メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
「古代エジプトのことば展、砂が繋いだメッセージ」
「ですか…ふむ、なかなか興味深いですね…」
バスで20分、徒歩3分。アルダンのトレーナーとなって以降、トレセン学園近郊の美術館、博物館にやたら詳しくなってしまった僕ではあるが、まさかこんな近くにこんな立派な博物館があったとは。思わずアルダンとまん丸の目を見合わせてしまう。
「トレーナーさん、今日の映画、何時からでした?」
「2時45分からだから、あと1時間半位は空いてるね」
「でしたら……」
「うん、見てみよっか?入口はあっちかな?」
「ふふっ、ありがとうございます♪」
そわり、そわり、と小さなオノマトペが見えてきそうな様子のアルダンを先導し、入口に向かう。これまで大小様々な博物館を見てきたが、それらと比べるとあまり格式張っていない、老若男女問わず入りやすそうな落ち着いた雰囲気の場所だった。
「大人1枚、学生1枚で」
「学生証の提示をお願いします」
「はい」
「お支払いは?」
「あ、一緒で」
千円札を2枚、手際よく差し出す。こういったやり取りも、初めは何かと手間取ることは多かったが、回数を重ねるうちにすっかりと口と指に馴染んで、もうアルダンが口を挟むことも少なくなってきた。
「いい雰囲気だね、ここ」
「ええ、思わぬ収穫でした。人も少ないみたいですし、落ち着いて見て回れそうです」
「うん、古代エジプト…だっけ?アルダン、詳しかったりする?」
「そうですねぇ…世界史はある程度広く浅く嗜んではおりますが…どうでしょう?まあ、知らなかった事を学ぶのも、こういった所の醍醐味ですので、ね?」
「うん、間違いない。楽しみだ。こっちが順路かな?」
アルダンと一言二言会話を弾ませながら、薄暗い通路をただ、進んでいく。やがて…開けた空間に出て、まず目に付いたのは、壁に張り出された、随分と達筆なメッセージ…誰かからの挨拶だろうか?
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今より三千年程前、彼らの文化は大きな時代のうねりと共に産声を上げました。
三千年前のエジプト人、と聞けば誰もがきっと、まるで計り知れない、自分達とは遠い遠い、ともすれば天上人のような、そんな人々のすがたを想像するでしょう。
私達がこの特別展を企画したのは、そんな彼らと、貴方達が、手を取り合える同じ人類であると、少しでも多くの人に知って欲しいと、そう、考えたからです。
彼らの使うことばが、形や文法、発声は違えど、我々と同じようなこころで発せられたものであると、そう、感じて欲しいと思ったからです。
我々と同じ人類が、三千年前に遺したことば、その一端だけでも、皆様のこころに残り、そしてまた、皆様のことばによって、次の時代にそのこころが受け継がれていくことを、強く願います。
国立 こころのたび古代博物館 館長
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「…………」
「…………」
じっくりと、一言一言、噛み締めるように、僕とアルダンはその文章を見つめる。一文字ずつ丁寧に、どこか雄大さを秘めたような筆文字で書かれたその言葉は、どこか僕の胸にも引っかかるものを感じる。
「なんだか、もう、ここに来れて良かった、なんて気がしますね…」
「うん…でもまだまだ、じっくりと見せて貰おうか、展示の方も」
「ええ、たっぷりと、拝見致しましょう」
僕達は少し背筋を伸ばし、展示スペースの方へと歩を進めた。じわじわと、展示品を照らす柔らかい光が、僕の目にも届き始める。
「わぁ……!」
「これは……凄いね……」
そうして、薄暗さにも慣れ始めた僕の目に飛び込んできたのは、古ぼけた石で出来た沢山のものたち、それは壁画のレプリカであったり、古代文字が並べられたレリーフであったり……それと、この特別展の特徴…と言っていいのかは分からないが、例えば石でできた酒を注ぐための小瓶や、例えば当時の人々が集まって座っていたと思しき机と椅子、例えば、調理するための鍋や柄杓……そういう、生活に根ざしたような…もっと言えば、僕らが普段使っているような道具とそう変わらないようなものが、沢山展示されていた。
「見てくださいトレーナーさん、この石版…」
「ん?なるほど、日本語訳がこっちに載ってるのか…なになに……」
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『今日の仕事は王の墓に使う石材の削り出し、しかし、仲間たちは皆、体調が優れないように見える。かく言う私もその1人だ。それもそのはず、昨晩は王の即位を祝う祝祭が開かれ、皆、酒とご馳走で大騒ぎであったからである。大きな事故など起こらなければ良いのだが……』
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「……だって、昔の人も二日酔いで仕事辛い…とか、あったんだ…」
「ふふふ、そういえばトレーナーさんも先日、なんだか1日顔色が優れない日がありましたね?」
「うっ…バレてたのかぁ…グランドライブの打ち合わせ終わりにね、スタッフの人達と同僚とで打ち上げ行っててさ…結構ね、イベントプロデューサーの人が飲む人だったんで、付き合ってたらまあ…」
