メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
「それでは、行ってまいります、トレーナーさん」
「うん、行ってらっしゃい、アルダン」
ここのところレース続きのメジロアルダン。本人のやる気はもちろん申し分ないのであるが、それはそれこれはこれ、大事をとってこれより2週間ほどメジロの邸宅にて静養に専念することとなった。勿論のこと、僕は学園にておるすばんである。
「何か緊急の要件があれば、ご遠慮なく連絡してくださいね?」
「大丈夫、緊急の用事なんて死んでも起こさないから、安心して休んでていいよ?」
「あら、それは頼もしいですね?」
くすくすと笑みを浮かべるアルダン。相変わらずつま先程も隙を見せない彼女であるが……
「…………」
「……トレーナーさん?」
「あ、ううん、なんでもないよ?」
「…………」
……経験した事の無い、大舞台、体験した事の無い、ベテランウマ娘達の気迫。それらを一身に浴びながらのレース…自覚していようがいまいが、彼女にとって負担になっていない訳がない。だから、せめてこの休暇中は…トレセン学園のことも、トレーニングのことも……僕のことだって、レースに関わる全てのこととの関わりを絶つべきだろうと思う。頑張り屋の彼女だからこそ、これから少しでも長く走っていくための、敢えての、逃避。この休暇中は間違っても、それこそ死んでも、こちらの都合でアルダンを動かす訳にはいかないのだ。
「あ、それから……もしトレーナーさんが寂しくなってしまった時も、ご遠慮なく、連絡してよろしいですから、ね?」
「こらこら、大人をからかうんじゃないよ?」
「ふふふっ、ええ、申し訳ありません」
「全くもう……」
「それでは、また2週間後に……」
「うん、待ってるよ、アルダン」
相変わらず余裕を崩さないまま、アルダンはばあやさんの運転する車で去っていった。テールランプの光も見えなくなるまで見送った僕は……
「……ん!よしっ……と」
両頬を強く叩き、気合いを入れる。担当が休養に入ったとはいえ、トレーナーに休みなど許されない。むしろ、休養明け、2週間のブランクのあるアルダンが、スムーズにトレーニングに戻れるように、やれる事はひとつも取りこぼす訳にはいかないのだ。寂しさなど、感じている暇などない、全てはアルダンのため…今日もまた、僕はデスクに齧り付くのであった。
そうして…時は流れて……
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「……あ、アルダン、ちょっとこのトレーニング計画なんだけど……あっ」
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「アルダン!隣町の美術館、次の企画展の内容見た!?……あっ」
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「アルダン、綿棒のストックってどこに……」
「……………………」
「……………………………………」
…………寂しくなんてない、寂しくなんてない、寂しくなんて……
「……はあ」
ふと、デスクの隅、卓上カレンダーを見つめていた。アルダンが出発してから3日。寂しくはない、ないのであるが……
「案外、暇だな……」
気持ちが昂り過ぎた僕は、おおよそ2週間分の仕事を一晩で終わらせてしまったのである。おかげで今、やることが無い。日課にしているトレーナー日誌も、窓の外、秋空を自由に飛ぶスズメの数ぐらいしか書くことがない。猫に小判、豚に真珠と、僕に暇。
「あっ、五七五」
……見ての通りの暇さ加減である。字余りであることにすら気づかない。暇潰しがてらレース場の視察にでも行くか?いや、こんなド平日の真昼間に行ったところで人っ子一人いないのがオチである。
「……アルダンがいたらなぁ……」
…別に、寂しい訳ではないが、僕は机に突っ伏したまま、携帯の小さな画面を見つめていた。午後1時18分、ホーム画面の、アルダンがくれた写真の中、猫カフェの猫(名前:みみこ)と目が合い、ぼんやりと考え込む。アルダンと出会ってから、一体何回目の秋、なのだろうな。随分と沢山の所に行った。美術館に猫カフェ、カラオケにも行ったし…アルダンと出会ってからは本当に、退屈知らずだった。それは、間違いない。
…彼女がいないのに、逆に彼女のことばかり考えてしまう。トレーナーの鑑、というより単に僕の問題なのだが。これではまるで…僕は、彼女のことが……
ピロン
<[お疲れ様です、トレーナーさん]
ピロン
<[そちらはお変わりないですか?]
