メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
「ちょっとちょっと!そこのお兄さん?」
「…………あ、はい?僕?」
和やかな陽の光眩しい日曜日、あてもなく街角を散策していた僕の耳に差し込まれたのは、甲高い女性の声であった。
「少しだけお時間よろしいです?実は私、そこのショップの者なんですけど〜?」
「は、はあ」
「実は今、新商品の化粧水のサンプルお配りしてて〜、お兄さんもよろしければと思いましてですねぇ?」
「け、化粧水、ですか?」
彼女が指し示した先、堂々と構えていたのは僕でも知ってるくらいの大手化粧品メーカー、その直営ショップであった。売り出し中の新商品、その大規模な販促イベントの真っ最中らしく、辺りを見渡せば何人もの女性がサンプルを受け取ったり、スタッフに説明を受けながら試用してみたり……ひとまず、怪しげな勧誘でないことは確かのようで、僕はそっと胸を撫で下ろした。
「こちらの商品がですね、従来品と比べてとっても刺激が少なくって〜、敏感肌のお客様でも安心してご利用いただけましてですね〜?しかも潤い成分は従来品の……」
「あ、えと、すいません、そういうのあんまわかんなくて、すいませんほんと……」
決壊したダムの如き勢いで話し始めた、彼女の言葉をなんとか塞き止める。確かに、随分低刺激で無味乾燥な人生を送ってきた僕ではあるが、しかしお肌の方は順風満帆、これといった悩みもありはしない。いくらこれが素晴らしい商品でも、まさしく豚に真珠だ。サンプルを用意するのだって確実にタダでは無い、であるならば、僕なんかが貰ってしまうのはあまりよろしくはないだろう。これ以上手間をかけさせてしまう前に、適当な理由をつけて立ち去るとしよう。
「あ、あー。すいません僕ちょっと先を急いでて……」
「あ!じゃあお兄さんが使わなくっても、誰かに勧めてみたらいかがです?」
「えっ?あ、いや、ですから僕……」
「本当に自信作なんですよ〜これ!せめてサンプルだけでも!ほら、ご家族とか、彼女さんとか、大切な人には、綺麗でいて欲しいですよね〜?」
「…………!」
そういえば、アルダン、こういう化粧品とか好きって言ってたなあ……
思わず、喉元まで出かかった声を引っ込めて。不意に、訳もなく頭に浮かんだのは、我が担当ウマ娘の姿だった。
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「ありがとうございました〜!製品の方も、是非ともよろしくお願いしますね〜?」
「……はぁ」
少しだけ重くなった僕の身体の、その手に握られていたのは小さなボトルと大量のチラシ。今ひとつ理解しきれない商品説明を、三十分間聞き終えた報酬としてはなんとも物悲しいが……まあ、そんな日があってもいいだろう。とにかく、この化粧水がなんだかすごくすごいことは分かった訳だし。
「……アルダン、使うのかなぁこういうの。まあ、タダだし、要らないのなら要らないでいっか」
たとえ要らないと言われても、まあ、話のタネぐらいにはなるかな?なんて呑気に考えながら、僕は携帯を取り出し、彼女にメッセージを送ったのだった。
[明日、放課後とか時間ある?]