「毎日顔を合わせているんですもの、それくらい分かりますよ?」
「あはは……」
…まさかバレていたとは思わず、少しばかり血の気が引いてしまう…が、なんだろうな、この感じ。
「…そっか、確かにおんなじだ」
「ええ、おんなじ、ですね」
「王の墓…ピラミッド、なんて、今見ればまるで神様が作ったみたいな雰囲気だけど、確かに、僕らとおんなじ人間が作ったんだなぁ……」
ぼんやりと、思いを馳せながら、目の前の石板をまじまじと凝視する。きっとこれを描いた人も、ピラミッド自体はともかく、こんなただの日記まで後世に残ってしまうなんて考えてはいなかったのだろう。ただ、間違いなく今、僕達はこの石板を目にしている。目にして、彼のこころに触れている。
「もしもアルダンがさ、ウマ娘界の歴史をめちゃくちゃ塗り替えるような大記録を打ち立てたとしたら、僕が書いてるトレーナー日誌とかも展示されちゃうのかな」
「ふふっ、されてしまうかもしれませんね?」
「マーブルチョコのオマケシールとか貼っちゃってるんだよなぁ…どうしよう…今からでも剥がしとこうかな…」
「剥がしてしまうのですか?あのシール、可愛くて結構気に入ってるのですが…」
「ええ…でもなんか恥ずかしいし…」
「それも含めて私達の歴史、でしょう?」
「僕達の歴史、か」
歴史…と言うにはまだまだ浅すぎる気もする…けれども、確かに積み重なっているものは、ある。それがたとえ取るに足らないようなものだろうと、やっぱり大切にしていかなきゃ、いけないんだろうな。
「それじゃあ、展示されるようになるまで頑張んないとなぁ…3000年後の人達に見られても、恥ずかしくないトレーナーにならなくちゃ」
「ふふ、そうですねぇ……本当に……」
「……アルダン?」
晴れやかなような、切なさなような、複雑な表情を浮かべながら、アルダンはまっすぐと前を見据えていた。目の前の石板じゃなく、もっともっと遠くを見つめるみたいに…
「…歴史に名を刻む、生きた証を遺す。たとえすぐに歴史の波に埋もれてしまう運命でも…そんな事を想いながら、ひたむきに、一心に、私はこれまで走ってきました」
「…うん、そうだね」
「勿論、それはこれからも変わりませんし、私は私の信じた道を、信じた人と歩んでいきたい…そう、思い続けています、けれども」
「……けれども?」
「…案外思っているよりも、私達の歴史というものは…しぶとく、埋もれずに残っていくのかもしれませんね?」
「…………確かに、ね」
改めて、この薄暗い部屋を見渡す。透明なケースに入れられていかにも大切なもののように扱われているが、その実、きっと作られた当時はどこにでもある取るに足らないようなものであったのだろう。でも、こんなもの達を見て、それでも感動を覚えている自分がいるのも、それもまた、確かな事だ。
「……僕達トレーナーは皆、ずっとずっと、未来まで語り継がれるようなウマ娘を育てるんだと、鼻息を荒くして毎日毎日トレーニングに明け暮れてるわけだけど…それこそ、未来永劫残るピラミッドを自分の手で一から作るんだ、ぐらいの覚悟でね?」
「ええ、分かっていますよ?」
「もちろん、歴史を変えるような大記録を叩き出すってのが、未来に名を残す一番確かな手段だし、トレーナーである以上それを目指す使命も義務もあると思うし、かく言う僕自身も、その部分においては絶対に妥協なんてしないって、神にだって誓える。だけど…」
「…はい」
「……だけど、それだけじゃない。とてつもない名声や武勇伝なんかない、ごくごく普通の人の歴史だって、色んな偶然や必然が重なって、残るものは残る。それは…なんだか凄く、救いになる…んじゃないかな、なんて」
「…救い、ですか」
そのまま、僕は再びアルダンの方へ顔を向ける。目線は変わらずまっすぐだが、その顔は、意外なまでに朗らかであった。
「目の前のレース、沢山のライバル達。勝っても負けても、それぞれの歴史の1ページにはなる。負けた方だってなにも残らない訳じゃないし、3000年後に誰の歴史が残っているのかは、わからない。だからこそ…」
「だからこそ…『今』に死力を尽くせる、ということなのでしょうね。勝っても負けても、そこで終わりではない。のであれば純粋に、『今』の自分自身が勝ちたいかどうか、その思いがすべてとなる…と…」
「これがもし、命懸けの戦いで負けた方は泡になって消える…とかだったら、そうはいかないんだろうね。本当に、つくづく幸せな世界に生まれたんだな、僕達は」
「ええ、良かったです…この世界に生まれて、そうしてトレーナーさんと出会えて、この場所に来る事が出来て…」
今、この瞬間に全てを賭ける。でもそれは、過去も未来も投げ捨てるのと同義では無い。いつか、この古代エジプトの名も無き人のように、僕らの歩みも遠い未来の誰かの糧になってくれたら、それはどれだけ素敵な事なのだろう。
アルダンの、アメジストのようなその美しい瞳がしっかりと僕を捉えた。なんとも柔らかな、何者にも囚われていないようなさっぱりとした笑顔に、思わず僕はたじろいでしまう。
「…ふふっ、それにしても、一つ目の展示からこんなにのんびり見てしまって、大丈夫なのでしょうか?」
「あ!えと…!時間…!時間は……」
「ふふふ、まだ余裕はありそうですね、焦らず、ゆっくり見て回りましょう?」
「…そうだね、焦る必要はない、ね?」
そうして、僕らは再び歩み出す。薄暗い廊下の先に向かって。その先に何が待っていようと、きっと、アルダンと二人ならば輝いて見えるはずだ。