メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』   作:いずさわ

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2026/2
ミラージュソング


「もうすぐ、春ですねぇ……」

「ね、だいぶあったかくなってきたねぇ」

 

河川敷、頭上に広がる痩せた街路樹のカーテンを見つめ、もうじき訪れる季節に想いを馳せる。軽い買い物帰りの僕たちの間、空いた少しもどかしいセンチに、やや生ぬるい風をくぐらせながら。

 

「ふふ、春になればまたお花見ですかね?今度はお弁当でも作って赴きましょうか♪」

「おおー!最高だね!前一回やったみたいにお互いそれぞれでお弁当持ち寄ったりとかしてさ?そうやってまたおかずとか交換したりして……」

「ええ、ええ、良いですね?そうです、今回は各駅停車の電車で向かいませんか?少しのんびりしながら、気になったところに途中下車でもして、色んな場所のお花を見たりして……」

「ああー!それもいいね?色んなとこの美味しいものとか、食べながらとか、ね?」

「ふふっ、良いですねぇ……本当に、すごく、すごく…………」

「……アルダン?」

「あ、いいえ。本当に、すごくすごく楽しみで……」

 

なんて、誰かに笑われそうなくらいの未来を心地よく夢想していると、不意に彼女が脚を止める。何やら訝しむように眉間に皺を寄せる彼女の様子に、僕もまたその歩幅を狭める、と。

 

ポトッ……

 

「……?」

「あっ、アルダン、肩……」

 

彼女が袖を通す、品高い純白のブラウス。その肩口に先程までは見かけなかった、僕の親指程の大きさの、鮮やかな新緑色が一筋。これは、まさか。

 

「えっ?ひゃああっ!?い、芋虫さん!?」

 

彼女が思わず上げた悲鳴の通り、そこに乗っていたのは、まだ自らの状況が分からぬまま右往左往とその場を這いずり回る、立派な芋虫なのであった。

 

「おお、これ、アゲハチョウの幼虫だ……!だいぶ早い時期なのに、こんなに立派なのがもう居るんだね?珍しいなぁ」

「あ、アゲハチョウの幼虫さん?……って、そ、それはよろしいですから、一旦、一旦取っていただけませんか、トレーナーさん……!」

「あ、ああ、ごめん」

 

その眼状紋で睨みを利かせ、その臭角をこちらに振りかざす彼、ないし彼女。僕はその身をあっさりと掴み取り、自らの手のひらの上に優しく乗せてあげる。

 

「あ、ありがとうございます……トレーナーさんは本当に、昆虫に対しては全く動じませんね?」

「まあ、人並み以上にはね?この子、上の木から落ちてきたのかな?」

「そうでしょうね?肩に触れた時は驚いてしまいましたが……しかしまあ、良かったです。この子、下の硬いアスファルトに落ちていたら、きっと怪我をしてしまっていたでしょうから、ね♪」

「…………ふふっ?」

「はい?なんですか、そんなお顔をして?」

「いいや、そういう君は、本当にやさしいよね。君のそういうとこ、本当に素敵だと思うよ?」

「まあ、人並み以上には……ですかね?」

 

嬉し恥ずかし、半端な笑顔を浮かべる彼女。もうどこにも何もくっついてなどいないというのに、思わず僕はその様に、再び手を伸ばそうとしてしまう。

 

「それにしても、アゲハチョウ、でしたか?こんなに小さくて丸々とした芋虫さんが、あれほど鮮やかな模様の蝶に成長してしまうだなんて……やはり昆虫というものは、不思議な生き物ですね?」

「そうだね?蝶はカブトムシやハチなんかと同じで、蛹を経由して成虫になる完全変態の昆虫だから。蛹の中で一旦今までの身体のほとんどを溶かして、全く違う姿に作り替えるんだ」

「今までの身体を溶かして、違う姿に……なるほど、それで蝶というのは世界各地で『生まれ変わり』の象徴とされるのでしょうかね?」

「おおー、確かにそんな話聞いた事あるかも?流石アルダン、博識だね?」

「まあ、人並み以上には……ですね?」

 

先程よりも、少し笑顔を柔らかくしてこちらに向けてくる彼女。その鮮やかな色彩にいよいよ耐えられず、僕は慌てて視線を落とす。と、そこにはすっかり角もしまい込んで、我が物顔で僕の手のひらの上を闊歩する彼、ないし彼女の、微笑ましい姿が映っていたのであった。

 

「しかし、生まれ変わりですか」

「ん?アルダン?」

「どうなのでしょうね、やがて蛹となり、その目も脚も心臓も脳も溶けて再構成され、見事蝶となりこの空を自由に羽ばたき始めた時。その時この子には、空を飛べずに私の肩に墜落してしまった記憶や、その後トレーナーさんに助けられた記憶は、残っているのでしょうか」

「……そうだなあ」

 

釣られるように目線を下げ、彼、ないし彼女の姿をまじまじと観察するアルダン。その口から漏れた言葉の意図は……おおよそ想像はついたけど、ちょっとだけ、分からないふりをした。

 

「まあ、でも、覚えていてもいなくても。こうやって地を這うしか無かった幼虫の時期、それでも栄養を溜め込んで、天敵から身を守って、生き抜いて、生き抜いてきたからこそ、この子は最終的に空へと旅立てる。その事実が在ったことは、絶対に変わらないから」

「………………」

「……そう、でしょ?」

「ええ、その通り。けれどもやはり私は、少し怖いですね」

「怖い、というと?」

 

