メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
「あ、猫だ」
「あら、珍しいですね、こんな所に…」
昼下がり、時計はそろそろ13時を指して、穏やかな風かなんとも心地よい春のこと。僕とアルダンは学園から2駅程離れた、馴染みのカフェのテラスでこれまたなんとも他愛もない話に興じていた。
「ふふ…見てください、あんなに大きな欠伸…」
「ほんとだ、あの子もランチ後で眠たいんだろうねぇ」
白地に、ちょっと不可思議な黒縁模様。ちょうど僕の両腕にすっぽりと収まりそうな程の大きな毛玉が、街路樹の木陰で微睡んでいる。随分と人馴れしているようだ、駆け抜けていくサラリーマンの足音にも、横一列に並んで走る自転車の群れにもまるで動じる気配もない。
「そういえばアルダンって、動物、好きだっけ?」
「ええ、もちろん…幼い頃はよく図鑑を見て本物の感触を想像したり……鳴き声の真似を練習したりもしてたんですよ?」
「へえ、それは…是非とも聞いてみたいな?」
「ふふふ…機会があれば、ですね?」
ふてぶてしく転がる絨毯のような毛並みに向けていた目線を、そっとアルダンの方に傾けた。軽く流されてしまったけど、まあいいや、唇に触れたコーヒーの苦味が、じんわりと五臓六腑に染み渡っていく。
「トレーナーさんは?動物、お好きですか?」
「んー……もちろん好きだけど、あんまり好かれなくってね…」
「あら、意外…トレーナーさんとっても面倒見が良いので……昔、ペットでも飼っていたのかな、と思っていたのですが…」
「ペットねぇ…うーん…強いて言うなら、カブトムシとクワガタを飼ってたなあ、小学校の頃流行ってたんだよね、カブトとクワガタが戦うゲーム、鍛えて強くしようと思って、1匹ずつさ?」
「へぇ…その頃からトレーナーさんはトレーナーさんだったのですね?」
「いや……なんか2匹とも大人しくって……全然戦わないの、めちゃくちゃ仲良しで、エサだって綺麗に半分こ」
「ふふふっ…流石トレーナーさんですね…なんだか分かります、貴方に育てられたら、なんだって穏やかに育ちますよ、きっと」
「そう…かなぁ…?」
アルダンにあれこれと訊ねられ、ぼんやりと過去に思いを馳せる。小学1年生の頃だったかな…懐かしいな、フリーダムとジャスティス……フリーダムの方が先に死んじゃって…なんだか、それからジャスティスも心做しか寂しそうで……
「トレーナーさん?」
「…んっ?ああ…ごめんごめん…」
「……ハンカチ、使います?」
「いや、大丈夫だよ、ほんと、大丈夫」
「……ふふっ、トレーナーさんのそういう所、素敵だと思いますよ?」
「え?な…何の話?」
「そういう話、です♪」
相変わらず…アルダンの前ではカッコつかないなぁ…カップ中のコーヒーを一気に飲み干し、渋みで目頭を無理やり引き締める。
「あ、アルダンは?なにかペット飼ってた?」
「私ですか?そうですねえ…自分ではありませんが、メジロの本邸には犬がいましたね、グレート・ピレニースという犬種で…知ってます?グレート・ピレニース、可愛いんですよ?」
「ああ、あのフランス原産の大きくて白い子でしょ?いいよね、名前かっこいいし」
「ふふ、流石トレーナーさん。ええ、とっても可愛かったんです、私は……あまり外で遊べなかったもので、窓から見かけるばかりでしたが……パーマーにはよく懐いていましたね、あの子、動物にも真っ直ぐコミュニケーションで……」
「あはは……なんだか目に浮かぶなぁ……」
「ふたりでずぶ濡れになって帰ってきた事もありましたね…ばあやに思い切り叱られて…結局理由は聞けずじまいでしたけど、今度聞いてみようかしら?」
口元に手を置き、くすくすと小さく笑みを浮かべるアルダン。その顔はなんだか、いつもより更に大人びて感じた。
「羨ましかった、んだね?」
「……!」
得てして、そう感じた時は大抵、彼女自身が『大人でいよう』としている時。最近ようやく分かってきた、彼女自身も気づかない、彼女自身の心の声。
「……ふふ、言う通りです。ええ、私も彼女のように、もっと沢山…絵や写真じゃない、本物の彼らと友達になってみたかった……野山を駆け回ったり、原っぱで昼寝したり…たまにやりすぎて怒られたり……今でも、時々思います」
「まだまだ、遅くはないよ」
「トレーナーさん……?」
「いや、ね、確かにあの頃の野山も原っぱももう近くには無いけどさ…まあ、今は今の楽しみ方だって、きっとあるはずだ……ごちそうさま……ん、よいしょっ……」
コーヒーカップに手を合わせ、席を立ち、軽く伸びをする。辺りを見渡してみたが、さっき見た毛糸玉はいつの間にかすっかり姿を消していた。
「寄り道でもしよっか、アルダン」
「……ふふ、どちらへ連れて行ってくれるのですか?」
「さあねぇ…軽くアタリは付けてるんだけど…ぶっちゃけ僕も初めて行くとこだから、あんまり期待しないでね?」
「分かりました……たっぷりと、期待させていただきますね?」
「まったく、敵わないなあ……」
「わぁ…………!!」
「これはこれは…………」
ドアを開けた、途端に広がる魑魅魍魎。もとい、大小様々な獣の群れ。これは……これはまあ、なんという天国、いや、ある意味地獄…だろうか……?