[ちょっとしたやつだけど、渡したい物があるんだ]
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「ん?あれ?アルダン?随分早いんだね?」
「ふふ、お疲れ様です、トレーナーさん」
翌日、泣く子も黙る月曜日、の昼下がり……いつも通りのトレーナー室にて、鬱々とした気分で仕事をこなしていると。そんな気持ちをいっせいに晴らすかのように、ふわふわと柔らかい水面のごとき髪を揺らしながら彼女はやってきた。
「いや、ごめんね休息日に?ほんとちょっとしたものだから、すぐ……ん?」
「ふふふ、なんですか?トレーナーさん?」
「何それ?なんだかすごく高級そうだけど?」
「こちらですか?これはですね……」
彼女の溢れんばかりに輝く笑顔に、ひとしきり元気を補給させてもらった後。僕は彼女の手元をちょこんと飾る、なんとも煌びやかで重厚感溢れる小箱に目を奪われる。なんだっけこれ……どっかで見たことあるような……
「…………」
「……?アルダ」
「トレーナー、さん?」
「はっ、はい」
「ふふ、今日は何やら私に贈り物があると、そう伺っておりますが……お間違え、ありませんか?」
「え?あ、う、うん。まあ本当に、本当に贈り物って言っていいんだかわかんないぐらいのものだけど……」
「ふふふ、とっても嬉しいです♪昨日からとっても楽しみにしてたのですよ?」
「あ、そうなの?いやそこまで期待されるようなものじゃ……」
……何か、何か嫌な予感がする。ものすごく。なんだかこのまま先に進めば、取り返しのつかないことになるような、そんな予感……
しかし、そんな僕の気など露知らず。本当にご機嫌そうな笑顔を携えながら、彼女は朗らかに言葉を紡いでいく。
「しかし、やはり私ばかり貰ってしまうのは、なんだか不公平かと思いまして、ですね?」
「あ、えっ?い、いやいやいや!全然!そんなの気にしなくったって……」
「ですので、その……私も用意いたしました。本当はトレーナーさんの後に渡す予定でしたが、見つかってしまえば、仕方ありませんね?」
そう、得意げに話してから、アルダンは持っていた箱をテーブルに優しく置いて、丁寧に丁寧に、それを開いた。ふんわりと漂ってくる、優雅で、甘い香り……これは……
「……ケーキ?」
「はい♪ふふ、覚えてらっしゃいますか?先日ご一緒に読んだ雑誌で紹介されていた、あの……」
「……え!?あ、あの、大人気で、普通なら2、3ヶ月待ちはくだらないって言ってた、あのケーキ屋さん!?」
「ええ、何か相応しい贈り物を、と考えていた時に思い出しまして……少しだけ、実家のツテを頼り、こうして調達させていただきました。どうです?驚きました?」
「驚いた、っていうか、なんというか……いや、ほんと、凄いな……」
艶々の苺が乗った、シンプルながら圧倒的な程の芳醇な香りを携えたショートケーキが二切れ、箱の中から現れる。雑誌で見た通りの美しい姿かたちに、思わず生唾を飲む僕。こんな貴重な物を、それもたった一日で用意するなど、一体どれだけの苦労があったことだろうか。そんな苦労をまるでひけらかすこともなく、ただ当然のごとく自分ではない者の為に行うことが出来る。その精神の眩さに、思わず、見蕩れてしまう。
が。
「ふふっ、私は紅茶と一緒にいただこうかしら?トレーナーさんは、コーヒーですか……トレーナーさん?」
「えっ、おっ!お、おん!」
「おん?」
「あっ!いや!な、なんでもないよ!いやー!凄いなー!お、美味しそうだなー!」
無理やり口角を吊り上げながら、ポケットの中の……小さなボトルをちらりと覗き見る。
「…………」
「あの、トレーナーさん?少し顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」
「……アルダン」
「は、はい」
「その、理由は聞かないで欲しいんだけれども。少し、ほんの少しだけこのケーキを持って、外で待ってて欲しいんだ、本当に、本当に少しでいいから」
「え?え、ええ、承知しました……?」
なんとも珍妙な物を見るような表情を浮かべつつ、彼女はトレーナー室を後にする。そうして、僕は……
「……やばいやばいやばいやばい!えっ!?本気!?本気で!?」
大慌てで僕は、トレーナー室に存在する棚という棚、引き出しという引き出しを掻き回し始める。あんなとんでもないものと、こんなタダで貰った試供品が釣り合うはずが無い。何かしら、同等とまではいかなくとも、せめてもう少しマシなものを用意しなくては……!