「……!!!」
通知音に合わせて、大袈裟に高鳴る心音。まるで見透かされているように届いたメッセージに、慌てて僕は携帯を床に落としてしまう。
「全く、もう……」
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[うん、変わりないよ、大丈夫]>
[アルダンはどう?ちゃんと休めてる?]>
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ちょっとだけフィルムが欠けてしまったことも気にとめず、僕はすぐさまメッセージを返す。レースに関わる全てのこととの関わりを絶つべき…とはいえ、向こうから来たメッセージまで無視してしまうのは、かえって心配をかけてしまう。これは例外、これは不可抗力…などと、誰も見ていないのに、妙な言い訳を心の中で作り出してしまう。
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<[ええ、ゆっくりできていますよ]
<[庭の紅葉がとても綺麗でしたので、トレーナーさんにも見て欲しくて]
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同時に送られてきたのは、美しい庭園に佇む、一本の紅葉の木。凝り性の彼女らしい、画角もライティングもこだわった芸術的な1枚である。
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[凄い]>
[本当に本当に綺麗だ]>
<[そうでしょう?]
[紅葉もそうだけど、写真自体が凄く綺麗だね?]>
[プロの写真家みたいだ]>
[かなり気合い入れて撮ったんでしょ?]>
<[お分かりですか?流石トレーナーさん]
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ポン、と可愛らしい音を立てながら、メッセージと続けざまにデフォルメされた猫のスタンプが送られてきた。アルダンもスタンプなんて使うんだな……なんて、些細なことで少し口元が緩んでしまう。
しかし、そういえば。アルダンとこうして携帯でたわいもないやり取りをすることは、今まで無かったかもしれない。こういう話はいつだって、直接顔を合わせてできていたからである。こうして携帯を介さなければ世間話もできないのは……なんだかとても、もどかしかった。
ピロン
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<[トレーナーさんは、今、何をしてますか?]
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「…………ええ、と…」
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[いつも通りの仕事だよ?]>
[ごめんね、特に面白い話はないなぁ…]>
<[そうでしたか…]
<[無理はしていませんか?]
[全然大丈夫だよ!]>
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……なんて、小さな嘘をつく。なんだかバツが悪くなり、暫し携帯の画面から目を逸らした。やる気が空回りして、徹夜したなんて聞いたら、アルダン、怒るんだろうなあ…
ピロン
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<[寂しかったりは、しませんか?]
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「…………………………」
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[大人をからかわないの]>
[寂しくなんてないよ]>
<[そうですよね、ごめんなさい]
<[お仕事、頑張ってくださいね?]