「いらっしゃいませー、お二人、でよろしいでしょうか?」
「ああ、はい、大人ひとりに、学生ひとり」
「お時間どうされますかー?」
「じゃあこの、1時間パック、ドリンクバー付き……くらいでいいかな?」
「ええ、もちろん」
「承知しましたー、ご案内致しますのでお待ちくださいー」
「……ふふっ、予習は完璧……みたいですね?」
「い、いやいや…これぐらい普通だよ?」
嘘である。かれこれ3ヶ月ほど前に店を見つけ、誘うタイミングを逃しつつたっぷりと下調べを行っていた僕であった。コースの内容、席数、間取り、ドリンクバーの種類まで網羅済みだ。
「『猫カフェ』…ふふ……噂には聞いておりましたが、これはなかな……きゃっ!」
「うわっ!わっ!?えっ!?」
「あ、お足元ご注意くださいねー」
一歩、足を踏み入れた途端にわらわらと…まるで一面高級絨毯を敷かれた邸宅のような光景である。ちなみに、アルダンの方に寄って言ったのが右からあずき、ショコラ、もち丸、豆吉。僕の方は右からみかん、みみこである。
「それではごゆっくりー」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………………」
「………………あっ、の…飲み物、何か取ってこようか?」
「あっ…!あ!いえっ!お気になさらず!」
「……ふふ、やっぱり、見入っちゃうよね?」
「ええ…とても愛らしい…ふふ…ふふふ…」
足元に佇む2匹の猫達に、じっくりとその宝石のように輝く瞳を向けるアルダン。先程までの大人びた面影はどこへやら、すっかりと年頃の学生らしい、華やかな笑顔に変わっていた。
「撫でてもいいんだよ?抱っこしてもね?」
「あら…では御遠慮なく……」
ミャー…
「ふんふんふん…ふーん……ふふふっ…んー…?」
「………………」
「んー?ふふふっ…あなたはー…みかん、ちゃん?ふふっ……みかんちゃーん…んー?」
「………………」
「ふーん…かわいいですねー…ふふっ…んー…」
「…………………」
「……あの、トレーナーさん?その…あ…あまりじっと見ないで頂けると…有難いのですが……」
「……えっ?あっ…あ…ごめん……」
…………気絶する所だった。危ない…危ない…
「と、いうよりですね?トレーナーさんはいつまでただ座ってるだけなのですか?」
「え?」
「もったいない、ですよ?せっかくお金を払って来てるのに……許しませんからね?私、そういうことは?」
「……えーと、うーん?でもほら僕、動物にあんま好かれないし…嫌じゃない?ほら、猫側にとってもさ……」
「もう……足元、見てください?」
ゴロロロロロ……
「あ、あはは……」
言われる前から分かっていた…入店してからこの方、やたらと僕の足に頬を擦り付けてくるグレーの縞模様が眩しいあの子……みみこ(メス/2歳)の事は…全く…どうしてアルダンではなく僕の方に…?さっぱり気持ちが分からないなぁ……
「私には、トレーナーさんに撫でられたがってるように見えますよ?」
「いやー…はは…何でだろうねぇ?あ、アルダン?この子も……」
「トレーナー、さん?」
「あっ…アルダン……」
「怖い、のですね?無理やり触って、怪我でもさせたら……と、いったところでしょうか?」
「……ははは、ほんとに敵わないなぁ……」
苦めの顔で、アルダンに向き直る。昔から……そうだ、フリーダムを死なせてしまった頃からだったか…何となく、生き物に触れるのが、怖くなってしまった。
「暖かくて柔らかいものって、なんか、こわいんだよね。この薄い皮膚の下には血が通ってるわけで、もし万が一僕が強い力で押し潰してしまったり、爪を立ててしまったり……そういうことをしてしまったら…なんてね……」
「ふむふむ…」
「いや…自分でも臆病過ぎるとは思うんだけどね…なんか…どうしても…ね…」
「ふふふっ……」
「な……何?」
「あ、いえいえ…とってもトレーナーさんらしいな……と思って……」
真っ直ぐに僕を見つめて、アルダンはにんまりとした笑顔を浮かべる。まるで幼い弟を見守るような目線で、バツの悪くなった僕は咄嗟に視線を自分の足元に移した。
「臆病…なんて思いませんよ?その慎重さに何度も助けられてきましたから……それに、その慎重さ、トレーナーさんの優しさから来てることも、分かってます」
「あ……アルダン……」
「でもですね、トレーナーさん。それでも私は、トレーナーさんにもこの温もりを体感して欲しいのです。私は…今日初めて、膝に座る猫さんの感触を知りました。本やモニターのつるつるとした冷たい感触ではない、今、ここで息をしている、とても愛らしい感触を……」
「あ……ちょっと、アルダン…」
ミャーン?
