メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
Phantom Joke
『秋雨の合間の、湿った曇り空が広がりますこの東京レース場。引き続きバ場状態は、稍重と発表がありました』
『午後からは雨予報が出ていたんですが、何とか持ちこたえたといったところですかね?』 『そうですね、レースへの影響は最小限に済みそうです……と、ここで各ウマ娘、パドックに姿を表しました。一人ずつご紹介いたしましょう』
『まずは一枠一番、フウライキンジョー、八番人気です』
『G2の舞台は初挑戦の彼女、悲願の重賞制覇なるでしょうか?』
『続きまして二枠二番、ロードロイヤル、五番人気』
『やって来ました大ベテランの逃げの貴公子、出走取消となった前年の雪辱を果たせるか?』
『三枠三番、アリゾナマウンテン、四番人気』
『昨年末からメキメキと力を付けてきている影の実力者、こちらも目指すは重賞初制覇です』
『四枠四番、イナリワン、三番人気』
『春天、宝塚の覇者が秋の重賞戦線にも当然の殴り込み、今日はどんな喧嘩っぷりを見せてくれますかね?』
『五枠五番、ウィンディミオ、七番人気』
『そんなイナリワンに続く二人目の大井からの刺客、ついに中央デビューです』
『……え、えー、そして出てまいりました、今回の大本命一番人気……!』
『うわーっ!聞こえますかこの大歓声!?ここ、本バ場じゃなくてまだパドックですよ?』
『そうですね、本当に凄まじい人気ぶりです……!それではご紹介いたしましょう、六枠六番────』
『───オグリキャップ!』
「きたーーーっ!!!オグリーーーっ!!!」
「待ってたよオグリキャップーーーっ!!!」
「ふぅ……ブルルルルッ!!!」
◆
「はは……ほんととんでもない歓声だなぁ……」
「ふふっ、まあ、流石はオグリさんといったところですね?」
地下通路まで響き渡る、天変地異のような大歓声。走るノイズに耳を塞ぎながら、僕は改めて、彼女の姿をこの『眼』に映す。
「さて、という訳で今から僕たちは、このファン達の期待や希望を思いっきり打ち砕かなきゃいけないわけだけど……」
「あらあら、この期に及んで怖気付いてしまいましたか?」
「まさか、冗談じゃないよ?」
指先を震わせながら放たれた彼女の軽口に、僕は口端を引きつらせながら飄々と応える。怖気付いた、のもまあ、間違いじゃないけど。
「それ以上に、楽しみだ。この大歓声がそのままひっくり返って、スタンド中が静寂に包まれるのがさ。楽しみすぎて、昨日はほとんど眠れなかったよ」
「ふふふっ、奇遇ですね?私も昨日から同じことを想像していました。ため息と失望で包まれる人々を見て、私たちだけが思いっきり笑っているような、そんな光景を♪」
「まるで悪役だなぁ……まあ、それもまた面白そうだね?」
『───え、えー、興奮冷めやらぬ雰囲気ではありますが、そろそろ次のウマ娘の紹介に移らせていただきますね?』
「っと、そろそろ出番だよ?行っておいで、誰かのためとか、みんなのためとかじゃなくて……自分のためだけに」
「ええ、行ってまいりますトレーナーさん。絶対に、私たちのためだけに」
それだけを言い放って、僕は彼女の背を押す。そうして彼女は、ゼッケンのサラリとした感触だけを残して歩き出すのであった。
暗い暗い地下通路から、あまりに眩しすぎる光を、しかとその眼で、睨みながら。
『続きまして──七枠七番、メジロアルダン、二番人気』
・ ・ ・
『……えー、ラストの八枠八番、六番人気アイムデイビッドが本バ場に入場、ウマ娘達が続々とゲートインして参ります』 『いよいよ今年も始まりますよ!粒揃いのウマ娘達が集うスーパーG2にして、秋のG1戦線、その前哨戦!』
「……ごきげんよう、随分とお久しぶりですね、オグリさん?」
「ん、久しぶり?いや、一昨日も教室で会っただろう、アルダン」
「ふふっ、まあ、そうでしたね?どちらにせよ、今日は実にご調子がよろしいみたいですね?肌艶といい、トモの張りといい……」
「おお、そうか?そう言われれば確かに今日は調子がいい気がするな?君がそう言ってくれるのなら、間違いないだろう」
「ふふっ?今日はお互い最高のレース目指して頑張りましょう、ね?オグリさん♪」
「ああ、頑張ろう、アルダン」