[うん、アルダンもゆっくり休んでね?]>
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「……はぁ」
通知音も消え、再び部屋に静寂が戻ってくる。ようやくフィルムが割れていることに気づいて、その場で少し、項垂れた。
「……ちょっと、冷たかったかなぁ…」
……ふつふつと、頭の中に流れるのは…後悔…なのだろうか、この気持ちは。
[寂しくなんてないよ]
自分で送信したはずの言葉が、なぜだか自分の胸に突き刺さる。アルダンには、自分の事など気にせずに休暇を楽しんで欲しい。その気持ちには嘘偽りなどない。ない…はずなのだが、なぜだか胸に引っかかるものが、確かに、あった。
机に突っ伏したまま、再び、携帯のホーム画面をじっと覗き見る。午後2時7分、僕が最後にメッセージを送ってから、もう10分が経とうとしている。こんな気持ちは割り切って、仕事に集中しよう…としても、その仕事がないのでは、どうしようも、ない、ので、あった。
「………ん、ぁあああぁぁぁ……」
「…………やっぱり、僕」
ブーッブーッブーッブーッ
『メジロアルダン』
『応答』 『拒否』
「……!?」
ピッ
「あ、アルダン!?どうしたの!?何かあった!?」
『………………………』
「……アルダン?」
『……ふふっ、やっぱり、寂しくないなんて、嘘じゃないですか?』
「……あ……」
……思わず通知が来た瞬間、電話に出てしまった僕を見透かすように、天使のような彼女の笑い声が受話器越しに耳に響いてくる。甘く、耳触りの良い落ち着いたその声に、3日ぶりに届いたその声に、凝り固まっていた僕の心は、いとも簡単に溶かされてしまう。
「…………うん、そうだね、寂しい、寂しいよ、アルダン」
『ふふっ、そうでしょうね?分かっていますよ?』
「ごめんね、さっきは素っ気なくしちゃって、アルダンにはこっちのこと何も気にせずに、休んで欲しかったんだ」
『それも、分かっています。トレーナーさんがどれだけお優しいのかは、誰よりも分かっているつもりですので♪』
…そうか、そうか。僕、寂しかったんだな。言葉にすればなんて呆気ないものか、僕は思わず天を仰ぎ見る。爽やかな秋晴れの雲ひとつない空模様が、先程よりもずっとずっと広く感じた。
「かえって心配、かけさせちゃったかな、本当に、ごめんね」
『ええ、それと……それと、ですね』
「……?」
『…わ、私だって…トレーナーさんがいなくって、さ、寂しいと、思って、います、よ?』
「………………………………」
『…………な、何か、喋ってくれませんか?』
「あ、いや、ふふ、ごめんね?なんか…うん、凄く、凄く嬉しくって…」
……これは…ちょっとやばいな…絞り出すようなアルダンのそんな言葉を聞いてしまえば、流石に、流石に素面ではいられない。ビデオ通話じゃなくって、本当に良かった。
『…トレーナーさんだって、お仕事忙しいかと思いまして…言い出せなかったんです…ごめんなさい…』
「……うん、こちらこそごめん。仕事してるって、それも嘘。本当はアルダンいないからやることなくて、めっ…ちゃくちゃ暇だったよ」
『……本当ですか?』
「うん、ほんと、暇すぎて窓の外のスズメなんか数えてたぐらい、あ、ちょうど今12羽目が飛んで行ったよ」
『………ふふっ、どうやら本当みたいですね?』
今までの陰鬱した気持ちはどこへやら、すっかりといつも通りの調子で、僕とアルダンは話をしていた。本当に、彼女には敵わないと、心の底から思う。ただこうして話をしているだけでこんなにも明るい気持ちにさせてくれるのは、僕の人生後にも先にも、彼女くらいだろう。今回!少しだけすれ違ってしまったけど、これからは、もっと、もっと大切にしてあげたいと、心から、そう思う。
『…私、これから絵でも描こうかなと、思っていたのです』
「絵を?」
『ええ、せっかく時間があるのですから、久々に本気で描いてみようかな…なんて思いましてですね?』
「へぇ、凄い……アルダンの描く絵なんて、絶対上手いんだろうなぁ」
『ふふ、姉様にはまだまだ及びませんけどね?それで…トレーナーさん?』
「ん?なあに?」
『……よろしければ、私が描いている間、お話相手になっていただきたいのですが…いかがでしょう?』
「……ふふ、うん、もちろん。何時間でも付き合うよ?」
『ふふ、ありがとうございます♪』
「それと…そうだなあ、一個僕からもお願いがあって…」
『はい?なんでしょう?』
「…やっぱり電話だけじゃ寂しいからさ、週末、直接会いに行きたいんだけど…大丈夫?」
『…………ええ、もちろん…!それでは、何としても週末までに、この絵は完成させなければ、ですね?』
「うん、楽しみにしてるよ?アルダン?」
……週末、片道2時間かけてメジロの邸宅にやってきた僕を出迎えてくれたのは、暖かい陽の光のように輝くアルダンの笑顔と、愛らしい子猫が描かれた、小さな油絵だった。