メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』   作:いずさわ

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人生は、つづく。




2024/3
LADY


「…次はこちらです。ちゃんと着いてきて下さいね?トレーナーさん?」

「うん、大丈夫だよ、アルダン。それにしても…本当に、晴れて良かったね」

「ええ、本当に…いい天気ですね、今日は…」

 

3月28日、午前11時17分。今年の春は随分と早く来て、特に雲ひとつない真っ青な快晴の今日なんかは、もう半袖でもいいくらい、心地よく、暖かな風か吹いていた。

 

「しかし、メジロの本邸、何度かは来たことあるけど、こんな奥の方まで来るのは初めてだなぁ…」

「ふふ、当然ですね?もうこの辺りは外部に明かしていない、メジロの人間しか立ち入れない場所ですので」

「えっ、ええと、それ、僕入って大丈夫なの?」

「…遅かれ早かれ、でしょう?」

 

緑色の木漏れ日が差し込む細い道。半歩先を行くアルダンが少しだけ僕の方に目線を向け、悪戯っぽく笑みを浮かべる。ふわりと香る爽やかで甘い香りは、両手いっぱいに抱える大きな紫色の花束の香りだろうか。その陶磁器のように白い肌と、踊るように軽やかに揺れる優しい藍色の薄手のスカートについ見蕩れていると、いつの間にやら僕らの歩む道が大きな遊歩道に合流していた。赤、青、黄色、ピンク、紫……植え込みを色とりどりの花々で飾った、まるで現実味のない、夢うつつのような情景に、暫し目を瞬かせる。

 

「凄い…綺麗なところだね…」

「ええ…私も、ここに来るのは久しぶりですが、本当に、いつ来ても美しい…」

「まるで、ここだけ時間が止まってるみたいだ」

「ある意味、その通りなのかもしれませんね…」

 

目の前を通り過ぎる青く美しい蝶に、思わずついて行ってしまいそうな心をぐっと抑えて、僕らはまだまだ先へ進む。

 

「こういう場所も、庭師の人達が毎日毎日丁寧に手入れしてるんだよね…」

「そうですねぇ…私も全員は知りませんが、恐らく数十人くらいは常に専属で雇っているかと」

「ひえぇ…本当に途方もない…メジロってほんと、でっかいお家なんだな…改めて、だけど…」

「あら?怖気付きました?とんでもないウマ娘に目をつけられてしまった!なんて、本当は思っていたりして…」

「ふふっ…僕がもしそんなトレーナーだったらさ、今この場所に僕はいない、でしょ?」

「ふふっ…ええ、その通り、ですね?」

 

本当に夢みたいな景色、だけど、目の前で軽やかに跳ねる笑顔とその薄紫の瞳だけが教えてくれる。ここは確かに現実で、僕は確かに、ここに居ていいんだと。思えば彼女と出会ってからそんな事ばかりだ。嘘みたいに煌びやかなメジロの邸宅も、はち切れそうな程の熱気に包まれたG1の舞台も、みんな、僕にはとても似つかわしくない、輝かしい世界であった。そんな世界で、形だけでも胸を張ることが出来ていたのは、間違いなく、彼女がいつも背を押してくれていたからだ。昔はそんなことにもいちいち負い目を感じてしまっていたが、今は、ただ、どんな時も彼女の隣で立っていられたことが、何より誇らしい。

 

「…しかし、すっかり見入っちゃってるけど、時間、大丈夫?」

「ええ、もうすぐそこですから…あ、ほら、見えますか?」

「ん?あ、あそこ?」

 

花と木々と虫たちと、青空と陽の光に囲まれた、まるで本当に、『天国』にでも通じてそうな真っ白な遊歩道。その本当に奥の奥。一段と厳かな雰囲気の一角。僕らはそこを目指して、一歩、また一歩と歩幅を広めていく。そして…

 

「……うわ!凄い眺め…!!」

「ふふふ、どうでしょう?気に入っていただけましたか?」

 