「ええ!?これっ……なんにもないぞ!?なんだこの部屋!?もっと置いといてよ宝石とか金塊とかさぁ!?」
などと、最低な空き巣みたいなことを呟きながら、時間だけが刻刻と過ぎていく。いっその事窓から抜け出して何か買いに行くか?いや、流石に時間がかかりすぎる。他ならぬ、僕だけの為に。あれだけのことをしてくれた彼女を待たせる訳には……
「ああもう、しっかりしろ僕!メジロアルダンのトレーナーだろ!相応しい、存在になるんだろ……!」
「……ふふ、成程、そういうことでしたか」
「…………あ」
「申し訳、ございません。何やら不思議な声がしたので、つい♪」
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「化粧水、ですか?ふふ、とっても良い香りですね?」
部屋中を這いずり回っている姿を、バッチリと見られてしまった僕は……観念して、彼女に事の次第を一から説明したのであった。たどたどしく、情けなく言葉を紡ぐ僕のことを、彼女は少しだって笑ったり呆れたりもせず、ただただ真っ直ぐ、見守ってくれていた。
「と、いうわけなんだ、ごめん、先に言っておけばよかったね……」
「ふふ、ふふふ……もう、トレーナーさんは本当に、不器用なんですから……」
「うっ!ほんと、すみません……」
「……頂いても、よろしいのですか?こんなに素敵なものを?」
「え、ええ?いやいや、ただのサンプルだよ?素敵なものなんかじゃ……」
「しかし、トレーナーさんは、これを受け取られた時に私の事を一番に思い出してくださったのでしょう?」
「それは、勿論。今の僕にとって、一番大切な人って言われたら、それは、やっぱり君しかいないから、さ」
「……ふふ、だから、ですよ?それだから良いのです。たとえ無料で手に入れたものでも、私を思い出して、私の為に手に入れてくれたものでしたら、それは私にとって、どんな高価なものよりも特別な物になるのです」
「……そんなもんかなあ?」
「ええ、そういうもの、です♪」
装飾のひとつも無い、殺風景なボトルを大切に、愛おしそうに両手で抱えるアルダン。窓から射し込む柔らかい閃光と相まって、まるで絵本の一幕のような朗らかさを感じて、思わず笑みが零れてしまう。
「ありがとうございます、トレーナーさん。早速今日から、使ってみますね?」
「うんうん、なんかすごくすごいやつらしいから、ぜひぜひ」
「では、これにて晴れて、私のお返しも受け取って下さいますよね?」
「んー……まあ、でもまだまだ、少しばかり気は引けるなあ……絶対美味しいもん、これ」
「そうですか……ふふ、それでは、トレーナーさん?私にもコーヒーを淹れていただけませんか?」
「コーヒーを?紅茶じゃなくていいの?」
「ええ、トレーナーさんのオススメの物。是非とも私に売り込んでいただければ……と♪」
「……ふふ、好きになって貰えるよう、頑張らないと、ね?」
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[先日の化粧水、本当に素晴らしかったです♪]
[よろしければ、どちらで売っていたのか教えていただければと……]
「……ふふ、ま、結果オーライかな」
和やかな陽の光眩しい日曜日。僕は真っ直ぐに、ひたすら真っ直ぐに……とある目的地に向かって歩を進めていた。確か、この辺だったはず……
「ちょっとちょっと!そこのお兄さん?」
「え?あ!この間の!」
僕の耳に差し込まれた、少し懐かしげな女性の声。どうやら僕の記憶力も、なかなか錆び付いてはいなかったらしい。
「いかがでしたが〜?あのサンプル?喜ばれました〜?」
「……その事、なんですがね?」
「はい?」
「……あの化粧水のセットとか、ギフトとか、なんかそういうのって、売ってたりしません?出来れば、ラッピング付きで」
「……ふふ、ふふふっ!ええ!もちろん!さあさあ、ご案内いたしますね〜?こちらへ、どうぞ〜?」