『果たして今年は、どんなレースが繰り広げられるのでしょうか…………全ウマ娘ゲートイン完了。午後、三時、四十分────』
毎日王冠
東京 芝 左 1800m 曇 芝 稍
『今……出走です!』
──────────────
「よし!いいスタート……!」
秋雨の季節をなんとか乗り越えて、ギリギリで保った空模様。その殺風景な灰色の下、彼女達は、そして我が担当ウマ娘メジロアルダンは己が蹄跡を今日も刻み始める。
それは十月初旬の東京レース場、『毎日王冠』。同月末に控えた天皇賞・秋から始まる秋シニア三冠の試金石として名高い、スーパーG2競走での一幕であった。
『さあまずはやはりロードロイヤル、大きく飛び出して参りました。既に二バ身三バ身と大きくリードを拡げていきます』
『続いてウィンディミオ、そしてメジロアルダンにアリゾナマウンテン。大注目のオグリキャップはやはりいつも通りの後方。大方の予想通りの幕開けですねー?』
「おおー!オグリ今日も調子良さそうじゃん!」
「いつも通りの差し切り見せてくれーっ!オグリキャップ!」
観覧席の向かい側、好スタートを切ったウマ娘たちのバックストレッチまで切り込む轟音と止まない歓声を、僕はスタンドの一番高い席から、一人遠く聴き下ろす。いつかの昔に感じた高揚感、とはまた別の高鳴りを、無理やりこの胸に押し留めながら。
『さああっという間に最初の400Mを越えて時計は23.5。まだまだ大きな動きもなく、調和的にレースは進行して行きま……』
『いや……?いやいや、きましたよ今回も!』
『お、おっとこれは?『彼女』の、この動きは……?』
「────よし、よし、今だ!」
まるで凪の時間のように、落ち着いた大気が充満するバックストレッチ。そんな生ぬるさに爆熱の『炎』を投げ込むように、今日も彼女は、真っ先にその身を変化させ始める。
『えー、本年度の毎日王冠まだまだ序盤ですが……ここで早くもメジロアルダン、動き出しました!』
『全身を不安定に揺らした、あの得体の知れない動き……間違いありません!『高松宮杯』で彼女が魅せてくれた、あの走りですよ!』
「おお、おお?なんだあの走り方?なんかすごいの?」
「なんだお前、高松宮杯見てねえの?あんときのレースじゃ、メジロアルダンがああいう走り方し始めた途端に、ものの十秒足らずで全員ぶち抜いていったんだよ!」
「マジか!?そんじゃもしかしてもしかすると、オグリキャップだってヤバいんじゃ!?」
『プレイヤーズ・アイ』
今年七月、高松宮杯の折に彼女と僕があらゆる化学反応の末に編み出した技術。耳の先からつま先までの動きを徹底的に制御して五感を研ぎ澄まし、このターフ中全ての情報を視る。才能も運命も何も必要ない『誰でもできる必殺技』。
あの熱い熱い夏から早三ヶ月、あれからもまだまだ紆余曲折ありながらだけど……
けれども、僕らは『また』来たぞ。
カオス極まる、このターフまで。
◆
「ふっ……ふっ……ふふ、視えていますかトレーナーさん?ひとまずは……」
「うおりゃあぁあああ!その技、早速使ったなァ!メジロアルダン!」
「…………!」
「ハハハッ!高松宮杯走ったクラスメイトに聞いてたんだ、その技のコトォ!なんでもアンタ、ターフの中の一番いいトコが解るんだってなァ!?」
「………………」
「どんな理屈かは知らねェけどなァ、悪いがタダ乗りさせてもらうぜェ!」
◆
『おっと、ここで更に動き出したのは……三番アリゾナマウンテン!メジロアルダンの背にピッタリと張り付きました!』
『ほぉー!なるほど考えましたねぇ!完璧なコース取りをするメジロアルダンのピッタリ後ろに着いていく事で、自分もその恩恵を受ける!終盤の爆発力で一気に抜き去る実力のある、彼女だからこその……んん?』
『おや?今度はどうされました?』
『……飛び出して、いかない?』
「んん?なんかさっき聞いた話と違うんだけど?メジロアルダン、ずっと三番手キープしてるじゃん?」
「あ、あれ?おっかしいな?高松宮杯の時が特別調子良かっただけか?」
◆
「ハァ……ハァ……なんだァ?なんだってこんなトコでモタモタしてやがる、メジロアルダン?」
「………………」
「ホラッ!さっさとアタシを案内してみせろよッ!メジロアルダ────」
ドッ……ドッ……ドッ……
「…………アァ?」
ドッ……ドッ……ドッ……ドッ……
「この……足音……まさか!?」
ドッ……ドッ…………ズドンッ……!
