥のような唖然のような圧巻のような奇蹟のような寂寞のような慟哭のような憤怒のような意外のような憤懣のような忸怩のような悔恨のような蔑視のような滂沱のような落涙のような憂患のような立腹のような恍惚のような期待のような失墜のような親愛のような未恋のような喜色のような顰笑のような狂喜のような愉快のような快哉のような不服のような渋面のような憮然のような億劫のような窮屈のような解放のような憔悴のような疲弊のような嘆息のような挫折のような諦観のような暗鬱のような幻滅のような裏切のような卑屈のような比翼のような嫌悪のような虫唾のような不遜のような過分のような恐縮のような鎮魂のような呆気のような愕然のような私怨のような恐怖のような恐慌のような恐悦のような震撼のような畏怖のような臆病のような嘆願のような希求のような欲望のような野望のような嬉々のような願望のような理想のような理念のような意地のような耽溺のような切望のような本懐のような宿願のような垂涎のような醜聞のような妬心のような悔悟のような稚拙のような遺憾のような無聊のような愁眉のような積憂のような不信のような不満のような不幸のような懸念のような逼迫のような感心のような因循のような優柔のような齷齪のような不精のような垂涎のような反感のような敵視のような敵愾のような嫌気のような悪意のような軽笑のような仇敵のような奇説のような恩讐のような皮肉のような確執のような反目のような蔑如のような。
そんな、この世の全ての『想い』が重なり合って折り重なって潰れかかったような、…………感情。
カレは言った。
「ほん、と?」
「嘘じゃない」
カレは言った。
「ほんと、に?」
「本当に本当よ」
カレは言った。
「嘘じゃない?」
「うん、私は……あんたのことが」
カノジョは言った。
『カレ』『シ』に言った。
「東雲絵名は………暁山瑞希のことが大好きよ」
「ぁ………………は、はは──────」
カレは思った。
ずっと、『不幸』だった。満たされていなかった。足りなかった。
常識を否定される不運。当たり前を拒絶される不安。趣味を受け入れてもらえない不満。わかっていてもも、『そう』であることが……アイデンティティだった。
だから『今』だけが瑞希にとっての全てだった。破綻するしかない将来のことに思いを馳せたって何にもならないと知っているから。いつも通りはいつまでも続かないと知っているから。
嘘じゃない。
嘘じゃないんだ。
「は「はは「ははは「はははは「あははははは…………」
『ニーゴ』のみんなのことが大好きだった。
嘘じゃない。
「そ、っ…………か」
朝比奈まふゆのことが大好きだった。
嘘じゃない。
「──────そっか」
宵崎奏のことが大好きだった。
嘘じゃない。
「そっかあ」
………………東雲絵名のことが、大好きだった。
嘘じゃない!!!
「ボク、は」
嘘じゃない! 嘘じゃない!!! 嘘なんかじゃ、決してない!!!!!
けれど、けど、だけど。
『……それでも、いいかな』
回想する。
『逃げていいってボクは思うんだ』
追憶する。
『……びっくりしたよね……?』
想い出が蘇る。
『ボクはその優しさがみんなの中に生まれちゃうことが』
もう二度と来ない、過去。
これから手離す、未来。
「ずっと、独りだと思ってた。独りきりだと、おもってた」
紡ぐ度に壊れていく『今』。停滞を退化と同義とするのならば、進化や進歩はそれほどまでに尊いのか? 変わることは容易だ。知識を溜め込むこと、強くなること。速く走れるようになること、筋肉をつけること。全て容易だ。だってそれは努力すればいいだけだからだ。究極、それは誰にでもできる。
劣化もまた容易だ。努力しなければ崩れていく、壊れていく、堕ちていくだけ。
なのに大衆はまるで『それ』に価値があるかのように宣う。
本当に難しいことを、彼らは知らない。停滞と進歩、二者択一であるならばダブルバインド、第三の道が──────現状維持。
この『今』を守ることが、どれだけ難しいかなんて誰も!
