メジロアルダン短編集『to the MEJIRO ARDAN』 作:いずさわ
『さあ!トレセン学園球技大会、ウマ・ベースボールの部決勝戦も気付けば九回の表!この熱い戦いも、名残惜しいですがいよいよクライマックスです!』
ノイズ混じりの実況音声が、カンカン照りのグラウンドに猛々しく鳴り響く。フェンス越しの眼前にて繰り広げられるかつて類を見ない程の激闘、僕はその様を、ただひたすら黙々と視据えていた。
『チームキタサン対チームヤエノ、ただいまのスコアは68-58!キャプテン、ヤエノムテキの大奮闘で失点こそ最小限に抑えているチームヤエノですが、しかしチームキタサンの剛腕ピッチャーシュヴァルグラン、彼女から点をもぎ取ることは叶わず、気付けば五回の裏から追加点無し!この最終回に全てがかかっているが……?』
「……せいやぁああああああっ!!!」
「っ……ストラィッ!バッターアウッ!」
「押忍っ!おぉぉぉすっ!」
『おおっと!ここでキャプテンヤエノムテキ吠える!この窮地で更に洗練された完璧なピッチングを魅せ、九回の表は無失点に抑えました!』
「あらあら〜、さっすがヤエノちゃんですね〜?さ、頑張ったご褒美に、私が抱っこしてあげますよ〜♡」
「うわっ!や、やめてくださいクリークさん、こんな人前で!」
『おおーっと!ここでキャッチャースーパークリーク、ヤエノムテキを抱っこして、よしよしまでし始めたーっ!我々は何を見せられているのでしょうか!スタジアム中が、甘い雰囲気に包まれます!』
「なぁ、やっぱクリークのやつ妙に上機嫌だよな今日?なんかあったのか?」
「ええ、なんでもキャッチャーに……すなわちチームの『女房役』に選ばれたのが、ものすごく嬉しかったそうで……」
「ああ、そういう……」
──────────────
「ああー!おっしぃ〜!でもでも大丈夫だよね?九回の裏で、10点も差があるんだもんね〜?ね、お姉ちゃん?」
「………………」
「……おねーちゃんー?」
「あ、え、ええそうね?普通なら、なかなかひっくり返らない差ですもの。そう、普通、なら……」
「……………………」
この試合、恐らく最後の攻守交替。なんだか既に祝勝ムードで各々の守備位置に向かうチームキタサンの面々。その中で僕が相変わらずこの両の眼で視据えていたのは、もちろん……ただ一人鬼気迫る表情を崩さないままバッターボックスへ睨みを効かせる、ピッチャー、シュヴァルグランの姿であった。
『さあ、泣いても笑ってもこれが最後のチャンスですチームヤエノ!ここで打順が回ってきたのは……一番、ピッチャー、ヤエノムテキ!キャプテンの登場です!』
「っ、ふぅーーーーっ……」
「うふふ、頑張ってくださいねヤエノちゃん?帰ってきたらまたよしよししてあげますからね〜?」
「それはいいけどよぉ、大丈夫なのか?オグリのヤツは?」
「あ……オグリちゃん……」
「……シュヴァル、グラン」
『一つ気になるのは、オグリキャップの様子ですかね?五回裏の大当たりをピッチャーフライに沈められてからというものの、やや浮かない表情の彼女。七回裏の打席では、今までの活躍が夢か幻かのようにすんなりと三振を取られてしまっております』
「うーん、ねえねえ二人とも?オグリキャップさん、調子悪いのかなぁ〜?どこか身体痛めちゃったとか?」
「いや、そういう物理的な不調って感じじゃ無さそうだね?」
「恐らく彼女、今まではとにかく遠くに打てばいいと思っていたところに、『打っても捕られる』可能性に気付いてしまった……それで、困っているのではないかしら?」
「打ってもアウト、打たなくてもアウト。そんな初めての状況への打開策が、まだ思いつけてないんだろうね」
……まあ、彼女の場合はそうやって『考えてしまう』こと自体が不調そのものみたいなもの、なんだろうけど。
『しかしこの最終回、四番バッターの彼女に打順が再び回ってくる可能性も充分有り得ます!そして現在、両チームの得点差は10!奇しくも三回裏での彼女の叩き出した得点と同じ数値です!すなわちオグリキャップ、この不調を乗り越え、かつての自分を『超える』事が出来れば……』
「オグリせんぱーい!頑張ってー!」
「オグリキャップーっ!もう一度、お前の力見せてくれーっ!」
「……ええい!皆してオグリキャップオグリキャップと!このチームはオグリさんだけのものではない!たかが10点程度、私が奪ってみせるっ!」
スタジアム中の熱烈なオグリコールに喝を入れるように、グッと眉間に皺を寄せ気合いを入れるヤエノムテキ。かくして主審の合図を受け、ついに決戦の火蓋は、切って落とされるのであった。
「…………っ、うりゃあっ!」