「じょ、冗談じゃねェ!?なんでアンタが『もう』こんなとこに居んだ!?」
「おお……確かにアルダンの言う通りだ。今日の私は、調子がいい!」
◆
『……!?ど、どういうことでしょう?もうじき800M地点、まだコーナーに入る手前ですが……オグリキャップ進出を始めた!?』
『ええー!?なんで!?スタートした時はいつも通りの差し体勢でしたよ!?』
『え、ええ。しかし今現在のオグリキャップ、他のウマ娘達の間を縫うような素晴らしいコース取りでぐんぐんと前に飛び出していきます!四番手のアリゾナマウンテンが、もう目と鼻の先!』
「す、すっげー!今日のオグリ、今までで一番調子いいんじゃない!?」
「今日はメジロアルダンもワンチャンあるかと思ったけど……これは流石に、もう決まりだろ!」
「………………」
変わらず三番手で燻るアルダンに向かって、何もかもを薙ぎ倒すかのように猛進を続けるオグリキャップ。誰がどう見たって間違いなく、その様は他のウマ娘達にとって、そしてアルダンにとっても最低最悪の、絶望的な光景に違いないだろう。
そんな絶望的な光景をこの『眼』に映しながら……思わず僕は、己が膝を打つ。
『さあ先頭ロードロイヤルに続いて、各ウマ娘達が次々とコーナーに差しかかります。東京1800M左回り、このレース最初で最後のコーナー戦。注目のメジロアルダンも……彼女にしては珍しく、やや外側に広がりながらコーナーを進んでいきます。やはり本日は調子が優れないのでしょうかね?』
『……なんか、出来すぎなんだよなぁ』
『おや、と言いますと?』
『いえね、あの豪快な末脚が武器のオグリキャップが、今日に限って今まで見せたことのないような位置取りやコース取りのテクニックを、それもこんな序盤から披露しだすだなんて……なんと言いますか、まるで自分以外の何かに操られてる、みたいな……』
『操られて、いる、ですか……?』
◆
「くっ……!ああもうとんだ見当違いじゃねェか!悪ィが、アタシは先にあの怪物から逃げさせてもらう!」
「……ふふっ?ええ、『それでいい』ですよ、アリゾナマウンテンさん♪」
「……?」
ズドンッ……!ドンッ……ドッ……ドッ……
「……あァ?なんだ?」
ドッ……ドッ……ド……ト………………
「な……なんだ?アタシ達の後ろで、何が起こってる……?」
◆
『あっとここでアリゾナマウンテン、メジロアルダンを見限って、彼女の更に外側から追い抜きにかかります。ほぼ横並びでコーナーを回っていく二人ですが、しかしもう間もなくオグリキャップがその姿を捉え……え……え?』
『えっ?ど、どういうことです?あれは、一体……?』
「……は?何、オグリキャップどうした?」
「今日めちゃくちゃ調子良かっただろ……?そのままいつも通り大外からぶち抜けばいいのに……なんで……?」
まるで暗闇に瞬く静電気のように、目の前の『想定外』にピリピリとささくれ立つ観客達。そしてそんなスタンド中の視線を一身に背負う『彼女』は……
『お、オグリキャップ、減速……!どういうことでしょう、本日あれ程調子が良かったオグリキャップ、コーナーに入った瞬間大減速してメジロアルダンとアリゾナマウンテンの後ろを如何ともし難い様子で右往左往しています!?』
『なんなんでしょうオグリキャップ……何か、迷ってる……?』
◆
「ぐ……か、身体が、重い……!もう少し……あと少しで、『内側』に、切り込める、のにっ……!」
「っ……!ふふふっ♪ふふふふっ♪」
「は?は?オイオイなんだよ、なんだよこのレース……『いつもと違ェ』ぞォ!?」
──────────────
──それは、いまから丁度一週間前のこと。
『さあ外側から追い込んで来たのはオグリキャップ、オグリキャップ速い、オグリキャップ強い、圧巻の走りです』
「………………」
「………………」
『その勢いのままオグリキャップゴールイン、いや強かった、これで中央移籍から無傷の6連勝です』