変わらないモノが欲しかった。
変わらないことが幸福だった。
だけど、それはもう無理なんだ。それはもう無駄なんだ。
気付いた。
気付いてしまった。
『私も好きよ』と、絵名は言った。
それが本当なら、真実なら、その情動を抱いたのはいつだ? 今か? 瑞希が告白したせいか? ……変わらないことが理想だった。絵名は、あの屋上で意図せず告発状を受けることになった絵名は、その時までは瑞希のことを『アイ』してなんかいなかったはずだ。
東雲絵名は同性愛者なんかじゃない。だから絵名にとっての瑞希はただの友人で、親友で、決してそれ以上なんかじゃなくて、……だから。
「『これ』を知らない人が『これ』を理解して受け入れてくれるとは思えなくて、こんな『ボク』と真剣に向き合ってくれるだなんて信じられなかった」
なんて罪深い告白。純度十割の大嘘つき。
それでもまだ、『 』を望んでいるだなんて。分かっている。分かっている。分かっているのに。『ボク』は知っているのに。それでも、もしも。
『誰よりも消えたがってるくせに』
まふゆは、気付いていたのだろうか。暁山瑞希の本質に。だとしたらどう思っていたのだろうか。何を考えていたのだろうか。
「変わる関係性が怖かった」
嘘じゃない。だから。
だから…………なんだ?
もう全部、今更で、手遅れで。
変わることが恐ろしかった。
「変わっていくボク自身が嫌いだった」
嘘じゃない。だけど。
だけど、…………なんだ?
もう全部、はぐらかしで、偽証罪。
『男』を自覚せざるを得ない自分自身が嫌いだった。
「変わってしまうかもしない『みんな』を…………それでも大好きだと思いたかった」
嘘じゃない。ゆえに。
ゆえに、…………なんだ?
もう全部、終わったことで、始まらなかったこと。
確かめずにはいられないから、憎んだ。
「でも、できなかった。だからずっと、逃げ続けてた。……いっそのこと、誰かがバラしてくれたら、……なんて思ったこともあった」
石橋を叩きすぎて壊してしまうかのような罪。
砂に上に高いを塔を建てるかのような無様。
湖面に映った月を掬おうとするかのような徒労。
何だったんだ。本当に何だったんだ。
自分だ。自分だけだ。瑞希だ。瑞希だけだ。
「その願いが叶って、それで結局この様だけどね」
「瑞希……」
言葉を紡ぐ度に、声を交わす度に、気付いていく。この『想い』は『同じ』だったんだと。それを瑞希が変えてしまったんだと。
言うまでもなく、友情と愛情は違う。
語るまでもなく、恋心と性欲は違う。
『好き』と、確かに言った。異性として好きだと、確かに瑞希は絵名に言った。そう信じていた……いや、そう信じたかったからだ。壊れないモノが欲しくて、だから縋った。
『恋人』になれば、この関係性は切らないと思ったから。…………それは、瑞希の嫌いな変化であったはずなのに、そう祈るほどに瑞希は弱っていた。狂っていた。
『好き』と、瑞希は絵名に言った。それは真実だった。嘘ではなかった。
けれど、瑞希は知らなかった。知らなかったのだ。だって『恋』を抱いたのは初めてのことで、告白したのも初めてだったから…………。自分の感情が、『それ』未満であることなんて、初めて。
「絵名」
カノジョは受け入れてくれた。私も同じ気持ちだと答えてくれた。その答えに嘘はない? だったら、反射率九十パーセントの鏡面に隠された真実。残り十パーセントの比率に閉ざされた回答。
暁山瑞希は東雲絵名が好きだ。
暁山瑞希は東雲絵名が好きだ。
暁山瑞希は東雲絵名が好きだ。
そんな『嘘』に、気付いてしまった。
「これから先、さ。……たぶん、色んなことがあって、色んな困難が、苦労があって」
なんて、馬鹿げた話だ。恋と愛は違う。ライクとラブは違う。愛されたい初恋と愛したい婚姻は違う。結局の所、その『想い』は嘘だったのだ。偽りだったのだ。何も本当のことなんてなかった。独りよがりのお子様恋愛論で『初恋』を縛ることなんてできない。
カレの想いは愛じゃなかった。
カノジョの想いは『アイ』だった?
