メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
「お待たせお待たせー、ごめんね?ちょっと待たせちゃった…アルダン?」
「…………………」
町外れ、寂れた郊外都市の片隅で、いつもの如く気ままに寄り道をしていた僕とアルダン。少々お手洗いへと立ち寄り、そして戻ってきた僕を待っていたのは…
「あ、トレーナーさん。おかえりなさい」
「うん、ただいま…ここ、映画館?こんな所にあるんだ、珍しいね?」
「そうみたい、ですね?こんなに小さな映画館、初めて見ました」
かなり古ぼけた、木造作りの小さな映画館…最近ではめっきり見かけなくなった、個人経営の映画館らしい。僕ですら殆ど見た事がないのだから、更に若いアルダンが物珍しそうな視線で見つめてしまうのも、無理はないだろう。
「最近じゃ大手のシネコンばっかりだから殆ど見かけないけど、昔はこういう映画館が沢山あったんだよ」
「そうなのですか?ふふ、流石お詳しいのですね?」
「まあ、僕だってこういうとこは、子供の頃に行ったっきりなんだけどね?何見たんだっけ…懐かしいな…」
ふと、幼少期のことを思い出して、少しだけ感傷的な気持ちが胸の奥から湧き出してきた。こういうものの良さが分かるようになってきた喜びと、もう二度と、あの頃には戻れないという事実からくる切なさとが混ざった不思議な感情…彼女と、メジロアルダンと出会ってから、なんだかそんな事を憶える機会が増えた気がする。
「こういう所って、結構自由に色々な作品を上映してたりするんだよね…なにか知ってる作品とかあったりして…」
「…………あら、これは…もしかして…」
少しだけ色褪せた沢山の映画のポスターを、色々と目移りしながら僕らは眺めていた。やがてアルダンがその中のひとつを指さし、僕もその先へと、目線を滑らせる。
「…あ、これは流石に僕でも分かるよ?有名なやつだよね?」
「ええ、ふふふ…これはまた、すごく懐かしい…」
アルダンが指し示したのは、数十年前に海外で作られたアニメ作品…青いドレスに身を包んだプリンセスが主人公の、世界的にあまりに有名な作品である。
「幼い頃、入院中の退屈しのぎに何度も繰り返し観ていたんです…ふふ、おかげで今でも、ある程度セリフは覚えてるんですよ?よろしければ、少し披露いたしましょうか?」
「へえ、そりゃ凄い!…と、言いたいところなんだけど…実は僕、しっかりと観た事はないんだよね、これ…」
「あら、そうなのですか?」
心底意外そうな顔を浮かべるアルダン。しかし、まあ、男子の一人っ子なのだから、多めに見て欲しいところではある。特撮と虫とロボットにしか興味がなかった僕が、プリンセスなど知る由もないというか…
「だから、ううん…あんまりいい反応出来ないかも…」
「それは少し残念です…メジロ家の誰に披露しても好評なのですが…」
「あ、結構持ちネタなんだ、それ…」
メジロ家の面々なんて、自分自身がプリンセスみたいなものだろうに…まあ、時代問わず数多の女の子を夢中にさせてきたからこそ、不朽の名作と呼ばれるに至ったのだろう。それはたとえ本物のお嬢様だって例外ではない、ということか。
「……ふふ、それでは後学のためにも、ここでひとつ勉強しておく、というのはいかがでしょう?」
「と、いうと?」
「映画、一緒に観ませんか?なんだか話をしていたら、私も久々に観たくなってしまいましたので…」
「…ふふっ、言うと思ってたよ?行こっか、入口は、あっちかな?」
「はい♪」
気になるものには、頭から。彼女に学んだ寄り道の極意に、すっかりと染まりきってしまったのは嬉し恥ずかしと言った所である。それにしても、この歳になってからこういった映画に触れることになるとは…まあ、しかし
、初めてながらあまり不安はない。彼女が好きなものなのだから、きっと、間違いなく、僕も好きになれる。そんな確信が、僕の中にもあったからだ。
