メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』   作:いずさわ

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大人になるのも、悪くない。




シュガーソルト

「おはようございます、トレーナーさん。少しばかりレース戦術学の教本をお借りしたく……トレーナーさん?」

「や、やぁ……おはよう……アルダン」

 

ギリギリと歯を食いしばりながら、なけなしの笑顔で挨拶を返す土曜日の朝。こんな姿はアルダンに見せたくなかったのだが……見つかってしまったものは仕方ない。

 

「どうされたのですか?お顔が真っ青ですよ?まるで幽霊さんみたい……」

「はは、まあ、半分位は死んでるようなもんだから、間違いではない、かな?」

「体調が優れないようでしたら、今日は休まれたらいかがですか?」

「ははは……大丈夫だよ、ただの二日酔い、だから……」

「まあ……二日酔い、ですか?」

 

心底意外そうな顔を浮かべながら小首を傾げる彼女の姿は、やはりこんな時でも愛らしい。その姿になんとか少し元気を貰って、おっかなびっくり身体を起きあげる。

 

「今期の仕事もなんとか一段落……ってな訳で、トレーナー陣総出で打ち上げしてたんだ、昨日の夜にね。それでめちゃくちゃ盛り上がって、気づいたら、まあ、ね?」

「あらら……しかし、それでしたらわざわざ今日、トレーナー室に出てこられなくても……」

「うーん、そうなんだけど、昨日先輩と話しててふと閃いたアイディアをどうしてもまとめときたくてさ……絶対、アルダンとのトレーニングに活かせると思うから……」

「本当に、トレーナーさんはよく閃きますねぇ……」

 

良くも悪くも、やり残し、細かい事が気になってしまう性分である。半端に仕事を残したままでは、休まるものも休まらない……のでは、あるが。

 

「……だけど、うん、そうだね。アルダンの言う通りだ。今日のところはやめておこう、かな?」

「あら?今日は随分と素直なのですね?」

「うーん、なんとか無理してでもって思ってたけど……アルダンの、そんな心配そうな顔見ちゃったら、ね?」

「……ふふふ、ええ、とってもとっても、心配していますよ。トレーナー、さん?」

「ありがとう、アルダン。今日も君と会えて良かった……だけど、流石に今ちょっとしんどいから、しばらくここで休んでから帰ろうかな……」

「あら、大丈夫ですか?何か必要な物など、ありませんか?」

「ん、ううん、大丈夫、だよ」

 

ひょこひょこと、その両の耳を揺らめかせながら一歩ずつこちらに近づいてくるアルダンを、そっと静止させる。彼女には悪いが、やっぱり未成年相手に酔っ払いの世話をさせる訳にはいかないし……それに、男として。彼女にこれ以上、こんな情けない姿を見られたくないという気持ちも、間違いなく、あった。

 

「心配してくれて、本当に本当にありがとう。今はその気持ちだけで本当に充分だから、ね?」

「……そうですか、ええ、かしこまりました。どうか、お大事になさってくださいね?」

「うん、また来週かな。じゃあね、アルダン」

「ええ、また来週……それでは、失礼します」

 

小さく手を振る僕の姿を横目に、棚から二、三冊ほど本を手に取ってから、最後まで笑顔でトレーナー室を後にするアルダン。僕もなんとか、最後まで口角を釣り上げ続けて……

 

「……………………っ、はぁぁぁぁ……流石に本気でしんどいなぁ……」

 

彼女がドアを閉め切った、瞬間。糸の切れた操り人形のように、僕は机に突っ伏した。何とか彼女の前でだけは取り繕うことが出来たが、本当にギリギリで、もう少し会話が長引けばどうなっていた事か……

 

「ほんと、情けないなぁ……」

 

思わず口から零れ出し、反復して心の中でも思い浮かべる。なんとも、情けない大人になってしまったものだな、と。

僕が子供の頃、大人というのはもっとずっと、偉大に見えていた。特に、子供の頃から狂ったように見ていたトゥインクルシリーズのレース映像に登場する、煌びやかな勝負服に身を包んだ一流のウマ娘達。その傍らに堂々と並び立つ、トレセン学園のトレーナー陣、その姿。

重厚感のあるダブルのスーツを颯爽と着こなし、日本最高峰G1の舞台に、少しだって取り乱すことなく自分の信じたウマ娘を送り出す。その姿に憧れて、憧れて。いつしか僕は、この学園の門戸を叩いていた。前だけ見据えて走り続ければ、いつかは自分だって、あんなかっこいい大人になれると、本気で信じていた。

 

「ほんとに……うん……ほん……と……」

 

