メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
[結婚のお知らせ]
「……ん?」
早朝、窓から射し込む光の束に煩わしく目を細めながら、僕はいつもの如く溜まったメールを一つ一つチェックしている……と、その視界の隙間に入り込んできた、あまり見慣れない二文字の単語。
「私事で恐縮ですが、この度ご縁があり……?あー、あの先輩かぁ。全然そんな素振り無かったんだけどな?」
添付された画像に映し出されていたのは、タキシードに身を包み、なんとも幸せそうに笑顔を見せる先輩トレーナーの姿。実にめでたくは思うが、まあ、そんなに関わりのない先輩だからなぁ。次に会ったとき、一言お祝いするくらいでいい……か?
「って、あれ?このお相手のウマ娘って、もしかして……?」
それよりも僕が気になったのは、その先輩と睦まじく肩を並べるドレス姿のウマ娘。僕の記憶が確かなら、恐らく彼女、数年前に卒業した元トレセン生……それも件の先輩トレーナーの元教え子、なのでは?
「元教え子との結婚、か。たまにそういうこともあるっては聞くけど、実際見るのは初めてだなぁ。なんか不思議な感じ……って、そんな他人のこと、僕にはあんまり関係ないな」
と、一通りの反応を終えた所で。僕はメールボックスを閉じて、昨日から引き続きの仕事に取り掛かる。実にめでたい話だが、めでたいからと言って僕の日々の雑務が無くなる訳ではない。
「……関係ないって言い切るのも、それはそれで虚しいもんだけど」
のろのろと手を動かしながら、ふと考えた自分の将来のこと。全くこの調子じゃ、結婚なんて一体何十年先になるんだか……とはいえ恋人なんてもう何年も出来ていないし、最近じゃ興味すら今ひとつ持てなくなってきたし。第一、心から好きだと思えるような相手だって、今や全然……
……心から好きだと思える、ような、相手。
「おはようございます、トレーナーさん♪」
「……おっ!?お、おはようアルダン?今日は早いね?」
不意に響いてきた、穏やかで朗らかな声。それは他でもない、我が担当ウマ娘、メジロアルダンの声であった。
「ふふ、今日は教室の観葉植物の水やり当番なのです。って、トレーナーさんこそこんな時間からもうお仕事ですか?」
「あ、ああまあ、昨日のやり残しとかあるからさ?」
「ううむ……仕事熱心なのは良い事ですが、けれども、ご無理をされるのは……」
「されるのは?」
「めっ、ですよ?きちんと朝食を食べて、体調を整えてから取り掛かられるのをおすすめします」
「あ……あー、そうだね?ごめん、アルダン」
「ふふっ?分かればよろしい♪貴方が体調を崩されれば私だって困りますし、それに……純粋に、大切な人には元気でいて欲しいと、私はそう、思いますから」
「……うん、うん、ありがとう、アルダン」
「という訳で、私はそろそろ行きますね?また放課後に……の前に、まずは朝ごはん、ですよ♪」
「うんうん、また放課後、待ってるね?」
ガラガラガラ……
「……………………」
「………………」
「…………」
心から好きだと思えるような、相手。
「って、そうじゃないそうじゃない。まずちゃんと彼女に言われた通り朝ごはんを……いやでも、せめてもう少しキリがいいとこまで……いやでも、でも……」
『めっ、ですよ?』
「…………」
朝ごはんも、仕事の続きも手につかず、重く抱えた頭の中。みっちりと詰まっていたのは他でもない、先程の彼女の、甘く優しい声だけなのだった。
「本当に、あまりにもいい子過ぎるって……どうなってんの、ほんと……」
彼女と出会って早数年、当然その品高い優しさは、あの頃から一ミリだって変わってなどいないのだが。
なんというか、最近の彼女にはすっかり『大人の余裕』のようなものが備わってきたように思える。誰かの加護が必要な、不安定な雪の結晶のような姿から、この世界に自力で立つ、美しい氷柱に。間違いなく、間違いなくその変化は僕自身だって望んでいたこと……
なの、では、あるが……
「トレーナー、さんっ♪」
「…………う、おっ!?あ、あれ?アルダン?」
「ふふっ?トレーナーさんのことですので、もしかすると私に構わずお仕事をされているかもと思いましたが……きちんとひと休みされていましたね?感心感心、です♪」