「……ふふふっ、抜け駆けなんて、したくないですから、ね?」
「ひゃう!?」
アルダンはそっと席から立ち上がり、僕の足元に佇むみみこ(出身:神奈川県/好物:ささみ)をなんとも優しい手つきで持ち上げ、そし…そして僕のひ…膝の……上に……!
「ひぃーっ……!ちょ…!アルダン…!いきなり…!」
「よーく観察して下さい?この子が、どうして欲しいのか、どうして欲しくないのか……いつも、トレーナーさんが私にしてくれている事と、おんなじですよ?」
「アルダンに……してること……?」
「ええ、いつも私の身体の不調や悩みに気づいてくれるのも、状況に合わせたレースの戦術を組み立ててくれるのも、練習後の丁寧なマッサージも……全て、私の事をよく見てくれているから、できることでしょう?」
「……うん、もちろん、君のことは誰よりも良く見てるよ」
「それと、おんなじ…この子の事も見てあげて下さい?うふふ…得意でしょう?トレーナーさん?」
「………………」
よく、見る。観察して、考察する。他ならるアルダンと僕が何度も何度も、繰り返してきた事……
「……この子、珍しい目をしてるなあ…薄い紫色で、あんまり見たことないや」
「あら本当…とっても綺麗……」
「うん……本当に……」
…じわじわと、分かってきた、初めて触れる人間にも物怖じしない、その知性的な振る舞いと品格。じっと僕の方を見ていたのは、向こうもまた僕を観察しているのだろう。好奇心も旺盛みたいだ。おまけにこの……この澄んだ美しい瞳……なんだかまるで……
「…………ん……」
ミャーン……
「……ふふ…いかがですか?」
「…うん、あったかい、あったかくて……すごく……いい…ね……」
「…ふふ、そうでしょう?可愛いですよね?」
「はは…なんか店員さんみたいな言い方だね?」
「アルバイトでもさせて頂こうかしら?」
かき分ける豊かな毛並みと香ばしい香りが、確かな『生命』を感じさせる。僕は、いつも通り柔らかく、柔らかく、柔らかく、彼女の背にマッサージをした。小さい吐息が、僕の太腿を撫でる。
「ありがとね、アルダン。君がいなきゃ、僕は一生この温もりを知らなかった、本当に、凄い人だ、君は」
「……それは、こちらのセリフですよ、トレーナーさん。貴方がいなければ、私だってこの温もりを……いいえ、それだけじゃない。ターフで香る芝の香りも、カフェでいただくコーヒーの苦味も……勝利の高揚感だって、何一つ、味わえなかった」
「………………」
それだって僕も……と、言いかけて、そっと口を閉じた。このままではいたちごっこだ。代わりに僕は、そっと彼女の瞳を見つめた。薄い紫色の、澄んだ美しい瞳だ。
「それにしても……本当に可愛いですね、この子…よーしよし…いい子ですねぇ……」
「…………」
「ふふふっ…しっぽが短いのね…可愛い…どこが気持ちいいんですかー?」
「…………」
僕の膝で微睡むみみこ(品種:マンチカン/座右の銘: 鶏口となるも牛後となるなかれ )にすっかり夢中になるアルダン。しかし…やっぱり…慣れないな……彼女は…なんというか、容姿端麗な子が多いウマ娘の中でも、一際飛び抜けてるように思える……親バカ的な感覚かもしれないけど……特にこの、落ち着いた雰囲気を醸し出してるからこそ目立たない、少しあどけなさが残る目鼻立ちとか、骨格のバランスの良さからくるシャープな顎のラインとか、あと、いつ何時でも艶のある、まるで森林から湧き出る清水のように流れる薄水色の美しい髪とか……やっぱり、どうみたって……
「……本当に、可愛いな……」
「え?」
「え?あ……」
「……ふふふっ…!珍しいですね、トレーナーさんがそんなに素直に気持ちを話してくれるだなんて!」
「あー……いやー……これはそのー……」
「ねー?可愛いんですって?よかったですねえ〜?」
ミャーン!!
「……あれ?」
「ふふふっ!ほーら、もっともっとこのお兄さんに、可愛がってもらいましょうね〜?」
「……はは…うん、そだね……」
「あ、あそこにおやつが売ってありますね?何が好きなのかしら…この子…」
「ああ、みみこちゃんならあのささみスティックかな?みかんちゃんにはあのカリカリと……あとは……」
「…………やっぱり、予習は完璧ですね?」
「まあまあ……これぐらいは……ね?」