たどり着いたのは、小高い丘の上。北の大地の雄大な自然が一望できる爽やかな、青々と生い茂った草原であった。

 

「…もしかして、あの雪を被った大きな山って…」

「ええ、あれこそが羊蹄山、私達メジロ家の象徴とされる、独立峰…」

「凄いな…まるで名画みたいだ…ここが一番綺麗に見えるんじゃない?」

「そうですねぇ…でも私も、こんなに綺麗に見れたのは初めてです、本当に、雲ひとつない天気で良かった…」

「…メジロの象徴、か」

 

羊蹄山、優雅なるメジロの歴史が始まった場所。未だ厳しい冬の面影を残しながら堂々とそこに鎮座する姿は、メジロ家のウマ娘たちの行く末に、必ず待ち構える苦難の壁を象徴しているようで。しかし同時に、厳しい北の吹雪から、身を呈してメジロの看板を守っているようにも思える。厳しさと優しさ。白と黒。相反する二つの顔を併せ持つこの山は、やはり名実共に『メジロの象徴』なのであろう。

 

「だからこそみんな、ここに還って来るんだろうな…」

「そう…ですね…」

 

そして僕らは、もっと近く…自分たちの眼前に広がる『それ』に目を移す。その余りに荘厳な雰囲気に暫したじろいでいると、僕の真横で景色を眺めていたアルダンが、二歩、三歩と歩みを進め、そうして軽く胸に手を置く。

 

「…皆様、ご無沙汰しております。不肖メジロアルダン、この羊蹄山の麓まで遥々戻って参りました。つきましては、僅かばかりの時間、在世の身でありながらこの安息の地に足を踏み入れますこと、どうかお許し頂けますと幸いです」

 

深々と頭を下げるアルダン、慌てて僕もそれとなく頭を垂れる。そう、僕の眼前に広がっていたのは、数多もの墓石、であった。

 

「…さて、ご挨拶も済ませましたので、行きましょう、トレーナーさん?」

「う、うん、なんか今更だけどほんとに僕、入っていいのかな?」

「大丈夫、許していただけますよ。トレーナーさんが真にメジロのことを敬愛する者であれば…ね?」

「な、なんでちょっと含みを持たせるの?」

 

輝かしい、メジロの歴史。それをまさに築いてきた偉大なる先人達。ここはそんなに先人達が安らかに眠る、広大な霊園なのであった。

 

「メジロの本邸がこの場所に築かれた理由…実に様々ありますが、その中でも特に大切なものは…やはり、この芝、でしょう。成層火山である羊蹄山に由来する、火山灰のミネラルが豊富に含まれたこの土壌に生い茂る芝生は、まさにウマ娘の心身を鍛えるのに最適なものでした。ノスタルジックな意味合いだけでなく、我々メジロのウマ娘達は本当に、かの山に育てられてきたのです」

「山…というのはよく女性に例えられるけど、この山はまさしくメジロの母、ってことか。立派に成長して身を立てた子供たちが、最期に親元に還ってくる。なんとも古風で、だけど、優しい価値観だ」

 

墓石の間を縫うように歩く僕とアルダン。意識した訳ではないが、自然と慎重に…まるで、母の元で安らかに眠る子供たちを、起こしてしまわないよう注意しながら歩くように…僕達は一歩一歩、丁寧に歩みを進めた。そして…

 

「…トレーナーさん」

「ん…もしかして、ここが?」

「ええ、ここ…です」

 

アルダンが突然歩みを止め、神妙な面持ちで一つの墓石に向き直る。それは明らかに周りのものより小ぶりで…しかし、美しい白磁色の石柱は太陽に照らされ、一際眩しく輝いていた。

 

「ただいま、こうして会うのは久しぶり、ね」

 

 

----------

 

メジロアルダン。その生涯はまさに苦難の連続であったが、それは、この世に生を受けた瞬間から始まったのであった。

 

『自らと血を分け合った、姉妹の死』

 