分からない。こんなにも真っ直ぐな瞳で見つめられても、瑞希にはもう信じられない。
「それでたぶん、ボクは……また悩んで、戸惑って、逃げて、……いなくなっちゃうかもしれないけど」
優しさが嫌いだった。
のは、きっと。
きっと、…………。
「それでも」
ダレカの優しさが嫌だったわけじゃない。ただ、『そこ』に優しさを向けられてしまうことが嫌だった。優しいとはイコールで憐れみだ。自分よりも『弱い』からこそ、人優しくする。金持ちに寄付する馬鹿はいない。金メダリストにアドバイスするスポーツ選手なんていない。同じことだ。
人は、自分よりも弱い人にだけ優しくできる。それは憐れみだ。優しいということは対等ではないということ。優しい言葉を投げかけるならば、それは親友ではないということ。
それが嫌だった。
わけじゃない。
「絵名は」
だって絵名に罪はない。自分よりも弱い人に施すのは同然のことだ。捨てられた猫を拾う、生活困窮者に炊き出しをする、劣等生に勉強を教える。全て、褒められるべき行い。
だからカノジョは悪くなんかない。原因があるとすれば、理由が発生し得るならば、それは『弱者』側にある。
弱い自分が嫌いなんだ。強いカノジョが羨ましいんだ。そんな資格なんてないと思ってる。だから嫌いなんだ。気遣われてしまう自分の弱さが、強い人の貴重な時間を奪ってしまう自分のことが、それに報えない自分のことが、嫌いだ。
天才の一秒と凡人の一秒の価値は違う。一票に格差なんてないけれど、一秒の価値には違いがある。絵名の時間と瑞希の時間は……違う。
「ずっと、ボクのことを見ててくれる?」
「当然でしょ」
優しさが嫌いだった。
優しくされる自分が嫌いだった。
そんな弱さが嫌いだった。
自分が弱いと認めたくなかった。
憐れみを向けてほしくなかった。
対等な親友同士でいたかった。
それは、もうできない。
瑞希の告白がその関係性を壊した。
もう、帰れない、過去。
もう、変わらない、未来。
「私は、あんたの『恋人』なんだから」
「……ふ、ふふ」
そういって、絵名は更に強く瑞希の手を握って、顔を近づけた。
なんて、なんて篤い想いだ。──────妬けそうなくらいに、あつく。
その想いに応えられない自分を恥ずかしく思う。自らが投げかけた問いに反した行動をしてしまうことを恥ずかしく思う。
おもうだけだ。もう未来を変える意思はない。
『恋人』を見つめる。
これが最期だから。
……これで、最期にするから。
「優しいね、絵名は。ボクのことを追いかけてくれて、こんなボクを見捨てないでくれて、ボクと恋人になってくれて」
優しくて、頼りになって、必死に生きてる……そんな東雲絵名のことが好きだった。
「そんな『キミ』のことが、ボクは好きなんだ。……好きなんだ」
「うん」
『好き』だと、瑞希は何度でも口にした。…………愛していると、大好きだとは、言わなかった。言えなかった。『嘘』でも、言いたくなかった。これ以上、『カノジョ』を縛りたくなかったし、これ以上『彼女』を見つめられなかった。
想いに応えてくれた彼女のミライを縛りたくはなかった。こんなクズに縛られてなんてほしくはなかった。
『恋』と『愛』の違い。そんなモノに『恋人』同士になってから気付くだなんてなんて手遅れだ。
その目で『見て』くれたことはありがたくて、その眼でこそ『見つめ』ないでほしかった。まるで枯れてしまった化けの花、裂いてしまった化けの皮だ。流れてきたモモを割らなければ祖父母が別れを経験することもなかっただろうに。余計なことをするから、余分な結末が現れる。
『異性として』だって?