「っ……!」
「ストライッ!」
『328km』
「おおーっ!シュヴァちまた自己ベスト更新!しかもすっごい余裕そうな顔!」
「あ、あの子、この試合に入ってから5キロ以上も自己ベスト更新してるわね……もうプロと謙遜ないじゃない……」
「………………」
「まだまだ!次だっ!」
「……うりゃあっ!」
「……!」
「ストライッ!」
『320km』
「きたきた〜っ!必殺フォークもいつも通り健在!さっすがシュヴァち!」
「……ふふっ、いいえヴィブロス?今のフォーク、『いつも通り』なんかじゃないわよ?」
「えっ?どういうことお姉ちゃん?」
「…………むぅ」
ヤエノムテキ相手に睨みを効かせ、早々ツーストライクを奪い取るシュヴァルグラン。その球速もさることながら……僕が視て、そして冷や汗をかいたのは、その『投球フォーム』。
「あの子、最初よりずっとフォークの時の姿勢がいい……すなわち今までは、目の良い人が頑張れば投球フォームでストレートかフォークかが判断できたかもしれない。けれど、今は……」
「……あ!もうボールが手元に来るまで落ちるかどうかわかんないんだ!ストレート投げる時とフォーム、全然変わんないもんね?」
「ええ、そういう事。ふふっ?メジロアルダンさんのトレーナーさんも、『解ります』でしょう?」
「あ、ああ、ははは……そう、だね?」
まるでヤエノムテキの緊張が感染ったかのように、僕の眉間にも深く刻まれる皺。そうだ、彼女が懇切丁寧に説明してくれたように今のシュヴァルグランの投球フォームはまさに完璧。故に、前もってフォークを投げるタイミングを見定める事など……
「ふっ、ふふふふ……」
「……?ヤエノムテキ、さん?」
「完璧、だ。完璧に私にも『見えた』ぞ、シュヴァルグランっ!」
「えっ!?ヤエノムテキ?」
と、宙に浮かび上がっていた僕の意識を無理やり引き戻したのは……ヤエノムテキ、彼女のスタジアム中に響き渡る不敵な声であった。
「オグリさんよりも時間はかかってしまいましたが……もう、私には『見えて』いますよ。貴方のストレートも、フォークも、その軌道、スピード、何もかもっ!」
「…………っ、ヤエノムテキ、さん……!」
「さあ、どこからでもかかってきてください!どんなに『速い』球でも、どんなに『落ちる』球でも、全て完璧に、私は打ち切ってみせましょう!」
『おっとここでヤエノムテキ!その手にしたバットで遥か彼方を指し示す!ツーストライク、この窮地に追い込まれてなお、その口元には余裕の笑み!』
「しゅ、シュヴァち……」
「飲まれちゃダメよ、シュヴァル……」
「………………」
吹かしやブラフ……ではなさそうだな。ヤエノムテキとはトレーニングでも本番レースでも、今まで何度もぶつかり合って来たから分かるが、間違いない、あれは本気の目だ。恐らく投球フォームから分からなくても、彼女の身体能力なら投げられてからの反射で充分対応できる、というのだろう。
『速さ』もダメ。『落ちる』もダメ。『打たせて捕る』も、一度見られてしまっている、と。
さて、どうするシュヴァルグラン?
「……負けない、負けない、負けない……!」
「さあ、来い!シュヴァルグラン!」
「う、おりゃああああああっ!!!!」
ドムッ………
「ひぎゃっ……!?」
「は?」
刹那、静まり返ったスタジアムに、鈍く響いた打撃音。この人生でかつて聞いた事もないミットの張り裂ける音に、衝撃を受け止めきれずに、後ろに転がり込むキャッチャーの悲鳴。何が起きたのか理解しきれないオーディエンスの頭上で、電光掲示板の数値は、ただ淡々とその事実を書き記した。
『350km』
『……え?さんびゃく、ご、じゅう?さんびゃくご……さ、350キロ!?ただいまのシュヴァルグランの球速、なんと!なんと『350km』を記録しました!というか、えっ?これもう世界記録なのでは!?』
「え、ええええええええええっ!?」
「なんだそれ!?意味わかんないよぉ!?」
「え、えええええっ!?しゅ、シュヴァちスゴすぎ!?350キロのストレートなんて、今まで見たこと……」
「……違う」
「今のって、まさか……」
「え、お、お姉ちゃん?というか、二人とも?違うって、なにが?」
その驚異的な記録に、敵も味方も関係なく一様に阿鼻叫喚に包まれるスタジアム。その中で、この記録の更なる異常さに気がつき立ち尽くしていたのは……恐らく僕含め、まだほんの数人、と言ったところだろうか。
……いや、有り得ない、そんなはずは無い。きっと見間違いだ。だって、そんな事をされてしまったら……もし、そんな事が可能ならば。僕らは彼女と、一体どうやって戦えばいいんだ?