元来、双子の片割れとして生を受けたメジロアルダンだが、姉妹揃って陽の光を浴びる事は、できなかった。母親の産道を通り抜けた時、彼女の息は既になく、アルダンだけが何とか、無事に産み落とされたのだという。

その事が彼女の家族に、何より彼女自身にどれだけ暗い影を落としたのかは、もはや言うまでもない。現世に生を受けるという祝福と同時に、一身に背負ってしまった、呪い。半身を失ってしまった、一生満ち足りることの無い硝子の人形。それが、彼女の原点なのである。

 

----------

 

「…昔は、毎年こうしてこの場所に来ていたんです…彼女の、誕生日になるはずだった、この日に」

「…でも、流石に在学中は難しかったかな…」

「ええ…でも、一時も忘れたことはありませんでした」

 

3月下旬と言えば、いよいよ春の重賞戦線も本格的に激しさを増してくる、ウマ娘達にとってまさに追い込みの時期。とはいえ、それくらいの余裕は作ってあげればよかったかな…と、少しばかり後悔の念が脳裏に浮かぶ。が、そんな僕の気持ちとは裏腹に、彼女の顔は晴れやかなものだった。

 

「それに、きっと…トレーニングを怠ってまで無理やり会いに来ることは、彼女も望んでなどいませんから」

「…そうだね、間違いない」

 

死んだものの思いなど、分かるはずもない。死人の意志など生者の空想に過ぎない。のであれば、せめて自分達が都合の良いように解釈した方が、後ろ向きに縛られるより何倍もいいと思う。なんて、自分なんかより長く濃い時間、死と向き合ってきたアルダンに高説できるほど僕の面の皮は厚くない。だから、代わりに僕も信じ込むことに決めたのであった。今は亡き彼女と、今、僕の隣に居る彼女の平穏を。

 

「…お花、似合うと思って持ってきたの。喜んで貰えると、嬉しいわ」

 

朝からずっと大切に抱えていた花束を、彼女の目の前にそっと捧げるアルダン。小さな紫色のスターチスの花々が、白く透き通る墓石と重なり合い、複雑な光の屈折を見せて、思わず僕も感嘆の声を上げてしまう。

 

「………………………」

「………………………」

 

そこからは暫しの間、二人揃って目を閉じ、手を合わせ、静かに彼女との時間を過ごした。ちらりと覗き見したアルダンの横顔は、まるで本当に旧友との会話に花を咲かせているような晴れやかさで、悲壮感など、万に一つたりとも感じ得なかった。

 

「……さて、そろそろ行くわね、私。また来年来れるように頑張るから、今日はさよなら、また、ね?」

「…………もう、いいの?」

「ええ、話したいことは充分話せましたので。それにここは先人たちの暮らす場所、私達が長居してしまったら、彼女達が落ち着かないでしょう?」

「……そうだね、それもそうだ」

 

どちらからともなく、差し出しあった手と手を結んで、僕らはまた歩き出した。普段はしっとりと冷たい彼女の手だが、その心持ちに比例してか、今日はほんのり暖かい。いつの間にやら、もうとっくに、天上まで太陽が登りきった時間となり、遠くから漂う乾いた芝の香りが、よく干されたシーツを連想させて少しこそばゆい気持ちになる。

 

「どんな事、話したの?」

「ふふ、もちろん、あの学園で体験してきた事です。本物のターフの香りだったり、授業中の教室の音、カフェテラスのメニューや屋上からの景色…あと、友人と色んなことをして遊んだ思い出も……」

「本当に、話せる事沢山だもんね?」

「ええ、あ、もちろん…人生で一番大切な人に出会えた…ことも、ちゃんと報告させてもらいましたから、ね?」

「……ははは…ちゃんと認めて貰えるのかなあ…」

「ふふふ、ちゃんと認めさせますよ?」

 

沢山の人々のお見送りを受け…ているような錯覚を覚えながら、坂道を下っていく。相変わらず幻想的な雰囲気の遊歩道。だけど、来た時よりもなんだか安心する。まさしく現世に帰ってきたみたいな…