「お邪魔しまーす…」
「……あら、素敵な建物…」
カラコロとベルを鳴らしながら開けたドアの向こう、絨毯や木々のなんとも言えない懐かしげな香りが漂ってきた。椅子とテーブルが2、3対あるだけの小さなロビーでは、常連客らしき老夫婦が、飾られた往年の名画のポスターを前に和やかに談笑しているのが見てとれる。
「あら?見ないお客さんね?」
「ええ、お初にお目にかかります…あまりに趣のある建物でしたので、つい気になって…」
「あらあら、随分とご丁寧に…あんまり綺麗じゃないけれど、好きなだけごゆっくりしていってくださいね?」
「ふふ、お言葉に甘えさせていただきます…」
小さなカウンター越しに声をかけてきた、支配人と思しきお婆さんに、きちんと目線を合わせて丁寧に言葉を返すアルダン。月並みな言い方だが、こういった何気ない部分に彼女の育ちの良さを感じて、未だに並んでいると胸がそわそわしてしまう。果たして僕は彼女の側に立つのに相応しい人間になれているのだろうか…というよくある感傷は、一旦置いておくとする。
「あの、僕らこの映画観たいんですが…今日って、やってます?」
「あら、あなたたち運がいいわね?丁度もうすぐ上映時間よ?今日はお客さん一人も居なかったから、あなたたちが来なかったら中止になるところだったの」
「まあ…良かったですね?トレーナーさん?」
「ってことは、僕ら貸し切り状態ってこと?それはそれで気が引けるけど…」
「いいのよいいのよ、この場所は映画を観てもらうためにあるの。たった二人でも、観たいって言ってくれる人がいるなら、それだけで意味があるのよ?」
「…意味、ですか」
ふと、このこじんまりとしたロビーを見渡してみる。きっとこの支配人にはどうすることも出来ないのだろう、天井に少々クモの巣が張っていたり、高い棚の上に埃が溜まっていたり…しかし、カウンターやテーブル、手の届く範囲にあるものは全て、反射で僕の顔まで見えるほどピカピカに磨きあげられていた。
「…本当は、こんなボロボロの場所で、お金を取るのは気が引けるのだけれどね…」
「…いいえ、そんな事はないです」
「ええ…とても素敵な場所ですよ?」
千円札を三枚、しっかりと支配人に手渡して、チケットを受け取る。映画のタイトルが手書きで丁寧に綴られた、小さな可愛らしいチケットだった。
「それでは、楽しんでまいりますね?」
「ええ、ごゆっくり…」
深々と頭を下げる支配人に、僕らも会釈を返しつつ…1番シアター、この映画館で1番大きいらしい部屋に足を踏み入れる。
「…わぁ…これは…」
「なかなか、いい雰囲気、だね?」
立ち並ぶ木製の椅子に、大きなスピーカー。振り返るとこれまた大仰な映写機がガラス越しに見える、まさしく前時代的な趣きの映画館。ふと、故郷のことを思い出してしまい、まだ何も映し出されていないスクリーンを見て、少しだけ目頭が熱くなってしまう。
「………………………」
「…ふふっ、気になるもの、沢山だね?」
「あ…ふふふ…見たことの無いものばかりで、つい…」
対象的に、まるで最新技術でも目の当たりにしているようにキョロキョロと辺りを見回すアルダンに、暖かな気持ちで声をかける。
「色々と気になる気持ちは分かるけど、早くしないと、始まっちゃうよ?」
「ふふ、そうですね…ええと、席、席は…?」
「どうせ誰もいないんだし、1番見やすい所に座ろうか?」
「あ…確かに、そうですね?ついいつもの癖で、決められた自分の席を探してしまいました…」
両頬を手で包み込みながら、僕のそばにちょこんと腰掛けるアルダン。本当なら4、50人は入りそうな部屋を貸し切って使えるのは、なんだかとても心地が良い。彼女に続いて僕も堂々と腰を置いて、暫しひんやりとした木の感触を味わう事にした。
「もうすぐ、でしょうか?」
「随分、楽しみそうだね?」