「……………………」
「お、惜しかったです!惜しかったですよヤエノさん!確かにすごい速い球でしたけど、でもほら!バットは振れてた……」
「……『落ちた』」
「……へ?」
駆け寄ってきたチヨノオーに向けて、ヤエノムテキが呟いた一言。そのたった三文字の言葉で、この空間全てが、再び凍りつく。
「落ちたんです、あの球。速すぎて本当に一瞬の出来事でしたが、確かに、この目で」
「……え?待ってください?それって、つまり」
「ええ───あの球はストレートではない。『フォーク』です」
そうだ、『速さ』もダメ。『落ちる』もダメ。そんな袋小路から彼女が導き出したのは。
他でもない『速くて、落ちる』球なのであった。
「……落ちたって、言ったか、今?」
「あれ?今のストレートじゃなくて、フォーク?」
『え、ええと。申し訳ございません。私も今、何がなんだか分かっておりませんで……』
「しゅ、シュヴァルちゃん!?今のどうやったの!?」
「キタサン……それが、解らないんだ」
「解らない?」
「負けたくない、負けたくないって考えてたら、なんだろう、いつもと違う『領域』にいつの間にか立ってたというか。ほんと、理屈なんかじゃとても説明できないけど……」
「けど?」
「超、気持ちよかった……!」
「っ!シュヴァル、ちゃん……」
まるで自らの力を確かめるように、眉間に皺を寄せながら手のひらを握りしめる、シュヴァルグラン。そしてそれを目撃して、ただバラバラに、各々それぞれの表現でひたすら困惑するばかりの一同。しかしその胸の内にある言葉は、それだけは皆、一致していた。
「……怖い」
「こんなのもう、誰も打てないだろ……」
「え?な、なんだか空気、重くない?ねえ、お姉ちゃん?」
「……シュヴァル」
「………………」
畏怖。自らの常識の範疇外にある存在に対する、畏れの感情。あるいは……諦めか。
まさしく、神様が目の前で奇跡を起こしたかのような衝撃に、もはや皆の頭から『どちらが勝つか』『どう勝つか』という期待は、とうに消え去っていた。神に歯向かう人間も、ましてや神のことをわざわざ応援するような人間も、存在する訳がないのと、同じように。
「う、嘘でしょヤエノさん……あんな、目で追うのも難しいくらいの球が、手元で落ちる可能性もある、だなんて。そんなの絶望的じゃないですか!私たちじゃ、どうすることも……」
「っ、いいえチヨノオーさん!たとえ私たちでどうすることができなくとも、私たちにはまだ、『希望』があります!」
「希望……?」
「そうだろう!オグリキャップ!」
「…………ヤエノ」
「貴方にこんな事を頼むのは、不本意ですが……お願い、します、貴方が最後の希望なのです。シュヴァルグランの、あの人智を超えたかのような球を打てるのは。きっと同じように人智を超えるような存在、やはり、貴方しか居ないのです……!」
「わ、私からもお願いします!オグリさん!」
「チヨノオー……」
「頼むぜ、オグリ!」
「オグリちゃん……!」
「みんな……」
『おっと、絶望的な雰囲気に思われたチームヤエノのベンチですが……チーム全員でオグリキャップへと願いを託しているぞ!』
「オグリ?オグリ、いけるのか?」
「でもオグリ先輩、シュヴァルグラン相手には二打席連続で……」
「いや、それでもあの『オグリキャップ』なら、もしかして、もしかすると……!」
『オグリキャップ』
どんな絶望の中でも、その名を聞けば誰もが奮い立つ、希望の象徴。まさしく天に定められた、この世界の主人公。
「……ありがとう、皆。皆の想いは、私が引き受けた!」