じゃあ、『同性として』だったら?
結局、瑞希だって『その他大勢』と同じだ。性別に縛られた、馬鹿の花。
「……ねぇ、キスしていい?」
絡めていた指同士を解いて、瑞希は『恋人』にそう言った。
真っすぐ見つめて、そう言った。
刻む。もう会えない『恋人』に、もう会わない『恋人』に、その顔を、姿を、感触を、匂いを、罪を忘れないように。強く強く心に刻む。これで最後になるんなら、せめてこの思い出だけは永遠をかけても色褪せないように。
せめて、この想いだけは永遠をかけても。
絵名が幸せになったミライでも、猫箱の中にしまっておけば瑞希は『倖せ』のままだから。
一生想っているから。一生、願っているから。
キミの幸を。
「うん、……いいよ」
『カノジョ』は目を閉じて、顔を上に傾けた。
その両頬を両手で挟む。ゆっくりと唇を近づけて、願うように祈る。
せめて、あなたの幸せを。これから先の幸せを。
言えるのは、カレの絶頂は間違いなく『ここ』であったということ。優しくて優しすぎたカレはだからこそ『捨てた』。『今』が幸せであればよかった『カレ』『シ』。そうだった理由は、『これ以上』がないことを知っていたから。
絵名に幸せになってほしくて。でも。
夢にまで見た夢の世界、そこに瑞希の居場所はない。
「っ」
「ッ」
そしてほんの一瞬、二人の体温が交わった。
あまりにも甘美な接触。それで終わりだった。何もかもが、最期だった。
瞳を開いて、距離を離して、希望を絶って、これで最後にするからと何度も。
「うん、……勇気が出たよ。……絵名」
「勇気……?」
「今夜、話す」
何を。ぜんぶ。わかれ。ねがい。おわかれ。きみとの。かのじょとの。さいごの。
「奏とまふゆにも、ボクのことを話す。……もう、隠していたくないんだ。心配も、かけちゃっただろうから」
「……奏もまふゆも、瑞希のことすごく心配してたわよ」
「うん、……そうだよね。……悪いこと、しちゃったな」
そして、これからもっと、悪いことをする。
決して癒えない、疵痕を。
「ありがとう、絵名」
「瑞希」
「ボクを『みつけて』くれて、本当に……ありがとう」
ベッドから立ち上がる。シャワーを浴びて、身なりを整えて、仕舞っていた服を引っ張り出して、準備をしなければならない。
未恋を断ち切らなければならない。
顔も見ずに、言う。
「そろそろ遅いし、絵名はもう帰って大丈夫だよ。ボクは、……二人に全部話しに行く」
「二人なら絶対に大丈夫よ。瑞希のことだって、受け入れてくれる」
「うん、……知ってる。……それでも、怖かったんだ。……でも、もう大丈夫。……ボクは知ってるから」
キミが知れない物語を知っている。
これから先のことを。
暁山はもういなくなるんだから。
「瑞希」
「……何?」
「また、二十五時にね」
「……うん、またナイトコードで」
そしてカレはまた、嘘をついた。
『恋人』を見送って、それで『カノジョ』の人生は終わった。
◆
瑞希と再会したその翌日の午前二時、絵名はまふゆに呼び出されて『セカイ』に来ていた。
『今から会えない? 瑞希のことで話がある』
無機質なメッセージはあまりにもまふゆらしくて、少し微笑みが零れた。要件は考えるまでもなく瑞希の性別の件だろう。瑞希が二人を『セカイ』に呼んだのは絵名も知っている。ナイトコードの履歴を辿れば瑞希が『セカイ』で告白を行ったことは察せる。だから、絵名は笑った。
少なくとも出会った頃のまふゆであれば瑞希の告白についての報告なんて態々絵名にしなかったはずだ。
三人の関係性が拗れたとは思わない。瑞希の性別なんて、『ニーゴ』を構成する中では些細な問題だ。奏とまふゆがその程度のことで瑞希を拒絶するだなんて思わないし、『ニーゴ』がその程度で壊れるともまた、……思わない。