「ふふ…ええ、大好きな映画を、こんなに大きなスクリーンで…それに、トレーナーさんと2人きりで見れるなんて…こんな贅沢は、他にありませんからね?」
「うん、間違いないね?」
薄明かりの中でも輝く、彼女のそのピンと立った両の耳をぼんやりと見つめながら、ただ時が流れるのを待つ。やがて部屋は一層闇を強め、開演のブザーが鳴り響いた。
「……おお…」
「……ふふっ…」
初めに見えたのは、極彩色のタイトルカット。どこか懐かしげな色調の森の中、色とりどりの服を着た小人たちが楽しげに行進する姿だった。
「…………………」
「…………………」
そこからしばらく、二人言葉もなく食い入るようにスクリーンに釘付けになる。森の動物達と踊り歌うプリンセス。その姿を祝福するように思い思いの楽器を持ち寄って演奏する小人たち。数十年前の作画とは思えないほど滑らかに、ダイナミックに、所狭しと登場人物たちがスクリーン上を動き回っていた。
「……ふふっ…」
「ふ…ふふ…」
小人たちのコミカルな演技に、思わず二人揃って笑みをこぼしてしまう。成程これは、世界中の子供たちに愛され続ける理由が、素人の僕でもなんとなく分かった。とにかく映像的な見所が、細部まで敷き詰められている。研鑽に研鑽を重ねた、アイデアに満ち溢れたおもちゃ箱のような映像が、僕らを容易に異世界へと誘ってくれる。この歳になってまた、こんな出会いがあるなんて…またひとつ、アルダンに感謝しなければならないことが増えてしまったらしい。
「…………………………」
……しかし、まあ、言う程のことではないとは思うが。
今、悪い魔女の呪いによって眠りに落ちてしまうプリンセスの姿を見て、ふと考える。きっとこの後は、王子様が現れて助けてくれる筋書きなのだろう、と。
一歩だけ、視点を後ろに下げて考えてみると。良く言えば普遍的、しかし悪く言えば、まるで予定調和のように、映画のシナリオが進んでいるのが、どうしても目に付いてしまう。初めて観るはずなのに、まるで何度も見た映画の再上映のように感じてしまうのは、それだけこの作劇が洗練され、分かりやすく優れたものである証なのだろう。が…その模倣され尽くした、手垢に塗れた姿は…正直なところ、見ていて少し、物悲しさを覚える。きっとこのシナリオが作られた当時は、煌めく宝石のように、オリジナリティ溢れる斬新なものだったのだろうが……
「…………………………」
眠りに落ちたプリンセスの、その瑞々しく長いまつ毛を目にして、ふと…隣に座る彼女の、メジロアルダンのことを、つい思い返してしまう。
メイクデビューから早数年、トゥインクルシリーズで走るウマ娘たちの中でも、もう既にベテランの域に差し掛かっている彼女であるが、その歩んできた道筋にはひとつだって、予定調和な事など無かった。暗闇の中を性懲りも無く、何度も何度も迷って、悩んで、不格好でも必死に進んできた道だ。予定調和な事など一度たりとも起こり得なかったし、誰か何かの模倣などしたことも無い。全て、僕らが一から切り開いた道なのだ。
…しかし、どうだろう。そんな僕の主張に果たして、なんの意味があるのだろうか。
オグリキャップにイナリワン、スーパークリーク…永世に名を残すウマ娘たちの活躍がこれから数十年、数百年、何度も何度も再上映されるたびに、予定調和の如く挑みかかり、予定調和の如く敗れ去る、どこのアニメや漫画にもいる、手垢に塗れた敵役として彼女は…メジロアルダンは、人々の前に姿を現すことになるのかもしれない。模倣され尽くして、最早何者でもなくなったこの映画のように、メジロアルダンというウマ娘の個性も歴史も、どんどん何物でもない姿に研磨されて、いずれ砂粒のように風に溶けていく…の、かもしれない。
だとするならば、僕らは一体なんのために。
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「いいのよいいのよ、この場所は映画を観てもらうためにあるの。たった二人でも、観たいって言ってくれる人がいるなら、それだけで意味があるのよ?」