「っ、おぉぉぉぉっす!皆!死力を尽くしてオグリさんに打順を回すぞぉっ!」
「「「「おおーーーーっ!!!!」」」」
細めていた目をガンと開き、皆に向けて逞しく拳を突き出した、オグリキャップ。
「まあ、そうなるよな」
僕は知っている、何度も何度も何度も何度もそれで苦しめられてきたから、知っている。
こうやって余計な思考を捨てた彼女は、『みんなのために』動き始めた彼女は、きっとこの世界、どんなものよりも恐ろしいのだと。
『さあさあさあ、最終回にして再び活気が戻ってきたチームヤエノ!しかし窮地に立たされているのは相変わらず!ワンアウトランナー無しの状況から四番バッターであるオグリに繋ぐ為には、誰かが必ず、あのシュヴァルグランから安打を奪い取らなければなりません!』
「では、頼むぞチヨノオー」
「はい!不肖サクラチヨノオー、必ず、必ず貴方に、繋げてみせます!」
『さあ見事復活なるかオグリキャップ!ここで現れたのは……二番、セカンド、サクラチヨノオー!本試合目立った当たりがない彼女ですが、この大舞台でチャンスを繋げる事ができるのでしょうか!』
「シュヴァルちゃーん!ミット、金属製のやつに変えてもらったから、遠慮なく投げていいからねーっ!」
「ああ、もちろん。遠慮なくいくよ、キタサンブラック」
「なんか、みんなすごい空気だねぇ。大声出したら怒られちゃいそー……」
「ヴィブロス、貴方もようやく周りの空気なんて分かるようになったのね。偉いわよ……」
「お姉ちゃん、まあまあ酷い事言うね?」
「さて、ここからどうなるかし……」
「………………」
「……この期に及んで、まだ『視てる』の?」
まるで神々の争いを傍観するかのように、先程までとは全く異なる厳かな雰囲気で静まり返る会場。その中で……僕が相変わらず、性懲りも無く眼を向けていたのは、ピッチャーマウント上にぽつんと立つ一人の少女、シュヴァルグランであった。
……そうだな、確かに人知を超える力に対抗するためには、同じ力で殴り合う他ないのかも、しれない。
でも、そんなんじゃつまんない。
そうだろう─────
「う、りゃあっ!」
「ひ、ひいっ!?」
「す、ストライッ!」
『350km』
『ま、またしても出ました!シュヴァルグランの350キロ!今回はストレートでしたが、やはりこの速度はまぐれや偶然ではありません!眉ひとつ動かさずに、すんなりとワンストライクを奪ってみせました!』
「う、りゃあっ!」
「えいーっ!あ、あれ?」
「ストライッ!」
『350km』
『おっと今度は……フォークです!シュヴァルグラン、今度こそとバットを振りかざすサクラチヨノオーを出し抜くかのように、鋭い視線で投げ抜いた!』
「………………」
視る、視る、視る、視る。僕は彼女の、シュヴァルグランのその神々しい姿を、それでも仰ぎ視る。
「はぁ……はぁ……まだ、まだぁ!」
「………………」
「私だって、私だってもう一度っ……もう一度皆と肩を並べて、『同じ場所』にっ……!」
「……そうか、この、気持ちって」
『それでも闘志の炎を燃やし続けるサクラチヨノオー……ですがシュヴァルグラン、まるで獲物を見定める鷹のような眼差しでその様を見つめている!なんという、なんという眼圧なのでしょう!数十メートル離れていても感じるその威圧感!かく言う私も、先程から震えが止まりません!』
ノイズ混ざりの実況音声が謳う通り、まるで鬼か修羅かのように吊り上がる、シュヴァルグランの眉と瞳。確かにこんなのに睨まれれば、勝てる気がしなくなるのは解るけど……
「………………ん?」
「っ、うぉりゃああああっ!」
ズ……ドンッ……!