だからそれは何があったのかの報告を受ける程度のことで、絵名は何の心配もしていなかった。
その想定は一瞬で裏切られる。
「あっ、まふゆ!」
空漠な『セカイ』をふらふらと歩き、数十分後例の湖の近くてで突っ立っているまふゆの姿を見つけて絵名は、声を投げかけた。
たったっと走り、絵名はまふゆに傍による。
瑞希との話し合いは終わったのだろう。伏せていた顔をまふゆは上げた。
「絵名」
「
「……ぇ?」
「絵名に託したことを間違った判断だとは思わないけど、まさか絵名がここまで手酷く失敗するだなんて思わなかったな」
「…………………………」
「絵名が、一番瑞希のことを分かってると思ってたんだけど」
理解できない。
理解できない。
理解できない。
理解できないのに、致命的な何かが起こってしまったことは理解できた。
「あなたのせいだよ、絵名」
「……わたし、の……?」
「全部、絵名のせい。……私は絵名を恨むよ。奏を悲しませたあなたを、私は強く恨む」
「奏、が……?」
「失敗したら最悪私がフォローしようって思ってたけど、まさかあそこまで頑なだなんて」
どこか呆れたようにまふゆは言った。何か、いつもの感じと違った。絵名の知っているまふゆはもっと気だるげで、もっと冷たくて、もっと……人形のような……。
それが今はなんだ? 馬鹿にしたような物言い。明らかにいつもの口調とも違う。雰囲気も、どこか余所行きのような……。
何があった?
一体何がッ⁉
「『ニーゴ』はこれから、三人のグループになる」
「………………………………………………………………は?」
「正確にいえば、三人と三人で、計四人のグループに」
「へ、は、…………???」
「瑞希はもうあなたと会うつもりはないって。ナイトコードも『ニーゴ』のグループを抜けて、私と奏との三人のグループを作るって」
「…………………………………………」
「イラスト担当と動画担当が直接話をできないなんて、これからどれだけ不便になるんだろう。……奏も、大変だろうな。ただでさえお父さんのこともあるのに」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………」
「それと、瑞希から伝言。『恋人同士になれて嬉しかった。だから、さようなら。もう二度と、ボクに顔を見せないで』だって。……泣かせるよね。最愛を捨ててまで、幸せになってほしいだなんて」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「それじゃあね、絵名。伝えたいことは伝えたし、あとはもうどうでもいいから、任せるよ。また、明日の二十五時に」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………なに、……いってるの?」
たっぷりと沈黙を返した末に、絵名はそれだけを口にした。それで精いっぱいだった。
伝言? うれしかった? 三人?
二度と、って……なに?
まふゆはなに、を……いって?
「そんな、はずない」
「何が?」
「瑞希がそんなこと言うはずない」
「なんで?」
「だって私っ、瑞希と話した⁉ ちゃんと話したっ‼ それで、瑞希もわかってくれた‼ こ、これから先もずっと、ずっと一緒に『ニーゴ』として私たちと一緒に曲を作ってそれで」
「それで?」
平静な声色が逆に恐ろしかった。何の感情も見えないからこそ、『それ』が真実なのだと伝わってくる。でも、じゃあ、なら本当に? 本当に瑞希は?