少しだけ、ここではないどこか遠くを見つめながら、彼女は僕の手のひらに乗る幼虫をすこしぶっきらぼうに指先でつつく。そんな彼女と、再び怯えながら二対の臭角を振りかざす彼、ないし彼女。そんな二人が、今の僕にはなんだか少し似通って、凄く、愛おしく思えた。

 

「最近、すごく幸せなんです、私」

「幸せ?それはすごく良かった……と、僕は思うけど」

「ええ、私もそう思います。昔のように体調を崩す事も少なくなってきて、レースの実力も自分自身ではっきり分かる程身についてきて。クラスの皆様や、トレーナーさんとも、沢山遊んだり、楽しい事を共有したりして……今の私は、まるで宙に舞い上がってしまいそうな程、幸せ」

「ああ、そうだね」

「けれども、そうやって幸せの中に浸っていると、『忘れてしまいそう』になるんです。私のルーツ、清潔すぎるベッドに、消毒液の匂い。地に這いつくばった、包帯まみれの醜い身体」

 

僕らの間を埋めていた優しい風も吹き止んで。曇り空から流れ込むヘクトパスカルが頭痛を誘発し、否が応でも思い出させられる、厳しい冬の記憶。それらに背を向けたまま、彼女は口を開く。

 

「忘れて、しまいそうなんです。思うように動かせなかった身体の痛みも、周囲からの冷たい視線も、それでも暖かく接してくれた家族やばあや、お医者様や看護師さん達の姿も……そしてそんな地獄から救い出してくれた、貴方への感謝の念も」

「うん、うん」

「そして……私がこの世に生まれてきた、その日その時その場所で。代わりにこの世に生まれる事が出来なかった彼、ないし彼女の事も」

「……なるほど、ね」

「今のように暖かい日の元を歩いていると、全て、全て蜃気楼のように、薄れてしまう。そうして時々気が付くのです、私はなんて薄情なウマ娘なのだろう、と。私が今、ここに存在できるのは、私以外の何者か達のおかげ、だと言うのに」

「………………」

「……なんて、ふふ?少し湿っぽくなってしまいましたね?失礼いたしました♪」

 

二対の人差し指を使って、墜落しそうな口の端をぐいっと引き上げる彼女。ああ、本当に彼女はやさしい、あまりにも、やさしいウマ娘なんだな。そんな彼女の事を、僕は心の底から、誇りに思う。

 

「言葉では、なんとも言いようがないし。それを証明する手立てもない」

「はい?」

「それに、こんな不完全で不自由な身体に対してそんなことを思われても、この子も不本意なのかもしれないけどね」

「え、ええと?」

「それでも、やっぱり僕は。綺麗に空を舞う成虫の姿と全く同じくらい、この不完全に地を這う幼虫の姿も、大好きだと思うんだ、アゲハチョウの事」

 

僕は、手のひらの中で未だ震え続ける彼、ないし彼女の身体を、両手で優しく、傷つけないようそっと包み込む。幼い頃から慣れ親しみ、そして憧れ続けたその新緑色の身体は、やはりいつ触れてもひんやりしていて、丸く柔らかく、あまりにも、やさしかった。

 

「他の人の事は分からないけど、少なくとも昔の僕が君にしてあげた事なんて、そんなもの、好きに忘れてくれてもいいよ。薄情なんて思わない、それが君の成長や幸せに繋がるのなら、僕は、それがいい」

「……トレーナーさん」

「代わりに、僕が全部覚えてる。かつての君と、今の君、そしてまだまだ自由に成長していく、未来の君。僕は全部、全部愛してるから。だから君は、何かを忘れちゃうことなんか恐れずに、今の自分が一番幸せになることだけを考えていて欲しい。もしまた君が傷付いて、その羽を失ってしまったとしても……地の這い方も、身の守り方も、僕の方がちゃんと覚えてるから、ね」

「………………」

「っと、この辺なら鳥に見つかりにくいかな。このまま無事に成虫になってくれたら……いや、まあ、それはこの子の勝手だな、うん」

 

そのまま僕は、近くの茂みの奥の奥、なるだけ安全そうな場所に彼、ないし彼女の姿を解き放つ。この子が色鮮やかな蝶になるのか、もしくは鮮やかな新緑色の幼虫のまま生涯を終えるのか、はたまた、予想だにしない姿に変化していくのか……どれだって、いいな。どんな姿であろうと、僕は結局、彼、ないし彼女のことを愛し続けるのだろう、から。

 

「……イチゴサンド」

「ん?」

「お好きだったでしょう?私も、覚えていますよ。お花見の時は、また、作ってお持ちいたします」

「アルダン……」

「ありがとうございます、トレーナーさん。貴方の言う通り、私は二度と自分の事を薄情だなんて、思いません」

「うん、それなら、良かった」

「けれども、それでも、やはり私は何も忘れたくはないのです。辛いことばかりの生涯だけれど、それでも、私だってそれら全ての事も……トレーナーさんの事も、愛しています、から」

「……ふふ、そっか」

「だから……だから、トレーナーさん……」

「ああ、わかってるよ、アルダン」

「……!」

「あの、冷凍のグラタンでしょ?もちろん僕も持ってくるから、イチゴサンドと半分こ、しようね?」

「ふ、ふふっ……♪ええ、楽しみにしています♪」

 

河川敷、頭上に広がる痩せた街路樹のカーテンを見つめ、もうじき訪れる季節に想いを馳せる。軽い買い物帰りの僕たちの間、空いた少しもどかしいセンチは、もう少しだけ埋めずに、見て見ぬふりをしていたいと、そう、思った。

 

「ふふ、楽しみだなぁアルダンのイチゴサンド……やさしくて、博識で、料理までできちゃうなんて、君は本当に、最高のウマ娘だね?」

「まあ、人並み以上には……です♪」

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