「…………………………………………………あっ、す、ストライッ!バッターアウッ!」
「────え」
『370km』
ソニックブームを撒き散らしながら、またしてもキャッチャーミットを粉砕したシュヴァルグランの投球。ますます次元を超えゆくその『フォーク』に、とうとう実況音声すら、その口を閉ざしだす。
「な、何も、できなかった……私……」
「いや、ナイスファイトだよ、チヨノオー」
「……?」
けれども……流石、僕らの最大のライバル。
幾度目かの静寂に包まれるスタジアムで、僕は誰にも『気取られぬ』よう、心の中で満開の拍手を彼女に贈る。
『……え、えー。九回裏ツーアウトランナー無しのこの場面ですが、キャッチャーミット破損に伴ってスタッフ作業中です。少々、お待ちください』
「も、もうちょい硬いやつある?あとついでにバットも、もう少し丈夫なやつ……」
「鉛製のバットとミットありました!これ砕かれたら、もうおしまいですけど……」
「すみませんオグリさん、私……」
「お、お疲れ様ですチヨノオーさん!立派でした、立派でしたとも!ええ!」
「ああ、本当によく頑張っ……ん?」
「オグリさん?どうされましたか?」
「そういえば、『アルダン』はどこだ?次は、彼女だろう?」
「アルダンさん?あ、あれ?確かに思い返してみれば、先程から姿を見ていませんが……」
「ええ、私ならここです♪」
「……あっ、アルダンさん!今まで一体どちらに?」
「まあ、ほんの野暮用ですよ?して、試合は今、どのように?」
「九回裏ツーアウトランナー無し。まあ、最悪の状況ですが……」
「ええ、かしこまりました。それでは不肖メジロアルダン、いざ出陣して参ります♪」
「あっ、ちょっとっ!……アルダンさん、こんな場面なのに、何故そこまでの余裕が……」
『え、えー、お待たせいたしました。準備が整いましたので、試合を再開いたします。この場面でバッターボックスに立ちますのは、三番、ライト、メジロアルダン。シュヴァルグラン相手には二打席連続三振、前打席はバットを振ることも叶わなかった彼女ですが、果たして今度こそ、オグリキャップに繋ぐことが……できるの、か?』
入念なストレッチを終えて、再びバッターボックスへと舞い降りた我が担当ウマ娘、メジロアルダン。先程までの歓声も、熱の篭った実況音声もなく、彼女を迎えたのは、スタジアムに吹くからっ風の音のみ、なのであった。
「メジロアルダン、さん」
「数十分ぶり、でしたか?随分とご立派になられましたね、シュヴァルグランさん♪」
「ええ、今の僕は今までの僕とは違う。キタサンやドゥラメンテさん、きっとあの、オグリキャップさんとも肩を並べて渡り合える。そんな『領域』に、今の僕は居る」
「『領域』、ですか」
「……だから正直ここで貴方を見逃したっていい。貴方を見逃して、本気のオグリキャップさんと戦ってみたい。そう、思ってしまう自分もいるんだ。きっとみんなもそれが見たいと思ってるだろうし、むしろここで貴方から三振を奪えば、僕は野暮な悪役に成り下がってしまうのかもしれない」
「あら、見逃していただけるのですか?それは実に有難いですね♪」
「でも、いいや。僕はキタサンやオグリさんみたいに、みんなに好かれなくてもいい。たとえ悪役でも……僕は、もっと強くなるっ!」
ドンッ……!
「す、ストライッ!」
『っ、や、やはり最後の最後までまるで容赦のないシュヴァルグラン……!まだまだ加速する『373km』のストレートを、冷徹に、表情一つ変えずに叩き込んだ……!』
「……そしてこの気持ちは、貴方にも。僕とよく似た貴方にも、解るはずだ」
「……?」
「僕と貴方……だけじゃないな。この『領域』に立って初めて解った。僕らと同じような気持ちを持っているウマ娘は、この世界に沢山いるんだ、って」
「まあ、そうでしょうね?」
「他の誰かに、全ての歓声と注目を持っていかれる悔しさ。いくら努力しても届かない虚しさ……主役になれない、悲しさ。そういうものを知っているウマ娘達『みんなのために』こそ僕は戦いたいと、今は、思う。たとえ悪役だとしても、悪役にしかなれない他のウマ娘達の『絶望』を背負って戦う存在。それは、同じ苦しみを抱えながらこの『領域』に到った、僕にしかできない事だと、解ったんだ」
「……ふふ?」
「だから……悪役は引き受けるよ、メジロアルダン。君は『オグリキャップに繋げられなかった役立たず』じゃなくて、『悪い魔王に果敢に立ち向かい散った英雄』として、胸を張っていい。その無念も怨みも全部……僕が預かるからっ────!!」
その深い深い眉間の皺をそのままに、それでも真っ直ぐに脚を上げ、惚れ惚れとする程美しい投球フォームをオーディエンスに見せつけながら。シュヴァルグランは再びその白球をアルダンに向け、解き放つ。
歓声は、上がらない。まるでスーパーヴィランに踏み荒らされた後の、瓦礫の山のような静寂に包まれたスタジアムの中は……
「──────アルダン!」
