メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
卵は……余らせても仕方ないな、1パック全部使ってしまおう。小気味よく深めのボウルに全て割り入れたら、軽く空気を含ませるように溶いていく。面倒だし洗い物も増えちゃうから普段はやらないけど、今日は特別、ザルで濾して滑らかな卵液を作ることにする。牛乳を目分量、塩も胡椒も少々と、感覚とフィーリングで味を整えたら、これまた特別に用意したブロックベーコンを、やや分厚めの短冊状にざくざく切っては細かいことを気にせずに投入…と。
「今日はオムレツ…ですか?ふふ、ベーコンまで入ってるなんて、豪華ですね?」
「ちょっと奮発、だね?卵も凄い良い奴だから、多分美味しいと思うな。美味しくなってもらわなきゃ困るけど…」
「ふふっ、楽しみです♪」
カフェテラスの一角を借りてのクッキングも、すっかり板に付いてきて、半ば趣味のようになってきている今日この頃。元凶たる彼女…メジロアルダンは今日もその耳をピコピコとはためかせながら、お行儀よくパイプ椅子に腰をかけて、僕の手つきをじっと観察している。
「あ、バターを…」
「バターですね?はい、どうぞ?」
「ありがと、用意いいね?」
「助手、ですので♪さてさて次はどうするのですか?先生?」
「トレーナー業以外はアマチュアなんだけど…」
はしゃぐ彼女に軽めのツッコミを入れつつ、熱したフライパンにバターを入れ、低めの温度でじっくり溶かしていく、充分に拡がったら、いよいよ、先程作った卵液を一気に流し込む。
「いい香りですねぇ…」
「ね…お腹減ったなぁ……」
なんとも食欲をそそるバターの香り、フライパンから奏でられるチリチリとした香ばしい音色でお腹の音を隠しながら、しかしそれでも気持ちだけは抜かずに、目の前の、どんどんかたまりになっていく卵に向き合う。ふんわりまんまるなオムレツにするのは、なかなか難しい。及第点に達する確率は3割程と言った所か。大抵はなんとも悲しげな痩せた姿になってしまう…だからこそ、この瞬間はいつも気が抜けない。一箇所に固まることのないように、しつこくしつこく混ぜ合わせる。
「アルダン」
「チーズですね?」
「ナイス助手!」
目も向けずに手を伸ばす、その手に収まるミックスチーズの袋。無駄のない滑らかな動きに、なんだか胸が躍る。受け取ったチーズをこれまた目分量で振りかけて、ここからが正念場。ギリギリを、ギリギリを狙って…
「ん、今だ!」
火を止め、用意していた濡れ頭巾でフライパンの底を冷やす。底を叩いてある程度厚みを均一にしたら、慎重に卵を包んでいく……慎重に…慎重…しかし卵10個も使ったら流石に重たいな…えらく食べ応えがありそうだ。
「………………………」
「………………………」
今ばかりは、アルダンも固唾を呑んでその様子を見守る。一巻き、二巻き…反対側からも包んで…ひっくり返して丁寧に形を整えてから…少しだけ火にかけて、底を焼き固める。
「お皿、用意してます」
「ん、ありがと」
もはや言葉も仕草も必要なく、我が愛弟子が用意してくれた皿の上にそっと盛り付けていく。バターとベーコンの溶けた脂身の香ばしい香りを顔中いっぱいに受け止めながら、その赤子のような柔肌をつんつんとフライパンから押し出して…そっと抜き取ると…
「…………っ…でき…たっ!」
「わぁ…!とっても綺麗なオムレツ…!」
及第点…どころが、僕の人生史上最高得点…!角もなく、ヒビもなく、ただただふっくらとハリのある黄色いかたまり。どうしてこんなに美しいのか自分でも分からないが、とにかく…彩りのために軽くパセリを散らしたら…
「ベーコンチーズオムレツ…完成…!」
「完成、ですね…!」
相当な力作、思わず大きな声が出てちょっと恥ずかしかったが、隣で小さく拍手してくれるアルダンの姿を見てそれもまたいいか…と思い直す。