「……っ、はぁーーーっ!ダメだ、全っ然解らない!」
「うむむ……やはりこの『眼』をもってしても、彼女の攻略は容易ではなさそうですね……」
いつも通りの薄暗いトレーナー室、僕とアルダンは間近に迫る毎日王冠に向けた……
と言うよりも、ついに来たる『彼女』との戦いに向けた作戦会議に勤しんでいたのであった。
「……『オグリキャップ』か」
「確か、以前模擬レースでご一緒したのがちょうど一年前のことでしたよね?」
「ああ、そうだね?あれから色々あり過ぎて、なんか二年くらいは経ったような気もするけど……」
テレビ画面の中、自動再生で流れ続ける彼女の……芦毛の怪物『オグリキャップ』のあまりに眩しすぎる勇姿。その様を僕ら二人はしかとこの眼で、視る、視る、視る、が。
「……アルダンだってあの頃から遥かに強くなってるはずなんだけどな。それでもなお、付け入る隙が見つからないなんて……ほんと、冗談じゃないよ、ほんと」
「強いて見つけたとするならば、『左回りで大きく外側に膨らむ癖』がある、といったところでしょうか?普通のウマ娘相手ならば、コーナーの位置取りを利用して追い越させず、最後に差し切る為の体力と体勢を大きく削ることができそう……に、視えるのですが」
「……多少削られても一切問題ないほどのパワーやスタミナもあるウマ娘ならば、そんな小手先の技なんて一切『無視』して力技でねじ伏せられてしまう、んだろうな、きっと」
「………………」
……きっと普通だったら一撃必殺、伝家の宝刀レベルであろうアルダンの提示する策。けれども、僕らはもう既に解っている。
オグリキャップというウマ娘は、『異常』だ。
純粋な走力もスタミナもパワーも規格外。彼女が普通に走るだけで、一騎当千のG1ウマ娘達がまるで赤子のように、凄惨に捻り潰されていく。
そしてそれを仮に凌げたとしても、最後の最後に発動するあの『異常な加速』。まるで調整不足なバランス崩壊ゲームの、更にそのバグ技を使ったかのような……今までの伏線も積み重ねもあったものではない異常で不気味な『領域』に、何故だか彼女は到達できてしまう、らしい。
「正直僕らみたいなタイプが一番怖いのは、こちらの作戦を全部無視されて淡々と相手のスペックでごり押しされる事、だからね」
「そう、ですよね……悔しいですがやはり現状の私は、まだまだ純粋な力比べでは他の皆様と比べて分が悪いですし……」
「それに何度も言うようにこの眼は……『プレイヤーズ・アイ』はただ周りが視えるようになるだけで、身体能力は一切変わらない」
「すなわち高松宮杯の時のように『今の私の能力の範疇で理論上出せる最速』で走ったとしても、通常でそれ以上の速度を相手が出せるのならばどうしようもない、と」
「まあそんなこと『普通』は有り得ないけどね。キャリアが同じくらいのウマ娘同士なんだから、それほどのスペック差がつく事なんてほとんどないし、些細な小手先の作戦が勝敗を揺るがすことだってある。だからこそ、相手のそういう小技を無視して思いのまま走るだなんて、『普通』はできるはずがない」
「けれども今、私たちが相手にしているのは……『オグリキャップ』」
「……何より絶望的なのは、言葉を選ばす言うと彼女の走りには殆ど『知性』を感じない。毎回同じ位置取りから、同じタイミングのスパートをかける、たったそれだけの、手垢の着きまくった、ジュニアレースクラブの娘でもできそうな戦術だけで、彼女は重賞もG1も勝ててしまう」
「そうですね……オグリさんはご自身のトレーナーさんとも、レースについての詳細な打ち合わせなどは殆どされていないそうですから。もっぱら実戦形式でトレーニングを行い、言語化せずに感覚だけで走り方を覚えているそうで……」
「まさしく横綱相撲だね……個人的にはあんまり面白くなさそうな気もするけど……」
「つまりはスペック差を埋めるためにこちらが様々な策やブラフを撒いても、オグリさんはその駆け引きに乗ってくれない、そもそも視界にすら入れずにいつも通りに走る可能性が高い」