「えっ……?」
「ふふっ♪」
低く嗄れた僕の声だって、実に遠くまで、よく通るのであった。
カキィィィィィィィィィィィ─────
「…………あ、えっ?」
『……えっ?っ、と、こ、れ、は……?』
観客達も、選手達も実況も、ヤエノムテキもサクラチヨノオーもキタサンブラックもドゥラメンテも、オグリキャップも、シュヴァルグランも。皆、一様に見上げた目線の先。『400km』を映し出す電光掲示板よりも、更に更に先。
そこにはただ、雲ひとつ無い空が拡がっていた。どれだけ手を伸ばしても、未だ誰の手も届かない、広い広い、青空が。
『打っ……?打った、のか!?メジロアルダン!その打球は……ええと、どこにも見当たりませんが……』
「……いまのなに?」
「どうなったの?何か見えた?」
『あ、ああっと!今、判定の結果が出ました!ええと……『打球は、少なくとも校外まで飛んだため正確には不明だが、方向的にはファールエリアの方だったため、今回は……ファールの判定とする』とのことです!』
「噢……ファールって言っても、あれ隣町くらいまで飛んで行ってないかしら……?もしこれが、ファールじゃなかったら……」
「むう、ファールでしたか……まあ、付け焼き刃のぶっつけ本番ではこんなものですかね?」
「なっ、なんっ……なんで今の、打てたんだ……メジロアルダンっ!」
「何故といいますと……ええ、『練習していたから』ですかね?」
「れ、練習?そんなのいつの間に?」
「もちろん五回の裏、貴方のフォークを初めて見た後からです♪これはきちんと打ち方を学んでおかなければ、遠くへは飛ばせないだろうな……と、そう思いまして」
「そ、そんな冷静な……」
「それからのチームヤエノ攻撃のターン、私の打順が回って来た時以外の時間は全て、そこのグラウンド裏辺りで一人で練習をしていました。フォークの打ち上げ方のデータを調べて、動画を確認して、自らのフォームを修正して……」
「は、はへ……」
「ふふっ?何やら皆様、絶望がどうだ希望がどうだなどと仰っていたようですが……私にはあまり、関係の無さそうなお話だったので♪」
そして彼女は、我が担当ウマ娘メジロアルダンは、いつも通りその空色のロングヘアをたなびかせながら、これまたいつも通りの余裕の笑みを、この混沌極まる世界の中心から無軌道に、無責任に振り撒いていたのだった。
「でっ、でも打ち方を練習したからって、いつフォークが来るのかが分かってなきゃ……って、まさか?」
「そうですね?『打ち方』と『見極め方』、流石に両方を会得するのは流石に時間がかかりそうでしたので……ですのでそこは、トレーナーさんにお任せいたしました♪」
「そ、そこまで相手の事を信頼して……?」
「信頼、と言うよりも脅迫でしょうか?あのトレーナーさんのことです、『自分が何とかしないと、最愛の担当ウマ娘が泣くことになるぞ?』と、それくらいの想像は当然してるはず。ですのであの人は、例え貴方の投球が1000キロになろうが、10000キロになろうが、何がなんでも、やり遂げていたでしょうね♪」
「ひ、ひえ……」
「ふふっ?あの人はこの程度では絶対に『絶望』なんかしませんから♪さて、トレーナーさんは一体どうやって────」
──────────────
「あ、貴方、今、どうやってあの子がフォークを投げるって……!」
「ん?まあ、それは」
「そ、それは?」
「いや……やめとこうかな?妹さん曰く、僕たちって敵同士らしいからさ?」
「っ……!」
食いかかるように、こちらに視線を向けてくるヴィルシーナ……ああ、さすが姉妹だなぁ。その力んだ時の『眉間の皺』、まさしく妹さんに、そっくりだ。
そうだ、彼女だって神でも天災でも、レースゲームのキャラでもない一介の生物、なのだから。どれだけ投球フォームを整えようと、普通のストレートより難しいであろうフォークを投げる時なんかは、完全に力みや緊張を消し去ることなんて出来やしない。姿勢の方の強ばりを誤魔化そうとすればするほど、例えばその『表情』なんかに、しわ寄せは来る。
なんて、僕だって気付いたのはほんの数分前。あの時は恐らくお互い無意識だったんだろうけど……シュヴァルグランの精神が強く揺さぶられた後の、極端に力みが入った『あの一球』で、僕もようやく、それを見つけられた。
「やっぱり、ナイスファイトだったよ。僕らの最高のライバル」
──────────────
「───ああ、五回の裏と言えば、あの時のお話がまだ途中でしたね?改めて、ありがとうございます。私をそこまで慕ってくれていただなんて、恐悦至極です」
「あ、いやいやそんな……」
「けれども、今の私はあの頃とは全く違います。今の私は、別に誰の背中も追ってなどおりませんし、別に何事も悔しくも虚しくも悲しくもない。こんなちっぽけな星の中の、たかだか二、三年の間だけの主役やら悪役やら、そんなポジションになど、まるで興味もない」
「じ、じゃあ貴方は一体、何を目指して……」