あれからもう、十年以上。いつの間にやら僕も、あの日憧れた、あのトレーナーとそう変わらない歳になった。が、なんともどうだろうな。ああいう大人に近づいたどころか、どんどん歳を重ねるごとに狡く、情けなくなっていく自分がいる。

今だって、身の程も弁えず飲み明かし、醜態を晒した上に、なんともくだらない意地と見栄のせいで、何よりも大切なはずの彼女を遠ざけてしまったばかりだ。こんな大人を、一体誰が憧れてくれるのだろうか。殆ど機能を停止した、微睡む頭でぐるぐると考える。ああ、もしもまた、色んなことをリセットして子供の頃からやり直せるのなら……それは、どれだけ、しあわせなこと、なのだ、ろう、か……

 

 

----------

 

 

『さあ残り200を切った、まだ伸びるのかまだ伸びるのか、大楽勝だ、まだまだ後続を突き放し7バ身……いや8バ身はあろうといったところです。凄い、凄い』

 

「……………………」

 

歴史に残る伝説のレース。その模様を映し出すのは、年季の入ったブラウン管テレビの小さな画面。親の代から使われている、ガタついた淡い色合いの画面であった。

 

「……え?」

 

ふと見つめた自分の掌。なんだかやたら小さくてハリのあるその形に、これが夢だ、ということはすぐに分かった。それも僕の、子供の頃の夢。

夢の内容というのは、自らの精神状態が深く作用するのだとよく言われるが、ここまで顕著に現れられると流石に少し面白くなってくる。

 

『そのままの勢いで今、ゴールイン。いや、強かった。自身初のG1タイトル制覇に、まさしく感情が込み上げると言ったところでしょうか、その場で倒れ込みます。おっ、と、駆けつけたのはトレーナーでしょうか、ふたり目を合わせ、勝利を称えあっています』

 

再び、そのチラつく画面に目を向ける。録画して、何度も何度も、文字通り擦り切れるまで繰り返し見たレース映像。画質は荒く、もはやその表情さえ伺うことも出来なくなっていたが、やはりその姿はこの世の中のどんなものよりもカッコよく、逞しく見えた。

 

「明晰夢、ってやつかぁ。凄いな、ほんとによくできてる」

 

映像を止め、ぼんやりと辺りを見渡す。六畳一間の僕の部屋。無節操にシールが貼られた学習机の上には、今ではもう廃刊になった漫画雑誌が何冊も積まれ、壁には初めてレース場に連れていってもらった時に買ったペナントと、初めて100点を取った算数のテスト用紙が飾られていた。

 

「ん?あ、あれって、もしかして……!」

 

なんだか不自然な土の匂いを感じて、ふと、部屋の奥の方を見つめる。やたらと大きな透明ケースの中、何やら蠢くものを目にして、思わず僕は、早足でその場に駆け寄った。

 

「……フリーダム!ジャスティス!」

 

慌ててそのケースの中、土が積まれたなんとも芳しい中を覗き込む。思った通り、そこに居たのは一匹ずつのカブトムシとクワガタ。その立派な角を携えながら、ずしずしと健康的にカゴの中を歩き回っていた。

 

「二人とも、元気そうで……うん、うん、良かった、ほんとうに、良かった」

 

今でも鮮明に思い出す、二人が死んでしまっった日のこと。この世の終わりのように泣きじゃくる僕を見かねて、父も、母も、その日だけはとても優しかったこと。でもそうやって優しくされる度に、なんだか二人にもう会えないという事実を突きつけられているみたいで、ますます涙が溢れてしまったこと。本当に、まるで昨日の事のようだった。

 

「本当に、ここからもう一度やり直せればいいのにな……」

 

ケースを開き、その黒光りする凛々しい身体を持ち上げて、掌の上に乗せる。本当に、生命に満ち溢れた美しい姿だ。きっとあんな時やこんな時、僕がもっと世話を怠らなければ、もう少しだけ長くこのままの姿でいれたのだろう。

フリーダムやジャスティスのこと、だけじゃない。僕の人生というのは結局、そんなことばかりである。あの日もしこうしていれば、なんて考え始めるとキリがない。本当に、ここからやり直す事が出来ればどれだけ幸せなのだろう。何一つ不安や悩みのタネがない場所からの、再出発。今度こそ迷わす走り続けることができれば、なれるのだろうか。ブラウン管の中輝く、あのトレーナーのように……

 

 

「何やってるの!ご飯よ!」

 

「うおっ!?あ、あ、えっと。今行く!!」

 

 

----------

 

 

「そうだった……忘れてた、これを……」

 

