メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
「……『恋恋パッシング』?」
予定時間より伸びに伸びた、白熱のトレーナー会議がようやく終わった午後5時、僕は挨拶も早々に早足でトレーナー室に戻ってきた。定期ミーティングの為、トレーナー室でアルダンを待たせてしまっていたからである。
が、そこにアルダンの姿は無く、代わりに明らかに見慣れない物が、テーブルの上に堂々と鎮座していた。
「なんだ?誰のだ、これ?」
おおよそ十冊程度、積まれている本を覗き込む。見慣れぬタッチの絵柄に、見慣れぬ可愛らしいタイトルロゴ。所謂、『少女マンガ』と呼ばれるジャンルのコミック単行本らしい。
無論、言うまでもなく僕のものでは無い。だとすれば、誰のものかというのは明白。なのではあるが……
「……ふむ」
思わず、なんの気無しに僕は、目の前に積まれた本の一冊……一番上に積まれていた第一巻を手に取る。少女マンガというものには全く馴染みは無かったが、とはいえその手触り、滑らかなカバーの質感にはよく覚えがある。少しだけ跳ねる心を抱えつつ、僕は表紙を捲り、そのざらざらしたページへと目を落とした。
『恋恋パッシング』
軽く目を通した限りだが……大方の予想通り、高校生の男女を主人公とした学園恋愛モノのようだ。兄妹同然の間柄で育った幼馴染同士の二人が、ひょんな事から互いに互いを意識してしまうようになり、あの手この手で関係を変えるべく奮闘する笑いあり涙ありの王道ストーリーである。
「ほお、これは、なかなか……」
何気なく、軽い気持ちで手に取った僕であったが……意外にも、思わず惹き込まれてしまう。他人の本であることも忘れ、トレーナー室のソファーにどっぷりと腰掛けながら、じっくりと刷り込むようにページを進めていく僕。少年マンガでは中々お目にかかることはない、細やかで、甘酸っぱい心理描写に、素直に関心したのであった。
「……うわっ!そこで気付かないのか、沖野くん……!」
「は、ハナちゃん……がんばれ……」
思わず、漏れてしまう声。ジリジリと、前進しているんだか後退しているんだかはっきりしない二人の関係にヤキモキさせられて……
もう1ページ、もう一話、もう一冊、と、読み進める手が止まらない。少女マンガの良し悪しの基準などさっぱり分からないが、それでも、この漫画が相当練り上げられ描かれたものであることは、はっきりと分かった。
「うわ!?ここで3巻終わり!?」
そして、構成の巧みさにも唸らせられる。放課後、夕陽が照らす二人きりの教室で、劇中初めて主人公のハナちゃんが涙を流す。それを目撃した沖野くんが、そっと口を開いて……と、いったところで次巻へ続く。購読意欲を最大限に煽ってくる、なんとも憎たらしい話運びに思わず膝を叩いてしまう。
少女マンガ……人生でまるで触れる機会が無かったが、正直、甘く見ていたと言わざるを得ない。最大限の敬意を胸に、両手で丁寧に本を畳み、その勢いのままに目の前の束に手を伸ばした。
「あれ?4巻は……」
「あ、申し訳ございません。4巻ならこちらです」
「おっと、ごめんね?読んでる途中だった?」
「いえいえ、私も丁度今、読み終えたところですので♪」
「それなら良かった、ありがとう、アルダ……ん?」
「ふふ、『恋パシ』面白いですよね?」
「…………うおぉっ!?あ、アルダン!?いつからそこに!?」
なんとも情けない声が、トレーナー室中に響き渡る。腰掛けたソファーの向かい側、テーブルを挟んだ先で僕に笑顔を向けていたのは……他でもない、我が担当ウマ娘、メジロアルダンであった。
「三十分ほど前から、ここに座っていましたよ?ふふ、よっぽど集中して読んでおられたのですね、トレーナーさん?」
「あ、えっと、これはその……なんだか見覚えの無いものが部屋に落ちてたから、その、危険なものだったりしないか確認したりしてて……」
まるで落ち着かず、顔中を掻きむしりまくる僕とは対照的に。彼女はひたすら眩しい、無垢な笑顔を向けたまま語りかけてくる。なんともバツが悪くなった僕は、ただひたすら、延々とたどたどしく口を動かすのだった。
「トレーナーさん?」
「は、はい」
「素直に言わないと、4巻、渡しませんよ?」
「はい、ごめんなさい、めちゃくちゃ面白くてつい読み耽ってしまいました」
「ふふ、よろしい♪」
「これ、随分綺麗だけど、アルダンが買ってきたの?」
「いえいえ、これはダイワスカーレットさんにお借りしたものです。お互いの好きな少女マンガの話題で意気投合いたしまして、是非、読んでみて欲しいと……」
「へえ、ダイワスカーレットと?」
あまり馴染みのない名前が飛び出して、少しばかり目を丸くする僕。だがまあ、学生というものは時に、我々大人とは比べ物にならない程広大で密接なコミュニティを築いているものである。いつも朗らかで人当たりの良いアルダンなら尚更。いつどこで誰と仲良くなっていても、特段不思議ではない。