 

「しかしトレーナーさん、付き合っていただいた後で言うのもなんですが、こういった場所は…苦手だったりしたのではないですか?」

「あ、あぁー…うーん…まあ、確かにそこまで得意って訳ではないけど…」

 

思い出す、苦い記憶…子供の頃から心霊的なものが苦手だった僕ではあるが、アルダンの趣味嗜好を学ぶうちに、ある程度は克服出来てきた…まあ怖いものは怖いのだが、そんな僕の情けない部分も、個性だと言って笑い飛ばしてくれたアルダンに、どれだけ救われたのだろう。

 

「…霊魂の類が凶悪な存在と化してしまうのって、やっぱり、ぞんざいな扱いをされたから、なんだろうな。死んだからって適当に、形だけ埋葬してそれっきり、なんて、幽霊も怒って攻撃的になるに決まってる」

「…ええ、その通りだと思います」

「その点、ここに眠ってる人達は…本当に穏やかなものだった。目で見えた訳じゃないけど、本当に、本当に大切にされてるんだろうな」

 

霊園に足を踏み入れた時の、アルダンの言葉を思い出す。心からの敬意と博愛に満ちた優しい声だった。

 

「むしろ、居心地がいいとまで思ったよ、あの場所は…うっかり、自分から向こう側へ歩いて行っちゃいそうになるぐらいね」

「……私のこと、置いていってしまうのですか?」

「逆だよ、君がいるから、こっちに帰ってこれた」

 

軽く頬を抑えながら、もじもじと居心地の悪そうな顔を浮かべるアルダン。なんとも愛おしいその様子を観察するように、じっと見つめる。こんなにも美しいはずの周りの景色が、ぼやけて見える程目を奪われて、ああ、僕ってやつは、本当に、君のことが……

 

…そろそろ、かな

 

 

「……アルダン」

「……!」

 

 

名残惜しさを振りほどき、彼女の指からそっと、手を離す。そのまま、二歩、三歩と歩みを進めて、ちょうど、彼女の前で背を向けて、大きく、大きく息を吸って、吐いて。

 

「……アルダン、今日は、さ、僕からも君に、伝えたいことが、あるんだ」

「……はい」

 

今の彼女は、一体どんな表情をしているのだろう。今まで、彼女の一挙手一投足を見逃さぬように生きてきた僕だが、今だけは、今だけは分からない。今すぐに振り返って確認したかったが、何とかそんな気持ちを押さえ込んで、この、震える唇だけを動かした。

 

「僕は、心から感謝してるんだ、君の事を。こんなに情けない僕の指を離さずにいてくれたこと、沢山の思い出をプレゼントしてくれたこと……僕の、パートナーで居続けてくれた事…君と出会ってから起きたこと、その全てが愛おしくて、感動的で、それらは全て、アルダンがいてくれたから起きたことで…だから…だから…」

 

アルダン、メジロアルダン。彼女の名前と、彼女との大切な思い出だけが、とめどなく頭の中をぐるぐると駆け巡って、あんなに色々考えていた言葉が出てこない。目の前の、色とりどりの景色がじわじわと滲んで、美しいグラデーションへと変化していく。奇しくも、その様相は今の僕の、頭の中の光景とよく似通っていた。

 

 

----------

 

初めての出会いだった。

風と陽の光に煽られて揺れるその水色の髪と、硝子細工のように透き通る白い肌に、一瞬で目を奪われた。思えば、既にあの頃から僕は、君に「恋」をしていたのかもしれない。

それからすぐ、美術館に行った。あの絵画はとても色褪せていたが、優しい風合いの臙脂色の絵の具が乗せられていたことだけは、はっきりと覚えている。それからは、毎日毎日、青々と茂ったターフとのにらめっこの日々だった。東雲色に染まっていく空を共に見上げる日もあったし、オレンジを齧るような夕日を見て、二人現実から逃避しようとしたこともあった。黄金に輝くダービーの舞台にも一緒に立ったし、誰も見ていない暗闇の中で、二人涙を拭いあったこともある。薄紅に染まる桜も、藍色に揺らめく大海原も、紅葉色に包まれる山肌も、銀色に煌めく雪も、全部全部、君と一緒に見た。