今や懐かしい、キレのある母の叫び声。これまた涙ぐみそうになる目頭を抑えつつリビングに向かうと……食卓に鎮座していた、僕の永遠のライバル。

 

「まじかあ……また食べないといけないのか、これ……」

 

母がよく作っていた、山盛りのタマネギサラダ……タマネギサラダとはものの言いようで、実態はただひたすら千切りにした生の玉ねぎに、やたら異常な程酸味のある謎のドレッシングをかけただけの代物である。

なんだかよく分からないが、母はやたらとこのサラダが好きで、しょっちゅう食卓に顔を覗かせては僕を苦しめてきた……まさしく僕の天敵である。

 

「……でも、まあ、僕だってもう大人だし。もしかしたら、今食べるとむしろ美味しかったりして……」

「何言ってるの、アンタ?」

「いや、こっちの話……それじゃあ、いただき、ます」

 

思えば、ビールだってワインだって、焼酎だって。初めて飲んだ時は涙が出るほど不味く感じたが……なんだかんだですっかり慣れてしまったものだ。大人になると味覚が鈍感になるだのなんだのいう話もどこかで聞いたことがある。決心して僕は、そっと目の前に山盛り盛られた『それ』に箸を付け、口の中に放り込んだ。

 

「……っ!ぐぅおっ!やっ……ぱ無理!」

 

口の中に広がっていく、辛味なんだか酸味なんだかわけのわからない刺激。やっぱり今も、奴は奴のままであった。

 

「というか、なんでこんな鮮明に感じるんだ……!夢のくせに!夢のくせに!」

「ああもううるさい!ご飯ぐらい静かに食べなさい!」

 

比較的、そこまで厳しい家庭という訳でもなかったが。ただ本当に食べ物の扱いだけは徹底的にスパルタな母親であった。ご飯を残そうとした時の鬼の形相は、今でも僕の原始的な恐怖として深く刻まれている。もう二度とあんな思いはしたくないと、必死に箸を進める僕であるが……くそう……今の僕だったらもっと美味しいサラダを作ることなど、造作もないというのに……

 

「でも、アルダンだったら余裕で食べれちゃうんだろうなぁ……はぁ、アルダンがいてくれたらいいのに……」

「アルダン?誰?学校の友達?」

「ん?ああ、そうか。この時代じゃ誰もアルダンのこと知らないのか……」

 

なんとも怪訝な表情を浮かべる母の顔を見て、ふと、考える。フリーダムとジャスティスがいるということは、だいたい今の僕は小学四年生くらいということだが。となると今のアルダンはだいたい幼稚園児ぐらい、といったところだろうか。

はたして、この頃の彼女は一体どんな暮らしを送っていたのだろう。僕がこうして何も考えず、毎日呑気に漫画を読んだり、タマネギサラダごときにぶつくさ文句を言ったりしている間にも、僕よりずっと幼いアルダンは、自らの身体と懸命に戦っていたのだろうか。

 

「……会いたいな、アルダンに」

 

本当に、僕はここで一体何をしているのだろう。僕の歩みとは、すなわちメジロアルダンの歩みでもある。情けないトレーナーだとしても、結局、彼女のトレーナーは僕以外に存在しないのだ。

だと、するならば。僕は僕を否定してはいけない。僕を否定するということは、彼女を否定すること、彼女の歩みは間違いだったと、僕自身が宣誓してしまうことになる。そして……

 

「ふぅ……んぐぉぉぉぉぉおお!!」

「……えっ!?何!?アンタそんなにお腹すいてたの!?」

 

てんこ盛りのタマネギサラダを、口いっぱいにかき込む。鼻に抜けていく玉ねぎの辛味のおかげで、一気に脳が覚醒していくのが分かった。

 

「っ、はぁ、はぁ……やっぱり、めちゃくちゃ不味い!!」

「は?」

「でも、ありがとう母さん。母さんが作ってくれたご飯のおかげで、僕はここまで、来れたよ」

「……そう?それは、どういたしまして」

 

母が作ってくれた毎日のご飯は、間違いなく今の僕の肉体の礎になっているし、口酸っぱく教えこまれた食べ物への感謝の心は、そのまま他者への感謝の心となり、そのおかげで今、こんな変わり者の僕でも、アルダンや他のトレーナー達となんとか上手くやれている。

フリーダムやジャスティスだって、そう。二人がいなくなった悲しみ、もう二度と、こんな思いをしたくないという後悔とそれによる学びがあったからこそ、繊細な身体を抱えるメジロアルダンのトレーナーを、今日まで勤めることができたのだろう。

僕が僕を否定するということは、それら全てを否定すること。僕自身はどうだっていいが、僕の礎となった大切なもの達、それと、今の僕の全てであるメジロアルダンを否定されるのは、僕にとって何より、我慢ならない事だった。