『恋人同士になれて嬉しかった。だから、さようなら。もう二度と、ボクに顔を見せないで』
意味が分からない。
意味が分からない。
意味がっ‼
「だ、だってわ、私はっ! 私は瑞希の告白を受け入れ、受け入れてっ! 瑞希と
「
ゾっとするほどに、狂った声だった。
思わず濁流を堰き止めてしまうほどに。
混乱は…………ひょっとしたら後悔へと。
「『ちゃんと』って、何? 『えななん』。……ちゃんとしてないと、恋人にはなれないの?」
「っ、ちがっ」
「あなたはどうして、暁山瑞希の恋人になったの?」
「それは……そんなの」
それは当然、絵名が瑞希のことを好きだったからだ。
「その好きは、本当に愛情なの?」
当然、絵名は瑞希のことを愛している。瑞希とずっと一緒にいたいと思っている。傍にいて、離したくなくて、幸せになってほしい。だから、絵名は瑞希の。
「
「違っ」
「あなたは暁山瑞希のことを愛してなんかいなかった。ただ、そうしないと瑞希が泣きそうだったから、ただ、恋人にならないと瑞希が消えてしまいそうだったから、ただ、一人ぼっちの瑞希が可愛そうだったから、だから『えななん』は『Amia』の恋人になっただけ」
「ちがう」
「なら、当然だよね? そんな馬鹿げた理由で恋人になって、どうして『今まで通り』が続くと思ったの?
「違うっ! 違うっ! 違うっっっ‼‼‼ ちがううううううううううううううううう‼‼‼」
絶叫して、絵名はまふゆに詰め寄った。そんなはずがないと『すべて』を否定したかった。じゃあ、なんだ? 全部、間違っていたとでもいいのか。瑞希の部屋で絵名がした行動はそのすべてが、禁忌だったと?
なんだよ、それ!
うまくいっていたはずだった。すくいたかった。すきだった。
全部本心だったよ!
なのにっ!
「っ‼」
認められるか、こんなの。認められるか、こんな結末。
あの笑顔、あの泣き顔、あの『愛』が。全部、……『演戯』だったと? 瑞希は、絵名と、最初から……別れるつもりだったと?
絵名だけ、と?
奏やまふゆとの絆は切らずに、絵名には、……もう会うな?
ふざけるな。ふざけてる。だけど、……本当にふざけてるのは。
『私も好きよ』
本心だった。本心だった! 本心だった?
本当に、『愛』していたの?
ねぇ、東雲絵名‼
「瑞希は、今どこに」
「さぁ……、帰ったんじゃないかな?」
「っ」
だったら、まだ間に合う。間に合うはずだ。間に合ってくれ。まだっ!
例えこの『愛』が憐れみだったとしても。それでも絵名が瑞希と一緒にいたかったのは本当だ。そこだけは本心だ。『恋人』……、──『トモダチ』。『カノジョ』と一緒にいたいと思うのは、そんなにも……、罪深いことか?
一緒に化粧品を買いに行きたい。映える飲食店を教えてほしい。……私のイラストを動かしてほしい。
と、そんな当たり前を、こんな致命一発で。
「取り戻す」
瑞希が家に帰ったっていうんなら、もう一度訪ねにいけばいいだけだ。こんな伝言ゲームで終わってたまるか。あんな『恋人』になったばかりの想い出を最期にしてたまるか。
だからっ!
「絵名」
そんな絵名の手を、まふゆが掴んだ。
引き留めるために。
「どこにいくつもり、『えななん』」
「っ、瑞希に会いにいくのよ」
「そう、なら」
何が起こったのかもわからないまま、絵名は無様に地面に倒れこむ。ぐらぐらと、頭が揺れる。
「っ、ぇ」
左頬を抑える。突き刺すような痛みが、鈍く響く。だけど肉体的な痛いよりも、精神的な衝撃の方が大きかった。
だって、まさか。
(殴、られた……の?)
あの、朝比奈まふゆが、すべてを俯瞰している冷笑主義者が、
まさか、暴力を?
「分からないの、『えななん』」
昏く、冷たく、響く声で、
『理解者』は言った。
『理解者』に……なれるかもしれなかった『カノジョ』に。
『理解者』に──なるべきだった『えななん』に。
「あなたがいても、あなたが側に居ても、これからの『Amia』はもう、傷つくだけ。……絵名はこれ以上、瑞希のことを壊したいの?」
「壊し……」
「もう、『Amia』は破綻寸前だよ。『信じたかった』人に『裏切ら』れて、『えななん』が誤った選択肢を選んだから……『恋人』だなんて、……馬鹿馬鹿しい。……絵名は、……
「っ」
「
「でも、」
反論。
それは誰のために?