「そうですね?あえて言葉にするならば……」
「宇宙最強のウマ娘、ですかね?」
「……はい?」
「ですから、宇宙最強のウマ娘、です♪どんな時代、どんな状況で誰と戦っても、百バ身差で圧勝してしまうような、そんな『唯一無二』のナンバーワンウマ娘に、私はなりたいのです」
「え、ええ……?」
「ですので、私は他の誰かの抱いた絶望にも、誰かが謳う希望にも一切関与しない。チームヤエノもチームキタサンも、主役チームも悪役軍団も、領域だなんだのの内外も全く興味が無い。私は私として、私が必要とするものだけを喰らい飲み込んで、私だけが最強になれる道を進みますよ、トレーナーさんとご一緒に♪」
「な、なんだそれ、無茶苦茶だ……!」
「あら?レースという手段にて、唯一無二のナンバーワンを狙い続ける……元来『競走ウマ娘』とは、そういうものではありませんか?」
人差し指を天に向け、軸足を地に刺して。しなやかに、かつ力強くこの世界に『自立』する、メジロアルダン。そうだ、やっぱり僕が視たかったのは、こんな景色だったんだ。
「さて、実証実験が完了したところで……本番、と参りましょうか?」
『あ、え、ええと。メジロアルダン、再びバットを構え始めました。九回裏ツーアウトツーストライクランナー無し、スコア68-58、チームキタサンの勝利目前という状況……なの、ですが……』
「け、結局何も分からなかった……なんでフォークバレたんだ?フォームは完璧だったはずなのに……じ、じゃあもっと別の変化球……いや、中途半端な速度で投げてもいい餌だ……いっそストレートで……いやでも……!」
『し、シュヴァルグラン、見るからに動揺しています!これまで無双状態であった彼女が、今試合初めて『打たれる可能性』を認識してしまったのか……!』
「し、シュヴァちぃ〜……」
「………………」
神々しい程完璧だった投球フォーム、その金色のメッキも、とうとうじわじわと剥がれ始める。これまでで一番分かりやすいな、間違いなく次の投球……恐らくこの試合最後の彼女の投球は、『フォ
「っ、がんばってーーーーーーーっ!シュヴァルーーーーーーーーーっ!!!」
「えっ」
「お、お姉ちゃん!?」
『おおっと?ライト側最前列の客席から聞こえてきた、この声は……?』
「頑張れ頑張れシュヴァル!負けるな負けるなシュヴァル!」
「えっ?え、ええ?急にどしたの、ヴィルシーナ?」
「どっ、どうしたもこうしたもありません!私は可愛い妹の、応援をしているだけです!頑張れ頑張れ!シュ、ヴァ、ル!」
突然、至近距離で突き刺さった張り裂けるほどの熱狂に、僕も、選手も観客達も、一様に目を丸くする。てか、ヴィルシーナ?ここに来てなんで急に、そんな熱烈な応援の仕方……を……
「……あっ!?」
「……がんばれがんばれシュヴァち!がんばれがんばれシュヴァち!」
「……!ヴィブロス!」
「えへへっ!そうだよね〜?もっと大声で応援してあげないと、シュヴァちかわいそうだよね!ね、お姉ちゃん!」
「え、ええ、ええ!その調子よヴィブロス!スポーツ観戦ですもの、思いっきりはしゃいだ方が、こちらも楽しい……貴方も、そう思います、でしょう?」
「は、はは……そうだね……?」
『ええと、ああ!あれはヴィルシーナとヴィブロス!シュヴァルグランの姉妹達です!追い込まれた彼女の背を力強く押してあげるかのような熱い声援!なんという、なんという美しい家族愛なのでしょう!』
「……頑張れ、頑張れ、シュヴァル先輩!」
「負けるな負けるなシュヴァル!」
「うおーっ!もう一回あのフォークを見せてくれ!シュヴァルグランーっ!」
「アルダン先輩もがんばってーっ!」
「きゃーっ!アルダン先輩ーっ!かっこいいーっ!」
ヴィブロスも、そして釣られるように観客達も加わって、どんどんこの場に無数に拡がっていくマウンド上の二人への声援。その温度は他のどんなものも……そう、例えばちっぽけな僕一人の『声』なんかも軽々かき消してしまいそうな程、天井無しに上昇していく。
『おおっと!まるで燃え広がった火種のように、あの姉妹をきっかけにして、このスタジアムにも声援が帰ってきました!凄い凄い!メジロアルダン対シュヴァルグラン!世紀の一戦に相応しい大盛り上がりです!』
「あ、あああ、ぐうぅ……」
「ふふっ?貴方は応援しなくてよろしいのですか?その声が届くかは、分かりませんけれど?」
く、くそっ、やられた!どうする、ここからどうやって彼女に伝える?って、ああ、ダメだ……スタジアム中から響いてくる大音量で、あ、頭が……
「と、トレーナーさん……い、いえ、仕方がありません。こうなれば私だって、トレーナーさんと同じように、よう、に……」
「っ………………」
「……シュヴァル、さん?」
『さあ!トレセン学園球技大会、ウマ・ベースボールの部決勝戦も、本当の本当に最後の時を迎えようとしているぅ!まるで龍と虎の睨み合いのように、互いに深い眉間の皺を作った両者ですが……』
「打てーーっ!メジロアルダンーっ!