 

「ごちそうさま、でした。それじゃあ、いってきます、母さん」

「ん、あんまり遅くならないようにね」

「うん、あ、それとさ。今年のお盆くらいには……」

 

 

----------

 

 

「なんとか、帰れるように頑張っ……!る……から……?」

 

「ふふ、おはようございます。一体どんな夢を見ていたのですか?」

 

長いような、短いような夢から覚め、初めに目を奪われたのは、ちょこんとお行儀よく座る、メジロアルダンの、その優しい笑顔だった。

 

「……あ、あれ?アルダン?なんでまだここに……」

「それは……ふふ、申し訳ございません。やはりトレーナーさんが心配で、戻ってきてしまいました♪」

「えっ、ええ……もう、仕方ない、なぁ、ほんと」

 

トレーナーの言うことを聞かない、聞き分けのないウマ娘。だと言うのに、叱ることはおろか、ただひたすら上がってしまう口角を隠すことしか出来ない僕は、やっぱり情けないトレーナーである。けれどもまあ、今日くらいは大目に見てあげよう。彼女も、僕自身も。

 

「ところで、その小鍋は?」

「ふふ、ありものでしか作れませんでしたが、よろしければ是非……」

 

テーブルの真ん中に置かれていた小鍋の蓋を、彼女は優しく開く。ふんわりとしたジューシーな香りが、トレーナー室中に薄ぼんやりと広がっていく。これは……

 

「コンソメスープ?」

「はい。と言っても具はベーコンと玉ねぎだけですが、具合の悪い時ですので、これくらいが丁度良いかと思いまして、ですね?」

「うっ、玉ねぎ……?」

「ふふ、しっかりと煮込んでありますので、大丈夫ですよ?はい、どうぞ?」

「あ、ありがとう。いただき、ます」

 

小さめのお椀に、スープをひとすくいして僕に差し出すアルダン。僕は迷わずにそれを受け取って、まずは一口、そっと口をつけた。

 

「……はぁ、美味しい……すごく、丁度いいなぁ……」

「ふふ、それは良かったです♪」

 

じんわりと煮込まれ、ほろほろとスープに溶けだした玉ねぎの甘みが、辛味と酸味で痺れきった舌に染み渡っていく。作られてから少し時間が経ってしまったのか、なんともぬるめのスープだったが、ボロボロに疲れきった今の僕の身体には、本当に丁度良い刺激の薄さだった。

 

「……トレーナーさん、お酒って、そんなに美味しいのですか?」

「え?ううん……慣れるまではそんなにだけど、慣れてしまえばクセになる。って感じかなぁ?」

「ふふ、慣れてしまえば、ですか。どうでしょうね?私とトレーナーさん、どちらの方がお酒が強いのでしょうか?」

「そうだなあ、一般的にはウマ娘の方が内蔵機能が高い分、お酒にも強いって言われてるけど……こればっかりは、個人差があるからなあ」

 

とはいえ、強いウマ娘は本当にとんでもないからなぁ……以前、グランドライブのチーフプロデューサーさんと、何人かの同僚で飲んだ時は……思い出せば長くなるので、また、今度にしよう……

 

「……ふふふ、私が大人になってトレーナーさんと飲む時は、いざとなったら私が介抱してあげますよ?」

「ははは……そうはならないように、僕ももっと慣れなきゃ、だなぁ……」

「ふふ、本当に、楽しみですね……大人になるのは……」

「…………楽しみ?」

「ええ、楽しみですよ?トレーナーさんの酔った姿、もっともっと見てみたいので♪」

「それは見なくていいけど……ふふ、楽しみかぁ……」

 

なんだか、思っていた形とは随分違っているのだけれど。それでも。彼女は僕の姿を見て、大人になることに楽しみを抱いてくれた。かつての僕と同じように。その事が、本当に嬉しくて、嬉しくて。

 

「ん……さすがに、少し味付け薄過ぎたでしょうか?」

「今の僕には、本当に丁度良いよ?もう一杯いただけるかな?」

「それなら良かったです……はい、どうぞ?」

「ん、ありがとう……やっぱり玉ねぎは、しっかり火を通すべきだなあ……」

「あら、私は生でも好きですよ?」

「……そっか……アルダンには一度、うちの母さんに会ってみて欲しいな……」

「…………!?」

 

ぬるく優しいスープを啜って、ゆっくりと息を吐く。すっかり酔いの覚めた頭で考えるのは、ただ一つ、目の前の彼女と描いていく、遥か、遠くの未来のことだけだった。

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