「そうだね。そしてまさにそれこそが、僕らにとって一番最悪のパターン、と……」
考えれば考えるほど、まるで沼底に落ちるかのように沈んでいく僕らの表情。画面越しの映像を仰ぎ見ながら脳内で何度試算を重ねても、やはり有り得ない、辻褄が合わない彼女の挙動に僕はひたすら頭を抱える。
「………………」
「……アルダン?」
「そもそも、どうして私たち普通のウマ娘は、他のウマ娘が仕掛けた『駆け引き』 に乗ってしまうのでしょうね?」
……それでも、夜闇に浮かぶ一閃の星屑のように、彼女の瞳はその輝きを止めることはなかった。そんな遊星を追い求めるように、僕も再び、頭を捻る。
「そうだなぁ……それはきっと、それだけの『リターン』があるからに他ならないよね。君が得意な、相手を引き付けて釣り上げる戦術だって『上手く行けばメジロアルダンという有力者を早々に無力化できる』っていう欲を餌にしてる訳だし」
「……では、ひっくり返して考えれは?」
「と、言うと?」
「オグリさんがこちらの駆け引きに乗ってくれないのは、そこにオグリさんにとっての報酬がないから。すなわち逆に、『オグリキャップにとってのリターン』があれば?」
「そ、そりゃあ可能性はあるだろうけど……けれども『オグリキャップにとってのリターン』って、一体なんだ?」
「レースにおけるリターンとは、普通に考えて『勝つ確率が上がる行為』……なのでしょうけど、しかしオグリさんにとっては『いつも通り』が一番勝つ確率が高いとも言えますし……」
「………………」
『───さあ徐々に集団が纏まって参りました400M地点、現在先頭を進みますのはシロガネアデュー、続いてシャーリースカイにフリーダムダッシュ、そして、オグリキャップ』
彼女との対話で少しだけほつれた、目に見えない程の細い細い糸口。それを大切に掴み取ったまま、僕はその場で黙り込む。
聞こえてきたのは、相変わらず清らかな彼女の声と、日に日に強くなってきた北からのからっ風の音、そして垂れ流しにしていたテレビ画面から流れる、いつも通りの実況音声─────
「……まって!?その映像止めて!?」
「は、はいっ?どうされました?」
「驚かせてごめんアルダン!その、このレースって、いつのレース!?」
「ええと、これは……ああ、昨年の『ジャパンカップ』ですね。って、あら?この時のオグリさん、なんだか『いつもと違う』ような……」
「……なんだ?オグリキャップ、なんでこのレースの時だけそんなに『前に出てた』んだ?」
刹那、僕の脳内に弾けた閃光、その薄明かりをたよりに、僕は少しずつ、少しずつその糸を辿っていく。
「ああ、けれどオグリさん、その後はすぐに集団を避けるようにいつも通りの後方に下がってしまいましたね?どおりであまり印象に残っていなかっ────」
「なんでだ?なんでこの時に限って彼女は先行策を取ろうとしたんだ?出走メンバー?バ場状態?一体何が彼女の『いつも通り』を一瞬奪った……?」
「────タマモクロスさん?」
そして、その閃光の先。僕と、そしてアルダンが辿り着いたのは、一筋の白く大きな『稲妻』のような衝撃であった。
「先程、自分で話している時に思い出したのです。普段は差し切りが得意な方が、敢えて先行策をとったレースで、印象に残っているものを」
「それって……あ、ああっ!?」
「ええ、このジャパンカップの直前。『天皇賞・秋』のタマモクロスさんです」
「ちょ、ちょっとまって?ってことはこのジャパンカップでオグリキャップが最初にちょっとだけ先行したのって……もしかして、タマモクロスを意識してたから!?」
「そう……なのかもしれません。結局は上手くいかなかったからか、有馬記念ではいつも通りに戻ってしまったようですが……」
「…………けれども、だとしたら」
「……!そう、ですね、だとするならば」