「しかし、アルダン、人と語れるぐらいに少女マンガ好きだったんだ?初めて知ったよ」
「そうですね?中々話す機会がありませんが、ええ、好きですよ?ドラマティックで甘酸っぱい恋愛模様、ふふ、子供の頃からいつも憧れていました♪」
「恋愛、かあ、ふむ、ふむ」
「あら?私が恋愛の事を語るの、そんなに意外だったでしょうか?」
「い、いや、意外って訳じゃないけど、なんというか、イメージが湧かないというか……」
「……ふふ、トレーナーさんは、どちらかと言えばハナちゃんより友人の南坂ちゃんの方が好み……ですよね?」
「えっ!?えと、えっと、その……はい」
見事なまでに言い当てられて、一瞬失いそうになる気をなんとか引き戻す。しかしまあ、彼女だってうら若き乙女である。そういった話に興味が出てくるのは、いたって自然な事であろう。
「ふふふ、やっぱり。トレーナーさんはグイグイと引っ張ってくれる人より、そっと寄り添ってくれる人の方がお好みですものね?」
「は、恥ずかしいからその辺で……」
「あら?そうですか?せっかく恋バナ、というものができると思ったのに……」
「そういうのは、同級生とかとやったほうが絶対楽しいでしょ?」
「そうですねえ?しかし私は、トレーナーさんのお話も気になりますよ?これまで、どんな恋愛をされてきたのか……なんて」
「え、えーと?」
持っていた本をそっと手元に置き、佇まいを軽く正してから、アルダンはしっかりと僕の瞳の奥を見つめながら語りだす。茶化しているわけではない、しかし笑みは絶やさない。若人の純粋な興味と好奇心にタジタジにされながら、果たしてどう答えるのが正解なのか、ひたすら頭を働かせる。
「私自信は、漫画の中の恋愛模様しか知りませんので……ふふ、現実の生々しい恋愛というものが、気になって仕方がないのです。これは、いけないことなのでしょうか?」
「それは、ううん。いけないなんてことは、絶対にないよ。ないんだけれども……」
……果たして、この僕が彼女の好奇心を満たしてあげられるのか。と言えば……その……
「……トレーナーさんは、目元が少し重ためで、とっても魅力的ですよね?輪郭もシャープでお綺麗ですし、身長だってかなり高い方だとお見受けします」
「え、い、いやあ。それほどでも……」
「ふふ、ですのでどうでしょう?例えば学生時代など、女性から相当人気があったりしたのでは?」
「えっ!?いやいやいや!そんなことない!そんなことないから!本当に!」
唐突に褒められ、なんとも年甲斐なく心躍らせたのも束の間、平気でそんな事を尋ねてくるアルダンに、思わずもげそうなほど首を横に振る。
「あら、そうなのですか?トレーナーさん、優しくって人当たりも良いので、引く手数多なのだろうとばかり……」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、僕なんて全然大した事ないからね?多分大人になれば、わかると思うけどさ?」
両耳を小さく揺らしながら、軽く首を傾げるアルダン。その純真さを形にしたような無垢な瞳を見て、少しだけ罪悪感と不安を覚える。
周りより数段大人びているとはいえ、箱入りのお嬢様であることには違いない。周囲の人間、特に異性に対して幻想を抱いたまま世の中に送り出すというのは、曲がりなりにも一教育者の立場としては、あまりにも気が引けることである。
現実というものは、少女マンガ程甘くはない。僕みたいな程度の人間に、夢なんて抱いてはならないということ。なんとか彼女に伝えられないものだろうか……
「ほんと、僕なんて本当にしょうもない奴だよ?そうだなあ……よく女の子からは頼りない、消極的過ぎるー、なんて言われたりするし……」
「それは、トレーナーさんの優しさ、相手の事を傷つけたくないという気持ちからくるものでしょう?ふふ、私は素敵だと思いますよ?」
「あ、ありがとう……あ、でも、会話してても仕事の話ばっかりでつまらない。とかも言われるなぁ?」
「仕事熱心なんて、とっても素晴らしいことではないですか?そういう人、私は尊敬します」
「え、えーと……あ、あとなんか、表情に乏しくて何考えてるのか分からないとか……」
「ふふ、クールな表情、とってもかっこいいですよ♪」
「…………」
手遅れ、だ……
というか、この子はさっきから何故、僕の事をそこまで肯定してくれるんだ?繰り返し話した通り、本当に本当に僕なんかは大した男ではない。アルダンの目の前でだって、幾度となく醜態を晒してきた。なんなら僕がどういう奴なのかなんて、この学園で一番理解しているのは、他ならぬ彼女自身であろうものなのだが……
「ふふふ、もうおしまいですか?」
「いや、えっと……え?」
なんというか、幻想や夢、というか……これではまるで、単純に彼女は、僕のことが……好……