「本当に綺麗…まん丸ですね…美味しそう…!」
「まあ、思ったより大きくなっちゃったけど…僕の顔ぐらいあるねこれ?」
「ふふ、比較画像、撮っておきましょうか?トレーナーさん、お皿持って下さい?」
「え?こ、こう?」
オムレツを顔の横に、なんとも微妙な笑顔を浮かべた僕の姿を、スマホのカメラに収めるアルダン。なんかこれ、あれだな…オムレツというより、大物釣り上げた人みたいだな…
「どう?撮れた?」
「ふふっ、バッチリで……あ、トレーナーさん半目でした…もう一度お願いします…」
「は、はいはい、どうぞ?」
「……ん、今度こそバッチリです!」
「おっけーおっけー、半目なやつは消しといてね?」
「承知しました♪しかし、今更ですが…どうして突然オムレツを?それもこんなに凝ったものを…」
「んー…ま、深い意味はないんだけどね…」
何やら満足気なアルダンに、不意にそんな事を訊ねられ、僕は手にしていた一皿をそっとテーブルに置いて答える。オムレツが冷めないうちに、手短に…
「…明日さ、月イチの理事長面談あるんだよね?トレーナー活動の報告とかする、あの面談」
「ああ、例の。毎月行っていますね?」
「うん、それがね…なんというか…ものすごく…嫌…なんだよねぇ…」
「あら?どうしてですか?理事長さん、とっても優しくて良い方じゃないですか?」
「まあ、秋川理事長なら、ね?いいんだけどね?ほら、理事長、今長期出張中じゃない?」
「まあ、そういえばそうでしたね?あら?ということは…」
「…そう、明日の面談相手…樫本さん…なんだよねぇ…はぁ…」
「…あらら…それはそれは…」
樫本さん…多忙な秋川理事長の代わりに、時々理事長代理のお仕事を勤めている…なんというか、僕なんかと違ってとってもとっても、『デキる大人』である。故に、いつもの理事長よりも色々と容赦のない人だ…過去、1度だけ面談を受けたことがあるが、その時はトレーニングの時間対効果についてけちょんけちょんにダメ出しをされた…以来…こう…なんというか、辛いのだ、話すのが…
「それはまあ…災難、ですね…しかし、それとオムレツに、なんの関係が?」
「まあ、これは個人的な話なんだけどね。そういう心配事がある前の日は、こうしてオムレツを作ることにしてるんだ。元々、色々と考えをまとめたい時はルーティンとして料理してるんだけど、特にオムレツは凄く集中力が必要だから…こう、気が紛れるというか…」
「なるほど…なるほど?分かるような分からないような…」
「まあ、願掛けというかおまじないというか…ほら、オムレツってこう、角がなくて見てたら安心するでしょ?」
「ふふ、確かに、優しげな見た目ですものね?」
理屈が通っているんだかいないんだか…特に深い意味のない自分の癖を説明するのはやはり小っ恥ずかしいが、まあ、彼女が笑ってくれたのだから、良しとしよう。
「このオムレツが、トレーナーさんにとってのお守り、というわけですか…」
「まあ、そんなとこかな?単純に美味しいしね、オムレツ」
「……ふふ、それなら…」
「アルダン?」
「トレーナーさん?オムレツには、ケチャップをかける派ですか?」
「え?まあ、かけた方が美味しいとは思うけど…」
「私もです♪では、少し失礼しますね?」
なんともイタズラっぽい妖しげな笑顔に…ついつい見蕩れているうちに、アルダンは僕が用意していたケチャップのチューブを手に取り、そうしてオムレツへと向かい合う。
「……ふふ、なんにしましょうかね…」
「???」
「…ふふ、ふふん…ふふふ、ふん…♪」
「アルダン?何を…あっ」
「…ふふっ、いかがでしょう?」
オムレツをキャンバスに、ケチャップを絵筆に。鼻歌交じりで彼女が描き出したのは…
「猫!だ!」
「ふふっ、正解、猫ちゃんです♪」
なんとも愛らしい、猫の顔…流石の僕も、思わず顔面が綻んでしまう。なんとも子供っぽい、抽象的な猫だが、またなんとも言えない愛嬌もあり…