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不意に頭の中に浮かんだのは、先程の支配人の言葉。優しげな口調から放たれた、深い信念を感じさせる言葉であった。
「わぁ………」
「…………!」
感嘆の声を、思わず上げてしまうアルダン。その声に合わせて目線を上げると…大方の予想通り、真っ赤な衣装に身を包んだ王子様がスクリーン越しにこちらに笑顔を向けていた。実に予想通り、約束された予定調和であり意外性も何も無い、手垢塗れの展開。
しかし、それでも僕は、そんな彼の姿を見て一抹の安心を覚える。
そうだ、それでいいのだ。悪く言えば予定調和。しかし良く言えば、普遍的だ。周りの人に優しく、気高く、美しく…常に正しくあろうとする者は、誰かがずっと見ていてくれるし、いざと言う時も誰かが助けてくれる。そんな普遍的な美徳の心を、きっとこの映画は何十年にも渡って、世界中の子供達に伝えてきたのだろう。たとえ手垢に塗れようと、誰かに模倣されようと…いや、寧ろ誰かに模倣されることによって結果的に、僕のようにプリンセスなど興味もなかった子供にさえ伝わる程の強度を得た、とも言えるだろう。
「…かっこいいな」
「………?」
どんな姿になろうと、ただ一つの目的のためにそこに存在し続ける。それが、どれだけ美しいことか。この映画もそうだし…そうだ、この映画館だって、そう。あの支配人の人柄の良さから察するに、きっと一昔前はここも沢山の人で賑わっていたに違いない。そうして、沢山の人に映画を楽しんでもらう、映画を好きになってもらう。そうやって存在し続けたのだろう、この場所だって。
そして…そうやって映画を好きになった人々が各々、新しい作品をより早く、より気軽に、より多く観たいと、そう願った結果生まれたのが今の大手シネマコンプレックス、複合型映画館なのだろう。一見すれば、時代の波に押し出されて消えていく、儚い存在のようにも見えるが…今の世の中の礎として、名前も姿もいずれ失ったとしても、確かな強度を持ってそこに存在し続ける。誰も目に留めない、砂粒のような小さな存在になろうと、後に続く者の土台としてあり続けるのだろう。この映画も、映画館も。
そしていずれは彼女も、メジロアルダンも、そういう存在になって欲しいと、そう思う。
世の中には鮮烈な光もある。オグリキャップやシンボリルドルフ…その活躍を耳にしただけで全身が奮い立つような、派手で煌びやかで、誰もが憧れる大作映画のような人生も、ある。
だが、しかし、誰もがそんな人生を送れるはずは無い。これから先も、鮮烈な光の作る影に惑い、暗闇の中行くべき道を見失うウマ娘は山のように現れるのだろう。そんな彼女たちのうちの誰かが…幾度となく再上映される永世に名を残すウマ娘の活躍、その片隅で、予定調和のように何度もその牙を叩き折られ、それでもなお喉元に食らいつかんとする彼女の…メジロアルダンの姿を、その瞳で見つけ出し、僅かばかりでも再び立ち上がるための勇気に変えてくれるのであれば…それはどれだけ、誇らしいことなのであろう。
スクリーン上で鮮烈に輝く光でなくてもいい、そんな光に瞳を焼かれ、傷つき疲れ果てた者たちを優しく照らす、ロビーの常夜灯に彼女はなることが出来る。それは他の誰にも出来はしない、メジロアルダンだけの光なのだ。
「…………………………」
「…………………………」
王子のキスでプリンセスは目を覚まし、あまりに呆気なく映画は終わる。感傷も余韻も残さず流れるエンドロールの中、僕らは1時間弱ぶりに目を合わせた。
「如何でしたか?」
「ああ……面白かった…!」
願わくば、そんな彼女自身の行く末が、この映画のようなハッピーエンドで終わって欲しいと…スクリーンに小さく映し出される、エンドマークの中、そう思った。
〜 fin. 〜