「い、いやいや、ありえない、ありえないからね、ほんとに?」
「ううむ、もう、トレーナーさんのそういう所だけは、本当にどうかと思いますよ?」
「もう、からかわないの……雑談はその辺にして、ミーティング、始めるよ?」
頬を膨らませるアルダンに、奪われそうになる瞳をなんとか引きずり僕は席を立つ。夕陽差し込むトレーナー室、用意していた資料を手早く纏めながら、何の気なしに僕はぼんやりと口を動かした。
「本当に、心配してるんだよ?学生という多感な時期、僕なんかと過ごしたばっかりに。将来の君が困ってしまわないか……ってね。それこそトレセンを卒業した後。僕が、いなくなった後……とか、さ」
「…………」
呆気なく出てきた、僕の本心、心からの言葉。けれども……なんだ。
チクリ、と胸が痛む。自分で発したはずの言葉に、自分で少し、ショック……?を受けている、みたいな。
間違いなく、思っていることだ。彼女のことを心配している。学園を卒業した後の彼女の事。僕と……離れた、あと、の……彼女の……
「トレーナー、さん」
「アルダ……んっ……!?」
「トレーナーさん、は、どうして……どうして、そんなことを、言うのですか?」
僕を見つめる彼女の瞳。夕陽に照らされて煌めく瞳。その瞳の奥底から零れ落ちていたのは……間違いなく、涙であった。
「……アルダン、僕は」
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次回へつづく
「……なんちゃって、ふふ、驚きました?」
「うあーーーーっ!!びっくりした!?」
一転して、なんともイタズラっぽくクスクスと笑みを浮かべるアルダン。その指先には、愛らしいサイズの目薬ケースが握られていた。
「ふっ、ふふふっ……まさしく3巻のクライマックスみたいでしたね?どうでした?ドキドキしちゃいました?」
「そりゃっ、もうっ……もうっ、ほんと、もうっ!」
語彙が消え失せ、わたわたと手足を掻き回す僕の姿を見て、ますます笑顔を強くするアルダン。うん、やっぱりアルダンは泣いてるよりも笑っている方がずっとずっと綺麗だ……なんて呑気言ってる場合ではなく。
「でも、やっぱり勘弁して欲しいなぁ……君の泣いてる所なんて見せられたらさ。僕がまともでいられる訳ない、でしょ?」
「あら?そうなのですか?」
「本当に、君の事は……君の事だけはいつでも、心の底から大切に思ってるんだ。他の誰を差し置いても、君は、君のことだけは心の底から幸せにしてあげたいと思ってる。だからほんとに、本当に、遊びでそんな事しちゃダメだ。その、ほんと、心臓に悪いからさ……」
「……は、はい、申し訳ございません……」
ややうつむきがちに、謝罪の言葉を述べるアルダン。ちょっと言い過ぎたかな……いやでも、本気で心臓止まるかと思ったし……
「けれども、私だってトレーナーさんに言いたいこと、ありますよ?」
「う、うん?なにかな?」
「私が言っていたことは、からかいでも何でもありません。貴方は……間違いなく素敵な男性です。少なくとも私が今まで見てきた中では、一番なのです。私の将来を案じてくださっている。というのは重々承知しておりますが、それでも、今の私のこの気持ちを、無視しないでいただきたいのです」
「……アルダン」
いつになく真面目な顔で、そんな事を、他ならぬ僕自身に伝えてくるアルダン。確かにそうだ、僕が僕自身のことをどう思っていようが、彼女には彼女の気持ちがある。そんなことまで否定し矯正しようとする。なんてそれこそ、一教育者としてあってはならないことである。ある、のだが……
「……トレーナーさん?どうして、目を逸らすのですか?」
「あっ、あ、いやその……その通りだよ?その通りでは、あるんだけどさぁ……」
一体、彼女はどういう気持ちでそんな、そんなとんでもないことを口走っているのか……
というかもはやそれ、こくは……
「……もう、それでは、今日のミーティングは中止ですね?」
「えっ、あ、それアルダンに決定権あるんだ……」
「代わりに……ええ、今日はこの教材を使って、トレーナーさんには女性の気持ちについてのお勉強をしていただきましょうか?というわけで、4巻、どうぞ?」
「教材……って言われるとなんか、こう……まあ、いっか。ありがとう、アルダン」
「ふふ、さてさて、私も早速続きを……」
「……それ、君がのんびり読みたかっただけなんじゃ……」
軽くツッコミを入れようとする僕……に目もくれず、既に彼女はすっかり漫画の世界に浸っている。やれやれと肩を揺らしつつ、僕もまた、受け取った4巻の表紙を捲ると……先程の続き、涙を隠して作り笑いを浮かべる、健気なヒロインの姿が、僕の目にもはっきりと飛び込んできたのであった。
「本当に、わからず屋さん……」
「え?」
「いえいえ、漫画の話ですよ?」