軋むソファーから同時に立ち上がり、その眼と眼を合わせて互いに視つめあう、僕とアルダン。
そうだ、オグリキャップというウマ娘は確かに『異常』だけれども、それでもこの世に生きる『ウマ娘』であるのは間違いない。
だと、するならば。
「オグリキャップにだって、欲がある……!自分の考えた戦法で、自分の判断で強敵に勝ってみたいっていう……そういう『エゴ』が!」
「ええ……!そしてそれこそがきっと、こちらからオグリさんに提示できる『リターン』!」
カーテンの隙間、鮮烈な夕陽に照らされた彼女の、彼の瞳が、いつもよりずっと不安定に燃え盛る。そしてそんな二人分の莫大な熱量が一身に注ぎ込まれたのは、再び動き出したテレビ画面の中、一時の栄光を当然の如く掲げる彼女の元、であった。
──────────────
◆
『………………』
『どんな理屈かは知らねェけどなァ、悪いがタダ乗りさせてもらうぜェ!』
・
・
・
『ふうっ……よし、今回もいい位置につけた。このままいつも通りコーナーで……ん?なんだ?あそこの走りやすそうなポジションが丁度空いてるな……しかしあまりいつも通りの道を離れすぎるのも……いや、しかしここは……』
◆
『ハァ……ハァ……なんだァ?なんだってこんなトコでモタモタしてやがる、メジロアルダン?』
『………………』
・
・
・
『おお、思った通り走りやすいな……ん、なんだあそこの隙間……いつものルートよりもこっちを選んだ方が短い距離で前に出れそうなだな……それに芝の感じも良い気がする……よし、今日はこっちを『選んでみる』か』
・
・
・
『じょ、冗談じゃねェ!?なんでアンタが『もう』こんなとこに居んだ!?』
『おお……確かにアルダンの言う通りだ。今日の私は、調子がいい!』
◆
そうだ、『プレイヤーズ・アイ』はただ周りが視えるようになる『だけ』。身体能力は一切変わらないし……そして、そうやって視えた最適なルートを『絶対に自分が使わなければならない』なんて縛りも、もちろんない。
即ち、敢えて自分はそのルートから外れて自由に走る事も……そして、敢えて分かりやすくぶら下げて、後続のウマ娘への撒き餌として使うことだって、できる。
◆
『くっ……!ああもうとんだ見当違いじゃねェか!悪ィが、アタシは先にあの怪物から逃げさせてもらう!』
『……ふふっ?ええ、『それでいい』ですよ、アリゾナマウンテンさん♪』
『……?』
・
・
・
『ふっ、ふっ……コーナーか、いつもなら外側からだが……ん?これは……『内側』が丁度綺麗に、空いている……?』
◆
そしてそんな『成功体験』は、時に毒となる。
『自分自身の頭で考えた策が、成功する』
恐らくウマ娘に限らず、この世の生きとし生けるもの全てが感じ得る『快感』。そんな快感を恐らく競走人生で初めて味わったオグリキャップは……少なくとも、トレーナーの声もサポーターの声も届かないこのレース中は、その幻惑から決して逃れられない。更なる快感を求めて、より難しい挑戦を、より複雑な思考を、自ら求め始める。
そうだ、たとえ自らのいつも通りの『性質』を忘れてしまったとしても。
──────────────
『東京1800M左回り、このレース最初で最後のコーナー戦も、中腹を過ぎ去って……しかし、しかしそれでも未だに、前方に進出できていませんオグリキャップ!』
『なっ……なんで今日はそんなに『内側』しか見えてないのオグリキャップ!?あなたコーナーじゃ絶対外に広がっちゃうでしょ!そんな切り込み、ぶっつけ本番じゃ無理だって!』
「うわーっ!?こっからどうするつもりなんだオグリーっ!?」
「なんかもう、めちゃくちゃ消耗してるし!今から抜け出せたとしてももう、最終直前戦える体力残ってねーだろ!」
観客も、実況も、ターフを走っているウマ娘達も恐らく、いや確実に、このレース場にいる全員が気がついていないだろう。とてもいつも通りではないこの異常事態が……たった一人のウマ娘の『見えない罠』によって巻き起こされていることを。
