メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
『必勝♡カレンの恋愛お悩み攻略バイブル♡』
「……1,200円+税、なんだ」
ぼんやりと、手に持った本のカバーをぐるぐると見回す。なかなかショッキングなピンクで彩られた、それなりの分厚さを誇るこの本。つい先程、トレーナー朝礼の場で1人のトレーナーが配り歩いていたものである。なんでも来月刊行される、担当ウマ娘が書いた本の見本誌がどっさりと届いたので、是非とも読んで、さらに周りの人間にも勧めて欲しい、とのことらしい。知り合いでなければ通報していたところである。
『Q.相手が髪型を変えた時は?』
『A.感想は鮮度が命!気づいた瞬間相手の目を見て、きちんと真っ直ぐに褒めてあげましょう!』
「……………」
とはいえ、せっかく貰ったものだし、と、数ページペラペラと目を通してみる。中高生向けらしい可愛らしいフォントに装丁、なんというか、成人済み男性が部屋で一人読んでいるのは、別に誰に見られているわけではないが途方もなく恥ずかしい。やはり丁重にお返ししようと、僕はページを畳ん……
「……………………………………」
……いや、しかし、そうだな。中高生、いや、さらにその下の年代にまで理解できるように最大限配慮されたポップな文体で書かれてはいるが、その実間違いなく人間の深層心理への深い理解のもと執筆されている事が、文章だけでも見て取れる。恋愛お悩み攻略バイブル♡などと銘打たれてはいるが、ある種、心理学の入門書と言っても差し支えない濃密な内容である。
その時、ふと閃いた!
このアイディアはメジロアルダンとの
トレーニングに………
……は、流石に活かせそうもないが、しかし、教養として読み込んでおくのもそう悪くないだろう。僕は1ページ、もう1ページと、じっくりページを捲っていった。
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あれから、どれくらい時間が経ったのだろう。いつの間にか差し込んでいた鮮烈な西日が、トレーナー室を赤く照らしていた。
「……………っ!」
僕は手に持った本をそっと閉じ、目を瞑って、暫し天を仰ぐ。知らなかった。若者のカリスマ、トップインフルエンサーなどと持て囃され、ともすれば情熱、信念なんて言葉とはまるで縁遠いと思っていた彼女に、あれ程まで燃え盛るような熱い思いがあった…などとは…僕の頬にも、そっと熱いものが流れ落ちていく。そして大いに反省する、人も、本も、外見だけで理解した気になってはいけない、大切なのはその『本質』なのである。20年以上も生きてきて、今になってそんな事を教えて貰えるとは思わなかった。ただただ、今は、彼女に感謝である。
「…………………」
『是非とも、この本のご意見、ご感想をお聞かせ下さい』
いても立っても居られず、僕は付属のハガキに自らの思いをしたため始めた。決して抽選のギフトカード目的ではなく、この気持ちを、なにか形として残しておきたかったからだ。それにしても…今はアルダンの事でいっぱいいっぱいで、恋愛の事なんか考える暇はないけど…そうでないとしても……
「お疲れ様です、トレーナーさん」
……トレーナー室に突然響いたその透き通るような声に、一旦指と思考を止める。何度聴いても聞き飽きないその声の持ち主は、何を隠そう、僕の担当ウマ娘、メジロアルダンである。早速僕も、いつも通りに返事を返す。
「ああ、アルダンこそお疲れさ……」
「……ふふふっ?」
…違う、普段と、髪型か。目に飛び込んできた情報をなんとか整理する。普段はふんわりと自由に下ろしているその絹糸のような美しい髪だが、今日は…その豊かに貯えた髪を編み込んで、後ろ髪で大きな三つ編みをひとつ、作り出している。ぎゅっと束ねられたその水色の流線1本1本が、窓から差し込む西日に照らされ、普段とは違う、特別優雅な光をその身に纏わせており、まるで高名な絵画に描かれた貴婦人の如く、その姿は直視するのもはばかられるほど、神秘的な美しさを放っていた。
『Q.相手が髪型を変えた時は?』
『A.感想は鮮度が命!気づいた瞬間相手の目を見て、きちんと真っ直ぐに褒めてあげましょう!』
「……………………」
「気づきましたか?先程ここに来る途中、イクノさん達の会合に少しだけお邪魔しまして…なんでも、1度ボリュームのある髪で三つ編みを作って見たかったと…トレーナーさん?」
「……ああ、凄く…凄く似合ってるよ、アルダン」
「……!!」
「凄く綺麗だ、途方もなく美しい、まるで…そうだな、ライン川を流れる清水みたいに、美しく澄みわたって…」