見た、だけでない。沢山のものを食べて、聴いて、触れて、感じた。君のおかげでブラックコーヒーがもっともっと好きになったし、繊細なオーケストラの音色も聞き分けられるようになった。全て全て、君のおかげだ。というのに…言葉はまるで不自由だ。これほどまでに絞り出したい思いが詰まっているのに、まるでしばらく使っていない絵の具のように、どれだけ力を振り絞ってもちっとも出てきはしない。もしも僕の心臓を差し出すことが出来れば、僕の、彼女の色に染まりきった血潮をそのまま見せることが出来れば、この気持ちの全てが伝わるのであろうか。だとするならば…僕は……

 

----------

 

「だから…アルダン…僕は……」

 

「トレーナー、さん」

 

不意に、僕の首元に暖かい吐息がぶつかって、思考が一瞬だけ、吹き飛ばされた。こんなにも情けない僕の背を、アルダンはその華奢な体で優しく抱きしめたのだ。まだ、先程まで抱いていたスターチスの花の香りが残って、鼻の奥、僕の脳内を優しく染め上げていく。伝わる熱、汗ばむ手のひら、そして…

 

「………アルダン」

「トレーナーさん……」

 

…そっと向き直った時に見えた彼女の顔、僕と同じように潤んだ瞳の奥の、薄紫のグラデーション。心臓など差し出さなくっても、それだけで、僕の気持ちは伝わっているのだと、簡単に分かった。

 

 

 

 

「愛してるよアルダン。誕生日、おめでとう」

 

 

 

 

驚く程簡単に、言葉もまとまった。口にしてみれば、呆気ない言葉であったが、それでも。幾億万の凝った言葉よりも、彼女の胸を震わせることが出来た。そのはち切れんばかりの笑顔と、大粒の涙が何よりの証拠だ。

 

「…ありがとう、ございます、トレーナーさん」

「ごめんね、手間取らせちゃって…なんか、前にもこんなことあったね…」

「本当に…もう…格好、つけすぎですよ。ちゃんと、目を見て話してくれないと…」

 

本当に、進歩しない僕だけど、アルダンはやっぱり笑って許してくれた。僕の腕の中で、大輪の笑顔の花を咲かせているアルダンに、やっぱりいてもたってもいられずに強く、強く抱きしめる。

 

「…あのね、アルダン、君に…渡したい物があるんだ」

「…!んんっ…は…はい…」

 

軽く咳払いして、前髪を整え直し、改めて、僕の方に向き直るアルダン。今ならば分かる、彼女の緊張している時の動作…分かっていても、その上目遣いには、つい、目を奪われる。

 

「……ほら、これ…」

「……これ、は……腕時計?」

 

そっと、ジャケットに忍ばせておいた小さな箱を開いて、アルダンに手渡した。真っ白な文字盤と、真っ白なベルト。アルダンによく似合う、気品に満ちたまっさらな腕時計を。

 

「…ふふふっ…『同じ時を刻みたい』ですか…本当に、トレーナーさんらしい…」

「ちょっ…僕が言う前に言わないで欲しかったなぁ…」

「あら、それは申し訳ありません。しかし…ふふっ…本当に、綺麗な時計…真っ白なのも、何か意味があるのですか?」

「…本当は、君と見たものの中で一番印象深いものの色にしたかったんだ、その時の思い出話と一緒に、渡そうかなって…けど…」

「けど?」

「…やっぱり、君と見たものは何もかも美しかったからさ、決められなくって。それで…」

「それで…白ですか?何の色でもない…」

「いいや、何も決められないんなら、未来の僕らに託そうかな…って」

「……!」

「…遠い未来、今までよりも沢山の綺麗なものを見てさ、いつか、いつか本当の一番を二人で決められたら、この時計を、その色に染め上げよう。だから…今は真っ白、何色にも染められる…白だ」