「いけーーっ!シュヴァルグラーーン!」
「どっちもがんばれーーーっ!」
『ああっとここで!シュヴァルグラン大きく脚を上げて、最後のボールを…………』
「て、てぇりゃぁ〜〜〜っ……!」
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?」
『えっ?』
「えっ?シュヴァルグラン?」
「えっ?シュヴァル?」
「えっ?シュヴァち?」
……彼女の手元から離れた白球は、僕の予想と目線の斜め上の方に、ふらふら、ゆらゆらと力なく飛んでいく。軌道も何も読めないそのスロウなカーブは、まるで遊星のようにしばらく彼女達の頭上をどっちつかずで漂った……その、後に────
「……あ!いや!落ちる!アルダ────!」
「っ!トレーナーさ─────!」
ブンッ……
ポトッ……
「……あら?」
……盛大な空振りを喫したアルダンを嘲笑うかのように。そのまま地面に墜落して、二、三メートル程コロコロと転がって、呆気なく、待ち構えていたキャッチャーミットに迎えられるのであった。
「…………す、ストライッ!ゲーーーーームセット!!!」
「……………………」
「……………………」
『……し、試合終了ーーーーーーっ!!!なんということでしょうシュヴァルグラン!この試合中ずっと見せてきた『速さ』そのものをブラフにした、超絶スロウのフェイントボールで試合を終わらせてみせたぁーーっ!?』
「え、ええええええっ!?こ、ここに来てフェイントォ!?」
「すげぇ……!すげぇぞシュヴァルグラン!どんな度胸してるんだあの娘!」
『と、言うわけで!トレセン学園球技大会、ウマ・ベースボールの部優勝は……チームキタサン!!!おめでとうございます!』
「うわあああああ!シュヴァルちゃーーん!凄かったよーーーっ!」
「呀ー!やってくれたわねシュヴァル!あんな隠し球持っていただなんて、どうして今まで言ってくれなかったの?」
「ああ……!本当に凄かったぞ……!」
「…………がう」
「ん?シュヴァルちゃん?」
「ちがう……」
「……?」
「その、あ、あんなに、たっ、沢山の人から注目されるの、う、生まれて初めて、でっ……」
「シュヴァル?」
「ほ、ほんとはっ、ふぉ、フォーク投げようとしてた、のにっ……てっ、手が滑っ、てっ……」
「……って事は、その、もしかして最後のあのピッチングって……?」
「……ただの『大暴投』なんだよぉ〜〜〜っ!だからみんな、そんなに褒めないでぇ〜〜〜っ!」
「えっ?」
「ええ……?」
「そ、そうか……」
「うう……『主役』になるのも、楽じゃないんだね……今までごめん、キタサン、ドゥラメンテさん……」
「やっ……たんだよね?喜んでいいんだよね?お姉ちゃん?」
「ほ、ほほほ……」
「……結局、私の出番がなかったんだが?」
「ど、ドンマイです、オグリさん……!」
「うふふ〜、帰ったら私がみんなにご飯を作ってあげますからね〜?なんせ私は……」
「だーっ!『女房役』はもういいわ!」
──────────────
「と、トレーナーさん」
「……アルダン」
広大なダイヤモンドの、その中心。シュヴァルグランを軸にして、どんどん集う人々の輪……から僅かにつま弾かれた、ライト側の最前列。
「まずは、お疲れ様。ファールになっちゃったけど、凄かったよ、あの一撃」
「トレーナーさんこそ、よくぞあの投球を見極めてくれましたね?流石の一言、です」
「……………………」
「……………………」
「……くそーーーーーーーっ!悔しい!!!」
「あーーーーーーっ!勝ちたかった!です!」
「はぁーあ。完敗だ、シュヴァルグラン……まだまだ、『宇宙最強』には程遠いなぁ……」
「ええ。まだまだ日々精進、ですね……」
僕らは二人ぼっち、硬い硬いアスファルトの上に寝転がる。見上げた雲ひとつない偉大なる青空には、結局まだまだ、このちっぽけな手はこれっぽっちも届きはしないのであった。