「あ…あの、トレーナーさん?」
「ん?」
「いえ、その…そこまで言われると恥ずかしいというか…凄くこそばゆいというか…」
「あ、そう?ごめんね?」
…珍しくこちらから目を逸らして、何とも居心地の悪そうな顔を浮かべるアルダン。その姿もまた絵になるが、はて、今一つどういう気持ちなのか、汲み取ることが出来ない。
「とにかく、うん、凄く似合ってるよ、とってもね?」
「あ、ありがとうございます……」
「ま、立ち話もなんだから、とりあえず座って座って?ええと、飲み物飲み物……」
「あ、そうですね…失礼致します…」
アルダンを部屋に招き入れ、紅茶の缶を取り出す。アルダンが最近のお気に入りとの事で買ってきたものだ。
「そういえば、今日はなんでまたトレーナー室に?今日は休息日なんだから、友達とかと出かけたりしたらいいのに?」
「本日は皆様トレーニングで…それに、何となくトレーナーさんとお話したいなと思ってですね……」
「……なるほど…」
……87ページ、6行目
『相手と会話が弾まないなー…と思った時は、無理やりにでもこっちから話を振ってあげること!』
……51ページ、2行目
『相手と会ったらまず、自分も会いたかった事をアピールしてドキドキさせちゃおう!』
「僕も……」
「?」
「僕も、凄く会いたかったよ、アルダン」
「……!?」
「アルダンと話してると、凄く癒されるからさ、毎日でも会いたいと、思う」
「え…ええと…それは、どういう意味で…」
「……………」
……133ページ、10行目
『時には小悪魔仕草で、相手を惑わせちゃお♡』
「……さあ?どういう意味、だろうね?」
「……えと……」
「…………………」
「…………トレーナー、さん?」
「うん?」
「今度は、何を読んだのですか?」
「………………」
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「ふむふむ……なるほど……」
上品な仕草で、紅茶に口をつけながら。アルダンは机のど真ん中に鎮座した、ショッキングピンクで彩られた本をまじまじと見つめていた。
「……ふふっ、流石にこれは予想外でした。どなたか、意中の方でもおられるのですか?」
「そういう訳では、ないです、はい……」
薄れ消えていた羞恥心が、爆速で走り戻ってくる。夢中になってこういう本を読んでいたのが、またよりによってアルダンに知られた上に、色々と試してみたのが、ピクリとも効いていなかったことが分かって……穴があったら、今すぐ埋葬されたい気分である。
「ほら僕、人とのコミュニケーションとかあんまり得意じゃないからさ、何かしら参考になればと思って…あとそれ、貰い物だし……」
「ふふ、残念です。恋バナ…というものができるかと思ったのですが…」
目の前の本を手に取って、パラパラと軽く目を通すアルダン。しきりに頷いたり、少しだけ目を凝らしたり、なんか…別に僕が書いた訳でもないが、なんとなく緊張するというか……
「……確かに、いい本ですね…筆者の思いがこもった、情熱的な文章です」
「あ、や、やっぱり?そうだよね?」
「ええ、『本は』素晴らしいです…ただ……トレーナーさんの読み込みの方が、些か浅かったみたいですね?」
「……?」
うっすらとした笑みを浮かべながら、アルダンが指さしたのは、冒頭3ページ目の3行目……
『初めにお伝えしたいのは…この本でできるのはアドバイスだけ、ほんとに大切なのは…あなた自身の純粋な気持ちと素直な言葉、です♡』
「……ね?」
「……は…ははは……」
綺麗に一本取られたなぁ…とほほ…といった表情で、マグカップ一杯のコーヒーを啜る僕……人生みたいな苦味が、鼻の奥の奥まで染み渡っていった……
「ふふふふ…それにしても…ふむ…」
「……やっぱりいいよね?その本?」
「ええ、これは……とっ…ても…参考になりますね?」
「ははは…え?まさか…アルダンの方こそ、そういう人が?」
「ふふ……さあ?どうでしょう?」
「……!?」
「ふむふむ、これが小悪魔仕草、確かに有効みたいですね?」
「も…もう僕より使いこなしてる……」
「ふふふ、さ、気を取り直したのならお散歩にでも行きませんか?今日はいい天気ですよ?」
「ん、それはいいね?待って?今準備するから……あ…」
「はい?どうされました?」
「ちゃんと真面目に言ってなかったね、その髪型、ほんとに似合ってるよ、時々でいいから、これからも見たいなぁ」
「………………ふふっ、まあ、たまには、ですね?」
ちなみに…『必勝♡カレンの恋愛お悩み攻略バイブル♡』は発売後即重版決定、合計で300万部を超えるベストセラーになるのであった…のは、また別のお話……