なんて、悶々と考えを巡らす僕の頭に射し込んでくる後光……もとい、優しい優しい、彼女の声。慌てて前髪と平然を整え直し、僕は改めて彼女に向き直る。
「君の方こそ、水やり当番は?」
「ふふ、少しだけ早く向かい過ぎてしまいまして、教室の鍵がまだ空いていなかったのです」
「あらら、ちょっと張り切り過ぎじゃない?」
「ええ、これでは私も人の事を言えませんね?と、いうことで……」
「?」
いつまでも直らない右側の寝癖を撫で倒す、僕の焦りを知ってか知らずか。彼女はおずおずと自らの持つ鞄に視線を落とし、何かを漁り、僕の前に差し出してきた。
「後で食べようと思って、握ってきたおむすびです♪自分だけで食べようと思っていたのですが……せっかくですし、ご一緒にいかがですか?」
「え?あ、アルダンの朝ごはんってこと?いいの?」
「ええ、少し物足りないかもしれませんが……それでも、ふたりで食べた方が美味しく感じるでしょう?」
「………………」
ぱかりと開けた蓋の中に見えた、二つのおむすび。彼女の、僕の半分程の面積しかない小さな小さな手のひらで握ったのであろう、やや小ぶりで、けれども惚れ惚れする程綺麗な三角が、そこにはぎっちりと欲張りに詰まっていた。
「朝早かったので具は用意できませんでしたが、代わりにふりかけを混ぜてみました♪こちらがたまごで、こちらがさけ。ふふっ、トレーナーさんはどちらの方が……」
「………………」
「……トレーナーさん?」
心から好きだと、思えるような……
「好き、だ」
「えっ?」
「……あれ?」
あれ?僕、今なんて言った?
「……トレーナー、さん」
「あ、ちょ、あ、ある、あるだ」
「『どちらが』ですか?」
「……えっ?」
「申し訳ございません、その前が聞き取れなくって……たまごとさけ、どちらが『好きだ』とおっしゃいました?」
「……………」
「……………」
「……さけ」
「ふふ、では私はたまごですね♪どうぞ、トレーナーさん?」
ちょこんと手渡された、僕の片手程のおむすび。その白く輝く細やかな煌めきだけを凝視して……なるべく彼女自身は視界から外して、心を落ち着ける。くそう、さっきのメールのせいだ……さっきのメールのせいで僕、あんな事口走って……
「それでは早速、いただきます♪」
「……うん、いただきます」
……改めて、動かした視線の先。本当に幸せそうにおむすびを頬張る欲張りな彼女の姿。そうだな、勢いで口にしてしまったけれど、やっぱりこの気持ちに嘘偽りは無い。僕は彼女の事が、本当に大好き、なんだな。
だからこそ、慎重に、だ。
「いかがです、トレーナーさん?お口に合いましたでしょうか?」
「……ああ、美味しいよ。本当に、毎朝作って欲しいくらいだ」
「……!?」
米の甘みの底からほのかに優しく、けれども確かに感じた薄味。この絶妙なバランスは、まだ、今のうちは壊したくないな。
「ありがとう、アルダン。やっぱりアルダンの作ってくれるご飯は、他の何よりも、美味しいよ」
「そ、そんなそんな……今日はただ、握っただけですし……」
「それでも、この丁寧な味付けに貴重面な形と……それと、なんだろうな。曖昧な表現だけど、確かな愛情を感じるんだ。これがあれば、僕はどんな大変な仕事でも、一生頑張れそうだ」
僕は一口一口、たんと噛み締めるように彼女の作ってくれた温かみを教授する。将来の事……よりもまずは今の事だ。今の僕にとって一番大切なもの、それはいつかの幸せな未来なんかじゃなく、目の前にいる、今の彼女の幸……
「………………」
「ん?どしたのアルダン?手が止まってるけど……」
「あ、いや、ええと、その」
「もしかして、さけの方が良かった?ごめんね一方的に決めちゃって、これ、今からでも……」
「い、いえ!好きですよ!ど、どちらも好き、です、が……」
「が……?」
「そ、そうです、そろそろ教室も開く頃のはずですから……!こ、こちらもトレーナーさんに差し上げますので、それではっ!」
「あっ、ちょ、アルダン!?」
「……………………」
「………………」
「……う、うん、僕はたまごも好き、だな……」
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「はあ、先輩が急にあんな連絡、するから……す、『好き』って、絶対、絶対にそういう意味じゃ、ないというのに……トレーナーさんたら、本当にもう、どういうことなの……?」