 

我ながら…クサイこと言ってるなあ…でも、間違いなく僕の本心。僕の考える、『生きた軌跡』の刻み方だ。

何かを楽しみにする。何かを生きる糧にする。いつだったかも思ったが、人生においてそういったものは、できるだけ多くあった方がいい。既にターフを去った後の彼女なら、尚更。あの霊園は本当にいい場所だったけど、まだまだまだまだ、あそこで暮らす訳には行かないのだ。だから…

 

「ふふ…それは素敵です…けれどどうでしょうね…もしかしたら一生、この時計はこの色のままになってしまうかもしれません…」

「え?それは…どうして?」

「今、この瞬間から、私の一番好きな色が変わってしまったからです…混じり気のない、『純白』に…」

「……!」

「…ふふふっ、これ以上に好きな色を見つけるのは、相当至難の業ですよ?ご覚悟は、おありですか?」

「ああ、もちろん。世界中探し回って、何百年、何千年かかってでも見つけ出してあげる」

「それは…とっても長生きしなければなりませんね?」

 

その純白の時計を、優しい手つきで箱から出して、そうして、自らの手首に飾りつけるアルダン。思った通り、白くきめ細やかなその肌と溶け込んで、店で見た時よりも遥かに美しく見える。それこそ何千年経っても失われそうもない輝きを目の当たりにして、僕はただひたすらに、遠い未来へと想いを馳せる。

 

「……それにしても、ふふふ…あんまりにもトレーナーさん、気合い入っていましたから…つい、勘違いしてしまいましたよ?」

「勘違い?なんの?」

「……指輪でも、送られるのかしら…と…」

「あっ…!あ…えーと、それは…」

「なんて、分かっていますよ?まだまだ私達二人とも人生のゲートを飛び出したばかり…仕掛けるのは、まだ早い、ですよね?」

「…うん、もちろん。その頃には必ず、君の助けなしでも渡せるように、なってみせるよ」

「あらあら…でも、私は今のままでもいいと思いますよ?私がトレーナーさんの心を引き出したように、トレーナーさんもまた、何度も私に道を示してくれましたから…」

「…そうだった、かな?」

 

そう言われて、色々と思い返してみる。かつての彼女には、『未来』について考える視点がすっぽりと欠けていた。『今』にこだわる姿勢はとても美しいものであったが、裏を返せばそれは、暗闇の中を無軌道に走っているようなものだ。だから僕は…ロードマップを示し、彼女の目的地を具体的な、目に見えるものとした。彼女自身に変わってもらう、のでは無い、彼女自身の無軌道な情熱はそのまま利用し、ほんの少しだけ、僕に操縦を委ねてもらう。ウマ娘・メジロアルダンの歴史はそうして築かれていった。その事が、本当に彼女の為になっていたのであれば、こんなに嬉しいことは無い。

 

「そして…なんでしょうね、そんな関係が、私は凄く心地がいい。まるで、お互いの凸凹が綺麗にピッタリはまっているみたいな…何も過不足ない…満ち足りた、気持ちになれるんです」

「…満ち足りた…気持ち?」

「ええ…え?トレーナーさん?」

「……そっか、そうかぁ…!」

 

半身を失ってしまった、一生満ち足りることの無い硝子の人形。それがメジロアルダンの原点。でも、そんな彼女が今、満ち足りた気持ちを覚えてくれている。僕と共にいる、その事で、覚えてくれている。僕は『彼女』に…本当の半身になることは出来ないけれど…

 

「うん、アルダン、僕も、僕もそう思うよ。大好きだ、愛してる、アルダン」

「んうぅぅ…?ん…もう…そんなに抱きしめたら、苦しいですよ、トレーナーさん…」

「あ…ご、ごめん…」

「もう…ふふふっ…トレーナーさん?」

「アルダン?」

 

僕の腕の中からするりと抜け出すと、そのまま彼女は二歩、三歩と僕から距離をとる。そうして、胸元に手を置いて、語り出した。

 