「いかがでしょう?上手く描けたと思いませんか?」
「めちゃくちゃ可愛い…でも結構意外かも、アルダンもこういうの描いちゃうんだね?」
「あら?似合いませんか?」
「いや、なんだか…いいね、月並みな言い方だけど、凄くアルダンを近くに感じる」
メジロ家のお嬢様…だなんて、他人からしてみればきっと、雲の上の存在みたいに思われているのだろうが…こういう所で、やっぱり彼女だって血の通ったただの女の子なのだと、改めて感じることが出来て、少し、嬉しく思う。
「ふふ、ありがとうございます♪もちろん普段から描いてる訳では無いですが、今日は特別…私なりのトレーナーさんへの、願掛け…かしら?」
「というと?」
「ふふ、実は私、小さい頃は人並みに注射も苦いお薬も苦手だったのです。こういった身体ですので、人より沢山経験してきましたけど、それでも怖くって…病院に行く前の日は、いつも泣いていました…」
「…アルダン」
「…でも、そんな私を見かねたばあやが、夕食のハンバーグにケチャップで絵を描いてくれたんです。あれは確か、お花の絵…だったかしら?」
「え?あのばあやさんが?」
「ええ、もちろん他の使用人に見つからないように、こっそりと…ですけどね?」
アルダンのばあやさん…いつも厳格そうで、あんまり冗談も通じなさそうな雰囲気だから…あんまり想像はつかないけれど…でも、そうだな、あの人の、アルダンを思う気持ちの強さを考えれば、なんだか凄く腑に落ちた。
「それからも…私が病院に行く前の日は少しだけ夕食に遊び心を添えてくれました…それから、少しだけ病院に行く日が待ち遠しくなった…ただ辛いだけの日から、少しだけばあやが甘やかしてくれる日になったのです…だから…」
「…ふふ、だから、アルダンなりの願掛けか…確かに、今の僕にはぴったりかも、ね?」
「ええ、トレーナーさんの願掛けと、私の願掛け…ふたつ合わさればなんだか…怖いものなんかなんにもないと…そう思いませんか?」
「…うん、本当に、ね?」
アルダンの瞳が、真っ直ぐに僕を貫いた。彼女のその瞳も声も、優しげな仕草も言葉もそう。どんな願掛けよりも、僕を奮い立たせてくれる。心から、そう思う。
「それに、ほら?樫本さんだってばあやと同じで、厳しそうに見えて案外親しみやすい人だったりするかもしれないですよ?」
「それは…いや、案外、そうかもね?」
「もしかして…皆に隠れてゲームセンターなんて行ってたりして…」
「いや…それはどうだろう…?」
ゲームセンターはさておき…そうだな、雰囲気はとても怖いけど、ウマ娘達のことを第一に、何よりも大切に考えてくれている人だというのは、間違いなくわかる。わかるし、それは僕だって同じ気持ちだ。どんなに怖くっても、やっぱりあの人だって僕と同じ人間であり、トレーナーなのだ。だったら、分かり合えない理由なんてないよな…なんて、目の前の黄色と赤が溶け合った、ふたりのオムレツを見つめながら、そんなことを思う。
「…うん、ありがとうアルダン。明日は…まあ、めちゃくちゃ頑張ってみる…!」
「ふふ、お役に立てたなら光栄です♪」
「さてと…それじゃ、食べよっか?こんなに上手く出来たんだから、冷めないうちにいただこう?」
「はい、楽しみです♪」
大きなオムレツを抱え、カフェテラスの席へ向かう。なんだかさっきよりずっとずっと足が軽いのは、間違いなくアルダンのおかげ…せめて、せめてこの人生で彼女から受け取ったものの1%でも返せたらいいな…なんて考えるけど、まあ、それは追い追いでいいや。お腹の音を鼻歌で誤魔化して、今日も僕らはまた一歩歩みを進めるのだった。
「さあさあ、早速切り分けようか…アルダン、お願いできるかな?」
「いえいえ、ここはトレーナーさんが…」
「いやいやいや…」
「いえいえいえ…」
「………………………」
「………………………」
「「…可愛すぎて、食べられない…!」」