「でも、だったらなおさらでしょ! 私が、私の言葉がっ、行動がっ! 瑞希を傷つけたんなら! 壊したなら! 私が瑞希のことを救わないと……、私には、その責任がっ」
「責任?」
まふゆは鼻で笑った。
「責任? この期に及んでそんな言葉を口にするなら、私はここであなたを殺してでも絵名、あなたを瑞希の下へは行かせない。この期に及んでまだ、瑞希の『想い』が分からないなら」
一笑に付す、まふゆ。
「責任なんて、絵名は何もわかってない。あなたは瑞希を救いたいわけじゃない。
「ぁ」
「責任? ほら、愛してないでしょ?」
「ぅ」
反論。
それは何のための?
自分のための?
「絵名はもう何もできない。何もしなくていい。絵名が瑞希に会ったとしても、それは瑞希の心を更に傷付けるだけ。更に狂わすだけ。……確かに、絵名が会いに行ったからこそ瑞希は立ち直れたのかもしれない。外を見れたのかもしれない。そういう意味では、確かに絵名は瑞希を救った。それはすごい。私にはできなかったことだよ」
朗々と、語る。
「だけどそれは『そこ』までだよ、『えななん』。これから先の人生、瑞希の傍に絵名がいたとしても……何にもならない」
「なに、……にも」
「あなたはもう、何もできない」
「なに、……も」
「あなたに唯一できることがあるとすれば、それはもう、瑞希に近づかないことだけ。一刻も早く『過去』になって、『想い』出になって、記憶を風化させることだけ」
「おもいで」
「そういえば昔、こんなことがあったなぁ……、十年後にそう馬鹿話をできれば、それで十分でしょ? それ以上、何を願うの?」
「……」
「何を望むの」
憐れみ、責任、愛。
ぜんぶ、ひとりよがりだった。
「………………………………」
わたしがしてきたことは、わたしだけのためだった。
そうか、と絵名は思った。
何も、できないんだ。
何も、しない方がいいんだ。
何も…………私は。
「瑞希は」
それでも、ふり絞るように、言った。
「私がいない方が、幸せになれるのかな」
「未来は誰にも分からない。ひょっとしたら私の言葉なんて無視して瑞希を殴りに行けばハッピーエンドを迎えられるかもしれない。それは否定しない」
欠片もそうは思っていない口ぶりで、まふゆは吐き捨てる。
嫌でも思い知らされる。
私は、──────なれなかったんだ。
「でも、私はそう思うよ」
そう言われて、だから絵名はもう立ち上がれなかった。
動く気も起きない。
もう、何も……。
「……まふゆ」
「何」
「私は、……どうすればよかったんだろう」
縋るように言った言葉。返事が返ってくるとは思えなかった。
馬鹿なことをしたのだ。馬鹿にしたのだ。無自覚に絵名は……、『みんな』と同じことを。
その『眼』で、……見た。
「……お母さんに、看護師じゃなくて医者になりたいって言えばよかった」
その『眼』を向けることすらなく、まふゆは答えた。
「『今』の私は、そう思ってる」
「……………………………………………………」
そう言えるようになったまふゆを見て、だから絵名は安心した。
だったらきっと、任せて大丈夫なのだろう。もう、『カノジョ』がいなくても何の問題もないのだろう。
瑞希は『別れよう』とは言わなかった。
その『つながり』だけに縋りながら、これからの絵名は生きていく。
それこそが謝ってしまった自分への罰なのだと、自嘲しながらに。
バッドエンドルート 完
Twitter:@LAST_LOST_LIGHT
ハッピーエンドルートとトゥルーエンドルートのあらすじを乗せています