 

「プレゼント、ありがとうございます。必ずや生涯大切にいたします…それと…」

 

「私も、愛しています、貴方のことを…どうか永遠に、同じ時を刻んでくださいますよう…お願いいたします、ね?トレーナーさん♪」

 

 

誰かの代わりになることは出来ないけど、僕は僕のままで、彼女の半身になれる。その事を、彼女は何度だって教えてくれる。過去も、今も、未来でも。

 

「…うん、もちろん、永遠に、ね?」

 

改めて差し出した僕の手を、彼女は笑顔で取ってくれた。照れ隠しにお互いひとしきり笑いあった後、改めて、僕らは歩き始める。花も木々も虫たちも、青空も陽の光も、まるで僕らの行く末を祝福しているようにさんさんと輝いていた。

 

「約束しちゃったからには、また来年も再来年も来ないとね?」

「ええ…願わくば、また貴方と一緒に…」

「その時にはもっと、胸を張って入れるようにならないとなぁ…まあ、そのうちゆっくりと慣れていければ……」

 

 

ブーッブーッブーッブーッ……

 

 

「ん、電話?」

「ですね?一体どなたから…………!」

「アルダン?」

「あ…!トレーナーさん…!少し失礼します…」

「……???」

 

 

「……はい、お久しぶりです…お父様」

 

「…お父様?」

 

「はい、ええ、ありがとうございます…えっ!?ほ、本当ですか!?はい…はい…はい…!ええ…!是非、是非とも!」

 

ピッ

 

「と、トレーナーさん…!」

「もしかして、お父さん?随分嬉しそうにしてたけど…」

「ええ、実はですね…本日、日本に帰っていらっしゃるらしいのです…!」

「えっ!ほんと?」

 

彼女の父は…有名な貿易商であり、なかなか日本に帰って来れない…んだったかな?ここまで子供みたいにはしゃぐ彼女もそうそう見られない、できるだけ、目に焼き付けておこう…

 

「ええ……ですので今晩家族揃って食事がしたいと、父と母と…あと姉様も揃って…!」

「えっ!凄い!みんな集まるんだ!良かったね!」

「ええ…本当に…一体何年ぶりかしら…」

 

本当に、心から嬉しそうに、彼女は携帯の画面を見つめている…心から喜ばしい事だが…今日の夜は、一緒に居れないかあ…寂しいけど、一人で北海道観光でもしようかな…

 

「それでですね?是非トレーナーさんも御一緒に…との事でした…!」

「うんうん!それはそれは………………えっ?」

 

えっ?

 

「えっ?」

「ですから…今晩、トレーナーさんも御一緒に、お食事、いかがですか?と……」

「…………………………」

「ふふっ、どうされましたか?お顔が真っ青ですよ?」

「ああ…うん…えと…そうだね…うん…うん…はい」

「……胸を張れるように、なるのでしょう?私のパートナーさん?」

「は…ははは…そうだね、うん…」

 

3月28日、午後1時13分。今年の春は随分と早く来て、特に雲ひとつない真っ青な快晴の今日なんかは、もう半袖でもいいくらい、心地よく、暖かな風か吹いていた。

 

「…ふふふ…ちゃんと着いてきて下さいますよね?トレーナーさん?」

「…ああ、ああ、もちろん、もちろんだよ、何処へだって、一緒に行こう、アルダン」

「ふふ、その意気です♪」

「…ただ、そう…だね…その前にもうちょっと上等な服、とか買いに行きたいんだけど…一緒に選んでくれる?」

「ええ、どこまででも、お供致しますよ?」

 

果たして、明日はどうだろう。雨や雷、厳しい吹雪になるかもしれないな。でも…うん、例えどんな明日になっても大丈夫。君の事は僕が守るし、僕の事は、君が守ってくれる。そうやって、これからも、いつまでも一緒に居よう。君の透き通る白い肌と、青空と混ざる美しい髪を横目で見て、そう、思った。

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