◆
「はあっ……!はあっ……!どうする、私はどうすればいい……!考えないと……自分で、自分でやったことなんだから、自分で取り戻さないと、私は……!」
◆
「そうだ、考えろオグリキャップ。ここから抜け出す方法を、冴えたアイデアを、大逆転の秘策を。考えて考えて考えて考えて……そうして無駄な思考という重りを付けたまま、君は沈んでいく」
阿鼻叫喚、悲鳴飛び交うスタンドを見下ろし、僕は密かに口角を持ち上げる。後はオグリキャップに撒いていた餌を回収し、アルダン自身が最適なルートに再び突入。そしてそのまま……
「よし、最高だ……!」
神にも等しい存在が、『思考』という禁断の果実を差し出され、どこにでもいる凡百の存在へ堕とされていく。そうして神の代わりに王冠を戴く、一人のウマ娘。
まさしくそれは、オグリキャップという『神話』。その『終焉』の瞬間であっ────
「おうおうおうおう!!!なんでぇ!天下のオグリキャップ様もこぉんなもんかい!?」
「…………!?」
───まるで、ヒーローの大ピンチに駆け付けた仲間たちみたいに。ターフ中、スタンド席にまで雄々しく響き渡る、声。そして、そして……
『おっ……と?こ、ここで後方から突き進んできたのは……い、『イナリワン』!イナリワンです!怒涛の追い込みで満身創痍のオグリキャップに、更なる強襲をかける!』
「……冗談じゃない、ほんと、冗談じゃないぞ」
そして、その走り、その『異常な加速』。
冗談じゃない、ふざけるな、いい加減にしろ。こんな奴、同じ世代に二人もいていい訳ないだろう。
◆
「っ…………!?」
「オイオイ!今度はなんだァ!?」
「へへっ!とんだ見当違いだせぇ!とっととこのイナリワン様に道を空けなぁ!オグリキャップゥ!!!」
「……オ、グリ、キャッ、プ。オグリ、キャップ、オグリキャップ」
「あ……!い、いけない……!それ、以上は……!」
「そうだ……そうだった、私は『オグリキャップ』だ!」
◆
『……!!!オグリキャップ!?オグリキャップが外側に気付いた!』
『お、おお!少し遅れてですがオグリキャップ、いつも通りの大外差し切りの体勢に戻っていきます!』
「おお!キタキタキタァーーーっ!やっぱりオグリキャップだ!!!」
「でもイナリワンも凄い加速で迫ってきてるぞ!?どっちが早いんだ!?」
『さあいよいよウマ娘たちが集団になって最終直線になだれ込んでいく!今のところ先団の娘たちにほとんど差はありません!最後は純粋な力比べだぁっ!』
まるで鎖から解き放たれたかのように、アルダンの隣をいとも容易くすり抜けていくオグリキャップ。そしてその後ろを、これまた飄々と飛び抜けるイナリワン。結局今日も始まってしまった、策も技術もへったくれもない原始的なごり押しの力比べに、スタンド中がこれでもかと湧き上がる。
『さあ残り400!飛び出してきたのはもちろんオグリキャップとイナリワン!互いにゴールだけを見据えた、究極の競り合いです!』
「うぉーーーーーっ!!!頑張れオグリーーーっ!!!」
「イナリワンも食らいついていけーーーっ!!!」
「くそっ……!こんな……こんな……!」
今日の作戦は、決して簡単なものではなかった。絶妙な位置取り、さり気ない罠の管理、1ミリの誤差も許されない精密な技術を、アルダンと僕とでこの一週間、何度も何度も調整を重ねてきた。
それが、こんなにもあっさりと、簡単に。
「……負けたくない、負けてたまるか」
そうだ、負けたくない。あんなわけの分からない理不尽な暴力に、僕らは……
────私たちは、負けたくない。
……アルダン?
……トレーナーさん?
不意に僕の、私の脳内に流れ込んできた、大切な人のもがき苦しむ、声。そうだ、この感じ、あの時も……
そうか、アルダン……今、僕を『視て』るね?
ええ……トレーナーさんも、私を『視て』くれているのですね?
『プレイヤーズ・アイ』
耳の先からつま先までの動きを徹底的に制御して五感を研ぎ澄まし、このターフ中全ての情報を視る。才能も運命も何も必要ない『誰でもできる必殺技』。
そして……どうやら、だからこそ。同じ眼を持つ僕ら、私たちは、こうして離れていたとしても、どうやら互いを『視つめ合える』らしい。今までもその事はうっすら認識出来ていたけれど、まさか、レース中にも使えてしまう、なんて。
それなら……それならまずは深呼吸だ、アルダン。あと300Mくらいだけど……今の君の位置からもう一回、ルートを計算してみようか。
っ……すぅ……はあっ…………はい、トレーナーさん……ここから……ゴールまでの最短ルート、芝の状態に、他の方の位置、全てクリアしている場所は、場所、は……
……ここだ!
ドンッ……!
『あ、ああっと!のこり200M程、オグリキャップとイナリワンの一騎打ちかに思われましたが……』
『め、メジロアルダンも来た!今までのルートを切り捨て、今度こそ彼女の本領発揮!完璧なコース取りでメジロアルダンも来ましたよぉー!』
「あ、アルダン……!?」
「なんでぇ!?新手かぃ!?」
「う、ぉおおおおおおおおあああああっ!ああああああああっ!!!!!」
大きく息を吸って、乱れていた歩幅も整えて、もう一度、もう一度、何度でも、彼女は、私は、勝利に向けてこの脳を働かせる。
あと、100M、あと、一バ身。
間に合うか、いや、間に合わせる。間に合って、くれる。
僕の信じたウマ娘、『メジロアルダン』なら。
貴方の信じてくれたウマ娘、『メジロアルダン』なら。
『来るな……近寄るな……』
……?
『今は、この瞬間は……『オグリキャップ』の時代だ……!』
見つめていた、オグリキャップの背から……確かに、声がした。
偉大で、厳かで、『絶対的』な、そんな声───
いいや、ふざけるな、誰がそんなこと決めた!
『………………』
お前は、誰だ!そんなことを言う、お前は一体、誰なん
──────────────
『……えー、ただいま写真判定の結果が出ました……本年度の毎日王冠、勝者は……』
『オグリキャップ!』
「うおーっ!毎日王冠二連覇かよ!」
「今年の秋も楽しみにしてるぞー!オグリキャップーっ!」
『いやーやはりオグリキャップはいつも通り強かったですねぇ!後方差し切りの黄金パターン!突き崩せるウマ娘は、最早存在するんでしょうか?』
『えー、次いでハナ差の二着、イナリワン』
「くぁーーーっ!ちきしょう!やいオグリ!次こそコテンパンにしてやっから、首洗って……」
「………………」
「な、なんでぇ、そんな苦虫噛み潰したみてぇな面して……おめぇ、勝ったんだぞ?」
「……私は、本当に勝ったんだろうか?」
「……ああ?舐めてんのか?」
◆
「……あ、トレーナーさん」
「アルダン……」
眩し過ぎる光を背にして、今日もまた、暗い暗い地下通路に一人帰ってきたアルダン。黴と埃臭いこの空間と呼応するように、その口元も、眉間も眉も、送り出した時よりもずっと深く沈んでいて……
「まずは、お疲れ様。いい走り見せてくれて、ありがとう」
「こちらこそ、今日までご指導ご鞭撻頂き、心より感謝いたします……」
「………………」
「………………」
「「天皇賞!!!」」
しかし、その『眼』の炎。
あの鮮烈な夕陽のオレンジを彷彿とさせる!その不安定で力強い煌めきは未だ潰えず、ただひたすらと僕の、私の眼を視つめ続けていた。
それなら、僕らの、私たちのやることは一つだろう。
「ちょっと待ってね……今日の最終直前のあれ!あれを使ってできる作戦を今色々考えてて……秋天までには仕上げたいから、帰ったら早速……」
「ふふっ、奇遇ですね?私の頭にも沢山アイデアが浮かんでいて……帰ったらなどと言わず、今すぐに始めませんか?私たちのアイデアの、化学反応を♪」
絶望、より観察を。悲観、よりも考察を。
目の前で起こった事象全部を混ぜ合わせて、もう一度、何度でも挑戦を続けていく。
『えー、続く三着はメジロアルダン。着差は……『1/2バ身』』
退屈でつまらない、いつも通りの世界を壊して……君に、貴方に、栄光を届けるため。
たとえ、この世の全員から『悪役』と蔑まれることになったとしても。
僕らの、私たちの挑戦は、まだまだつづく。